罠にはまったメアリー
「メアリー、これは親父から社交界用の服装一式を買うために預かった金貨を20枚だ」
メアリーはこれほどの大金を目にした事がないので受け取る手が震えた。〔現代の金額でおよそ200万円ほど〕
後ろにはピエールの手下3人がその様子を見ていた。
「明日の昼に受け取りにくるからそれまで金庫に保管してくれ。これは鍵だ」
ピエールは金貨とともに鍵をメアリーに手渡した。
「その鍵は一つしかないから大事に保管してくれ。無くしたら金庫が開けられなくなるからな」
「かしこまりました」
メアリーは何も知らずに金貨を受け取ると頭を下げてお辞儀するが、この時ピエールの口角が上がったのをわずかだが確認していた。
いつもと表情が違うなと思いつつも、それ以上気にする事なく持ち場に戻って行った。
そして言われた通り金貨を金庫に入れて鍵をかけた。
鍵は明日の昼までメアリーが保管しなければならない。
メアリーは緊張しながら鍵を枕元に置いて寝る事にした。
その夜、ピエールは金庫室に忍び込んで合鍵を使って金庫を開けて金貨を盗み出したのだ。
「これでよし。明日朝イチでカジノに金を払いに行くか」
そして翌朝、ピエールは足速に馬車に乗り、途中で手下たちも乗り合わせてカジノに向かう。
ピエールは手下の下級貴族たちに事前の手はず通りに口裏を合わせるように念を押した。
まず最初にカジノに出向いておよそ金貨15枚の借金を返済したのだ。
「よく金の準備が出来たな」
「なあに、少しばかり小細工をしたんですよ。借金さえ返せば問題ないですよね」
「どんな小細工か知らねえが、お前の言う通り借金さえ返せば何も言うことはねえ。また遊びたくなったならいつでも来な。歓迎するぜ」
ピエールはやれやれとホッとひと息ついた。
借金が終わればまたカジノで遊ぶ事が出来る。
今度は借金をしないように勝てば良いだけだ。
カジノの沼にはまったピエールはそう簡単にそこから抜け出せなかった。
「第一段階は完了だ。第二段階に入るとするか」
☆☆☆
次はメアリーの父親だ。
この貧相な男に嫌々ながら接触する。
こいつも俺の犯罪を成立させるための道具。
そう思えば多少の嫌悪感など我慢ができた。
「お前、3年以上税の支払いが滞っているが、返せるあてはあるんだろうな?」
「ですから、伯爵の家にメアリーを奉公させたのです。娘が何か問題でも起こしましたか?」
父親がメアリーに問題でもあったのか確認すると、ピエールは上から見下ろすような目で睨みつける。
「これから俺の言う通りにするなら、お前の借金を帳消しにしてやってもいいぞ」
父親の目の色が変わった。
「本当ですか?」
「その代わり娘の事を諦めるならな」
ピエールの言葉に父親は動揺する。
「それはどういう事ですか?」
「ここに金貨2枚ある。お前の借金分だ。これはお前の娘が持ってきた金だという事にしておけ。後で教会の事情聴取が入るだろうが、お前は娘からこの金を受け取って借金を返済した。いいな」
ピエールの言っている事を父親は理解出来なった。
「メアリーが金貨2枚などという大金をどうやって手にするのですか?」
「盗んだに決まってるじゃねえか。いいか、この金はメアリーが盗んだものだ。そしてお前はそれを知らずに金貨2枚を受け取った。この証言をすれば借金はなかった事にしてやる」
父親はしばらく考えていた。
メアリーがお金を盗むとは考えられないが、そう証言して借金がなくなるのならやるのは容易い。
しかし平民の犯罪は間違いなく処刑である。
娘を諦めろとはそういう意味なのかと父親はようやく理解した。
「どうする? 嫌ならやめても構わないぜ。ただし借金を今この場で返済してもらうがな」
「今? そんな。。とても無理です」
「なあ、物は考えようじゃねえか? 娘を金貨2枚で娼婦として売ったと思えばいいじゃねえか。その金でお前は助かるんだ。これはメアリーの親孝行ってもんじゃねえのか」
この時代、貧しい親が金に困って娘を娼館に売るというのは普通であった。
女の子はいずれ嫁として家を出ていくか、ピエールの言うように借金の型に娼婦にするしかなくなる。
ならばメアリーの事は諦めて借金を帳消しにしてもらう方が生活も少しはマシになる。
父親はピエールの言う事に従うと返答して借金の帳消しを確約させた。
父親は悪魔に魂ならぬ娘を売ったのだ。
「あとは屋敷に帰って金貨が盗まれたと騒げばいいだけだ。そしてあの女を容疑者として教会に突き出す。そしてお前たちと父親が口裏合わせすればいいだけだ」
☆☆☆
ピエールが屋敷に戻ったのがちょうどお昼の時間であった。
ピエールはメアリーを呼びつけて金貨を持ってくるように命じる。
メアリーは金庫室に行き、金庫の鍵を開けて愕然とする。
昨日確かに入れたはずの金貨がなくなっているのだ。
「そんな。金貨がない。。昨日確かに入れたはずなのに」
鍵は自分が持っている。
