第28話 平和になった大陸
魔倒歴1015年 エルフ王国王都 美しい森の都
人間界にある全ての国に、魔王の名のもと、親書が届いた。
「魔王軍による人間界への侵攻は行わない。全ての魔族及び魔獣は魔界へ引き返させ、今後、人間界には立ち入らせない。ただし、人間界側から魔界に許可なく立ち入る者がいれば、その時は容赦はしない」
それをエルフ王国女王、エンドルフィン・リンドウェルが読んでいた。
「これを信じろと言うのですか?」
この親書を運んできた、翼のある魔族に向けて彼女がそう言った。
ここはエルフ王国の王城にある、彼女の執務室だ。
当然だが、彼女の周囲には近衛兵たちがズラリと並んでおり、魔族が少しでも怪しい行動をとれば、女王を守りつつ攻撃できるように身構えていた。
「魔王様の刻印には誓約の呪いがかかっています。もし誓いを破れば、魔王様の魂が傷付きます」
この親書1枚ではたかが知れているが、人間界全ての王国に同じ物が配られているのなら、効果が蓄積され、魔王は致命傷に近いダメージを受けることになるだろう。
「大丈夫なのですか? 魔王は人間界を支配、もしくは破壊する役目を担って、邪神によって降誕しているのですよね。これでは役目を果たせないのではありませんか?」
要は、役目を放棄した魔王が邪神によって命を奪われるのではないかと聞いているのだ。
もちろん、そうなっても彼女たちは全く困らない。
千年後に次の魔王が降誕するまで、束の間の平和が訪れるだけだからだ。
「神々は、現世に直接干渉はしません」
「確かにそうだけど。しかし、なぜ、今の魔王は人間界への侵攻を止めたのですか?」
「“それどころではなくなった”からだと聞いています」
「人間界侵攻よりも優先すべきことがあると?」
「はい、その通りです」
その返事を聞いて、エルフ王国の女王は顎に手を当てて考え込んだ。
「一体、何なのですか、それは?」
「分かりません。ただ、エルフの勇者が魔王城に現れた直後に、方針が変わりました」
「……ちょっと、待って。今、何と?」
エンドルフィン女王の顔色と表情が一瞬で変わる。
「エルフの勇者が……」
ガタンッと大きな音を立てて、女王が立ち上がった。
「もしかして、ガルドが……あの子が魔王を倒したの?」
「いいえ、魔王様はとてもお元気です」
「へっ?」
そしてフニャフニャと、再び椅子に腰を下ろす。
「どういうことですか?」
「魔王様はお元気です。その証拠に、この親書は魔王様が直筆で書かれました」
「……」
彼女が首をかしげていると、突然、外が騒がしくなった。
「何事だ?!」
近衛隊長がそう言うと、窓から外の様子を伺っていた近衛兵が、
「大変です。暗黒竜とマグマバジリスクが!!」
と、大声で報告をした。
「あ~、親書にある通り、全ての魔族や魔獣は魔界に戻るように命令されております」
「それで、暗黒竜と炎ワームも?」
「例外ではありません」
まあ、正直言って、餌代も馬鹿にならなかったし、中庭で毎日朝から晩まで筋トレをされて困っていたため、帰ってくれるのは有難い。
マグマバジリスクは空を飛べないため、暗黒竜ヴァルドラゴンが両足で捕まえて飛んでいた。
「それでは、私もこれで失礼いたします」
そう言うと、魔界からの使者がテラスへと出た。
そこで翼を広げて数回動かすと、フワリと浮き上がり、そのまま暗黒竜と、それに掴まれた炎ワームを追いかけだした。
女王は、万が一にもいきなり攻撃された時に備えて、暗黒竜たちの姿が見えなくなるまで執務室内で待機をしている。
この城は超巨大樹の切り株の上に建っている。
そのため、見た目以上に頑丈で、もし暗黒竜達が「やっぱりエルフは滅ぼす」と言って引き返してきても簡単に破壊されることはない。
「一体、魔界で何が起こったと言うのでしょう?」
従者の一人がそう言った。
「分かりません。ただ、ガルドがいるのなら」
人間界の支配は全魔族にとっての悲願である。
それゆえ、過去に12回も魔王が軍勢を指揮して人間界に侵攻してきたのだ。
「ガルド……まさか、あなた何かやったのではないでしょうね」
勇者であるなら、魔王と戦い、その野望を打ち砕こうとしていたはずだ。
しかし、魔王は生きており、エルフの勇者であるガルドも無事らしい。
エンドルフィンが城の中庭を見下ろした。
そこは、暗黒竜と炎ワームの筋トレジムになっていたため、植えられていた草木が全てなくなり、殺風景になっている。
「まさか……魔王も……」
彼女は、何となく、ガルドが魔王城で何をしたのか想像できてしまった。
頭の中で、魔王とガルドが仲良くダンベルを持ち上げて筋トレしている姿を想像してしまう。
そして、それは全く間違いではなかった。
さらに、マッチョボディーになった魔王が、爽やかな笑顔でポージングをしている姿を想像し……。
「アヘッ……」
白目をむいて失神したのだった。
「ああっ、女王様!!」
慌てて近衛兵たちが彼女に駆け寄る。
魔倒歴1015年 グランファルム領都グラン
グランファルム領の領都グランは、今日も平和だった。
辺境の小都市の割に、やたらと立派な城壁と、その上にズラリと並ぶ肉体の神マッチョーダの石像たち。
それはエルフ王国との交易で栄えてきたこの街の新たな産業となりつつあった。
ここ最近、やたらと体格の良い観光客たちが聖地巡礼として、城壁の上を参拝しだしたのだ。
