コンゴ川ベルトコンベア(後編)
第十四章
「……さて、会議を再開しよう」
ビルの声が響き、メンバーがそれぞれの席へと戻る。
「といっても、この『コンゴ川ベルトコンベア化プロジェクト』を実務検証チームに送ることに異論のある者はいないと思うが……キャサリン、どうした?」
経済担当のキャサリンが、恐る恐る手を挙げて発言を求めていた。
「あの……」キャサリンは戸惑うように周囲を見回した。「本当にいまさらなんですが、このベルトコンベアで輸送できる量って、具体的にどのくらいなんでしょうか?」
会議室の全員が息を呑み、ピタリと動きを止めた。
壮大なロジスティクスの成立性や政治的インパクトを夢中で議論するあまり、その「キャパシティ(輸送量)」という根本的な数値を抜きにして話を進めていた自分たちの迂闊さに、全員が唖然としたのだ。
「……計算しよう」
マルクスが咳払いをして、真顔で再びホワイトボードに向かった。
その様子を見て、IT・情報インフラ担当のアーサーが、スッと手を挙げて口を開いた。
「ちょっと待て、マルクス。僕にもベルトコンベアの制御で懸念が――」
「輸送量の確認が先だ。そもそも物資が運べなければ、開発が始められん」
マルクスはアーサーの言葉をバッサリと遮り、ホワイトボードに視線を戻した。
「結人、艀のサイズは長さ80メートル、幅12メートル。40フィートコンテナが平置きで24個並ぶサイズと想定するが、これでいいか?」
「はい、大丈夫だと思います……」
途中で話を遮られた形のアーサーだったが、マルクスの「まずは物資の輸送が先だ」という冷静な指摘に、すぐにエンジニアとしての理があることに気づいた。
「……たしかに、そうだな。いくら制御や通信を考えても、肝心の資材が現地に届かなきゃ意味がないか」
アーサーは納得したように小さく頷くと、手元のタブレット端末を開き、先ほどの懸念事項であるアフリカ大陸のインフラ状況のデータ収集と、キサンガニ周辺で必要とされる通信量のシミュレーションを静かに開始した。
「あ、念のため確認ですが、上り下りの運行でコンゴ川のカーブは曲がり切れますか?」
「目的地であるキサンガニまでだな……なんとかなりそうだ。いざとなったら導水橋の技術を応用して、ショートカットのバイパスを作ればいい。結人、スピードは先ほどの5ノットで構わないな?」
結人は少し考えてから答えた。
「そうですね……実際の運用ではマージンを取って、能力の80パーセントで試算しましょう。4ノットにして計算していただけますか?」
「そうだな、安全率は必須だ。4ノットでいこう」
マルクスはボードにすらすらと数字を書き込んでいく。
「さっきも言ったが、艀のサイズは長さ80メートル、幅12メートル。実際にはばら積みタイプの艀や液体を運ぶタンク艀も混ざるだろうが、試算はコンテナで行うぞ。この艀を、安全マージンを取って20メートル間隔で連結する。つまり1隻あたりのピッチは100メートルだ」
「あの、マルクスさん」
結人が少し身を乗り出して口を挟んだ。
「その20メートルの連結部に、機械的なロックをかけられませんか? 列車の連結器みたいな感じで。そうすれば、万一の停電とかでも艀がバラバラにならないかなって」
「なるほど、安全対策はしておくに越したことはない」
マルクスは顎を撫でて深く頷いた。
「先ほど支柱にショックアブソーバーをつける案が出ていたが、連結部にも同様の衝撃吸収機構を付けるべきだろうな。よし、機械式のロック機構と連結部のショックアブソーバーを標準仕様として組み込もう」
マルクスはペンでトントンと図を叩き、思考を計算に戻す。
「さて、到着した艀はケーブルごと引込線に入れられ、ガントリークレーンで荷下ろしされると仮定しよう。本線は常に4ノットで回り続ける。1日に進む距離は……4ノット×1.852キロ×24時間だから……」
