里帰りの夜
第十九章
特務チームの最終確認会議から、三日が経過していた。
その日、結人の極秘オフィスを訪れたのは、大統領とブランディ国務長官だった。重厚な足音とともに現れた二人は、ソファに腰を下ろすなり、一枚のスケジュール表をテーブルに置いた。
イギリスで開催されるG20サミットに合わせた、常任理事国との極秘会談スケジュールだった。
「交渉のスケジュールはこうだ」
ブランディが、一切の感情を排したプロフェッショナルの顔で口を開く。
「まず、大統領と私はサミット開催の二日前に、民間のチャーター機で極秘裏にモスクワへ飛ぶ。実はすでに、一機のエアフォースワンをモスクワに待機させてある。会談がまとまるタイミングを見計らい、ワシントンからもう一機のエアフォースワンを『大統領搭乗機』として出発させる。我々はモスクワから直接ロンドンへ向かい、現地で二機を合流させる手はずだ。これならメディアの目は完全に欺ける」
息をつく暇もない強行軍だ。しかしブランディは淡々と続ける。
「サミット前日の午前中にイギリスと交渉。午後はフランスだ。交渉が難航するようであれば夜も交渉のテーブルに着くつもりだが、できればそこは対中国への準備に当てたいな。そして、サミット初日は九時からの一時間と、十五時からのもう一時間を、中国との会談に当てる」
そこでブランディは一度言葉を切り、結人の目を真っ直ぐに見据えた。
「これがまとまれば、翌日の共同記者会見の後に、常任理事国と私での記者会見を実施する。記者会見の内容は、前にも言った通り常任理事国との交渉資料をメディア向けにアレンジしたものになるため割愛するぞ」
「はい」
結人が頷くと、ブランディは隣に座る最高権力者へと視線を向けた。
「記者会見の最後には、大統領から、来年九月の国連総会において、常任理事国五カ国の推薦という形で、私を国連事務総長およびアフリカ開発支援プロジェクトの責任者に選任する動議を発してもらう。……大統領、よろしいでしょうか?」
「問題ないんじゃないか?」
大統領はコーヒーカップを傾けながら、ひどく気楽なトーンで答えた。
「各国首脳のスケジュールは押さえてあるんだろう」
「はい……なんか、ずいぶん気楽そうに見えますが」
思わず顔をしかめる国務長官に、大統領はニヤリと笑いかけた。
「それは交渉の主役は君だからな。そうでなくては、常任理事国に君を国連事務総長に推薦させるなんてとても出来んぞ」
「……」
ブランディは深い溜息をつき、それ以上反論するのを諦めたようだった。
「そうそう、結人」
大統領が思い出したように身を乗り出す。
「ここまで事態が進めば君の出番は無い。サミットが終わってからも、各国との事務的な詰めが必要だが、これは君たち特務チームの仕事というよりは、実務検証チームと連邦政府の仕事だ」
大統領は、まるで父親のような温かい眼差しを結人に向けた。
「一度日本に帰って、親御さんにちゃんと説明してこい」
「帰省……」
結人は目を瞬かせた。
「ありがとうございます」
「おい、機密事項まで話すんじゃないぞ」
ブランディが釘を刺すが、結人は苦笑するしかなかった。
「わかってますよ」
「サラ」
国務長官の鋭い声が、壁際で控えていたサラに向かう。
「もちろん君も結人に同行するように。大丈夫だとは思うが、こいつはすでに最高の護衛が必要な立場だ」
「了解しました」
サラは背筋を伸ばし、短い返事をした。
立ち上がり、部屋を出て行こうとする大統領が、最後に振り返って結人に声をかけた。
「結人、親御さんにちゃんと話すんだぞ」
ホワイトハウスに向かう車内。
大統領は満足げに外の景色を眺めていた。
「結人はあれで分かったかな? サラは気付いていたようだが」
大統領の機嫌の良さに、同乗していたブランディは苦笑しながら首を振った。
「さて、我々の交渉よりも難易度は高いかもしれませんな」
その頃オフィスでは。
少しだけ落ち着かない沈黙が流れていた。