この一つしかないと言われた以上、他に鍵がないはずなのにとメアリーは頭が混乱していた。
「とにかくピエール様に報告しないと。。」
メアリーは急ぎピエールに報告するが、返ってきた言葉は想定外のものであった。
「金貨がないだと? 金庫の鍵はお前しか持っていないんだぞ。お前以外の誰が金貨を持っていけるんだ?」
「わかりません。私は昨日金貨を金庫に入れてから今ピエール様に言われるまで一度も金庫に行っていません。それなのに開けたら金貨がなくなっていたのです」
メアリーの必死の訴えにピエールは怪訝な表情を浮かべる。
もちろん演技である。
「そいつはおかしな話だぞ。鍵をお前が持っている。お前はいつでも金庫に行けた。他の人間が金庫を開ける事は出来ない。この状況でお前以外の誰が金貨を盗んだというんだ?」
完全な犯人扱いにメアリーは必死で違うと言うが、ピエールは父親であるナヴァル伯爵に訴えた。
「鍵を持っているのはメアリーだけ。なのに金貨がなくなっている。昨日金貨と鍵をメアリーに手渡したのはこいつらもそれを見ている」
ピエールに言われて手下の下級貴族たちも相槌を打つ。
「私は確かに金貨と鍵を受け取り、金庫に入れました。しかしそれ以降金庫には行っていませんし、金貨を盗んでなどいません」
メアリーは必死に無実を訴えたがナヴァル伯爵も息子と貴族たちが口を揃えているためにそちらを信じていた。
「そんな言い訳通じると思ってるのか。あの袋の中にはお前たち平民が数十年暮らせる大金が入っていたのだ。お前の父親は借金で困っていると言うではないか。その借金返済に当てたのだろう」
「違います。父の借金は私が働いて返済します。盗みなんてやりません」
「やってないという証拠があるのか」
やってない証拠などと言われてもそんな物は証明しようがない。
メアリーは騙されたと気がついたが時すでに遅しであった。
メイド仲間たちから注意するように言われていた。
金貨と鍵を受け取った時のピエールの表情がおかしかった事を思い出して、自分の迂闊さに頭を抱えた。
周りは貴族ばかりで、平民のメアリーの意見など誰も聞く耳を持たないであろう。
行き着くところは口封じの処刑。
メアリーは自分の運命を悟った。
この後、教会で裁かれて牢に入れられ、厳しい拷問が待っていると。
「私がバカだった。。みんなの意見を聞き入れて資産管理を断っていれば。。」
しかし、仮に資産管理を断ったとしても目をつけられた時点で同じ結果に追いやられていただろう。
貧しい平民だった事、お金に困っているのを知られていた事。
そして後ろ盾がない事。
メアリーはピエールが標的にするには絶好の獲物だった。
金貨はピエールがカジノへの借金返済に充てている。
それに加えてメアリーの父親の借金を帳消しにした。
当然だが、なぜ貧乏な農民である父親がそんな大金を急に用意できたのか不審に思われる。
父親は娘が伯爵から頂いたと言って持ってきたと証言し、メアリーが盗んだと言う状況が出来上がってしまった。
ピエールが一枚残さず使い切ったのだから金貨は当然出て来るはずもなく、メアリーは拷問にかけられる事となった。
「そんな。。お父さんまで嘘の証言を。。」
メアリーは父親がピエールに金で取り込まれたと悟った。
「私は親からも見捨てられたのね。。」
メアリーは教会に連れて行かれて尋問を受けるが、いくらやっていないと言っても平民の証言は無視されてしまう。
その後は地下牢に入れられ、激しい拷問にかけられた。
天秤から体を吊し上げられて鞭と木の棒で体をめった撃ちにされる。
メアリーが気を失っても水をかけられ、体が動かせなくなっても続けられた。
女性であるにも関わらず顔への殴打も毎日行われた。
「信じて下さい。。本当に知らないんです。。」
「早めに白状すればこれ以上痛めつけられずに済むというのに」
平民のメアリーの言葉は貴族たちの嘘によってすべてもみ消された。
メアリーは誰も助けてくれる者がいない中で過酷な拷問にさらされた。
いくら無実を訴えても平民の言葉は信用されない。
「誰も信じてくれない。誰か。。誰か助けて」
☆☆☆
メアリーを自分の家で雇おうとナヴァル伯爵邸に訪れたアミーリアは執事からその報告を聞いて驚いた。
そして聞いた瞬間におかしいと思った。
あの子は盗みなんてするはずがない。
あれだけ正確に資産管理が出来る子が万が一にも金貨を盗むのなら、複数回に分けて支出と収入の帳尻を合わせて絶対に見つからないようにするでしょう。
金庫に入れた金貨をそのまま盗むなどという安易なやり方をするとは思えない。
もしや犯人はピエールであいつにはめられたのではと。
日頃からピエールを良く思っていなかったアミーリアはすぐに裏を読んでいた。
「メアリーは今どこにいるの?」
アミーリアは執事に確認して牢に入れられているとわかると、すぐに牢へ向かった。
それは街の城門にある劣悪な環境の地下牢であった。