「177.792キロね」
計算機より早く、キャサリンが即答した。
「ありがとう、キャサリン」
マルクスが頷く。「そうすると、100メートルピッチだから、1日に到着する艀の数は……」
「1,777隻ね」キャサリンの目が驚愕に見開かれていく。「コンテナの数に直すと……42,670個。……なんてこと。これ、一日の取扱量としてはシンガポール港の約70パーセント……世界第3位の港湾に匹敵するレベルよ」
巨大コンテナ船数十隻分に相当する物資が、「毎日」休むことなくアフリカのど真ん中に流れ込み続けるという異常な数字。
圧倒的なそのキャパシティに会議室が再び静まり返る中、ビルが深く息を吐き出して言った。
「……輸送量としては、申し分なさそうだな」
――開発物資は十分に運べる。最大の懸念がクリアされた瞬間だった。
その言葉を待っていたかのように、先ほどまで自分の端末で黙々とデータや地図を洗い出していたアーサーが、スッと立ち上がった。その顔には、完璧な裏付けと解決策を用意できた者特有の自信が宿っている。
「輸送量がクリアされたなら話は早い。――マルクス、結人。先ほど僕が言おうとした『制御の懸念』について、データが出たから説明させてくれ」
アーサーは手元のタブレットをメインモニターに接続し、アフリカ大陸の地図と通信網のシミュレーション結果を映し出した。
「河口周辺には海底ケーブルが来ているからいい。だが、そこから内陸のキサンガニまではジャングルと急流が広がる絶望的な未開の地だ。現状のキサンガニ周辺のネット環境は使い物にならない。数万隻の艀の正確な位置制御や、キサンガニに新設する国連大学の膨大なデータを遅延なくやり取りするためには、河口からキサンガニまでを結ぶ大容量の専用通信網が絶対に不可欠だ。だが、あのジャングルの中に新しく通信線を単独で敷設するとなれば、許認可だけでも何年も足踏みすることになる」
アーサーが全員の顔を見渡し、呼吸を整えてから、満を持して本題を切り出した。
「だからこそ、僕はこう提案する。――マルクス、結人。このコンベアを動かすために、全長数千キロの強大な牽引ケーブルを環状に巡らせるんだろう? だったら、その牽引ケーブルの『芯』の構造の中に、通信用の光ファイバーをあらかじめ仕込むことはできないか?」
「なんだと……?」マルクスが目を見開く。
「そうだ!」アーサーは熱を帯びた声で続けた。
「牽引ケーブルそのものが、そのまま大陸を貫く巨大な『神経網(光ファイバー)』を兼ねるんだ! 別個に通信線を埋設する土木工事なんていらん。ベルトコンベアと一緒に、光ファイバーが自動的にジャングルの奥底まで敷設されていくことになる!」
その斬新なアイデアに、マルクスはすぐさまホワイトボードに歩み寄り、「面白い……!」とペンを走らせ始めた。
「1キロ単位のケーブルを電磁石で数千本つなぎ合わせる構造だから、その接続部ごとに光ファイバーの減衰を防ぐ特殊コネクタを組み込めば……いけるぞ!」
二人のマッドサイエンティストが完全に狂喜乱舞し、会議室の温度が急上昇していく。
そのとき――。
会議室の一番端の席から、ひどく冷めた、けれど妙にクリアな声が響いた。
「……あの」
ビルが、痛むこめかみを軽く押さえながらスッと立ち上がった。
アーサーとマルクスが「なんだ?」と振り返る。
ビルは呆れ果てたような、しかしどこかユーモアを含んだ目を二人に向け、静かにこう言い放った。
「そもそも君たちは、このコンベアを維持するために川底に『2万本の支柱』を立てるんだろう?」
「……あ、ああ、そうだが?」アーサーがまばたきをする。
「だったら……」
ビルは両手をポケットに突っ込み、やれやれといった風に首を振った。
