第2話 ヴォイドアビス
魔倒歴1012年 エルフ王国王都 美しい森の都王城
勇者とは、魔王に立ち向かう勇敢な者に与えられる称号である。
そして、それは一人とは限らない。
人間、ドワーフ、エルフ、ホビット、その他の亜人や獣人達であっても勇者にはなれる。
ただし、勇者と一括りにされていても、当然、役割は違った。
力が強く武器を使った戦いに適している者、傷を癒したり支援魔法を使う者、強力な攻撃魔法を扱う者など、種族や能力に応じて様々だ。
人間に似た姿をしているが、精霊に近い存在であるエルフ族は、魔力が高いため、前衛で剣や斧を振るうより、後方から魔法による支援をする方が向いている。
あと、森での狩りが得意なエルフは、弓の達人でもあった。
千年前に魔王討伐に参加した勇者、現エルフ王国女王のエンドルフィン・リンドウェルも、強力な攻撃魔法で人間やドワーフの勇者達を支援していた。
当然、彼女の息子であるガルド・リンドウェルも、そうなることを望まれている。
いよいよ、彼が王城の地下にあるヴォイドアビスへと入る日がやってきた。
その早朝、彼は王都「美しい森の都」にある神殿に来ていた。
この世界は多神教が信仰されている。
そして、それは邪教を信仰する魔族以外、全ての種族に共通していた。
全ての神々の母にして万能神であるナーデミーアーレは定番として、それ以外の神々にも必要とあれば祈りを捧げるのだ。
例えば、狩りに出る前には狩りの神に、臨月を控えた女性は豊穣と出産の女神に、家のトイレの黄ばみを取りたいときには清掃の神に、といった感じである。
全ての神殿には万能神ナーデミーアーレの像があり、その周囲に各専門分野に分かれた無数の神々の小さな像や祠が並んでいた。
ガルドは神殿に入ると、まずはお約束である万能神の像の前で片膝をつき、頭を下げた。
これは神殿における仕来りで、どの神に用事があっても、必ず最初に万能神に祈りを捧げなければならないことになっている。
神秘的な美しい外見の金髪の青年(100歳だが)が、目を閉じて祈りを捧げる姿は、それだけで宗教画のようだった。
ガルド・リンドウェル、王族である彼には自由などない。
生まれながらにして、様々な義務を果たせるように英才教育を受けて育ってきている。
と、言ってもカリキュラムは比較的緩やかで、人間の王族に比べればかなり奔放に好きなことができたが。
万能神への挨拶代わりの祈りを終えると、彼は立ち上がり、神殿内を移動していった。
どうやら、別に祈りを捧げたい神がいるようだ。
万能神の巨大な神像に比べて、その他諸々の神々の像は小さかったり、そもそも像すらなく、名前が彫られた石板が祀られているだけというものもあった。
それら諸々の神々の祭壇の前にも、エルフ達がお参りをした際のお供え物が置かれている。
それを見ると、人気のある神とそうではない神の差が歴然だった。
商売の神、狩りの神、愛の神などは、どの種族でも人気がある定番の神様だ。
そして、ガルドが足を止めたのは、全く誰からも祈ってもらえていなさそうな祭壇の前だった。
一応、神殿の神官によって掃除はされているが、お供え物が一切ない。
そもそも、祭壇がある場所も、神殿内の一番端の方、トイレの隣だった。
それでも、ガルドは全く気にしていないらしく、片膝をつくと両手を合わせ、首を垂れて祈り始める。
先ほどの万能神に対する時よりも真剣に、そして長い時間、彼は頭を下げ続けていた。
彼の前には、高さが1mほどの小さめの神像が置かれている。
それは、他の神像達と少し……いや、かなり雰囲気が違い、異質と言える外見をしていた。
どれぐらいそうしていただろうか。ガルドがゆっくりと目を開くと、表情を引き締めて立ち上がった。
何か固い意志を持って、決意を固めたような雰囲気だ。
「神よ、どうか私に魔王を倒せる力を、そしてこの世界を平和に導く知恵をお与えください」
そして、そう言うと踵を返し、神殿の出口に向かって歩き出したのだった。
王城の中央に、地下へと降りる階段があった。
普通の城なら石積みの階段だが、この城は巨大な切り株の上に建っているため、木が切り抜かれて下りのトンネルのようになっている。
その壁には、魔力で光を放つランタンが等間隔に配置されていた。
ちなみに、この超巨大樹は、普通の火では燃え移らない。
