289 魔人 1
恐怖で見開いた私の目に、エキドナの頭から生えてくる黒い角が映った。
「……っ!」
初めて見る光景に、声にならない声が漏れる。
人だと思っていたエキドナが魔人だったなんて、そんなことがあるのだろうか。
魔人は己の姿に誇りを持っているから、黒い髪を染めないし、隠しもしないはずだ。
魔人特有の目や角だって、誤魔化すことはないはずなのに。
―――そもそも魔人は人とは異なる存在だ。
人の言葉を流暢にしゃべり、くるくると表情を変えることなどあり得ない。
だから、たとえ外見的な特徴が人と類似していたとしても、一目でそれが魔人だと見抜くことができるはずだ。
ずっとそう信じてきたけれど、私はたった今までエキドナのことを人だと考えていた。
なぜなら彼女の外見も言動も、人のものに見えたからだ。
―――霊峰黒嶽で出会った鳥真似は、外見的には魔人の姿をしていたものの、人の言動を模していた。
そのことに驚き、恐怖したけれど、それでもあの個体だけが特別なのだろうと考えた。
きっと、他の魔人は300年前と同じように、魔人らしく暮らしているはずだと。
けれど、エキドナは人間そっくりの外見を保ち、人として暮らしていた。
鳥真似に続いて2体目だ。
これはつまり―――この300年の間に、魔人が生態を変えたと考えるべきではないだろうか。
残った魔人全てではないにしても、他にも人に紛れて暮らしているものがいるかもしれない……
私はとっさに手を伸ばすと、ザビリアにしがみついた。
自分の考えに恐怖し、がくがくと体を震わせる。
それから、以前、魔人について整理した考えを必死で思い浮かべた。
『残っているのは合計6紋の魔人。……紋なしについては不明。
紋持ちのうちの1紋は「魔王の右腕」、もしくは「一紋の右腕」。
もしかしたら、6紋に加えて「十三紋の魔王」も解放されている』
あの後、霊峰黒嶽で「二紋の鳥真似」を封じたから、「十三紋の魔王」と「魔王の右腕」を除いたら、世の中に残っている紋付きの魔人は残り3紋だけになる。
問題は、エキドナが紋付きなのか、紋なしなのか分からないということだ。
それから、エキドナの子どものスフィンも同じく魔人なのかどうか。
さらには、現在、森の確認に出ているという村の用心棒は、本当に存在するのかどうか。存在するのであれば、その人物も魔人なのか。
不明なことが多過ぎたけれど、やるべきことは分かっていた。
目の前にいるエキドナが魔人である以上、倒さなければならない。
ああ、カーティス団長から『魔人封じの箱』を預かっておくのだったわ。
魔人が紋付きだった場合、魔人は倒すのではなく、封じの箱に閉じ込めなければならない。
けれど、封じの箱を持っていないから、紋付きだったとしても倒すことしかできやしない。
そうしたら、エキドナの紋は新たな魔人に移るだけだ……
「嘘だろ、フィーア!」
その時、それまで黙っていたザカリー団長が信じられないといった声を上げた。
ハッとして団長を見つめると、顔色を悪くしてエキドナを凝視している。
けれど、それも当然だろう。
これまで文献の中にしか登場しなかった魔人に遭遇したのだから、緊張と恐怖に襲われているに違いない。
体調は大丈夫かしらと心配していると、ザカリー団長は大きな声を出した。
「お前がとんでもない悪運の持ち主だということは聞いていた! 領地を散策すれば魔物を拾い、王城を散歩すれば『大聖女の薔薇』を見つけ、霊峰黒嶽に遊びに行けば魔人に出会うとな! あまりに荒唐無稽な話だったから、半信半疑だったことは認めよう! お前のことを100%信じきれなかったのは悪かったが、だからといってここで再び、魔人に遭遇してみせる必要はないだろう!!」
すかさず、クェンティン団長が否定の声を上げる。
「違うぞ、ザカリー! これはオレが悪いんだ! 先ほど、キマイラと戦ったが、誰一人怪我をしなかった。だから、これではフィーア様の聖女ポイントが加算されないと反省し、『オレたちをギタギタにやっつけてくれる魔物を探しにいきましょう!』と言ってしまったんだ!!」
ザカリー団長がクワッと目を見開く。
「お前はフィーアとは違うだろう! 空想を口にしたくらいで現実になるものか! それに、そんなわけないからな! 魔人を相手にしたとしても、オレはギタギタにやられやしねえ!!」
クェンティン団長は私たちを取り囲む植物の檻を見回した。
「では、お前の言葉を証明するためにも、まずはこの植物の檻から脱出しなければならないな!」
「イーノック!」
ザカリー団長は振り返ると、別の檻に囚われている同僚の名前を叫んだ。
「お前は氷魔法が使えただろう。この植物の根元を全部凍らせろ! 黒竜の炎ならこの檻全体を焼き尽くせるようだが、同時にオレたちも黒焦げになってしまう。そんなのは御免だ!」
イーノック団長は無言で頷くと、すかさず両腕を檻に向かって伸ばした。