「わざわざ牽引ケーブルの中にデリケートな光ファイバーを這わせるような複雑な真似をしなくても、その2万本の支柱に沿って、普通に専用の光ファイバーケーブルを1本敷設するか、支柱から支柱へ空中に飛ばしていけば、それで済む話なんじゃないのか?」
会議室から、すべての音が消え去った。
マルクスの手からペンがカランと音を立てて落ち、彼はホワイトボードの前に文字を書く姿勢のまま、完全に石像のように固まった。アーサーもまた、信じられないものを見るような目でビルを見つめて絶句している。
「支柱に沿って普通にケーブルを張る」という、あまりにもシンプルで、あまりにもコストがかからない現実的な解決策。
数千キロの牽引ケーブルに光ファイバーを内蔵させるという「オーバースペックなロマンの塊」を構築しようとしていたエンジニアたちは、その一言で一気に現実の合理性へと引き戻されたのだった。
「……あ」
アーサーが、うわ言のように小さく呟いた。
「……確かに、その方が……はるかに安上がりで、メンテナンスも楽だな……」
「だな……」マルクスも力なく肩を落とし、すごすごと自分の席へ引き返していった。
ビルの一言に一刀両断され、ガックリとうなだれる二人のエンジニアを見ながら、結人はふと思い出したようにスッと手を挙げた。
「……あの。それなら、先進国と現地企業のジョイントベンチャー(JV)に、現地の通信会社やグローバルキャリアたちもガッツリ組み込んでもらわないといけませんね」
その言葉に、落ち込んでいたアーサーがハッと顔を上げた。
「通信会社をJVに……?」
「はい。支柱に沿って光ファイバーを敷設するにしても、それをメンテナンスしたり、キサンガニから世界中へ抜けるバックボーンの通信トラフィックを管理するのは、結局のところプロの通信キャリアの仕事ですからね。JVの一員として最初から巻き込んでおけば、工事の協力も得やすいですし、後々のインフラ運用もスムーズになるはずです」
それを聞いたアーサーは、自分の頭を軽く叩き、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「……そうだな! 忘れるところだった。スマホの分散型データセンター構想の件で、世界中のキャリアとはすでに太いパイプができている。通信網の敷設と運用体制の構築なんて、僕のセクションとキャリアを組ませれば朝飯前だ!」
第十五章
通信網の敷設と運用体制の構築を宣言し、不敵な笑みを浮かべて着席したアーサーに、会議室は安堵と感嘆の空気に包まれた。
だが、その熱気を冷水で断ち切るように、今度は別の席から厳しい声が上がった。
「インフラと物流の解決は見事ですが……私は、このプロジェクトの『人の移動』そのものに重大な懸念があります」
立ち上がったのは、医療・公衆衛生インフラを担当するドクター・グレースだった。WHO(世界保健機関)で数々のアウトブレイクを封じ込めてきた、感染症対策と医療行政の世界的権威だ。
「ベルトコンベアの開通により、未開だったアフリカ中央部の開発は爆発的に進み、凄まじい量の人と物資がジャングルを行き交うことになります。ですが……医療インフラの建設にはどうしても時間がかかります。病院や検疫体制の整備が追いつく前に人流だけが急拡大すれば、コンゴ盆地に潜むエボラ出血熱や未知の熱帯性感染症を、アフリカ全土、ひいては世界中へと一瞬で拡散させる『最悪のパンデミックの引き金』になりかねません」
グレースの指摘に、ビルやマルクスたちも険しい顔で黙り込んだ。
「人の移動を止めることはできません。かといって、広大な流域の各拠点に、最高度のバイオセーフティレベルを備えた隔離病院を同時多発的に建設していくなど、いくら資金があっても数年単位の時間がかかります。医療が追いつかなければ、この開発は文字通り『死のプロジェクト』になりますよ」