油を撒いて火を点けても、油が燃え尽きたら火も消えるのだ。
この巨木を燃やしたり傷つけたりすることができるのは、強力な攻撃魔法や魔法のアイテムだけだった。
地下への階段の入口には金属製の扉が付けられており、その前にエルフの女王であるエンドルフィン・リンドウェルと、その側近達が待っていた。
「来ましたね」
「はい、母上」
これから、ガルドは1年間、この地下で修行をすることになっている。
そして、地上では1年だが、この地下では1000年の時が流れるのだ。
人間なら、今生の別れである。
なお、地下にはすでに大量の食糧が運び込まれていて、さらにそれはどんどん追加されることになっていた。
そうしなければ、1時間でも食事を運ぶのが遅れれば、ヴォイドアビスの中では約42日間、食事抜きになってしまう。
なお、この扉を開けて一歩でも中に足を踏み入れたら、いきなり時間が早送りになるわけではない。
階段を一番下まで降り、さらにそこにあるドーム型の空間の中だけ限定だった。
つまり、ガルドがそのヴォイドアビスに入ったら、それ以降は24時間休みなく、バケツリレーの要領で食料が延々と運び込まれることになる。
正直言って超面倒臭いが、仕方がない。
「では、行ってまいります」
ガルドがそう言うと、頑丈な扉が開かれた。
特に怯えたり躊躇したりすることなく、彼が階段を降りていく。
女王は、その場で彼を見送った。
エルフにとっても1000年という年月は決して短くはないが、王族の平均寿命は2000年から3000年ほどと言われている。
人生の半分から3分の1を地下における孤独な修行に費やすというのは、人間の感覚で言えば絶望的な長さだが、それでも残りの人生だけでも軽く千年以上あるのだから、何とも微妙だ。
「ガルド・リンドウェルに栄光と名誉あれ!!」
見送りに来ていた女王の側近達が声を揃えてそう言った。
「偉大なるエルフの勇者に、万能神ナーデミーアーレの加護あれ!!」
「森の民、エルフの勇敢な勇者に祝福を!!」
その声を背中に受けつつ、ガルドは階段を降りていく。
彼の姿が完全に見えなくなると、エンドルフィン・リンドウェルが静かに目を閉じた。
彼女達は1年待つだけなので、正直言ってそれほど心配はしていない。
エルフにとって1年など、ちょっと暇つぶしをしている間に過ぎてしまうほど短い時間だ。
「まあ、何とかなるでしょう」
随分なお言葉である。
魔倒歴1013年 魔王城
北の大地、険しい山々が連なる極寒の地に魔王の城があった。
荘厳ではあるが、雪と氷に閉ざされた不気味なシルエットのそこには、数多くの魔族と魔獣達が集まっている。
ここは、かつて勇者と呼ばれる人間以外、足を踏み入れたことがない前人未踏の極寒の地である。
ただでさえ環境が厳しすぎるというのに、ウジャウジャと凶暴で攻撃的な魔族や魔獣がいるのだから、当然だろう。
魔王の城と呼ばれているが、実際にはその大部分は、自然の岩山の中をくり抜いて作られた岩窟城である。
その内部は、迷宮と呼ぶにふさわしい。
そして、その最深部に魔王の間があった。
邪神によってこの世界に降誕させられた魔王が、下手なところに触れたら怪我をしそうなほどトゲトゲしいデザインの玉座に腰を下ろしている。
その姿は、手足がそれぞれ二本ある大柄な人間型で、やはり禍々しいデザインの黒光りする甲冑を身に着けていた。
その前に、今、3人というか3体の巨大な魔獣が控えていた。
漆黒の鱗に覆われた巨大な暗黒竜、ヴァルドラゴン。
全身が炎に包まれた巨大トカゲ、炎のワーム・マグマバジリスク。
外見は人型をしているが、全身を鉄より硬い氷に覆われた氷の巨人、グランシエール。
1体だけでも、人間の軍勢を蹴散らし、国を滅ぼすことができると言われている、魔王の三つの下僕達だ。
「偉大なる邪神の使い、魔王様。拝謁を賜り、恐悦至極でございます」
暗黒竜ヴァルドラゴンが、唸るような声でそう言った。
実際にはグルルルとしか聞こえないが、その声が直接頭の中に響いてくる。
竜族は、この世界における生態系の頂点に君臨する存在である。
さらに言うと、古代竜はエルフを凌ぐ長命だった。
太古の神代の時代、この世界に神々がいた頃に、神々が自分達の移動手段と警護のために最初に生み出したのが竜族だと言われている。
その後、それぞれの神々が好き勝手に人やエルフや魔族をポンポン作ったわけだが、竜族を越える物はいなかった。
