第3話 暗黒竜ヴァルドラゴン
魔倒歴1013年 プラウナ大樹海
人間界の北部、エルフ王国領の3分の2という広大な樹海、それがプラウナ大樹海だった。
ここには森の民であるエルフの集落がいくつもあり、彼等によって完全に管理されている。
そして、森の番人と呼ばれるエルフは、森の中では無敵状態である。
姿どころか気配まで消したまま素早く移動し、さらに弓や罠を使って敵を攻撃する。
強力な力を持つ魔族や魔獣であっても、森の中ではエルフの姿を見つけることができず、一方的に狩られる獲物でしかないのだ。
これまでも魔王率いる軍勢を何度もこの樹海で迎え撃ち、一方的に撃退している。
手を焼いた魔王軍は、大樹海に火をつけ、燃やし尽くそうとしたこともあったが、エルフは精霊魔術を使い、燃えた草木を急成長させ、あっという間に元の状態に戻してしまうため、効果がない。
そうした経緯から、エルフ達は、この深く広大な樹海がある限り、自分達は無敵だと信じていた。
ある意味、超巨大樹を失った王都「美しい森の都」よりも、この大樹海の方が守りが固いと言えるだろう。
エルフ達は、森の各所に数百人程度の小規模な集落をつくり、森と共に平穏に暮らしていた。
ちなみに、森の中で暮らすエルフの方が、王都のような街で暮らす者達より寿命が長いと言われている。
元々、エルフは森の中で暮らす狩猟種族だったのだが、繁殖力だけは高い人間族が作る街を見て、その快適性に憧れた者達が真似をしたところ、すっかりハマってしまった。
なんと言っても便利だからだ。
しかし、街というシステムは、すなわち物流システムでもある。
人が集まり、物が集まれば経済活動が始まり、それはのんびりと生きるエルフには不向きなものであった。
おそらく、そのせいで精神的に疲弊したエルフが短命になっているのだろうと言われている。
その影響は、このプラウナ大樹海で暮らすエルフ達にも少なからず及ぶようになっていた。
要するに、退屈な森での生活に飽きた若いエルフが、どんどん外に出ていき始めたのだ。
エルフ版過疎化がジワジワと進み、村の長や長老達が頭を悩ませていた時、彼等の頭上に、それどころではない最悪の事態が舞い降りてきた。
綺麗に手入れをされた森の中、エルフ達はのんびりと暮らしていた。
畑を手入れする者、狩りに出かける者、そして木の枝に腰掛けて楽器の練習をする者。
普段のエルフは、主にこの3つのことを繰り返している。
少し下世話な話になるが、長寿なエルフは、あまり性的な欲求がないことで有名だった。
まあ、人間族のように年がら年中欲情して、次々と子供をもうけていたら、あっという間に大陸中エルフだらけになってしまうだろう。
彼等に性欲がないわけではない。ただ、彼等にとってそれはコミュニケーションの延長であり、娯楽の一部なのだった。
魔王が降誕したことは知っているが、彼等はこのプラウナ大樹海にいる限り、絶対に負けない自信があるため、あまり危機感を持っていない。
一応、警備を強化したり、集落の中にいざという時に避難する砦のようなものを築いたりしてはいるが、それで満足しきっていた。
樹海の中で狩りをしている男のエルフがいた。
当然だが、若いのか年寄りなのかは、外見だけでは判断ができない。
彼は森の中を一切音を立てず、さらに気配も完全に消して移動している。
そして、呑気に草を食べている鹿を見つけた。
森の管理人、もしくは森の守護者と呼ばれるエルフ達は、無用な殺生はしない。
しかし、野生の動物は増えすぎると森にとって害になるため、こうして狩りをして間引いているのだった。
もちろん、仕留めた獲物は皆で美味しくいただいてもいる。
弓に矢をつがえ、ゆっくりと弦を引く。
せめて苦しまないように、一撃で急所を貫いてやる。
そう考えて心の中で狩りの神に祈りを捧げた時、獲物の鹿の耳がピクッと立ち、頭を上げて周囲を見回した。
気づかれたか?
