if第22話 時の底
翌朝――いや、アストラの内部時間で言えば“翌朝”だが、外ではまだほとんど時間が経っていないはずだった。
それでも身体の感覚は完全に朝で、傷も昨日より確実に軽い。
シルヴァは上体を起こし、軽く肩を回した。鈍い痛みはあるが、動く。
ティナはすでに起きていて、包帯を巻き直している。クジャはベッドの端で伸びをしていた。
「ほんとに数日しか経ってないのか、これ」
「外ではね」
ティナが言う。「中は別。ここ、時間を圧縮してる」
扉の方から足音。ミルスが入ってくる。杖をつき、まだ傷は残っているが、その目はいつも通り冷静だ。
「外で数日。中で数ヶ月」
ミルスが言う。「ただし制限付きよ」
「やっぱり来たか」
クジャが肩をすくめる。「昨日の無理転移のツケ?」
「ええ。魔力炉に直接負荷をかけた。長時間は維持できない」
ミルスは淡々と続ける。「持って三ヶ月。外の時間で言えば数日分」
短い沈黙。
「十分だな」
シルヴァが言う。
「足りなきゃ終わるってやつだね」
クジャが笑う。
「その通り」
ミルスが踵を返す。「来なさい。中枢へ」
⸻
塔の最下層――中枢。
広大な円形空間だった。床一面に魔導陣が刻まれ、壁面には複雑な紋様が連なっている。天井は高く、浮遊結晶が淡く光り続けていた。
中心にあるのは、球体状の魔力炉。幾重もの魔導環が回転し、その内部で濃密な魔力が渦を巻いている。
だが、完全ではない。
光がわずかに揺れている。規則的だったはずの流れに、微かな乱れ。
「不安定だな」
シルヴァが言う。
「当然よ」
ミルスが答える。「あれを無理やり動かしたんだから」
クジャが炉を見上げる。
「壊れそう?」
「壊れはしない」
ミルスは首を振る。「でも余裕はない。だから無駄は省く」
ミルスが杖を床に軽く打つ。足元の魔導陣が光った。
「ここから先は、時間を使って強くなるだけよ」
短く言う。「始めるわ」
空気が変わる。重く、粘るような感覚。時間圧縮が起動した証拠だった。
⸻
移動した先は、訓練場。
広い。とにかく広い。石の床には幾重もの魔導陣、天井には浮遊結晶。影が揺れない均一な光。
中央には、人型の訓練体が何十体も静止していた。
「……まさか、あれ全部?」
ティナが言う。
「全部」
ミルスは即答した。
「まず確認するわ。あなた達がどれだけ足りないか」
「言い方」
クジャが笑う。
「優しい方よ」
「じゃあ優しくない方は?」
「死ぬ」
「分かりやすい」
カチッ、と音が鳴る。訓練体の目が一斉に光った。
「第一段階。対多数戦闘」
「第二段階。連携」
「第三段階。魔王級核への対処」
「最初から濃くない?」
ティナが顔を引きつらせる。
「暇じゃないのよ」
次の瞬間、全部動いた。
「来る!」
ティナが剣を抜く。
シルヴァはすでに踏み込んでいる。
「風断!」
一体、二体、三体。関節を正確に断ち切る。だが止まらない。後列が即座に前へ出る。
「反応速い!」
クジャが叫ぶ。「ミルスの補助入ってる!」
「本気で殺しに来てない!?」
ティナが言う。
「来てないわよ」
ミルスは壁際で腕を組んでいる。「本気なら今頃半分死んでる」
「それフォローになってない!」
ティナの光が訓練体の腕を薙ぎ払う。そこへシルヴァが踏み込み、残った胴を断つ。
「連携は悪くない」
ミルスが言う。「でもクジャが捌きすぎ。ティナは守りに寄りすぎ。シルヴァは前に出すぎ」
「全部駄目ってこと!?」
「伸びしろよ」
戦闘は終わらない。一時間、二時間。息が重くなる。足が鈍る。それでも止まらない。
ミルスは止めない。
昼を回った頃、ティナが膝をついた。
「む……り……」
「駄目」
即答だった。「そこから立て直す訓練も必要よ」
「鬼……」
「魔王よ」
「そうだった!」
クジャが吹き出しかけた瞬間、拳が飛んできて顔の横をかすめた。
「うわっ、危な!」
「余裕あるなら動け」
シルヴァが言う。
「相変わらずだね」
「余裕ねぇんだよ」
それでも、そのやり取りが少しだけ呼吸を整える。
⸻
日が暮れる頃――内部時間でだが――ようやく第一日が終わった。
ティナは仰向けに倒れ、クジャは大の字。シルヴァだけがなんとか立っている。
ミルスが三人を見下ろす。
「悪くない」
「……今ので?」
ティナが半泣きで言う。
「ええ。特にシルヴァ」
視線が向く。
「あなた、風を“読む”だけじゃなく、“作り始めてる”」
シルヴァはわずかに目を細めた。自覚はある。踏み込みに合わせて風が生まれる感覚。
「でもまだ粗い」
ミルスは容赦なく続ける。「神風には程遠い」
「神風、か」
ティナが呟く。
「ええ。あなたの奥にある本来の風」
クジャが寝転んだまま笑う。
「主人公すぎる」
「うるせぇ」
だが、その言葉は残った。
⸻
夜。
シルヴァは一人、訓練場に戻っていた。眠れなかった。
剣を抜く。風を足に、腕に、刃に。
「……神風」
一閃。風が走る。だが荒い。
「真面目ね」
背後から声。ミルスが立っていた。
「お前こそ」
「私はこういう時間が好きなの」
少しの沈黙。
「シルヴァ」
ミルスが言う。「理由じゃない。選ぶのはあなた自身よ」
シルヴァは剣を下ろす。
「説教か」
「少しね」
ミルスは笑う。「魔王だからよ」
「さあ寝なさい。明日はもっときついわよ」
シルヴァは本気で嫌そうな顔をした。ミルスはそれを見て、少しだけ笑った。




