第5話 進撃の筋肉
魔倒歴1013年 エルフ王国王都
王城の女王の寝室で、エンドルフィン女王が目を覚ました。
ここは高い塔の最上階にあり、日当たりと風通しは最高に良い。
長く美しいブロンドの髪を手で梳きつつ、彼女は室内をゆっくりと見回す。
人間の王族の居室と違い、豪華ではあるが派手さはない。
シンプルだが美しい、それがエルフ流のセンスであった。
彼女が目を覚ますと、部屋の隅で控えていた侍女が静かに近付いて来た。
外見的には女王と大差ないが、二人の年齢差は軽く千歳を越えている。
「ご気分はいかがでしょうか?」
少し心配そうに侍女がそう聞いて来た。
「ええ、少し頭痛がするけど……」
そう言う彼女に、侍女がハーブティーの注がれたカップを差し出した。
それを受け取り、一口飲む。
そのおかげで、少し落ち着きを取り戻すのと同時に、自分が意識を失う前のことを思い出した。
「いやあああああ!!」
カップを投げ出して蹲るエルフの女王。
「エンドルフィン陛下、どうかお気を確かに!!」
侍女が慌てて彼女に駆け寄り、落ち着かせようとするが、全く効果がない。
そもそも、いかなる時も気高く美しく冷静な彼女の、このような姿など見たことがなかった。
その騒ぎを聞きつけて、ドアの外に立っていた警備兵が寝室内に駆け込んで来た。
「女王陛下!!」
「ご無事ですか?!」
さらに、隣の部屋で控えていた側近達も騒ぎを聞きつけて駆けつけて来た。
「ハァ、ハァ、ハァ、だ、大丈夫よ……」
とてもそうは見えないが、エンドルフィン女王がベッドの上で、ゼェゼェと肩で息をしている。
「よほどショックだったのだな」
側近達が顔を見合わせて、小声でそう囁き合った。
果たして、想像を違った意味でぶっちぎった息子と、災害級のドラゴンの襲来の、どちらの方がショックだったのか。
「ガ、ガルドは?」
絞り出すような声で、彼女がそう言った。
主の問いには速やかに答えなければならないのだが、それでも側近達は、
「……お前が言えよ」
「ええ~っ、嫌だよ。そう言うお前が伝えろよ」
と、言って、お互いに擦り……ではなく、譲り合う。
「いいから、早く教えなさい」
堪りかねたエンドルフィン女王が、少し声を荒げてそう聞くと、ジャンケンをして負けた側近の一人が彼女の前に進み出た。
「申し上げます、エンドルフィン女王陛下」
「ガルドは今、どこで、何をしているのですか?」
「そ、それが、女王陛下が気を失われた直後に、『修行の成果を筋肉の神マッチョーダ様に御照覧いただく』と、言ってプラウナ大樹海に一人で向かわれました」
「な、何ですって?! 一人で行かせたの?!」
「い、いいえ。正確には、親衛隊がお供しようとしたのですが、振り切られてしまったようです」
「振り切る?」
エルフの親衛隊は、皆、上級魔法の使い手である。
あらゆる攻撃から女王を守るために、徹底的に魔法を身に着けさせられるのだが、その中には身体強化もあった。
それを使えば、短時間であれば馬より早く走ることもできる。
その者達が追い付けないとは。
「では、あの子は、単身で暗黒竜と戦う気なの?」
「どうやら、そのおつもりのようです」
残念ながら、生きてここに帰ることはできないだろう。選択できるのは、ブレスで焼き殺されるか、踏み殺されるか、喰い殺されるか、つまり死に方ぐらいだ。
「軍を招集しなさい」
「はっ、すでに将軍は暗黒竜討伐軍の編成に取り掛かっております」
「さすがね。全軍が集まるまで待つ暇はありません。逐次出陣させなさい」
「分かりました」
「あと、私も行きます」
彼女がそう言うと、側近達の顔が真っ青になった。
「お、お待ち下さい、女王陛下。それは危険すぎます」
「千年前に比べ魔力が落ちたとは言え、今でもまだ戦えます。そもそも私は、白亜竜討伐戦に参加もしているのですよ」
「それは承知しておりますが、ガルド王子に続き、陛下の御身に何かありましたら、我が国は大混乱に陥ってしまいます」
「暗黒竜を倒せなければ、どのみち我が国は滅びます」
「……」
「急いで準備をしなさい」
そう言われ、その場にいた全員がエンドルフィン女王に向けて頭を下げた。
