第7話「記録の欠落」
書庫は、静かだった。
厚い石壁に囲まれた空間は、外界の音をほとんど通さない。
足音も、紙をめくる音も、わずかに反響して消えていく。
私は、黙々と手を動かしていた。
分類。整列。記録。
単純な作業だ。だが、量が多い。
それだけに、無駄を削るほど効率は上がる。
気づけば、周囲の棚はほとんど整理されていた。
積み上がっていた書類も、すでに大半が分類済みだ。
――予定より早い。
私は頭の中で進捗を確認する。
この区画は、あと半刻もあれば終わる。
次に移るべきだ。
そう判断し、私は奥の棚へと足を向けた。
そこは、これまで手をつけていなかった区画。
古い記録が多く、優先順位が低いとされていた場所だ。
だが。
足を踏み入れた瞬間、わずかな違和感があった。
――整いすぎている。
視線を巡らせる。
棚は整然と並び、書物も揃っている。
一見すると、問題はない。
だが。
私は、ここに違和感を覚える。
理由は、明確だ。
この書庫は、全体として“未整理”だったはずだ。
だからこそ、私に作業が割り当てられた。
なのに、この区画だけ――
最初から整っている。
不自然だ。
私は一冊の書類束を手に取る。
表題を確認する。
――「王太子婚約関連記録」
指先が、ほんのわずかに止まる。
だがすぐに、私はそれを開いた。
内容を確認する。
形式は、問題ない。
日付も、署名も、整っている。
だが。
読み進めるうちに、違和感が増していく。
――足りない。
何かが、明確に足りていない。
私はページを戻す。
もう一度、確認する。
そして。
理解する。
これは――
“削られている”。
必要な情報が、意図的に抜かれている。
具体的には。
政策提案の記録。
私が提出したはずの書類。
それが、一部だけ存在しない。
完全に消されているわけではない。
だが。
重要な部分だけが、抜け落ちている。
――なぜ。
思考が動く。
理由を探る。
単純なミスではない。
量が多すぎる。
しかも、削除箇所が一貫している。
これは。
明確な意図がある。
私は別の束を手に取る。
今度は、財政関連。
開く。
確認する。
そして。
同じ違和感。
やはり。
――私の関わった部分だけが、曖昧に処理されている。
完全に消されてはいない。
だが、核心がぼかされている。
まるで。
“誰が考えたのか分からないように”。
私は手を止める。
静かに、息を吐く。
思考を整理する。
事実は三つ。
一つ。
私の提案した政策が、記録から削除されている。
二つ。
だが、その政策自体は――
残っている。
三つ。
それが、現在も運用されている可能性が高い。
――矛盾。
私を切り捨てた。
だが、私の案は使っている。
それは。
どういう意味か。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
視線を棚に巡らせる。
他にも、ある。
同じように削られた記録。
同じように残された結果。
それらが、点ではなく線として繋がる。
そして。
一つの結論に至る。
――私は、“不要”になったのではない。
“切り離された”。
必要な部分だけを残し。
それ以外を、排除する形で。
その瞬間。
思考が、わずかに歪む。
だが、すぐに整える。
感情は不要。
事実だけを見る。
私は、書類を閉じる。
元の位置に戻す。
証拠として持ち出すこともできる。
だが。
それは、最適ではない。
現時点で動く理由がない。
情報は、保持すればいい。
それだけで十分だ。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
声は、静かに書庫に吸い込まれる。
私は理解した。
この婚約破棄は。
単なる感情でも、評価でもない。
――処理だ。
必要なものを残し、不要なものを切る。
その一環。
そして。
私は、その“不要な側”に分類された。
それだけのこと。
だが。
同時に、もう一つの事実も浮かび上がる。
――それでも、私は“使われている”。
直接ではない。
だが、間接的に。
私の考えたものは、残っている。
機能している。
役に立っている。
ならば。
完全に捨てられたわけではない。
ただ。
“形を変えられた”だけだ。
私は、ゆっくりと棚から離れる。
足取りは、変わらない。
だが。
内側で、何かがわずかに変化していた。
これまでとは違う視点。
違う前提。
違う理解。
――これは、終わりではない。
ただの、再配置だ。
そう結論づける。
その時。
書庫の入口で、足音が止まった。
「……リゼル・アストレア」
低い声。
振り向く。
そこに立っていたのは、見覚えのある人物だった。
王宮の高官。
先ほど、私に声をかけた男。
だが、その表情は、先ほどとは違う。
評価ではない。
確認でもない。
――測っている。
「来てもらう」
短い言葉。
拒否の余地はない。
私は、静かに頷く。
「承知いたしました」
書庫を後にする。
背後に残るのは、整えられた記録。
そして。
削られた、事実。
私は歩きながら、思考を巡らせる。
呼び出し。
このタイミング。
そして、先ほどの発見。
偶然ではない。
繋がっている。
ならば。
次に起こることも。
おそらく。
――予定されている。
その中で、私は。
どのように扱われるのか。
それを、これから知ることになる。
読んでいただきありがとうございます。
ここで物語の見え方が少し変わったはずです。
これは本当に「ただの婚約破棄」だったのか。
彼女は本当に“捨てられた”のか。
第8話では、その答えに一歩近づきます。
続きが気になる方は、ぜひブックマークして追っていただけると嬉しいです。
ここから一気に物語が動きます。