誰もが解決策を見出せずにいたその時――。
「……あの」
結人が、またしても控えめにスッと右手を挙げた。
「その問題なんですけど。コンベアのワイヤ1本分を、丸ごと『隔離病棟付きの総合病院』にして巡回させられませんか?」
「……ワイヤ1本分?」
グレースが眉をひそめて問い返す。
「はい。ワイヤ1本は長さ1キロですから、連結ピッチを考えるとちょうど艀10隻分のブロックになりますよね」
結人は手元の端末を操作し、メインモニターに10個の四角形を横一列に並べた図を映し出した。そして、真ん中の「6隻目」のブロックをポンと指差す。
「まず、真ん中のこの船を『受付・ER(救急救命室)』にします。で、前方5隻を一般病棟やスタッフの居住エリア。後方3隻を感染症の隔離病棟にして、一番後ろの船に独立した発電機と焼却プラントを置くんです」
結人は図の後方4隻を赤く塗りつぶした。
「この後ろの感染症エリアは、危険な病気ほど後ろの船になるように配置します。そうすれば、一番危ない病棟はスタッフの居住区から物理的に最も遠くなりますし、万が一の時も、すぐ後ろの焼却プラントで医療廃棄物を安全に処理できますよね」
会議室が、水を打ったように静まり返った。
ドクター・グレースは口元を手で覆い、手元の端末で凄まじい勢いで計算を弾き出していく。
「……前方グリーンゾーン(清潔区域)と後方レッドゾーン(汚染区域)の完全分離。物理的な距離による防壁……なんて理にかなった設計なの。危険度が上がるほど高度な前室や陰圧設備が必要になるから、第7エリアを三類感染症用として120室、第8エリアを二類用で60室、第9エリアを一類感染症の完全隔離用で30室……。最後尾の独立インフラで自己完結させれば、交差感染の起きない究極の水上要塞が完成するわ!」
専門家が一瞬で組み上げた完璧な病床レイアウトに、今度は結人が目を丸くする番だった。
「待て、結人。その病院船だが」
グレースの言葉にかぶせるように、今度はマルクスが立ち上がり、ホワイトボードのコンゴ川の地図をペンで指し示した。
「コンベアの本線と一緒に動かすのはいいが、そんな精密な医療ブロックを、激流のリビングストン滝に突っ込ませるわけにはいかんぞ」
「もちろんです」結人は事もなげに頷いた。「リビングストン滝の周辺は無人地帯ですし、下流域はすでに都市化が進んでいて陸上の病院がありますから、あそこに病院船を入れる必要はありません」
「なら、どうする?」
「キンシャサで、本線から切り離すんです」
結人は地図の中流域、キンシャサのポイントを赤ペンでぐるりと囲んだ。
「キンシャサの手前に引き込み線を作って、下り本線から切り離した病院船ブロックを、そのまま上り本線のワイヤに連結し直すんです。そうすれば、病院船のためだけに専用の線を引くことなく、キサンガニとキンシャサの間の中・上流域だけをピストン運行できますよね」
マルクスの手がピタリと止まり、すぐさまホワイトボードの端で猛烈な勢いで数式を書き殴り始めた。
「……貨物用の本線に相乗りさせて、折り返させるだけ……! 中流域のキサンガニからキンシャサまでは約1750キロ。病院船の速度が4ノットなら1日に約177キロ進むから、片道ちょうど10日だ」
マルクスはすらすらと、川沿いに等間隔の印を書き込んでいく。
「この区間に病院船を2編成、上りと下りで対角に配置してループ運行させれば……全流域に、『10日に1回は巨大病院が現れる』計算になるぞ! 最小のコストで全流域をカバーする最強の医療ネットワークだ。……だが待て、結人」
マルクスはペンを止め、眉をひそめて難題を口にした。
