最初の訓練
翌朝、訓練場に新兵たちが集められた。空気はひんやりと冷え、まだ太陽は低く、柔らかい光が地面を斜めに照らしていた。訓練場の砂や土の匂いが朝の風に混じり、兵舎からの木製の扉がかすかにきしむ音が耳に届く。新兵たちは肩を寄せ合いながら整列し、息を潜めるようにして教官の動きを見守っていた。
「まずは貴様らの適性を見る! 腰の両側のベルトにロープを繋げ! 宙にぶら下がり、全身でバランスを取れ! できねぇ奴は巨人の囮にもならん! 開拓地に移ってもらう!!」
キース教官の怒声が、訓練場全体に鋭く響き渡る。声の反響で、まるで全身に緊張が伝わってくるようだ。朝の冷たい空気に混じり、その怒号は兵士としての覚悟を無言で突きつけていた。
新兵たちは順にロープに吊り下げられた。宙に浮くことは想像以上に難しく、体は揺れ、両手でベルトを必死に握り締め、膝で踏ん張ろうとしても足は地面に届かない。息が荒くなり、顔を歪めながらも体勢を保とうとするその姿に、周囲の新兵たちは見守ることしかできなかった。
小さな悲鳴が漏れ、手足をばたつかせる者もいる。体が揺れるたびに恐怖心が増し、誰もが「落ちたらどうなるのか」という考えを頭の片隅に抱えている。まるで自分の体の一部が他人に操作されているかのように、意志とは無関係に揺れ動く体に必死に耐えていた。
そして、俺の番になる。
ベレス・アッカーマンは、静かに腰のベルトを装着し、ロープに吊り下げられる。
宙に浮かぶ瞬間、体は微動だにせず、ブレることはなかった。周囲の新兵たちが必死にもがき、顔を赤らめ、声をあげている中で、俺の体は揺れもせず、まるで意志で制御されているかのように静止している。
(……この教官たちは、俺を歴代最強レベルの兵士になる存在だと無意識に感じているだろうな)
俺の目に映るミカサもまた、微動だにせず静かに宙に浮かんでいた。彼女は表情を変えず、無駄な力みもなく、まるで生まれつき宙に浮くことを知っているかのようだ。俺は軽く肩をすくめ、ほんの少し微笑んだ。
だが、その平穏も束の間だった。
「何をやってるエレン・イェーガー!! 上体を起こせ!!」
怒声が訓練場の端から飛んできた。視線を向けると、エレンは腰を支点にぐるりと回転し、上下逆さまの状態で宙に漂っていた。
顔を真っ赤にし、手足をばたつかせながら、必死にバランスを取ろうとしている。だが装置の不具合か、全身の感覚はまったく操作できず、彼の体はあらぬ方向へ揺れていた。
(……装置の故障だ。本能がそう告げている)
俺は冷静に状況を見極める。エレンの体の傾き、ロープの張力、重心の位置。目の前の現象を一瞬で解析する感覚は、まるで無意識に体が判断しているようだった。
結局、この日の訓練でエレンが課題をクリアすることはなかった。顔を真っ赤にし、歯を食いしばる彼の姿に、俺は静かに目を細める。
その日の夕方。
「ベレス、だったよな! すげぇうまいって聞いたぞ! なんかコツとか無いか!?」
包帯を巻いた頭を抱え、エレンが必死な表情で詰め寄る。汗と砂埃で少し汚れた顔からは、焦りと苛立ち、そして諦めきれない気持ちが入り混じっていた。
俺は淡々と返す。
「……コツ? 強いて言うなら、前後の重量比のバランスを一定に保つこと。あとは力みすぎないことくらいだ」
「それがうまくいかねぇんだよ……あ”ー、どうすれば!」
頭を抱えて唸るエレン。隣でアルミンが不安そうに眉を寄せる。
「大丈夫だよ、エレン。明日にかけるしかないんだ」
俺は肩をすくめ、目の前の光景を観察した。周囲の新兵たちもまだ訓練に取り組んでいる。宙に浮かび、必死にバランスを取る姿は、戦場の緊張感とは違うが、同じように息を詰めさせる重圧を帯びていた。
「装置が壊れている可能性もある。もし明日も無理だったら、教官に確認するといい」
「装備の故障……?」
「可能性のひとつだ」
それだけ告げ、俺は静かにその場を離れた。
翌日。
エレンの再挑戦が始まった。
周囲の新兵たちは息を潜め、固唾を飲んで見守る。朝の光が地面を照らし、砂埃がわずかに揺れる。エレンの体が吊り上げられ、宙に浮く。必死に体勢を整え、揺れながらも昨日よりは安定している。
(……昨日とは違うな)
俺は腕を組み、わずかに目を細める。
しかし、束の間の安定も長くは続かない。
「ぐっ……く、うわぁっ!」
体重が後ろへ傾き、エレンはぐるりと回転して逆さまに。
「降ろせ」
低く響くキース教官の声で、装置が緩み、エレンは地面に膝をついた。
「俺はっ……!」
悔しげに唸るエレン。キースは補助のトーマスへ視線を送る。
「ワグナー。イェーガーとベルトを交換しろ」
「はっ!」
理解できぬまま、二人はベルトを交換。再び試験が始まると――今度はエレンの身体は安定し、静止した。
「装備の欠陥だ。ここが壊れるとは聞いたことがないが、新たに整備項目に加える必要がある」
「と、ということは……!」
「合格だ。訓練に励め」
その瞬間、エレンは腕を突き上げて喜びを爆発させた。歓声が訓練場に響き渡る。
俺は静かに目を細め、心の中で呟く。
(……よし、少しは楽になるだろう)
前世の記憶も、訓練の厳しさも消えたわけではない。だが、仲間たちと共有する日常が、訓練場の冷たい空気の中で、少しだけ温かさをくれた。
胸の奥に、微かな感情が揺れる。仲間の成長を見守る責任。そして、自分がここにいる意味――そんなものが、今この訓練場でじわりと実感されたのだ。