魔倒歴1013年 エルフ王国プラウナ大樹海
後に伝説として語られる、筋肉勇者英雄譚の書き出しはこうなっている。
『筋肉の鎧を纏いしエルフの勇者は、最初に母である女王を卒倒させ、その足で暗黒竜の討伐に向かった』
それを聞いた人々は、きっとエルフの女王は、勇者として立派に育った彼の姿を見て歓喜し、そしてその後、彼が単身で暗黒竜ヴァルドラゴン討伐に向かうと聞いて、驚きのあまり気を失ったに違いないと解釈をするのだった。
そのガルド・リンドウェルが、プラウナ大樹海の中を疾走している。
森の守護者であるエルフは、森の中を何もない平原と同じように進むことができた。
鬱蒼と茂る草木が、彼等が近付くと自然に避けて道を作るのだ。
その樹海の中を、ガルドが全力で走っている。
そして、その速度が速すぎて、草木が避けるのが間に合わず、彼に蹴散らされていく。
暗黒竜ヴァルドラゴンが頭上を旋回しているときは、怯えて巣穴に逃げ込んでいた野生の動物達が、今度は筋肉勇者に驚いて巣穴から飛び出し、逃げ散って行く。
そして、驚いたことに、ガルドは2日でプラウナ大樹海のほぼ中央にある集落に到着した。
「うわぁ~!! 魔物だ、魔物の襲撃だ!!」
集落の見張り台の上にいたエルフがそう叫んで、警報代わりの角笛を吹き鳴らした。
それを聞いた村人達が、手に手に武器を持って家から飛び出して来る。
「魔物はどこだ?」
そして、見張り台の上にいる仲間にそう聞くと、
「王都の方向からだ。あれはオーガに違いない!!」
彼等は相手の姿が肉眼で見えなくても、植物達を通じて、その情報を得ることができた。
ただし、あくまでも感覚でしかないため、草木を蹴散らして突き進む、筋肉の塊という、とてもエルフとは思えない情報しか伝わってこなかったが。
ちなみにオーガとは、一言で言えば西洋版の鬼である。
人型の巨体で、凶暴で怪力の持ち主だ。
「オーガだと?!」
強敵ではあるが、勝てない相手ではない。しかし、このプラウナ大樹海にはオーガはいないはずだ。
オーガは魔族であるため、エルフ王国領内で発見されたら即討伐をされる。
もし魔王軍の一員で、この大樹海に攻め込んで来たというなら、一人ということはあり得ない。
そもそも、オーガのような魔族が侵入したなら、縦横に張り巡らされた警戒網に引っかからないはずがないのだ。
つまり、大樹海の中央にあるこの集落まで、オーガがたった一人でやって来ることなど不可能なのだった。
しかし、現実に急接近して来ている以上、何もしないわけにはいかない。
弓を持ったエルフ達が、集落の外縁部にある木々に取り付き、その枝によじ登って行く。
怪力のオーガと肉弾戦などするのは、リスクが大きすぎる。
例え勝てたとしても、エルフ側も無傷では済まないだろう。
それならば、相手の攻撃が届かない木の上から弓矢で倒すしかないと判断したのだ。
「暗黒竜の先兵か?」
長老が家から出てくると、そう言った。
確かに、その可能性が一番高いだろう。なにせ、この集落には竜殺しの剣、ドラゴンスレイヤーが封印されているのだから。
「王都に暗黒竜の通報をして2日、時間が無さ過ぎる」
王都、美しい森の都からここに来るまで、軍勢であれば最低でも1週間はかかる。
当然だが、それでは間に合わないため、エルフの女王は移動速度の速い精鋭を先発隊として送り込んで来るだろう。それでも3日はかかる。
つまり、暗黒竜ヴァルドラゴンの襲来予定日当日ということだ。
暗黒竜と戦うためには、大型弓や複数の魔法使いが必要になる。
そして、その者達は移動速度が遅いため、先発隊には含まれてはいないだろう。
実は、あの暗黒竜から攻撃宣言を受けた後、プラウナ大樹海中のエルフ達には避難命令が出されていた。
まともに戦っても勝ち目がないことは分かり切っている。
そのため、戦闘は、大樹海をブレスで焼き尽くそうとする暗黒竜ヴァルドラゴンと、魔術で草木を復活させるエルフ達の消耗戦になると予想された。
そして、少しずつでもドラゴンにダメージを与え、できれば討伐、無理でも追い払わなければならないのだ。
大樹海で暮らすエルフ達の多くは、ここが失われれば自分達の国が滅びることは理解していた。
