第七話 愛してるんだ
再び、放課後の実験室。
「好きだ。結婚を前提に俺と付き合ってほしい。その上で俺を班に入れてくれないか?」
ブラッドに告白され、アリスは混乱していた。
今日は植物育成学の話し合いだったはずだ。それにはブラッドとの不和も同時につきまとう。アリスなりに礼は尽くした。
アリスはドナを見た。
ドナは手のひらを向け、苦笑する。
「私になわけないでしょう。アリスさん、あなたに言ったのよ?」
「私……?」
「まさか、ブラッドくんの気持ち、気付いてなかったなんてね。ほとんどの人が気づいていたと思うけど?」
「でも、みんなの前で『太ってる』『どんくさい』って言われたよ?」
「太ってるとは言ってねぇよ」とブラッドはすかさず否定した。
「重いって言ったもん。何回も……」
「それはひどいわね」
ドナは淡泊に言った。
「どうして好きな相手にそんなこと……」
立ちくらみを起こしたアリスに、三人が駆け寄る。
一番近いドナが支えて、イスに座らせた。
黙っていたコリンも、「やれやれ……」と向かいの長机にもたれる。
「アリスって、本当に純粋なんだね」
「私は、恋愛しに学校に来たわけじゃないの。そもそも恋愛も分からない」
「婚約者がいるのか?」
ブラッドは気遣うように隣に座る。
「いないけど……ドナさん、こういう時、どうしたらいいの?」
「私も経験がたくさんあるわけじゃないけど……試しにブラッドくんと付き合ってみたら? まずはお友達から。経験も豊富だろうし、恋愛が何かを知るには、ブラッドくんはこれ以上ない相手だと思うわよ」
「そんなことしていいの?」
「結構いるわよ。ブラッドくんがそれでいいなら」
ブラッドは背中を丸めて、アリスと目を合わせる。二人の膝と膝には数センチの距離しかない。
「考えてくれるか?」
アリスはうつむく。
「それもブラッドの計算? どうせまたみんなの前に出たら、冷たくなるんでしょう?」
「俺、冷たかったか?」
ブラッドはきょとんとしていた。しらばっくれているわけではないようだ。
「私、モミジ狩り、楽しみにしてたのに……ブラッドずっと怒ってた……不安なことはたくさんあったけど、ブラッドがいるから、きっと楽しいって思ってたんだよ?」
「おう。楽しかっただろ?」
アリスは首を小さく横に振ってから、顔を上げた。
「悲しかった……みんなの前で私を下げることばっかり言って。その後は教室でずっとムスッとしてたし、フランのために、我慢して居てくれてるんだと思ってたの」
「そんなわけないだろ……」
「私はそうだった」
ブラッドの喉がピクッと反応する。
「体育祭も、踊りたくないって言ったのに、無理やり踊らされた」
「みんな上手いって言ってたじゃねぇか」
一呼吸置いてから、ブラッドは続けた。
「悪かった!」
両膝に手を当て、頭を下げる。
「嫌なら、もうしねぇよ。謝るから……また怖くなってたら、言ってくれ。直すから」
アリスは長机の上のお守りを見る。
「きれい……ブラッド、上達するの速すぎだよ」
「俺の部屋にフランのぬいぐるみもあるんだけど」
「えっ、ぬいぐるみ?」
「後で寮に届けてやってもいいけど……?」
ドナは、アリスの肩に手を置いた。
「二人で話し合ったほうが良さそうね?」
ブラッドは髪をくしゃくしゃといじる。
「あー、悪ぃ。アリスさえ良ければ、二人にしてくれないか?」
「私は本当にどっちでもいいわよ。ブラッドくんが班に入っても、解散になっても」
「ドナさん、いろいろとありがとう。コリンもありがと」
「でも今日中に決めてね? コリン、行きましょう」
扉の前で、ドナは振り返る。
「コリン?」
コリンは、ブラッドとアリスのそばに立った。いつもの優しいほほ笑みに、アリスもつられて緊張を解いた。
「ぼくもアリスが好きだ」
ブラッドが殺気を放つ。コリンは全く動じない。
ブラッドは立ち上がり、見下ろしながら、もう一段階強い殺気を放った。
「聞こえなかった。もう一度、言ってくんねぇか?」
コリンは胸に手を当て、噛みしめるように言う。
「愛してるんだ」
アリス、本日二回目の思考停止。
「わかってるよ。アリスはぼくとは違う。高貴な人だ。だけど、試しに付き合う相手を探しているのなら、話は別だ。ぼくも立候補する。ぼくをきみのナイトにしてほしい」
ドナは開きかけた扉を閉めて、腕組みをした。
(おもしろくなってきたじゃない? アリスさんもそうだけど、コリン、あなたは一体、何者なのよ)
◇◆◇◆
コリンは一般家庭に生まれたが、物心ついた頃には父親がいなかった。母と二人で慎ましく生きていた。
同じ頃、根拠もないのに漠然と、自分は魔術学校に入るのだと思っていた。母にさえ伝えずに、胸の奥にしまっていた。
母が病で亡くなり、孤児院に預けられた時も、その思いは消えなかった。血の繋がりのないたくさんの弟妹にはいつしか兄のように慕われ、院長が後継者にしたいと思うほど、立派な青年に成長した。