「患者を乗せ降ろしするたびに、毎回ステーションでこの巨大な病院ブロックをワイヤから切り離して接岸させるのか? 数万トンの構造物を駅ごとに停め、再び4ノットまで加速させるとなると、ステーション側に莫大な動力設備が必要になるぞ」
「え? 切り離しませんよ。そのままの速度で流しっぱなしです」
「正気!?」
たまらず声を上げたのはドクター・グレースだった。
「4ノットとはいえ、動いている船に病気や怪我の患者を飛び乗らせる気なの!?」
「いえ、船の舷側にクッション代わりのタイヤを付けて、本線のワイヤの軌道を岸辺に少し寄せるんです。で、岸辺のほうを船と同じ速度で動く『動く歩道』にしちゃえばいいんじゃないですか?」
「……岸の地面のほうを動かす……!?」
「はい。病院ブロックと同じ長さ1キロのプラットフォームを作って4ノットで動かします。船とプラットフォームが同じスピードで並んで動いていれば、普通に歩いて渡れますよね。あそこならタダみたいな土地はいっぱいあるし、原発の電気も有り余ってますから、駅ごとの接岸装置より安上がりだと思うんですが」
「……」
マルクスは絶句したが、グレースはすぐさま医療現場の視点から反論した。
「……だけど、止まっている地面から、いきなり時速7キロ以上で動いているプラットフォームに直接乗るのは、患者にとって危険すぎるわ。車で直接乗り入れるのだって危ないわよ」
「……いや、可能だ! 助走用の加速エリアを作ればいいんだ!」
突破口を見出したマルクスが、再び猛烈な勢いでホワイトボードに図を描き足し始めた。
「いきなり本線に乗せるのではなく、4段階に分けるんだ! 最初は1ノット、次は2ノット、3ノットと、1ノットずつ加速していく歩道を並行に設置して乗り継がせる。隣の歩道との速度差(相対速度)は常に1ノット……つまり、空港にある普通の『動く歩道』に乗るのと同じ感覚だ。車の場合も、高速道路の合流車線と同じ要領で斜めから本流のプラットフォームに進入させればいい。加速・減速エリアは幅を絞ればいいから、建設コストも最小限で済む! これなら、巨大な病院船の運動エネルギーを殺すことなく、安全かつシームレスな乗降が可能になるぞ!」
「あ……なるほど! これだけ安全な乗降エリアがあれば、患者さんもスタッフも安心ですね。さすがマルクスさん!」
結人が無邪気に手を叩いて喜ぶ横で、マルクスとグレースは「お前(お前の発想)がバケモノなんだよ」と言わんばかりの目を交わし、深くため息をついた。
気を取り直したマルクスは、議論を見守るビルへと顔を向けた。
「なあ、ビル。実務検証チームには、乗降プラットフォームの用地は広めに確保するよう言っておいてくれ。あと、環状バイパスとの交点になるとこもな」
「用地を広めに、だな。理由は?」
「将来、技術革新でコンベア本線のスピードが上がった時のためだ。相対速度を維持するには、助走用のレーンの本数を増やさなきゃいかんからな。それに、主要な交点にはガントリークレーンを置いて、コンテナの積み下ろしができる物流拠点にしなきゃいかん」
「なるほど、先を見据えたインフラ設計というわけか。了解した。抜かりなく伝えておこう」
その時、結人がふと何かを思いついたように小首を傾げた。
「……でも、ちょっと待ってください」
「ん? どうした結人」
マルクスがホワイトボードから振り返る。結人は手元の端末のコンゴ川の地図を指先でなぞりながら、素朴な疑問を口にした。
「そもそも、この病院ブロックって……ベルトコンベアの完成を待つ必要、ありますか?」
「「「……え?」」」
全員が一斉にポカンとした顔になる。
「いや、コンベアの本線のワイヤに繋ぐから、安全に乗降させるために『動く歩道』が必要なんだなってマルクスさんの話を聞いてて思ったんですけど……。よく考えたら、リビングストン滝の急流を通らない中流域限定なら、前後に大型のタグボートを付けて押せば、今のコンゴ川でも独立して動かせますよね?」
