(16)扉の向こう
あの有名な道具が使えちゃうというお話。
シェスタのいたホロネリア王国と魔族の国では、使っている言語が一緒である。これははるか昔、二つの国が一つの国だったからだと言われているが、本当のところは分からない。そのおかげでシェスタの勉強に使えそうな本が見つけやすかったのは確かだ。
市井の暮らしをほとんど知らないシェスタのためにニルダが選んだのは、旅行記である。町や人々の様子が絵で描かれており、文字は少なめだ。
「掃除は次に来た時にいたしましょう。書類の整理で時間を取られてしまいましたからね。」
埃を拭った本をシェスタに渡すと、シェスタは大事そうに両手で抱えた。書庫には本だけでなく、ニルダにも使い方の分からない道具が多く置かれていた。シェスタが使えるものもあるかもしれない。
部屋に戻ったが、アステリアは席を外しているようだった。シェスタはソファに座ると早速本を開く。色褪せているが、彩色された絵に心奪われているようだ。
その間に、ニルダはお茶の準備をして机の上に置いた。その香りにも気づかず、シェスタは本をじっと見ていた。ぱらり、と時折ページを捲る音だけが部屋の中に響いた。あるベージを見て、シェスタの手が止まった。
「ニルダ。これ、海?」
前にニルダが話したことを覚えていたらしい。シェスタが指さしていたのは、山に囲まれた大きな湖だった。
「これは『湖』でございます。失礼。」
ぱらぱらとページをめくると、最後に海の絵があった。波が大きくうねり、船が上を向いている。端には大きなクラーケンの足が描かれていた。
「こちらが『海』でございます。」
ニルダが見せた絵を見て、シェスタの目が大きく開かれる。
「『海』……。」
下にある文字を指さしながらニルダはシェスタに読んで聞かせた。
『港町カランを出て、大海にでた私たちの船をクラーケンが襲ってきた。撃退することに成功したが、マストが折れてしまった。残念だが、今回の旅はここまでのようだ。次の旅では、海の向こうの国へと辿り着けることを願っている。』
「マスト?」
首を傾げるシェスタに船の構造を簡単に説明する。絵を見ながらなので、シェスタにも理解しやすいようだ。
「ニルダ、見たことあるの?」
「残念ながら、私はこの城から離れられないのです。実物を見たことはありません。」
『鳥の目』という遠くを見る道具を借りて、海や船を遠目に眺めたことはある。だからある程度の説明はできるが、細かいことは話せないのだ。
「私と、一緒ね。海、見たいなあ。」
シェスタがそう呟いた瞬間、ニルダの体の中で何かがぞわり、とした。
何があったのかとニルダは自分の核を確認するが、特に問題はない。むしろこの部屋の扉の向こうに違和感を感じるのだ。
「お嬢様。ここから動かないでくださいませ。」
ニルダは用心深く扉に近づくと、そっと扉を開けた。
「……は。」
思わず変な声が漏れる。無理はない。廊下があるはずの扉の向こうが、砂浜になっていたのだ。そこから少し離れたところに、ザアン、ザアン、と波が打ち寄せている。ニルダは後ろを振り向いた。お嬢様の部屋だ。変化はない。扉の向こうだけ、なぜか海なのだ。風に乗って砂浜の砂が部屋へとさらり、と入ってきた。幻ではない。どうやら本物の海へと繋がってしまったのだ。
「どうしたの?」
シェスタがニルダの様子に気がついて、近づいてくる。そして扉の向こうを見て、息を呑んだ。
「なに?どこなの?」
「……海でございますね。おそらくお嬢様が先ほど『海が見たい』とおっしゃったので、このようになったのだと思われます。」
「これが、海……。」
「ええ。」
太陽に照らされて、白く輝く砂浜。ひたすら打ち寄せてくる波。何かの鳴き声も聞こえてくる。
シェスタもニルダも初めて近くで見る海に、思わず見惚れてしまった。
「あんまり、波、大きくないね。」
「沖に出ると、波が高くなるそうです。天気も関係するのかもしれませんね。」
「不思議な匂い……。」
潮の香りが部屋まで届いてくる。シェスタは目を閉じて、その香りを大きく吸い込んだ。ニルダも香りを吸い込んだところで、ハッと気がつく。このままではいけない。
「お嬢様。扉を元に戻さないと、アステリアが帰ってこられません。ひょっとすると、困っているかもしれません。」
アステリアの名前を聞いて、シェスタもあっと声を上げた。
「アステ、いないと困るね。」
「ええ。なので扉を閉めます。普段の扉に戻れと祈っていただいてよろしいですか?」
「……わかった。」
ニルダが扉を閉めると、シェスタが
「元に戻って。」
と呟いた。ニルダの体の違和感が消える。扉を開くと、そこには驚いた顔をしたアステリアがいた。
「お嬢様、大丈夫ですか?扉を開けようとしても開かないし、叩いても返事もないし。中で倒れているのかと思いました。」
アステリアがまず心配するのはシェスタだ。その気持ちがわかったので、シェスタも素直に謝った。
「ごめんなさい。」
「無事ならいいんですよ。でも、いったいどうしたんです?それに、何か不思議な香りがいたしますね。」
アステリアが部屋の香りをくんくんと嗅ぐ。アステリアにどう説明したものか。ニルダは少し悩んだ。そして、まずしなければならないことをすることにした。もし、シェスタが行きたいと思えばどこでも行けるとしたら、それはかなり危険なのではないだろうか。
「魔王様に相談して参ります。お嬢様は『行きたい』と思っても口に出さないようにお願いしますね。」
「どういうことだい?」
「後で話す。お嬢様を頼んだぞ。」
ニルダはシェスタの部屋から足早に出ていった。
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