(2)前神官長との日々
本日2本目です。
物心ついた時には、シェスタはすでに神殿にいた。親が誰なのかも分からない。聞きたくても声が出ないのだから仕方がない。
シェスタを育ててくれたのは、前の神官長だった。年老いた女性だったが、いつも背筋をぴんと伸ばし、感情を出すことがほとんどなかった。自分に鈴蘭の印があり、『鈴蘭の聖女』という重要な役割を果たしていると教えてくれたのも、彼女だった。
「この国の隣には魔族の国があります。魔族の国は瘴気が濃すぎて実りがありません。だからいつも豊かなこの国を狙っています。魔族を統べる魔王は、強大な力を持っています。それを防ぐことが出来るのは、貴方の祈りだけなのです。毎日聖女の像に祈りを捧げなさい。それがあなたの役目なのです。」
シェスタは茶色の髪を揺らしてこくんと頷いた。鈴蘭の印を隠すように銀の首輪をつけたのも、神官長だ。魔物に攫われないようにだという。シェスタにとって、神官長の言葉は絶対だった。
昼間、神官長は鈴蘭の部屋でシェスタと過ごす。そのため、神官や聖女が頻繁に訪れた。神官長が彼らと話をしている間、シェスタは祈りを捧げるか、ぼんやりと話を聞いているかのどちらかだった。
周りの会話を聞いて、どうやらこの部屋の外には沢山の人がいるらしいことが分かった。山とか川、というものもあるようだ。もっと知りたいと思ったが、自分から伝えることができない。神官長は時折聖女や神官と何やら平べったいものを見ながら話していた。そこにはよくわからないものが書かれていて、みんなはそれが読めるようだった。自分も読めるようになりたいと思ったが、なぜか前神官長はシェスタに教えようとはしなかった。
ある程度大きくなると、貴族並みの礼儀作法を叩き込まれた。礼の仕方、食事の作法。毎日の生活の中にそれが組み込まれていった。
「国王陛下に謁見する時に、見苦しい姿を見せてはなりません。」
それが前神官長の口癖だった。どうやら自分は国王陛下とかいう偉い人に会う機会があるらしい、とシェスタはぼんやり思った。
シェスタの毎日は、「鈴蘭の部屋」の中で過ぎていった。眠るのも食事をするのもこの部屋だ。食事は使用人によって運ばれてくるが、掃除も着替えも自分でする。着替えと言っても聖女のための白い服しかない。時間がある時は、聖女の像に向かって祈りを捧げた。そんな毎日を皆がしているのだと、シェスタは思っていた。それ以外の世界を知らなかったからだ。
そんなシェスタにも一つだけ、宝物だと思えるものがあった。黒いウサギのぬいぐるみだ。
ある日、神官長と夕食を食べていると、聖女が部屋を訪れてきた。その聖女はそのぬいぐるみを持っていた。
「今日いらした患者さんが落としていったものなのですが、どなたのものか全く分からず……どういたしましょう。」
シェスタの目はそのぬいぐるみに釘付けになった。あのふわふわとして可愛らしいものは一体なんだろう。シェスタの周りにそんなものは一つもなかったのだ。
シェスタの視線に気付き、神官長は困った顔の聖女に言った。
「この部屋に置いておきなさい。誰も取りに来なかったら、神殿への寄付ということで預かりましょう。」
神官長の言葉に、シェスタはパッと顔を輝かせる。神官長はそのぬいぐるみを鈴蘭の聖女の像の側にそっと置いた。
「三日間はこのうさぎに触れてはなりません。良いですね?」
あれはうさぎ、というものらしい。そして三日経ったら触れてもいいのだ!こくこくと頷き、食事に戻るシェスタを見つめる神官長のあたたかな視線に、シェスタは気づいていなかった。
結局誰も取りに来なかったため、そのぬいぐるみはシェスタの物となった。一人で寂しい時、シェスタはそのぬいぐるみに心の中で話しかけ、ぎゅっと抱きしめた。寝る時も、もちろん一緒だ。大きくなるにつれ、一緒に寝ることは減ったけれど、いつでも側に置いていた。
そんな毎日がずっと続くと思っていたのに。シェスタの毎日は変わってしまった。鈴蘭の聖女の像は後で届けられたので、棚の上に置いてあるが、祈りを捧げる暇などどどこにもない。寝台に置きっぱなしにしてあったはずのウサギのぬいぐるみはどうなっただろうか。
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