そしてその後、神々が現世に飽きたため天界に帰る時に、竜達はこの世界に置いて行かれたのだそうだ。
長年、神々に従属し、従順に従ってきたというのに、簡単に捨てられてしまい、すっかり心がすさんだドラゴン達が、邪神が送り込んでくる魔王に味方をしているのは、そういった理由があるからだ。
「よく来てくれた」
この世界に降誕して13年、魔王はまだ本格的な侵攻を始めていない。
まずは準備を万端にするべきだと言って魔族や魔獣を集め、魔王軍を編成し、その軍勢を動かすための物資を集めていたのだ。
さらに、この世界を滅ぼすにあたって、事前にするべきことがいくつかあった。
「ヴァルドラゴンよ」
魔王が名前を呼ぶと、魔王より遥かに巨体な暗黒竜が首を垂れる。
「ハッ」
「貴様は、プラウナ大樹海へ向かい、エルフ共の守る聖域を破壊せよ」
「オオッ」
主からのその命令を聞いて、ヴァルドラゴンが目を見開いた。
千年前、その樹海は、魔王軍と人族の軍隊による激戦地となった場所である。
そこには地脈が交わる魔力の巨大な吹き溜まりがあり、そこを汚染することができれば、エルフの国は暗黒の瘴気に包まれた不毛の地に変わる。
特に王都の超巨大樹が枯れてしまったため、この聖域が汚染されれば、エルフ達は生きていけなくなると言われていた。
過去には広大な大樹海の至る所で激しい戦いが繰り広げられ、そこにヴァルドラゴンも参加していた。
ドラゴンは雌雄同体のため、性別はない。
しかしその戦いで、彼の相棒と言うべき、白亜のドラゴンが勇者によって倒されてしまった。
卑怯な勇者は、ドワーフに剣を作らせ、それを使って鋼よりも硬いドラゴンの鱗を刺し貫いたのだ。
後にドラゴンスレイヤーと呼ばれるその剣は、白亜のドラゴンの命を奪ったが、逆に呪いにかかり、人族が使うにはあまりに危険だということで、勇者が岩に突き立てて抜けなくして封印したと言われている。
魔王は、彼に友の復讐の機会を与えようと言っているのだ。
「有難き幸せ。あの忌々しい森を、エルフ共々焼き尽くしてまいります」
ヴァルドラゴンがそう返事をすると、魔王が満足げに頷いた。
そして、その隣に控えている炎のワームに視線を移す。
「マグマバジリスクよ」
「ハッ、魔王様」
マグマバジリスクは、ドラゴンほどではないが身体が大きく、その肌が常時炎に包まれている。
ハッキリ言って、これほど戦いにくい相手はいないが、正直言って味方にとってもかなりはた迷惑な奴だった。
現に今も、氷の巨人グランシエールが、暗黒竜ヴァルドラゴンの影に隠れるように距離を置いている。
「貴様は灼熱のスカルノ砂漠へ行け」
「スカルノ砂漠ですか?」
「そうだ。あそこには炎の精霊力の源がある。それを破壊せよ」
「承りました」
「そして、グランシエールよ」
迷惑そうにマグマバジリスクを横目で睨んでいた氷の巨人が、名前を呼ばれて慌てて魔王に顔を向ける。
「はい」
「貴様は、アイスノース山脈へ向かえ」
「アイスノース山脈ですか。喜んで参ります」
その山脈は、彼等がいる大陸の中央部にある標高5千メートル以上の山々の連なりで、万年雪や氷河に覆われている。
彼にしてみれば、魔王城に次ぐ快適な場所であった。
「私にしてみれば、有難いのですが、あの山脈に何かあるのですか?」
「うむ。スカルノ砂漠同様、アイスノース山脈には氷の精霊力の源がある。それを破壊するのだ」
それを聞いて、広間に集まっている魔族達が一斉に「オオッ」と感嘆の声を上げた。
炎の精霊力と氷の精霊力の源が破壊されれば、その影響力は大陸全土に及ぶだろう。
強靭な肉体を持つ魔族や魔獣と違い、人族は、少し暑くなっても寒くなっても生きてはいけない。
彼等自身の肉体が(魔族達に比べて)貧弱であることはもちろんだが、主食である穀物が採れなくなるからだ。
そして、自然環境が激変し、弱体化した後、魔王軍が大挙して侵攻すれば、彼等はまともに戦うことすらできない状態になる。
まさに必勝の策と言えた。
「過去の魔王達は、自らの力を過信し、力押しで人族達と戦い、そして奴等の数によって敗れた。しかし我は違う」
魔王がクックックッと喉の奥で笑った。
「人族の時代は終わるのだ。そして我らの時代がやって来る」
彼がそう言うと、魔族達が「オオ~ッ」と歓声を上げたのだった。