それから、呪文を唱える。
「氷結! こっちも氷結! さらにすごい氷結! めちゃくちゃ氷結!!」
イーノック団長が魔法を発動すると、私たちを囲っていた植物が一瞬で氷漬けになった。
ビキビキビキと広範囲で地面ごと凍り付き、根元から地上2メートルほどの高さまで全て凍り付いてしまう。
それは素晴らしい魔法だったけれど、騎士団長たちは同僚を褒めることなく、顔を引きつらせた。
「…………」
「……お前、こんな緊迫した場面で、そんなふざけた魔法を使うんじゃねえよ! それは古の大聖女様の呪文の真似だろう!!」
言葉が出ないクェンティン団長の隣で、ザカリー団長がすかさず文句を言ったところ、イーノック団長は心外だとばかりに言い返した。
「文句を言うな! そのおかげで、威力が跳ね上がったんだぞ!」
「ちげーよ! 威力が上がったのは、お前が呪文を改変したからじゃない! 腕にはめている魔力増幅のブレスレットの力だ!!」
ザカリー団長は大声で言い返しながらも、手に持った剣を水平に払うと、凍った植物をまとめて切り倒した。
その隣ではクェンティン団長が同じように剣を振り、凍った植物を切り払う。
魔法で地面ごと根元部分を凍らせたおかげで、先ほどとは違い新たな発芽ができなくなったらしく、再び植物が伸びてくることはなかった。
呪文の大雑把さとは裏腹に、細やかに編まれた魔法だわと感心していると、イーノック団長が得意気に胸を張る。
「呪文に対する苦情を今さら言っても無駄だ! 大聖女様の魔法にあやかって、私の魔法の半分は既に呪文を改良済みだからな! もはや他の呪文では、魔法が発動しやしないのだ」
ザカリー団長は懸命に剣を振るいながら文句を言った。
「お前以外の騎士団長は全員剣士だから、魔法のことはからっきし分からねえ! だから、これまでお前の戦闘方法に口出しすることはなかった! オレは今、そのことを猛烈に後悔している! まさかお前がこんなことをしでかすとは、夢にも思わねえだろう!!」
「表現を改めろ! しでかしたのではなく、成し遂げたのだ! そう、私は魔法の高みを目指して大改良に成功したのだ!!」
聞く耳を持たないイーノック団長の言葉を聞いて、ザカリー団長が魔導騎士たちを睨み付けると、彼らは引きつった顔で首を横に振った。
どうやら、この問題は誰にもどうにもできないらしい。
その後も団長たちは文句を言い合っていたけれど、手は確実に動いて退路を切り開いてくれたので、私はプリシラやローズとともに砕かれた植物の隙間に近付いた。
3人とも震えていたけれど、魔人を怖がっている者が他にもいると分かったことでほっと安堵する。
それから、全力で戦いながらも、普段通りの軽口を叩く騎士団長たちが一緒にいてくれたことで、体のこわばりが少しずつとけていった。
……騎士団長たちは素晴らしいわ。
私たちの前に出て、矢面に立ってくれる。
聖女たちを守るため、全力で戦ってくれる。
こんな騎士団長たちと一緒にいるのだから―――私は大丈夫。
鳥真似に続いて二体目の魔人だから、私は上手く立ち回れるはずだ。
ザビリアだって、私と一緒にいてくれるのだから。
そう考えながらエキドナとスフィンがいる位置から遠い場所を選んで脱出すると、彼女たちは意外そうな顔で私たちを見てきた。
「へー、抜け出せるとは思わなかったわ」
私たちの後に、ザカリー団長とクェンティン団長が続く。
すると、ザビリアは植物の檻の中に一頭だけになった途端、ぱかりと口を開けて、勢いよく炎を吐き出した。
その結果、ザビリアは自分の炎に包まれてしまったけれど、火傷一つ負うことはなく、彼を取り囲んでいた植物は全て灰になった。
一部始終を見ていたエキドナが、考えるように目を細める。
「黒竜の強さは圧倒的ね。できれば対決するのは遠慮したいわ」
それから、エキドナは両手を上げて伸びをすると、疲れたような声を出した。
「人間ごっこは疲れるわね。そもそもこれっぽっちも人間なんぞに擬態などしたくなかったけど、ご命令だから仕方ないわ」
「遥か昔から、赤い髪の聖女にご執心だから……」
スフィンが取りなすような言葉をかけたけれど、エキドナが途中で遮る。
「それほどご執心ではないわ! だって、聖女を好きに喰らっていいと言われたもの!!」
どうやらスフィンの言葉は、エキドナの気に障ったようだ。
エキドナは額にかかっていた黒髪を苛立たし気にかきあげたけれど、その時、髪の下から一つの紋が現れる。
それは複数の卵を抱えた蛇のような形をしていたものの、魔人の紋であることは間違いなかったため、私ははくりと息を吐いた。
「も、紋付きの魔人……」
震える声で呟くと、騎士団長たちがびくりと体を跳ねさせた。
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