第39話 筋トレは万病に効く
目的地である療養所が見えてきた頃には、ロンダもその愛馬も、ボロボロの状態になっていた。
人も馬も疲労困憊で、足を止めたら、そのまま倒れてしまいそうだ。
緩やかな斜面を登る一本道を進んでいくと、一人の男とすれ違った。
「どこかで会ったような……」
その外見には見覚えがあった。
大柄な体型で外套を羽織り、顔はフードを目深にかぶって隠している。
「そうだ、以前、療養所から帰るときにすれ違った人だ」
これほど目立つ外見をしているのだから、一度会ったら忘れない。
しかし、今は時間が惜しい。ロンダは声をかけず、そのまま男の傍らを駆け抜けた。
「着いた……!」
療養所の門は、相変わらず固く閉ざされていた。
「誰か、誰かいませんか!!」
馬の背からずり落ちるように降りると、ロンダは門を叩いた。
何故か分からないが、療養所の中の雰囲気が、以前と変わっているような気がする。
「何かあったのですか?」
門を開けてくれた門番に尋ねると、
「ええ、まあ……」
と、複雑な表情を浮かべながら答えた。
本来なら、いろいろと聞きたいところだったが、今はジュリエッタに会うことが最優先だ。
今にも倒れそうな馬を門番に預けると、ロンダは療養所の建物へと入っていった。
そして、彼女の部屋の前に着くと、ノックもせずにドアを開けた。
「ジュリエッタ!!」
そう叫びながら、室内へと駆け込んだ。
すると、
「ロンダ?!」
彼女は生きていた。
小麦色の肌に、ムキムキの両腕、そして見事に割れた腹筋。
「あ、あれ?」
思わずそう呟き、一度部屋の外に出ると、ドアに書かれた部屋番号を確認した。
間違いない。
もう一度室内に入ると、ベッドの上には誰もいなかった。
その代わり、大きな姿見の前でポージングをしている女性がいた。
「どうしたの、ロンダ?」
「どちら様でしょうか? どうして僕の名前を?」
「何を言っているの? 私よ、ジュリエッタよ」
「…………」
マッチョボディーになったジュリエッタは、ニコッと白い歯を見せて笑った。
「えっ? な、何があったの?!」
「勇者ガルド様に、筋肉を鍛えたら病気なんか簡単に治ると言われたから、やってみたのよ。そしたら、本当に健康になっちゃった」
「ゆ、勇者ガルド?! あの、魔王を倒したという?」
「ええ、とても素晴らしい人だったわ」
そう言う彼女の背後、窓の外では、大きな木が満開の花を咲かせていた。
「ええ~……」
そこへ、ジュリエッタ専属の看護師が入ってきた。
「ロンダ様……」
「これは一体、何があったのですか?」
「み、見てのとおりです」
「…………」
これは、婚約者の命が助かったと言って喜ぶべきなのだろうか?
それとも、ジュリエッタを失ったと悲しむべきなのだろうか。
「さあ、ロンダ。あなたも一緒に筋トレをしましょう!!」
「嫌だぁあああ!!」
魔倒歴1016年 チューダ王国のとある街
ガルドは、筋肉修行の旅を続けていた。
隣のエルダー王国では、たまたま立ち寄った療養所で、悲壮感に暮れていた入所者たちに筋トレの素晴らしさを教えた。その結果、三カ月ほどで、皆が見違えるほど逞しくなっていた。
聞けば、入所者たちは皆、重い病を患っており、最期の時を待つばかりだったという。
「それなら、その日まで暇だろうから、筋トレをして待てばいい」
と、ガルドは考えたわけだが、結局のところ、最期の時はずいぶん遠ざかったようだ。
なお、入所者たちは当然、体力も筋力もほとんど失っていた。軽いダンベルを持ち上げただけで血を吐き、意識を失う者までいたのだ。
しかし、ガルドが近くの森から集めてきた怪しげな薬草を煎じて作った薬やお茶を飲ませたところ、彼らは少しずつ頑丈になっていった。
療養所で働いていた医師や看護師たちは、
「そ、そんな馬鹿な……」
と唖然とし、ガルドに処方の仕方を尋ねた。
ガルドは、別に隠すことでもないと考え、〇〇の花の根や▽▽の木の実、□□草の葉などを使うのだと教えてあげた。
実は、その処方はエルフ族に伝わる秘薬の作り方で、本当は秘密にしておかなければならないものだったのだが、ガルドは筋肉以外に執着はないため一切躊躇などしない。
「なるほど、森の住民であるエルフならではの知恵だね」
人間の医師や薬剤師では、遠く及ばないほど高度な知識だった。
「しかし、入所者の多くは、不治の病を患っていたのに……」
凄い薬だとは認めているものの、それだけでは説明がつかないことも確かだった。
すると、ガルドが、
「ああ、それなら、途中で倒した地竜の肝や血液も混ぜたな」
と言ったので、医師たちは納得した。
地竜とは、地中に棲む小型のドラゴンのことだ。
小型と言っても体長は五メートル近くあり、ドラゴンというだけあって、その体は恐ろしく硬い鱗で覆われている。