「里帰りかあ。予想もしてなかったミッションだよ」
結人は照れ隠しのように笑ったが、目は笑っていないのをサラは見逃さなかった。誰よりも近くで彼の護衛を務めてきた彼女には、結人が極度の緊張状態にあることが手に取るように分かった。
「何か心配ごとでもあるの?」
サラが尋ねると、結人は一度深く息を吸い込み、覚悟を決めたような表情で彼女に向き直った。
「サラ。君の事を両親に紹介させてくれないか?」
「えっと。護衛として同行するから、当然でしょ」
サラが不思議そうに首を傾げる。
「そうじゃなくて……」
結人は、真っ直ぐにサラの瞳を見つめた。
「婚約者として紹介したいんだ」
時が止まったかのように、サラは固まった。
「……護衛が付いてると、ご両親が心配するから?」
「そうじゃなくて。本当の婚約者として」
結人の声は少し震えていたが、その眼差しには揺るぎない意志が宿っていた。
「……ダメかな?」
静寂が部屋を包んだ。
サラの瞳に、ゆっくりと涙が滲んでいく。彼女は泣き笑いのような、これまで結人が見たことのないほど美しい表情を浮かべた。
「えっと……」
サラは少し俯き、小さく震える声で紡いだ。
「YESよ」
そして、恥ずかしそうに結人の顔を見上げた。
「ごめんなさい。予想もしてたし、何回も練習してたはずなんだけど……ちゃんと言えなかった」
第二十章
日本
突然の婚約者の紹介にも、結人の両親の反応は驚くほど冷静そのものだった。
しかしサラにとって、それは息子の選んだ女性に対する、揺るぎない信頼の表れに思えた。
母親からの「結人が選んだ人なら、間違いないわ」という言葉の裏にある温かい眼差しに、サラはこれまでにない安堵と喜びを感じていた。
心尽くしの夕食をご馳走になったあと、結人の父と結人、そしてサラの三人は、居間のテレビの前に座り、国務長官の記者会見の中継を待っていた。
サミットを終えた国務長官からは、極秘交渉の進捗について短い連絡だけは受けていた。
交渉は思ったよりも順調に進んだという。特にロシアについては、「我々も驚くような逆提案を持ちかけてきた」らしい。その詳細な内容までは明かされていなかったが、「可能であれば記者会見を見るように」とだけ伝えられていた。
画面の中で各国の記者がざわめく中、サラは結人の父にそっと語りかけた。
これから発表される世界を変えるプロジェクトの立案に、結人が多大な貢献をしてくれたことを。彼がいなければ、この歴史的な日は迎えられなかったことを。
「結人がねえ」
父の口から漏れたのは、短い一言だった。
言葉とは裏腹に、疑うでも驚くでもなく、どこか深く納得しているような、静かな表情を浮かべていたのがサラには印象的だった。まるで、いつかこんな日が来ることを、ずっと昔から知っていたかのように。
やがて、テレビ画面が切り替わり、フラッシュの瞬く会見場が映し出された。
そこに姿を現したブランディ国務長官の背後を見て、会場の記者たちは一様に息を呑み、どよめきすら凍りついた。
米、英、仏、露、中――国連安全保障理事会の常任理事国五カ国の代表たちが、長官に続いて登壇し、演台の後ろにずらりと横一列に並んで立ったのだ。
それはまるで彼を護る巨大な防波堤であり、これから発せられる言葉を絶対的に裏付ける証明でもあった。これまでの歴史上、一度として見られなかった圧倒的な光景だった。
世界中が言葉を失う中、長官は演台に立ち、ゆっくりと、しかし力強く語り始めた。
「本日、我々は人類の新たなステージへの扉を開く合意に達した」
発表された内容は、世界中のメディアを震撼させるに十分なものだった。
国連による世界の特許の一元管理と、その莫大な財源化。
それを元手とした、コンゴ川をそ遡上する水上巨大病院や艀で構成されるベルトコンベアと原発建設による圧倒的なインフラ整備。
アフリカの中心、キサンガニへの『国連大学』の誘致。