例え、大樹海から逃げ出して生き延びたとしても、森の民であるエルフは、この地が失われれば遠からず死に絶えるのだ。
という訳で、避難命令に従って大樹海から逃げ出した者は、全体の3割ほどしかいなかった。
「来た」
集落の戦士長は、千歳を越える女エルフだった。
彼女は千年前の白亜竜との戦いの時は、まだ子供だったため、親に抱きかかえられて避難をしていた。
それでも、あの戦いの恐ろしさはハッキリと覚えている。
住み慣れた集落が周囲の樹海ごとドラゴンのブレスで焼き払われ、多くの同胞が命を失った。
彼女の父親もその一人だ。
集落の端に生えている大木の枝の上で、彼女は目を凝らしていた。
広大なプラウナ大樹海を、一直線にこちらに向かってくる巨漢の気配を感じている。
「物凄い速度ね。本当にオーガなの? まるでエルフみたい。あれだけ速いと矢で狙うのは難しいわ」
ただでさえ大樹海の木々のせいで視界が悪く、弓で狙うのは難しい。
彼女は魔術の構成を始めた。
頭の中で魔法の構成図を思い描き、そこに魔力を充填していく。
「森の精霊たちよ、我に力を貸し与えたまえ。邪なる者の歩みを止めよ」
さらに、呪文の詠唱を行い、最後に発動を命じた。
大樹海の中を猛然と突き進んで来るオーガの進行方向の木々が、急激に成長をし始め、緑のバリケードを作る。
空を飛べる暗黒竜ヴァルドラゴンには無意味だが、地上を移動する敵なら足止めができる。
木々が密集するように生い茂ったバリケードを突破するには、大きく迂回するか、燃やし尽くすしかない。
どちらにせよ、時間は稼げるはずだ。
しかし、正面から一撃で粉砕されてしまう。
「うそ?! そんな」
大樹海の大樹の幹よりも高く、木片と土煙が舞い上がるのが直接見えた。
さらに、オーガは速度を維持したまま集落に向けて突進してくる。
「撃て、皆、矢であいつを射殺すのよ!!」
戦士長がそう命令すると、集落の周囲の木の上に身を隠していたエルフ達が一斉に矢を放った。
しかし、やはり標的の速度は変わらない。
エルフ達は、矢を風の精霊の加護で加速したり、火や氷の精霊を宿して攻撃力を上げたりしていたが、足止めどころか、回避すらしない。
「突破される!!」
そして、ついにオーガが彼女達の足下を駆け抜けて集落内に到達してしまった。
ズザザザザッと盛大に土煙が上がる。
これまで何をしても足止めできなかった標的が、自ら急ブレーキをかけて停止したのだ。
集落の中で待機をしていたエルフの戦士たちが、剣や槍を構えてその周囲を包囲する。
さらに、木の上で矢を放っていた者達も大慌てで戻って来て、その輪に加わった。
「構え!!」
戦士長がそう命じると、全員が武器を構える。
そんな彼女達の視線の先で、土煙が風で流され、薄れていった。
「えっ? 何……」
そこには大柄な男が一人立っている。
深緑色の外套で体を覆い、頭部もフードで隠れているため正体は分からないが、魔族や魔獣には見えない。
「何者だ?!」
分からなければ相手に直接聞くしかない。女戦士長は木の枝から身軽に飛び降りると、弓を構えたまま鋭い声でそう言った。
すると、予想より澄んだ若い男の声で、
「分からないか?」
と返って来た。
「分からないから聞いているのよ!!」
確かにその通りだ。
「顔を見せなさい!!」
「分かった」
そう答えると、謎の男がフードを後ろにずらしていく。
すると、耳の先端が尖った、美しいエルフの男の顔が現れた。
「同族?!」
「そうだ。それ以外の何者に見える?」
「そ、それは……えっと……」
正直言って、何と返事をしたら良いか分からない。
「そんなことより、外套を脱ぎなさい!!」
一見すると武器を持っていないように見えるが、外套の下に隠している可能性もある。
もし、抵抗するようなら、力づくで体を拘束するしかない。
魔族の中には、変身魔法を使える者もいるから油断はできないのだ。
「分かった」
しかし、相手は素直にそう答えると、外套を止めている紐をほどいた。
そして全身を覆っていたそれが、ストンと足下に落ちる。
その瞬間、
「うわぁあああ、やっぱり魔族だ!!」
「オーガだぁあああ!!」
エルフ達がパニック状態に陥った。