ドラゴンは、どれほど小型であっても、ベテランの冒険者パーティーや軍隊でなければ倒せないと言われている。
特に、地中に身を潜める地竜は、見つけるだけでも一苦労だ。
地表におびき出すことができれば、攻撃魔法や剣、槍などで何とか倒せるが、それでもかなり頑丈なため、簡単にはいかない。
それをガルドは、たった一人で討伐してしまったと言ってのけたのだ。
何より、自分たちがいる療養所の近くに、そんな魔獣がいたことにも驚かされたが。
なんにせよ、強力な魔力を持つドラゴン種の内臓や血液を使った薬なら、人間の病気ぐらい吹き飛ばせたとしても不思議ではない。
それに、ドラゴン種は捨てるところがないと言われるほど、肉も骨も爪も牙も、すべて利用方法がある。
療養所では、その肉を調理したり、骨で出汁を取ったりもしていた。それも入所者たちの身体に良い影響を与えたのかもしれない。
そして、残った爪や牙を売るため、ガルドは隣のチューダ王国へとやって来ていた。
「さてと、買い取ってくれそうな場所はどこだ?」
ガルドは、お金にはまったく興味がない。
そのため、売れるならどこでもいいと考えていた。
ここはかなり大きな街なので、冒険者に仕事を斡旋するギルドも、大きな商家も何軒もある。
とりあえず、一番近いところで売り払おうと思い、通行人たちに声をかけようとした、そのときだった。
「大変だ、事件だ、事件だ!!」
「人質がいるってよ!!」
皆がそう言いながら、同じ方向に向かって走り出した。
どうやら、何か大事件が起こったらしい。
この騒ぎでは、地竜の牙や爪を買い取ってもらうどころではないと思い、ガルドも彼らについて行くことにした。
チューダ王国は、いくつもの大きな街道が集まる大陸中東部に位置し、人間族の中でも金持ちが多い場所として有名だった。
実際、療養所のあった隣のエルダー王国は、自然豊かで風光明媚な場所が多かったが、チューダ王国の貴族や大手商家が多くの別荘を建てていた。
もっとも、良いことばかりではない。
この国を治める王家は、莫大な富が集まるため、他の王国に比べて後継者争いで揉めることでも有名だった。
国王に即位できるかどうかで、後々使える財産に桁違いの差が出る。
そのため、国王が年老いて、そろそろ退位しようかと考え始めると、王位継承者が暗殺されたり、王族として相応しくないスキャンダルを起こしたりして、王位継承順位がコロコロと入れ替わるのだった。
民たちはそのことをよく知っているので、特に騒いだりはしない。しかし、貴族や大手商家はそうはいかない。
自分が応援している王位継承者を何が何でも次期国王にしようと、ありとあらゆる支援や妨害行為をするのだ。
どうやら、今起こっている人質事件も、それとは無関係ではないらしい。
事件現場に着くと、大きな商店の二階のベランダに二人の人影が見えた。
一方は人質で、もう一方は立てこもり犯だ。
「くそっ、俺はもう終わりだ!!」
「キャーッ!!」
人質は綺麗に着飾った若い娘で、犯人はかなりやつれた年配の男だった。
「あの男は、マヌエス商店の元旦那じゃないか!!」
「ああ、あそこは第三王子を推していたからな。莫大な資金を出して援助していたのに、全部パァになって、追い出されたんだろ」
野次馬たちが、とても分かりやすい説明をしてくれている。
「その第三王子というのは、どうなったのだ?」
ガルドがそう尋ねると、男たちは振り返り、彼の外見を見て驚いた。
まあ、無理もないだろう。
ただ、この国は商業が盛んなだけあって、さまざまな人種の者が集まってくるため、悲鳴を上げられるほどではなかった。
そんな彼らでも、ガルドが両手で軽々と持っている投擲可能ダンベル、グラビティ・ツインには目を剥いた。
「あ、ああ。この国の王家には三人の息子がいて、皆、歳が近いんだ。そのせいで、結構ひどいことになっていてな」
「ひどいこと?」
「ああ。第一王子は体が弱かったから、療養のためとか言われて山奥に幽閉されているし、第三王子は見た目こそ良かったんだが、この前、若い女たちを集めて湖で遊んでいたとき、酔って水に落ちて……こうなったわけだ」
男はそう言って、自分の首を絞めるジェスチャーをした。
「そのせいで、第三王子を応援していた連中は、皆、負け組になったというわけさ」
隣に立っていた男が、そう補足した。
「第一王子は? 彼を応援していた連中はどうなったんだ?」
「ああ、第一王子は子供の頃から病弱だったんで、どうせすぐに死ぬだろうって、誰も応援していなかったよ」
「なるほど。では、第二王子が次期国王になるわけだな」
「このままだと、そうなるな」
そのとき、武装した兵士の一団が駆けつけてきた。
野次馬たちを押しのけ、人質事件が起こっている商店を包囲する。
