(38)船酔い
シェスタは寝台の上で、いつまでも続く気持ち悪さに耐えていた。頭上にある小さな窓から差し込む光は弱く、部屋は薄暗い。壁に明かりもあるが、明るい方が気持ちが悪くなるような気がして消してもらった。
甲板で体が裏返ってしまうんじゃないかと思うほど中身を出した後、レギウスが部屋の方が揺れが少ないからと、シェスタを運んでくれた。甲板よりは良い気がするが、揺れていないわけではない。揺れがなくなれば、気持ち悪さも治る気がするが、船の上でそんなことは起きない。
「何か飲んだ方がいいですよ。」
船長のオルソンにそう言われ、冷たい水を少しずつ飲んでいるが、飲もうとして頭を上げると「うっ」ときてしまう。その様子をアステリアがオロオロしながら見ていた。
船の乗組員は揺れに慣れているのだろうが、アステリアもレギウスも不思議と船に酔う様子は見えない。
「どうして私だけ……。」
シェスタがちょっと恨めしくなるのも仕方のないことだった。
ドアがノックされ、レギウスが顔を覗かせた。
「どうだ?調子は。」
「良くないです……。」
シェスタはぐったりしたまま答えた。レギウスは部屋に入ってくると、寝台の近くにある椅子に腰を下ろす。
「少し眠るといい。昨日も海をずっと眺めていてあまり寝ていなかったんだろう?ほら、目を瞑れ。」
その通りだった。シェスタが黙って目を瞑ると、身体が何か暖かいものに包まれた感じがした。不思議と揺れがおさまった気がする。
(これなら少し休めそう……)
気持ちが楽になったシェスタは、とろとろと眠りに落ちていった。
「魔王様も、すごいことをなさいますね。」
アステリアが呆れたように言う。今のシェスタは寝台の上ではなく、微かに宙に浮いた状態で眠っている。寒くないようにか掛け布も体にしっかり巻き付いていた。
「これなら揺れないからいいだろう?」
レギウスが誇らしげに言うと、アステリアが首を傾げた。
「船が着くまでずっとそうされるおつもりですか?」
「……とりあえず、起きた時の様子で考える。また酔うなら、船を下りればいいだけの話だ。」
「せっかくですから、船の旅の楽しいところも味わって欲しいところですけどねえ。」
「船旅のどこが楽しいのだ?さっさと着いたほうがいいだろう。」
ピカールまでなど、一瞬で行けるのに、わざわざ船に乗らなければならない理由がレギウスには分からない。シェスタが船に乗れると聞いて嬉しそうにしていたから乗ってみたが、それで具合が悪くなるなら、さっさと着いてしまった方が絶対にいい。
「お嬢様の具合が良くなったら聞いてみてくださいませ。もう船は嫌!と言うのでしたら、ピカールまで連れて行って差し上げても良いと思いますよ。」
「分かった。そうしよう。下がっていいぞ。」
レギウスがアステリアに部屋から出るようにいうが、アステリアは首を振った。
「魔王様とお嬢様の二人だけにはできません。お嬢様が起きたらお知らせしますので、魔王様こそお部屋に戻られては。」
一度発動してあれば、レギウスの魔法はすぐに切れることはない。近くにいなくてもいいのだ。しかし、レギウスは口をへの字に曲げて言い切った。
「ここでいい。」
「ん……」
シェスタが宙に浮いたまま、寝返りを打つ。顔がレギウスの方に向けられ、その頬には茶色の髪が一房垂れていた。青い顔も少し色が戻ってきているように見える。手が何かを探すように彷徨った。
「ギー……。」
その一言だけで、レギウスの体は、ウサギのギーへと変化した。シェスタの手にそっと触れると、すぐに分かったのか、シェスタの両手が伸びてきて、ギーをギュッと抱きかかえた。そのまま微笑みを浮かべるシェスタを見て、アステリアはやれやれと肩をすくめた。
「……お嬢様が起きる前に、戻ってくださいよ。」
「分かっている。また部屋から追い出されては敵わないからな。」
そう言いながら、レギウスはちょっとのつもりで目を閉じた。
ちょっとのつもりだったのだ。
「……様!魔王様!」
アステリアの小さな声で起こされたレギウスは目を開いた。明かりをつけたのか、部屋の中は明るくなっている。うーんと体を伸ばしたレギウスは、自分が今どこで寝ていたのかをハッと思い出した。見上げると、シェスタと目が合った。青白かったシェスタの顔は今や真っ赤だ。
「あ、いや、これは……。」
レギウスがギーの姿のまま口走ると、シェスタはギーから手を離し、背中を向けた。
「ギーの姿でも喋れるんですね。」
そう言えば今までうさぎになりすましていたので、ギーの姿で話したことはなかった。どう言えばいいのだ?レギウスが混乱していると、シェスタが冷たく言った。
「もう大丈夫ですから、魔王様は部屋に戻ってください。……一人にして。」
「……はい。」
レギウスは寝台から降りて元の姿に戻ると、すごすごと部屋を出て行った。その哀れな後ろ姿を、アステリアがずっと見送っていた。
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