第八話 一触即発なふたり
ぶどう祭りの後から、コリンは探さなくてもアリスの姿を目にするようになった。彼女は男女数名に守られるように囲まれ、隣には赤髪・長身の美少年がいた。
(やっぱり。アリスくらい魅力的な子を、周りがほっとく訳がないんだ)
学内の噂に疎いコリンは、二人のことを同級生にたずねた。
アリスの隣にいるのは、ブラッド・ゾナフォーク。家柄良し。成績良し。名前負けしない抜群のカリスマ性も備えている。
二人は有名なカップルで、常に行動を共にしている。
魔術界に詳しくないコリンは、政界にも太いパイプを持つゾナフォーク家の名声もついでに聞かされ、現実に引き戻された。
アリスに恋をするなんて身の程知らずもいいところ。これだけ有名な二人なのに、どうして今まで知らずにいられたのだろうか。フユの涼しい風が、コリンの胸の隙間を通り抜けていった。
――いい子にしているんですよ。大丈夫。誰に対しても優しい、笑顔のあなたが大好きよ。
母さん……ぼくを置いていかないで。優しくなんかないよ。魔術学校に進みたいだなんて願わなければ良かったのかな。
――きみは優秀なんだ。そして恵まれている。これからも弟妹たちの良い模範でありなさい。
どう違うの? わがままを言っても愛される子がうらやましかった。ぼくが小さい頃は、誰も守ってくれなかった。
――立ちなさい。これくらいで音を上げていたら、魔術学校ではやっていけない。課題は山積みだぞ。
この頃は、弱音を吐く暇も体力も、なかったんだよね。
――偉そうにしないでよ! コリン兄ちゃんには、弱いぼくの気持ちなんてわかんない……!
強くなりたくて強くなったんじゃないよ。ぼくがいなくなって、また泣いてないだろうか。
――負けるなよ。せめてお前だけは卒業してくれ。一般入試組、永遠なれ……!
自分で望んできたんだろう? 理想を押し付けないでくれよ。身一つでいたいのに、どうしてぼくはこんなにも……
見慣れない白い天井。
(ここは……?)
目覚めたコリンは汗だくだった。頭がガンガン痛む。
「起きた? えっと、お水飲む……?」
アリスは裁縫をしていた手を止め、立ち上がった。袖机の上の瓶から、硝子杯へ水を注ぐ。アリスの手首に、病避けの石を紐で繋げた腕輪が見えた。
コリンは医務室の寝台で眠っていた。帰省前にできるだけ稼いで、弟妹たちにお土産を買ってあげたかったのだが、流行りの風邪をもらってしまった。
「着替えたいよね。とりあえず、これ使って」
タオルを手渡すと、アリスはコリンに背を向けて座り直した。彼は汗を拭くため、シャツを脱ぎ始める。
「まいったな……明日もバイトなのに……」
「担当の先生が『しばらく休ませます』って連絡してくれたよ。気になるなら、後で呼んでくる? たぶんパーティーにいるから」
今夜は全生徒を対象にした、パーティーが行われていた。立食形式で、会場は帰省前の開放感に包まれている。
「大丈夫……ありがとう……ぼくはどうしてここに……」
アリスが笑った気がして、コリンは裸眼のまま、ぼやけた小さな背中を見る。
「具合悪そうだったから、私が無理に連れてきたの。覚えてない?」
言われてみれば、そんな気もした。
「たまには何にも考えずに休んだほうがいいよ。着替えはもうすぐ寮のみんなが持って来てくれるから。洗濯もしてくれるって」
「きみは会場に戻らなくていいの?」
「人が多い場所、苦手なの。私がいると休めない?」
「何を縫ってるの?」
「クッションカバー。花火見せてくれた時、穴があいてる座布団がたくさんあったから、どうかなって。お礼がしたくて」
「いいのに」
「なんて言いつつ、パーティーが嫌なのと、暇だから、こうしてるだけ。ただの自己満足なの。要らなかったら自分で使うから気にしないで」
「いや、くれるなら」
唇が震えた。
「……欲しい」
そう言っただけで、肩が軽くなった気がした。
コリンが汗を拭き終わったことを告げると、アリスはタオルを受け取った。置きに行ってからじっとコリンの顔を覗き込む。さっきよりも、彼女の顔がしっかり見える。
吸い込まれそうな真っ黒な瞳。
「鼻になんか……あ、眼鏡のあとだった。ふふ……コリンって眼鏡外すと、そういう顔なんだぁ。髪も瞳も緑よりの黒なんだね」
アリスがまた座って裁縫を始める。
(もういいや)
コリンは横になるのをやめ、頭板に枕を立て、寄りかかる。掛け布団の上に、伸ばした足を乗せた。
「明日からの帰省、本当はちょっと帰りたくないんだ。ぼくの帰る場所、孤児院なんだ」
「コリンが? どこの地域の?」
アリスの視線は針と布に向けられている。
「驚かないの?」