彼らは肉体の神マッチョーダの信者たちだった。
ガルドの筋肉伝が大陸中に広まるにつれ、それを耳にしたマッチョたちが、この街を訪れるようになったのだ。
領都グランにしてみれば、こんな田舎までわざわざ足を運んでくれる人が増えるのは有難い限りだ。
彼らは宿屋に泊まり、食事をし、さらに旅に必要な様々な物を買ってくれる。
街の外からお金が入ってくれば、それは税収となって、街のインフラ整備などに有効に使われ、街がさらに栄えていくのだ。
もっとも、街の住民たちは、別に肉体の神の信者ではなかったので、その辺りは微妙だったが。
あと、その信者たちは、脂身の少ない鳥の胸肉ばかり食べたがるため、食材の調達も一苦労だった。
「全て、ガルドさんのおかげだ」
街の住民や兵士たちは、2人以上集まると、必ず彼の名前を出して感謝の言葉を口にしていた。
住民たちにとって、彼は命の恩人でもある。
それまで当たり前だと思っていた平穏な生活が、実は薄氷の上で片足立ちをしているような危ういものだったということを、バルゲリア軍が攻めて来た時に思い知らされたからだ。
彼がこの街に来てくれていなければ、街を焼かれ、何もかも奪われていたことだろう。
つまり、ガルドは彼らにとって救世主なのだった。
当然、その影響は街に色濃く残っている。
街の広場で子供たちが無邪気に遊んでいる。
「よぉし、次は腹筋だ!!」
「やろう、やろう!!」
そう言うと、一人が石畳の上に仰向けに寝て両手を頭の後ろで組み、もう一人がその足首を両手で押さえて固定する。
「1、2、3、4……」
「フン、フン、フン、フン」
とても子供とは思えない、気合の入れようだ。
大人たちが仕事を終え、家路につく時、同僚たちと、
「この後、あそこに寄るか?」
「いいね、俺もちょうど行きたいと思っていたんだよ」
と言って、酒場に行く感覚で、トレーニングジムへと入っていく。
そのトレーニングジムは、ガルドの弟子たち、それは元盗賊たちで、今は城の兵士でもある者たちが建てたものだった。
「よし、あと10回を3セット!!」
「ウェイトをあと10kg増やしてくれ」
「うぉ~、筋肉が燃えてるぜ!!」
実に暑苦しい。
要は、領都グランでは筋トレブームが到来しているのだ。
そのため、初めの頃は微妙な表情で見上げていた城壁の上の肉体の神マッチョーダ石像に、熱い視線を送る者も少しずつだが増えてきている。
「いかがいたしましょう?」
領主の館で、バリアント・バルモントは部下から報告を受けていた。
「いかがも何も、法を犯しているわけではないし、放っておくしかないだろう」
領都で筋トレブームが起こり、何と言うか、異様な雰囲気になっている。
それについて、何か手を打たなくて良いのかと彼は問われていたのだった。
「観光客も増えて税収も上がっているし、街の治安も良くなっている」
「それはそうなのですが……」
もともと領都グランは、滅多に犯罪は起きなかった。
コソ泥や酔っ払い同士の喧嘩がたまに起こる程度だったのだが、今ではそれすら起きなくなっている。
「鍛えられた筋肉には、清らかな精神が宿るのだ」
ここにガルドがいたら、きっとそう言っていただろう。
「主に街の女たちから、何とかしてほしいという嘆願が届いておりまして」
「稼ぎを酒場で使い込まれるより良いだろうに」
「そうなのですが、夫や息子が家でやたらと服を脱ぎたがるそうなのです。そして鏡の前でおかしなポーズをとっているとか」
「そ、そうか……」
それほどガルドがこの街に及ぼした影響が大きいということだ。
現に、あの戦いを自分の目で直接見た者たちほど、その傾向にある。
実際、バリアント自身も、思わず体を鍛えたいと思ってしまったほどだ。
ただ、彼が街の男たちのように筋トレにはまらなかったのは、娘エアリース・バルモントに避けられるからだった。
エアリース・バルモントは、自分の部屋から夕焼けに染まる街を見つめていた。
領主の一人娘である彼女は、いずれ領主の地位を継ぐことになる。
その日に備えて、領内を見回っていた時に、野盗たちに襲われたのが、もう遠い昔のようだ。
あの時は、本当に怖かった。
若くて美しい彼女は、ただ命を奪われるだけでは済まない。
その前に、死ぬよりも辛い目に遭わされたことだろう。
その時、彼女を助け、さらにその後、ここグランファルム領も救ってくれたのは、エルフの勇者ガルド・リンドウェルだった。
彼女の父親はもちろん、領民たちも皆、彼には心から感謝をしている。
エアリースも、もちろん……と言いたいところだが。
どうしても、あの超マッチョボディーだけは無理だった。
顔だけなら金髪の美青年なのだが、首から下だけは、どれだけ頑張っても受け入れることができない。
皆の前で口に出したりはしないが、ガルドが領都グランから出て行った時は、心の底からホッとした。
城門で彼を皆で見送った時、彼女は満面の笑みで手を振りつつ、心の中で「二度と帰って来ないで下さい」と真剣に願っていたものだ。
そして、平穏な生活が戻ってきたと思ったのに……。
何故か領都グランでは、筋トレが大ブームとなり、おまけに理由はよく分からないが、マッチョな旅人が毎日のようにやって来ている。
「地獄だわ……」
人間界が魔王の脅威から解放されたというのに、彼女の苦難の日々は、まだしばらく続くのだった。