「……ッ!!」
ドクター・グレースが、弾かれたように身を乗り出した。
「結人、それなら……コンベアの大工事が終わるのを待たずに、船さえ造ればすぐにでも動かせるってこと!?」
「はい。タグボートで独立運行させるなら、ワイヤから切り離す手間もありませんし。ステーションだって『動く歩道』なんて大掛かりなものを作らなくても、平らな岸辺を1キロほど整地して、そのままタグボートで横付け(接岸)すれば済むんじゃないかなって。短い艀の連結だから、岸の形に合わせてある程度曲がっていても接岸できますしね」
会議室が、先ほどとは違う種類の静寂に包まれた。
「……プッシャー・バージ方式か」
マルクスが、頭を抱えて天を仰いだ。
「たしかに……中流域の流れなら、大型のタグボートで十分対応できる。コンベアや原発の完成に15年かかろうが、この病院船のネットワークだけは、造船所で完成した数年後には先行して稼働させられる……!!」
「最高よ!!」
グレースがバンッとテーブルを叩き、歓喜に満ちた声を上げた。
「15年も待っていたら、どれだけの命が手遅れになるか分からなかった。でも、数年でこれが来るなら……アフリカのパンデミック対策は劇的に前倒しできるわ!!」
二人の専門家が興奮に沸く中、政治・経済担当のビルとキャサリンは、また別の意味で戦慄していた。
「……恐ろしいな」
ビルがうわ言のように呟く。
「つまり我々は、特許一元化が始動してわずか数年で、この『最新鋭の水上巨大病院がアフリカの命を救う映像』を世界中に配信できるということだ。大義名分が、一瞬で『実績(現実)』に変わる」
キャサリンが感動に目を潤ませながらバッと立ち上がった。
「結人……あなたたち、自分がどれだけ恐ろしい大義名分を生み出したか分かっているの!? タグボートに引かれて『10日に1回』村々に現れる、最新鋭の水上巨大病院! このイメージを突きつけたら、特許一元化に反対する国は『アフリカの子供たちと医療を見殺しにする気か』と非難の集中砲火を浴びることになる……! 最高の政治的PR武器よ!」
「待て、キャサリン。それだけじゃないぞ」
興奮する彼女を制するように、ビル・ミラーが低く震える声で立ち上がった。その目は、盤面で相手のキングを完全に追い詰めたチェスプレイヤーのように鋭く光っている。
「この『水上病院ブロック』……最新鋭のバイオ隔離設備と、独自のインフラプラントを備えた超巨大な船の塊だ。こんな特殊で高度な構造物、どこの造船所でも作れるわけじゃない。建造できるのは、世界のトップに君臨する一握りの巨大重工メーカーだけだ」
「……GEや、日本のIHI、ドイツのシーメンスといったメガテックだな」
マルクスが即座に世界の重工大手の名を挙げた。ビルは深く頷く。
「その通りだ。彼らこそが、今の世界で莫大な特許を保有し、我々のスキームに真っ先に反対してくるはずの既得権益の親玉(巨大抵抗勢力)だ」
ビルはメインモニターに映る病院船の図を指差した。
「我々は、この先行稼働する病院ブロックと、将来の巨大ベルトコンベア事業を、彼ら先進国の重工メガテックと現地企業のJVに受注させるんだ。……この途方もない規模の巨大契約を餌にしてな」
会議室の空気が、さらに一段階張り詰めた。
キャサリンがハッとして口元を押さえる。
「……そういうこと! 特許を手放すのを渋る政府があれば、喉から手が出るほどこの先行契約が欲しい自国の重工メガテックたちが、猛烈なロビー活動で自国政府を突き上げ始めるわ! 『アフリカの子供たちを見殺しにする気か!』という世論の非難に加えて、自国の巨大産業界からの『このビジネスチャンスを逃す気か!』という猛烈な圧力……。どんな強国も、絶対に耐えきれない!」