「そういう生徒がいるって学長先生から聞いてたから。もう少し楽させたいけど経営、なかなか難しいみたいね」
「学長と知り合いなの?」
「あっ……今の内緒ね。バレたらこの学校にいられなくなっちゃうから、ふふ……笑い事じゃないか」
「それは困るな……」
「みんな知ってるの?」
「ぼくがみなしごだってこと? いや、誰にも言ってない」
「食べられそうなら、何かごはん持ってくる?」
「自分で行けるよ」
「だめ、ここにいて」
右肩に触れられただけで、コリンは動けない。まるで催眠に掛かったようだ。
アリスはコリンの足に布団を掛け直した。
「このくらいさせて。さっき寮のみんなも、張り切って準備してた。コリンに頼られて嬉しいんだよ。私もお腹空いちゃったから。ちょっと見てくるね」
アリスは戻って来なかったが、代わりに寮生が着替えとワゴンに載せた食事を運んで来た。
帰省中、列車に乗っている時も、孤児院を手伝っている時も、コリンはいつもと違う心境だった。やけにゆとりがある。周りの期待を疎ましく思う自分も、アリスへの気持ちも、肯定できるようになっていた。
フユ休み明け、アリスのほうから教室に会いに来てくれた。学年末試験と植物育成学の発表が迫っていたため、この時ばかりはコリンも学業に専念していた。
放課後、二人は敷地内の草原に向かった。アキのモミジ狩りの集合場所でもあったそこで、コリンはアリスに頼まれて、実技試験の指導をしていた。自習室でアリスが勉強を教える日もあった。
アリスに教えたのは、連続瞬間移動。初心者は移動直後と次の詠唱までに妙な間が空いたり、焦って足がもつれたり、体幹が弱くて反動で転倒しそうになる。
「ぼくの背中に」
コリンはその場で片膝をついた。感覚をつかんでもらうため、アリスを背負いながら実演して見せようとしていた。
「えっ、重いよ?」
「アリスが? そんなわけないよ。体だけは丈夫なんだ。ほら」
シャツを腕まくりにしていたコリンは二の腕まで見せた。普段は制服で着痩せしているが、入学前の稽古と、書店や倉庫での労働で、全身にしっかり筋肉がついている。
「内側は鍛えられないから、風邪引いちゃったけどねー」
じっと見つめていたアリスも、ふふっと笑ってくれた。
「重かったら言ってね?」
「心配性だなー。落としたりしないよ」
コリンは軽々と立ち上がると、杖を持ったアリスの詠唱に合わせて、生まれたての光の輪に飛び込む。
……三回、四回、五回でピタッと止まる。
数秒の無言。初めて力を合わせたとは思えない、あまりにも鮮やかな成功に、二人はただ驚いていた。遅れて鼓動が早まる。
「コリン、もう大丈夫。下ろして」
「ああ、ごめん」
最終下校の鐘が鳴る。帰りはいつもアリスを寮まで送って行く。アリスは女子では最高格式の寮に所属していた。
「参考書を取ってくるから、ちょっと待ってて」
寮の前でしばらく待っていると、アリスが駆けてきた。
「これ、いつも付き合わせちゃってるお礼」
アリスは手提げかばんを渡した。中にはおにぎりが二つと参考書が入っていた。
「ありがとう。本当に貰っちゃっていいの?」
「いったん寮に戻った時、頼んでおいたの。友達と食べるって伝えたから大丈夫だよ」
アリスはいつも手提げかばんと一緒に持たせてくれる。ちょっとしたかばんくらいならコリンにだって買えたが、いつも借りることにしていた。そうしている内はまた会えるからだ。
ハル第一月、二人は同級生になった。最低位の学級にいたコリンにとっては大出世だ。けれど、来年はわからない。降格した生徒が上がってくるかもしれない。
アリスとブラッドが恋人同士ではないと知り、遠慮する理由もなくなった。
夢の他にもう一つ、譲りたくないものが増えていた。
(それはきみだ、アリス)
アリスになら夢の話をしてもいい。むしろ、聞いてもらいたい。彼女が認めたドナと三人で四季に思いを馳せ、どんな花が咲くのか見届けたい。
◇◆◇◆
実験室で、殺気を放つブラッド相手に、コリンは落ち着いていた。
「ぼくとアリスにも、きみの知らない歴史があるんだ」
「聞かせてくれよ」
ブラッドは珍しく笑った。半径数メートル内の生徒の背筋に悪寒が走る。コリンは芯の強さの宿る瞳を閉じて、唇を柔らかく結んだ。
(きみがお守りを作っていた時、ぼくはアリスのクッションカバーと眠っていたのさ)
一度はアリスを傷つけた相手に、引ける訳がなかった。ブラッドの威圧感を煽るだけでいい。アリスはまたこの男に不信感を持つだろう。
上背は向こうの方があるが、すらりとしたブラッドに力で負ける気がしなかった。
アリスを想うと、力が湧いてくる。背筋がぞくぞくしたあと満たされた気持ちになる。殴られたって構わない。