そして、そこを起点として放射状に広がるインフラ開発を、先進国のゼネコンと現地企業のジョイントベンチャー(JV)が請け負うという、誰もが圧倒的な利益を享受できる完璧なエコシステムの構築。
「我々常任理事国五カ国は、この歴史的プロジェクトを推進するための決議案を、来年九月の国連総会において『五カ国共同提案』として正式に提出することで完全合意した」
長官の説明が終わると同時に、会場の巨大スクリーンに一本のアニメーション映像が映し出された。
コンゴ川中流域を巡回し、村々の命を救う純白の水上巨大病院。それに続いて、河口から力強く伸びていく巨大なベルトコンベア。熱帯雨林の奥地に忽然と姿を現す最新鋭の国連大学のキャンパス。そして、そこからアフリカ全土へと光の脈絡のように広がっていく交通とエネルギーの網。
映像が終わると、会見場は水を打ったような静寂に包まれ、その直後、割れんばかりの拍手と熱狂が沸き起こった。
その熱狂を押し留めるように、背後に立っていたアメリカ大統領が一歩前に出て、マイクの前に立った。
「この世紀のプロジェクトを牽引するため、我々常任理事国五カ国は、来年九月の国連総会において、ヘンリー・ブランディ国務長官を次期国連事務総長、兼アフリカ開発支援プロジェクトの最高責任者に推薦する動議を発議する」
会場のどよめきがさらに一段階跳ね上がる。
しかし、本当の衝撃はここからだった。大統領と場所を代わり、再びマイクを握ったブランディ国務長官が、世界に向けてかつてない宣言を放ったのだ。
「常任理事国五カ国は、すでにひとつの重大な合意に達している。それは、このアフリカ開発支援の期間中、いかなる事態においても『拒否権の行使を行わない』という誓約である」
世界中の記者たちが絶句するのが、画面越しにも伝わってきた。長年にわたり国連を機能不全に陥らせてきた最大の特権を、大国自らが手放すというのだ。しかも、その権利を持つ五カ国の代表たちが、すぐ後ろで静かに頷いている。
「そして――」
ブランディ長官は、カメラの向こうにいる世界中の人々を真っ直ぐに見据えた。
「私は、次期国連事務総長就任に向けた最大の公約として、ここに宣言する。旧態依然とした権力構造を打破し、真の平等と平和を実現するため……現在の『安全保障理事会』を完全に解体する」
テレビの前で、結人は静かに息を吐いた。サラは信じられないものを見るように画面を見つめ、父は黙って深く頷いていた。
世界が、全く新しい形へと生まれ変わった瞬間だった。
第二十一章
テレビの中では、興奮冷めやらぬキャスターが、先ほど行われた歴史的なサミット記者会見の解説を急ピッチで始めている。
世界がひっくり返ったその余韻が漂う居間で、結人はふうと深い溜息をつき、手元の湯呑みをテーブルに置いた。
「見たとおり、次の仕事はコンゴ川のベルトコンベアづくりだよ」
「そうか。そりゃあ大事業だなあ。頑張れよ」
テレビの画面から目を離した父は、あっけらかんと笑った。
「笑い事じゃないよ」
結人は頭を掻きむしった。
「現地には何にもないんだよ? 道も、電気も、港も」
「なら、海兵隊の出番だな。飛行場くらいはお手のもんだろ」
「飛行機じゃ運べる量が足りないよ。先ずは電力確保の発電所の資材運ぶだけでも何年がかりか……いや、原子力発電所だから、十年以上は掛かるよ」
「そんなの、つなぎで原潜の原子炉持ってくりゃいいじゃないか」
結人の動きが、ピタリと止まった。
同時に、少し離れた席で二人のやり取りを聞いていたサラも、無言のままテレビのリモコンに手を伸ばし、ニュースの音量を下げた。
「……原潜なんて、どうやってアフリカのど真ん中まで運ぶんだよ。道路か鉄道引くとなると、それだけで十年は……」
「解体して、原子炉だけ運べばいいだろ? 飛行船のでっかいの作りゃなんとかなるだろ」
「解体してって、アメリカから運ぶんじゃ時間もコストも」
「解体専用のドック作ればどうだ」