箔をつけて真っ当な職に就き、孤児院に恩返しをしたい。そのために、学費が免除される魔術学校の一般入試枠を勝ち取りたい。
コリンからそう聞いた院長は、いたく感動し、彼に家庭教師をつけた。一般入試枠は何かと侮られる立場だ。身を守るための護身術も習った。
本当はもっと個人的な理由だった。
四季を知りたい。
幼い頃、コリンは夢を見た。かつてのこの星の四季が怒涛の勢いで巡っていく。全景360度の美しい光景だった。彼の隣には、翠玉の瞳を持つ勇ましい男が座し、歴史を語っていた。
どうしてそんな夢を見たのだろう。母から四季の話を聞かされたわけでも、歴史に興味があったわけでもない。初期衝動は、静かに燃え続けている。
一般入試組は最低格式の寮に入る。基本的には四名の相部屋、身の回りのことは全て生徒自身で行うが、孤児院育ちの彼には、自分一人のための寝台があればいい。労働希望者は学校の斡旋で信頼できる仕事だけを紹介してもらえた。
それでもここは最難関の魔術学校。働きながらついていくのは茨の道。一般入試組が一人、また一人と挫折していく。
昨年のナツ、図書室で初めてアリスに話しかけられた。教材の魔鉱石が高くて買えず、単位が取れなさそうだと友人にぼやいたのが聞こえていたらしい。
「よかったら、私のを使いませんか? 心配性だから多めに買って……余ってるので……」
彼女は寮まで取りに行って、手提げかばんに入れて渡してくれた。
「この石は……どこで手に入れた?」
教員にそう聞かれた。
「同じ学年の……えっと……別の学級のアリスさんが譲ってくれたんです。黒髪で、二つくくりにした女の子です」
盗んだと思われたのだろうか? 肝は冷えたが、それきり追及はなく、単位も取れた。
次にアリスに会ったのは、ぶどう祭り。総合案内所の受付として、余り者同士で組むことになった。
ぶどう祭りは文化部のためのお祭りだ。生徒による演劇、歌・楽器演奏に、絵画や工芸品の展示、同人誌・手作り雑貨の展示販売が行われる。
「あのときは、魔鉱石を譲ってくれてありがとう」
「あれで大丈夫だった?」
「うん。本当に助かったよー」
「力になれたなら、よかった」
「家族が来てるなら行ってきてもいいよ」
魔鉱石とは到底釣り合わない提案だ。
みなしごの彼に招待できる家族はいない。孤児院育ちを隠しているため、院長や弟妹も呼べなかった。
「そうしなよー。ここは俺とコリンで見てるから」
暇を持て余した、コリンの同級生も言った。
「ううん。私、誰も招待してないの。暇だし、ここにいてもいい?」
「そうなんだ?」
アリスはきっと魔鉱石をたくさん買えるほど、お金持ちの家に生まれたお嬢様だ。そんな彼女と共通点がある。
(嬉しい)
なぜ? コリンは我に返る。
(第一、不謹慎だろう? アリスにどんな事情があるかも分からないのに、嬉しいなんて)
三人は受付以外の時間も、一緒に回った。屋台でつい、弟妹がいると言ってしまった。食べさせてあげたいと思ったからだ。
「そうだ、かばん! 借りたままでごめん。後で返したいから、一緒に帰ろう?」
「え! いいの?」
アリスは目を輝かせた。そんな顔をされると、もっと喜ばせたくなってしまう。
「寮まで来てくれない? 帰りは送るから」
祭りは、豪華な花火で締めくくられる。寮の屋上からよく見えることは、上級生から聞いていた。
「ひょー、きれいだなぁ」
「俺たちだから見られるんだぜぇ」
「一般入試組に乾杯!」
寝袋や、ぺしゃんこにつぶれた座布団、敷物を広げ、宴会を始める寮生男子たちの隅っこに、アリスがちょこんと座っている。
「わぁ、女の子がいる! なんで? えっ、誰の妹だ?」
「おい、やめとけ。コリンの彼女だ」
「それを先に言えよ」
入学してすぐに、コリンは寮内腕相撲大会で優勝した。けんかを仲裁したこともあり、力で勝てないことは寮生間では周知の事実である。
「ごめんね、むさ苦しくて」
コリンは苦笑した。アリスにここからの花火を見せたくて提案したけれど、まさか本当に来てくれるとは思わなかった。
「ふふ、この学校に来て、今が一番楽しいかも。仲間に入れてくれて、ありがとう」
なんて可憐に笑うのだろう。寮生も、アリスの言葉にじーんと来てしまった。
妖精が気まぐれで、姿を現してくれただけなのかもしれない。かばんを返そうと探してみても、今日まで会えなかった事実が、彼の気持ちを駆り立てた。
(だったら、どうして現れた? ぼくには恋をする余裕なんてない。神様、からかいたいなら、他を当たってください)
自分が何者であるか。
何のためにここにいるのか。
アリスと見た花火は、彼の根底に訴えかけてくる。
その夜は目を閉じても、花火とアリスの横顔しか思い出せなかった。
「コリン……起きてんのか……?」
同室の上級生が労働先で貰ったタバコをこっそり分けてくれた。初めての喫煙の後に襲ったのは、罪悪感と虚無感だった。
目覚めると、心にもう一枚層が増えたような心地がした。




