(36)海の見える宿
「……と、このようになっております。お金の種類について理解はしていただけましたか?」
にこやかだが何か怖さを感じるオルソンの前には、様々な硬貨が置かれている。一番左が金貨。シェスタが出そうとしたものだ。それから銀貨、銅貨、青銅貨がある。
「さて、問題です。先ほどの飲み物を買うには、どのお金を出せばよろしいのですか?」
「金貨を出せばなんでも買えるんだろう?」
堂々と言い放つレギウスの言うことは、理論的に間違っていない。間違っていないが、それでは庶民たちが困るのだ。シェスタがおずおずと銅貨を指差す。
「これなら、どうでしょうか。」
「正解です。さすがお嬢様は分かっていらっしゃる。」
青銅貨は細かなお釣りで使われることが多い。財布に溜まりやすいのだが、お店でそれを大量に出して買い物をするのはそれはそれで迷惑だ。
褒められて嬉しそうな顔をするシェスタに、オルソンは革袋の財布を差し出す。
「こちらには金貨を両替したお金が入っております。これを使って買い物を楽しんでくださいませ。」
「ありがとう、オルソン!」
ぎゅっと革袋を抱きしめるようにしながらシェスタがお礼を言うと、レギウスは面白くなさそうに呟いた。
「この町は私の領地なのだから、売っているものも全て私のものではないか。いちいち買い物などせずとも……。」
「魔王様。私は普通のお買い物がしたいのです。」
「魔王様には宿にお戻りいただいて、私が町を案内いたしましょうか。お嬢様の気に入りそうなお店もお教えいたしますよ。」
シェスタとオルソンの言葉に、レギウスの唇はへの字に曲がった。
「……私も行く。」
嬉しそうに戦利品を抱えて歩くシェスタの後ろを、オルソンとレギウスは歩いていた。この町の者でオルソンを知らない者はいない。世間知らずに見えるシェスタに吹っかけようとする商売人もいたが、オルソンを見てすぐにやめた。レギウスは屋台で買ったイカの焼き物がお気に召したらしく、黙々と食べている。ちゃんと銅貨を出して買い物をする姿に、オルソンは感動すら覚えた。
「お買い物って楽しいのね。」
振り向きながら言うシェスタの笑顔は明るい。
「この程度のお買い物でしたら、たくさんなさってくださいませ。」
オルソンの言葉にシェスタは首を傾げる。
「もっとすごい買い物があるの?」
「貴族の方になると、品物が気にいると店の全てを買い占める方もおられますからね。」
魔王の持っている金でもそれは不可能ではないが、まずはささやかな買い物から覚えてほしい。
「そんなに買ったら、置き場所がなくなってしまいそうだわ。」
「大丈夫だ。城にはまだ部屋がある。」
ニルダに頼めば、増築も可能だ。その一言を聞いてオルソンがため息をついた。
「魔王様。女性の買い物の恐ろしさについて、今度じっくりと講義をさせていだだきますね。」
何やら鬼気迫るその様子に、レギウスも呑まれてつい頷いた。
「さて、そろそろ宿へと向かいましょうか。」
オルソンが指差したのは、町より少し離れた丘の上に立つ建物だ。馬車か有翼族でも用意しようかと提案するオルソンの言葉を断って、シェスタは歩くことにした。短い時間で着いてしまってはなんだかもったいなく思ったのだ。
気づけば日は傾き、あたりはオレンジ色に輝いている。ふと太陽の沈む方を見たシェスタは、思わず立ち止まった。
「あれ……あれが海?」
「そういえば、お嬢様は初めてでございましたね。ええ。あれが海です。」
少し登ってきたことで町の隙間からチラリと見えた海は、青ではなくオレンジ色に見える。さらに登っていくと、海はさらに広く、大きく広がっているのが見えた。水平線には太陽があり、半分ほど沈みかけている。その周りには何もなく、空だけが広がっていた。
「綺麗……。」
思わず足を止め、シェスタが呟く。
「今日のお部屋は、窓から海がよく見えますよ。好きなだけ眺めてくださいませ。」
「暗くなったら、何も見えなくなってしまうのではないの?」
「海には発光する魔物がたくさんおります。それが輝いて、まるで星のように見えるのですよ。それが見たくてあの宿に泊まる客も多いのです。明日の朝もそれほど急ぎませんから、飽きるまでご覧くださいませ。」
「飽きることなんてあるのかしら。」
宿へゆっくりと歩きながらも、シェスタの目は海から離れなかった。
その様子を眺めながらゆっくりと歩くレギウスにオルソンは囁く。
「歩きは面倒ではございませんか?」
「……シェスタがしたいなら、仕方ないだろう。」
楽しそうにしているシェスタを見られれば、レギウスはそれでいいのだった。
夕闇の中、ホワリと緑色の明かりが海の中で灯る。それが少しずつ増えていく様子を、シェスタは飽きずに眺めていた。そんなにお気に召したのならと、晩餐は海の見える席を用意してくれた。それもシェスタにとっては嬉しい。
「嬉しいことばかり……」
思わず口から出でたシェスタの言葉に、ワインを傾けながらレギウスは頷いた。
「それならいい。シェスタはしたいことをすればいいのだから。」
「いつもさせてもらってますよ?」
「部屋にこもるのはしたいことじゃないだろう。」
「あ、あれは……」
どうしていいか分からなかっただけだ。
「したいことだけすればいい。それが魔族の生き方だ。」
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