「まさに、内と外からの完全な挟み撃ち(チェックメイト)だ」
ビルは深い溜息とともに天井を仰いだ。
「……結人。君は、人道的な大義名分だけでなく、反対勢力の親玉たち自身を我々の最強のロビイストに洗脳する、悪魔のような契約モデルまで一瞬で組み上げたというのか……」
「いや……僕はただ、特殊な病院船を別枠で発注するより、将来のインフラ工事と『抱き合わせ(セット)』にして各重工メーカーに割り振っちゃった方が、単価も下がるしコスパがいいかなって思っただけで。……ねえ、マルクスさん。コンゴ川の中流域って、大型のタグボートがすでに有ったりしませんか? 確か、あそこの物流は艀を使ってるって言われてましたよね」
「ああ、その通りだ。現地の輸送会社が使っている大型のタグボートが多数稼働している」マルクスが即答する。
「だったら、タグボートは現地調達して、メーカーには病院ブロックだけ急いで造らせれば、もっと早く稼働できますよね。
それに先行稼働させるなら、この段階じゃまだ滝を越える導水橋が出来てないから、病院船は中流域で造るしかないじゃないですか。でも、あそこに重工メーカーの巨大なドックなんてないし、新しくドックを造るところから始めたら、時間がかかってグレースさんが絶対にキレると思って」
「……」
「だから、現地の造船所をメガテックに借り受けさせて、JVで造ってもらうしかないなって。足りない特殊資材は空輸するしかないですけど……あの辺りの国際空港って、そんなに混んでないんじゃないですか?」
結人の素朴な推論に、すかさずキャサリンが手元の端末を猛烈な勢いで叩いた。
「……驚いたわ。キンシャサのヌジリ国際空港、滑走路は4700メートルもあるのに、1日の発着数は先進国のハブ空港の数十分の一よ。どの時間帯も完全にガラ空きね。これなら超大型輸送機でも余裕で離着陸できるわ」
「じゃあ、現地の管制ごと米空軍に応援してもらってピストン輸送すれば、優先度最高レベルなんだからなんとかなりますよね?」
それを聞いたグレースは、「ええ、当然よ」と言わんばかりに腕を組んで深く、力強く頷いた。
「それと……」結人はふと思いついたように言葉を継いだ。
「このジョイントベンチャーには、重工メガテックだけじゃなくて、世界的な大手のホテルグループも巻き込みたいんです」
「ホテルグループ?」
キャサリンが不思議そうに首を傾げた。
「はい。これから現地に何万人もの労働者やエンジニアが入るのに、周辺の宿泊インフラは絶対に足りなくなりますよね。だから、ホテルグループのノウハウを入れて、艀の上に快適な『居住区画ブロック』を造ってもらうんです。動力やエンジンを持たない、大型フェリーやクルーズ船の客室部分だけを造るようなイメージですね」
結人はモニターに浮かぶ艀の列を指差した。
「初期の工事段階では、過酷な現場で働く作業員たちがしっかりと休息できる、シャワーや空調の完備された快適な宿泊施設として使います。で、コンベアや病院が完成した後は、そのまま病院スタッフの居住区画にスライドさせるんです。病院区画以外の現場で使った居住ブロックも、内装を少し整えれば、そのまま一般向けのビジネスホテルに転用できますよね。コンベアで移動する水上ホテルなら、需要に合わせてアフリカ中のどこへでも持っていけますから」
「……動く水上ホテル……!」
キャサリンが弾かれたように顔を上げた。
「インフラ工事の仮設宿舎を、無駄なくそのまま恒久的な宿泊ビジネスへと転用するということね! 大手ホテルチェーンにとって、アフリカの未開拓市場に『インフラ整備のリスクなし』で自社ブランドのホテル網を一気に展開できるとなれば、喉から手が出るほど欲しいビジネスチャンスよ!」