父は、まるで週末の日曜大工の段取りでも語るような気楽さで言い放つ。
「建造用のドックよりは、簡易的なもんで十分だろ。場所は……ソマリアあたりが良いんじゃないか」
「ソマリアって、治安の問題が……」
「米露の空母打撃群が暇してんだろ」
父は湯呑みを傾け、事もなげに言った。
「世界を一つにしたんだから、いまは使い道なんてありゃしないさ。警備のために置いときゃ海賊も寄ってこない。いっそのこと原潜のついでに空母も解体しちゃえば、国防予算をずいぶん削れるぞ」
サラは目の前の「ごく普通の父親」を、信じられないものを見るような目で見つめていた。
夕食後、両親が寝室へ下がった後の居間。
静まり返った部屋で、サラが静かに口を開いた。
「ちょっといい? お義父さんのアイデアだけど……」
「……聞かれてたか」
結人は苦笑しながら、サラに向き直った。
「で、君はどう思う?」
「荒唐無稽に見えて……でも、出来ないことは無い気がする」
サラの青い瞳が、鋭い知性を帯びて輝く。
「……やっぱりかあ……」
結人は天井を仰いだ。
「確か、ロッキード・マーティンで飛行船の開発やってなかったっけ? ゼネラル・エレクトリックは? 秘密が守れる知り合いは居る?」
「ボス(国務長官)なら、パイプが有るはずよ」
「たぶん、いま手元に無いものは飛行船だけだ。帰ったら相談してみよう……その前に、可能かどうかできる範囲で検証してみよう。僕のパソコンはどこだっけ?」
二人はノートPCを開き、各国の軍事データや産業インフラの数値をはめ込んでいく。
「海兵隊の展開にどれくらいかかる?」
「三日もあれば……滑走路設営用の重機は?」
「取り敢えずはハーキュリーズ(C-130)が降りられれば十分だから、パラシュート投下できるサイズでいい……なんてこった! 一週間もあれば仮設空港ができちまう。各国への根回しに一ヶ月掛かるとして、第二・第三艦隊と原潜群は?」
「ノーフォークとサンディエゴで無期限の休暇中よ。二週間で出航可能ね」
「ドック建設機材の調達には?」
「一ヶ月有れば……積み込み後、現地までは二週間で到着」
結人は画面に次々とスケジュールを打ち込んでいく。
「ウェスティングハウス、ロールス・ロイス、あと日立から技術者を呼ばなきゃな。リードタイムは?」
「三ヶ月くらいかな」
「その間に仮設ドックをつくるとして、原子炉取り出しに三ヶ月。計六ヶ月。……飛行船の開発期間はどれくらいだと思う?」
「スケールアップするだけだから……急げば半年くらいかな。テスト抜きなら、だけど」
「どうせ無人なんだから、落っこちたら改良すればいい……」
タイピングの音が止まった。
導き出された完璧なタイムラインを見つめ、二人の声が重なる。
「「……あ、半年で運べちゃう」」
二十年かかると言われたインフラと電力問題を、わずか半年で強行突破してしまう、狂気じみたロジスティクス計画が完成していた。
検証を終え、疲れ果てつつもゾクゾクとした興奮を持て余しているサラが、深く息を吐いて結人を見た。
「……あなたも大概だけど、お義父さんってどうなってんの?」
「……君が僕を調査した事あったろ。あれ、親父が言った一言が原因だよ」
結人は本棚のハードカバー『星を継ぐもの』を見ながら言った。
「中学時代に親父と話してて、『この世界は知識とお金の使い方が下手だから上手くいかないんだ』って言われたんだ。官僚時代につい口滑らしちゃって、『じゃあお前ならどうする?』って詰められた結果が、あの年金資金の集中投入さ。テキトーに見えて、なぜか本質を突いてくるんだよなあ……」
翌朝。
居間に降りてきた二人は、明らかに寝不足の顔をしていた。
食卓で新聞を広げていた父親は、そんな二人の様子をチラリと見ると、お茶をすすりながらポツリとつぶやいた。
「孫の顔が見たいとは言ったけど、あんまり無理するなよ?」
「「…………っ!!」」
二人は、ただ顔を真っ赤にして絶句するしかなかった。