いや、そうじゃない。
鹿が警戒している理由は、彼にも分かった。
何か邪悪な気配を感じる。
そして、それはどんどん強くなり、近づいてくる。
その時、樹海の木々が震えた。
遥か頭上から、ドラゴンの咆哮が響いてきたからだ。
樹海中の動物達がパニック状態になって逃げ出した。
鳥や虫達まで大慌てで巣穴へと逃げ込んでいく。
「な、なんだこれは?!」
実は、彼の年齢は500歳だったため、千年前の魔王軍との戦いを知らない。
そしてその時、今耳にしたのと同じ咆哮がプラウナ大樹海に響き渡ったことも。
何か巨大な影が頭上を飛び越えていった。
驚いた彼が、弓と矢を背中に背負うと、近くに生えていた背の高い木によじ登っていく。
そして、最も高い枝の上に立った時、それが見えた。
真っ黒な闇のような色の巨大なドラゴンが、大樹海の上空を旋回している。
「あ、あれは?!」
村の長老から聞いたことがある。
漆黒の巨竜、暗黒龍ヴァルドラゴンだ。
「何ということだ……」
千年前には、あのドラゴンと同等の力を持つと言われた白亜竜が、この大樹海で大暴れをして、大きな被害をもたらしたと聞いている。
今、各集落で行っている戦いの備えなど、あの生きた災害のような化物の前では、ほとんど意味をなさない。
エルフは身軽に木から飛び降りると、自分の集落に向かって走り出した。
「な、なんということだ……」
大樹海にはエルフの集落が、それこそ無数にあるが、その中で最も大きな集落の長老が、ガクガクと震えつつそう呟いた。
その目は、大樹海の上空を悠々と旋回している暗黒龍に向けられている。
「ち、長老、あ、あれは、あのドラゴンは!!」
集落の者達が、彼に助けを求めるように集まってくる。
なお、長老を含めて皆、若々しい外見をしているので、服装以外で年齢は見分けがつかない。
「間違いない。あれは、あの忌々しい暗黒龍だ」
「あれが?!」
「あれの片割れの真っ白なドラゴン(白亜竜)は、たった1体で、この大樹海の半分を焼き尽くした」
「ほ、本当ですか?!」
「ああ、本当だ」
そう答えたのは、長老と共に千年前の戦いを生き残ったエルフだった。
ギャァアアアアアア!!
頭上からドラゴンの咆哮が聞こえてくる。
ドラゴンは魔力の塊のような存在で、その鳴き声にもそれが含まれていた。
それは人族の精神にダメージを与え、恐怖のあまり、すくみ上がってしまう。
魔術の中には、味方の戦意を高め、士気を鼓舞するウォークライというものがある。そして逆に、相手を恐怖させ、士気を下げるものもあった。
ドラゴンは、何の呪文の詠唱もなしに、鳴き声だけでそれができるのだ。
戦闘を経験したことがない若いエルフ達が、ドラゴンの咆哮を聞いて、その場にうずくまって泣き叫ぶ。
「メンタル・スタビリティ(精神安定)」
眉間に皺を寄せた長老がそう言って魔術を発動すると、怯えていた集落の者達が少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ち、長老、あれを、あれを抜きましょう」
一人のエルフがそう言って村の中央を指さした。
そこには、千年前の戦いで白亜竜を倒した魔剣ドラゴンスレイヤーがある。
長老を始め、全ての視線が、彼が指さした方に向けられた。
ドラゴンスレイヤー、竜殺しの剣は、白亜竜を倒した時、呪いを受けてしまった。
手にしている者の魂を恐ろしい勢いで吸い取るのだ。
そのため、持ち主であった人族の勇者は、やむなく手放すしかなかった。
しかし、誰かが勝手に使おうとすると大変なため、この集落の中央にあった大きな岩に、そのドラゴンスレイヤーを突き刺したのだ。
実は、その岩は魔封石と呼ばれるもので、その名の通り魔力を内側に封じ込めることができる、かなり貴重なものだった。
勇者はそのことを知っていたので、その岩にドラゴンスレイヤーを突き刺して、魔力もろとも呪いを封じることにしたのだ。
「いつか再びこの地がドラゴンに襲われた時以外、この剣を抜いてはいけない」
勇者がそう言うと、この集落の長老に、その日までこの剣を守ってほしいと言い残して、次の戦いに向かっていったのだった。
その時のことを、長老は今でもはっきりと覚えている。
「あの剣を抜くことができるのは勇者だけだ。我々では、あっという間に魂を吸われて死んでしまう」
その勇者ですら、短時間しか戦えないだろう。
その時、大樹海にいるエルフ達の頭の中に、不気味な声が聞こえてきた。
『ひ弱なエルフどもよ。我は暗黒龍ヴァルドラゴンである』
それは、精神の脆弱な部分を恐怖で鷲掴みにするような声だった。
エルフ達が驚いてうずくまり、その笹の葉の形をした耳を両手で押さえるが、当然ながら効果はない。
『我は偉大なる魔王様の命により、このプラウナ大樹海を焼き払う』
「な、なんだと?!」
暗黒龍の宣言を聞いて、長老が驚いた。
残念なことに、今の彼等にそれを防ぐ手段はない。
ドラゴンを倒せる武器、ドラゴンスレイヤーは呪われた状態で岩に突き刺さり、それを使える勇者はここにはいないのだ。
『慈悲深い我が貴様達に少し時間を与えてやろう。3日後、そう、3日後の正午に、我は魔王様の命を実行に移す。その無駄に長い寿命を少しでも長引かせたいなら、さっさと逃げるがいい』
その声が頭に響くのと同時に、空を舞う暗黒龍が咆哮する。
それは、まるで非力なエルフ達を嘲笑っているようだった。
「な、なんということだ……」
ドラゴンが大樹海の上空から離れると、耳を押さえてうずくまっていたエルフ達が、恐る恐る立ち上がった。
そして青い顔色のまま、長老の方にすがるような目を向けてくる。
「この大樹海が焼かれたら……エルフの国が滅びる」
それは、彼等が生きる場所を失うということだ。
これは、もう大樹海に住む者達だけの問題ではない。
「なにはともあれ、女王様に報告をするんだ」
長老がそう言いつつ、暗黒龍が飛び去った方向を睨みつけた。