「その通りだ」ビルも興奮気味に目を輝かせた。「重工メガテックだけでなく、巨大な資本を持つグローバルなホスピタリティ産業まで、我々の強固な味方に引き入れられる!」
「それに……」
結人は、ふんわりと遠い未来の光景を思い描くように言葉を重ねた。
「……アフリカは人類発祥の地です。……これから開発が進めば、未発見の遺跡が見つかったりして、歴史的な観光開発が一気に進むかもしれません。手つかずの大自然と近代都市のモザイクエリアを、快適な水上ホテルで安全に巡ることができるようになれば、世界中の観光客が集まるんじゃないでしょうか」
「ええ。何より快適な居住空間が最初から保証されていれば、優秀な医療スタッフやエンジニアも世界中から圧倒的に集めやすくなるわ」
グレースも深く頷き、結人の提案に全面的な賛意を示した。過酷な開発現場における「休息の質」が、プロジェクトの成否を分けることを彼女は誰よりも深く理解していたのだ。
「……あ、そうだ。お金のことなんですけど、もう一つ参加条件に付け加えたいことがあるんです」
「……まだあるのか?」
ビルが身構えるように問い返すと、結人は手元の資料をパラパラとめくりながら、まるで家計簿の計算でもするような気楽な口調で言った。
「いくら特許収入があるとはいえ、初期投資としてはお金を使い過ぎなんですよね。それに、クラウドファンディングは世界中を巻き込むには最高ですけど、いくら集まるか分からない寄付金頼みで巨大インフラの予算を組むのは、さすがに無責任すぎます」
「……あっ」
経済担当のキャサリンが、弾かれたように顔を上げ、ハッと息を呑んだ。
PR効果の絶大さに目を奪われるあまり、不確実な寄付金をアテにして初期予算を組むという、金融のプロとして絶対にあってはならない初歩的なリスクを完全に失念していたのだ。
「お、おっしゃる通りだわ……。私としたことが、迂闊だった。でも、それならどうやって不足する初期費用を担保するの?」
キャサリンが焦ったように問い返すと、結人はあっけらかんと言い放った。
「だから、このプロジェクトを受注する先進国のJV参加企業には、受注金額の……そうですね、仮にですが20パーセント分を『国連債(アフリカ開発債)』として引き受けてもらうことを参加条件にしたいんです。しかも、超低金利で」
「は……?」
「コンベアが稼働すれば莫大な運賃収入が入るので、返済はそれで十分に賄えます。それに、もしクラウドファンディングで予想以上にお金が集まって国連債が不要になれば、繰り上げ償還でさっさと買い戻しちゃえばいい。これなら確実な初期予算が組めますよね?」
結人は純粋な笑顔で、キャサリンを見つめた。
「銀行から高い利子でお金を借りるより、ガッツリ儲かる巨大企業に低金利で貸してもらった方が、国連としては絶対にお得じゃないですか」
会議室から、文字通りすべての音が消え去った。
キャサリンは目を見開き、わななく唇を手で押さえた。
「受注企業に……自分たちの事業の資金を、低金利で自己調達させる……!?」
「それに」と、ビルが額に滲んだ冷や汗を拭いながら、うわ言のように呟いた。
「国連債を引き受けた以上、彼らはこのコンベア事業が予定通りに稼働し、確実に運賃収入を上げないと、自分たちの債権が焦げ付いて大損することになる。……つまり、彼らは単なる『外注業者』ではなく、このプロジェクトが絶対に頓挫しないように持てる全技術と政治力を注ぎ込む『運命共同体』に強制的に組み込まれるということだ……!!」
特務チームの世界最高峰の頭脳たちは、もはや言葉を失い、深い深い沈黙へと沈んでいった。
「……コストダウンと予算確保のついでに、世界の覇権国とメガテックを完全に手玉に取って、首輪まで嵌めちゃったのね……」
サラが隣で呆れたように呟き、静かにこめかみを揉んだ。