「ああっ、ミランダ!! た、頼む、娘を、娘を返してくれ!!」
さらに、そこへ人質の父親もやって来て、悲痛な声を上げた。
「マヌエス!! 貴様はもう終わりだ。人質を解放して投降しろ!!」
兵士たちを指揮する隊長が、大声でそう叫んだ。
「うるさい、このまま終わってたまるか!!」
ベランダで男が怒鳴ると、腕をつかまれ、刃物を突きつけられているミランダが悲鳴を上げた。
「あの男が、その溺れ死んだ第三王子を支援していたのだな?」
ガルドがそう尋ねると、
「ああ、物凄い入れ込みようで、店が傾くほどつぎ込んだらしいぞ」
「でも、それが全部無駄になってしまったというわけだな?」
「そうだ。第二王子が王位を継いだら、あのマヌエス商店は二度と王家や貴族たちと商売ができない。もう倒産確定だな」
「今は親族に家を追い出されて、あの様さ」
おそらく、店の主人をしていた頃は、羽振りのいい生活を送っていたのだろう。
そして、さらに儲けようとして投資に失敗したわけだ。
「マヌエスの元旦那は、まだ諦めていないみたいよ」
彼らの会話を聞いていたガルドたちの前に立っていた女性が、振り返りながらそう言った。
「何だって?」
「あの娘さんはリボ商店の娘さんなんだけど、身代金として金貨千枚を準備させたの」
「き、金貨千枚?!」
それを聞いた周囲の者たちが、皆、驚いた。
それは、並みの商店なら、土地ごと買い取れるほどの金額だったからだ。
「金を受け取って、ここから逃げ出して、どこか違う国でやり直すつもりみたいなの」
「そんなこと、できるわけないだろう」
こんな大事件を起こせば、人間界のどこに逃げても、二度と表舞台に立つことはできない。
商店など始めたら、その情報は商人のネットワークを通じて、時間はかかっても大陸中に伝わるはずだからだ。
「まだ、遠く離れた田舎でひっそりと暮らすなら、しばらくは身を隠せるだろうけど」
「もう、取り乱して冷静な判断もできないんだよ」
若い娘を人質にして金を要求する時点で、人間として終わっている。
それでも、以前の彼の姿を知っている者たちは、少しばかり同情しているようだった。
「か、金なら準備した。ここにある!!」
人質の父親であるリボ商店の店主が、そう言って革袋を持ち上げてみせた。
当然、野次馬や兵士たちの視線が、その革袋に集中する。
それもそうだろう。そこには、普通の人間が一生遊んで暮らせるほどの金貨が入っているのだから。
中には、どさくさに紛れて持ち逃げしてやろうと考えている者もいるかもしれない。
「金貨なら渡すから、ミランダを返してくれ!!」
それほどの大金を払ってでも、娘を助けたいのだ。
そう言って、二階のベランダに向けて革袋の口を両手で開き、中身を見せるように持ち上げた。
間違いなく、その中には金貨がぎっしりと詰まっていた。
マヌエスが、それを覗き込んで唾を飲み込むのが分かった。
その隣では、人質になっているミランダも両目を見開いて驚いていた。
「パパ、そんなに金貨があるなら、お小遣いをもっと上げてよ!!」
「意外と余裕があるな、あの娘……」
野次馬や兵士たちは、皆、そう思った。
「よ、よし、じゃあ、ここまでその金貨を持ってこい!!」
そう言ってから、マヌエスはハッとなった。
「ま、待て! 兵士は駄目だぞ!! それに、武器を隠し持っているかもしれないから、大人も駄目だ!!」
金貨千枚が入った革袋ともなれば、かなり重たい。
それを受け取った瞬間を狙い、隠し持っていたナイフなどで攻撃されたら、避けきれないと考えたのだろう。
「し、しかし、子供にこんな重たい物を運ばせるのは無理だぞ!!」
「知るか、何とかしろ!!」
それを聞いて、野次馬たちがざわついた。
中には、自分が運びに行くと手を挙げようと考えている者もいるようだ。
もちろん、運んでいる最中に、少し中身を抜き取るつもりなのだろうが。
「どうする?」
「そもそも、子供に運ばせたら、人質が増えることになるかもしれないぞ」
確かにそうだ。金貨を手に入れても、ここから逃げられなければ意味がない。
そして、ミランダを解放すれば、すぐに兵士たちがマヌエスを取り押さえるだろう。
そうならないために、片手で金貨の革袋を持ち、もう一方の手で捕まえておける子供を人質にしようとしているのかもしれない。皆、そう考えたのだ。
「おい、早くしろ!!」
ベランダからマヌエスが怒鳴った。
「だ、誰か、子供を! 子供で、これを運んでくれる子供を頼む!!」
ミランダの父親がそう叫んだが、自分自身ならいざ知らず、子供を刃物を持った男のところへ行かせる者などいなかった。
「頼む、礼はするから!!」
必死になって周囲に懇願するが、皆、視線を逸らした。
すると、
「俺が行こう」
と、とても子供とは思えない、低い男の声が聞こえてきた。




