第二十六話 |輪廻転回の儀《リーン》 2
ハクの胸の白い光が強くなり、彼女の身体が中に浮く。三人の手は離れてしまう。
「あ……あ。駄目……いや。」
魂の抜けた表情で誰に言うとでも無く、ハクは零した。光の速度で……或いは満潮を迎える海のような速さで……無限の中を上昇していた。遠くから何がハクに追いつこうとしている。
……いや、駄目、駄目。来ないで……
ハクは初めてのその感覚に不安を覚えて、否定しようとした。でも、加速したその感覚は……嵩が増え始めたそれは留まる事を知らずハクに向かって、進んでくる。いや、ハクがそこへ行こうとしているのか?突き進んで行く感覚と、追いつかれ飲み込まれて行く感覚が綯い交ぜになり、完全な均衡を保った瞬間、クウの声が聞こえた。
……大丈夫だよ。
ふっ、とハクの力みが抜けて、彼女は到達した。舞闘場が白光に包まれる。意識を失いかけて、でも、ハクは自身の今を強く認識した。胸の中央が破れて内側から全てが溢れ出した。浮かび上がっていた彼女は閃光を放ち――そして、舞闘場に落ちた。そこには先程までの幼い幼生のハクはいなかった。すらりと伸びた手足が美しい成体のハクがいた。全身を美しい白い毛皮で覆われている。彼女は大人になったのだ。そしてそのまま、気を失った。彼女の父である渦翁は駆け寄りたい気持ちを抑え、そっと喜びの涙を零した。輪廻転回の義は続く。次はロイの身体が浮かび上がる。
あ、あああぁぁあっ!
ロイは叫ぶ。感じた事の無い、ざわめきが太い血管の中を逆流している。何かが流れに逆らい、湧き上がろうとしている。心臓の拍動に合わせて、どくどくとそれは、脈打っている。ロイは恐ろしくて、それが外に出て行かないように精一杯の力を込める。勿論、限界がすぐそこにいることをロイは理解している。でも、未知への恐怖がその瞬間を少しでも遅らせようとする。限界まで力んで、震えて……ハクの手が、クウの手が躰に触れた気がした。温もりを感じた。瞬間、そして。真っ黒い光が爆発して、ロイも舞闘場に落ちてくる。黒い光の中から現れたのは黒光りする巨大な躰を持つロイだった。彼の父のような甲虫の躰にも見えるが、ロイが放つ光はそれよりも硬質的だった。
「あ!あ!あ!あ!ああ!」
ロイは叫ぶ。金剛達は素早く目配せをして、タイミングをはかる。ロイの両腕が光り、何かが射出される。その光は乱射されて、舞闘場を破砕していく。観衆に向かい放たれる光は金剛達が組んだ四神封陣の中に留まり、モルフ達に害を成す事は無かった。だが、ロイのその光の乱射は凄まじく一瞬で舞闘場を崩壊させる寸前まで進む。金剛達は金剛錫杖を翳し、ロイを指し示す。アイト、ニギト、サキト、クシトの四神の印が現れ、ロイの動きを封じる。白目を剥き泡を噴きながら暴れ回ったロイは印の圧に押され、崩れた舞闘場にめり込んだ。
「凄まじいのう。が、善きことじゃ。逐鹿の時より力の発現が大きいのぅ。」
帝の席に陣取る大喝破は満足そうだ。そして、さて、と目を細める。いよいよクウの番だ。クウの躰が浮かび始めた。爆発するように強い緑の光が迸った。クウのイドの輝きが一瞬で変じた。
「これは――。」
帝でさえ固唾を飲む。観衆はどよめき、うねり、唸る。今、この場所では、晴れ渡った初夏の景色も、爽やかな海風も認識されなかった。全ては、ただこの世界の運命を決めるかも知れない最後の幼生の輪廻転回の義の推移を見守っていた。




