286 筆頭聖女選定会 三次審査 7
「実のところ、この植物は薬草としてではなく、観賞用として栽培しているの。見て楽しむことができるから、私たちのお仲間の間で1番人気があるのよ」
エキドナの言葉を聞いて、私はぱちぱちと瞬きした。
「そうなのね」
薬草ではなく観賞用として栽培するなんて、何とも贅沢な話ね。
そして、仲間というのは、村の人たちのことかしら。
エキドナは植木鉢を手に持って立ち上がると、私の髪に近付けた。
「この植物が観賞用として高い人気を誇る理由は、鮮やかな赤い花を咲かせるからよ。でも、フィーアを見た後じゃダメね。あなたの髪色と比べると色褪せて見えるわ」
プリシラとローズがムッとしたように頬を膨らませる。
「酷いことを言うわね」
「ええ、私たちの髪を見た時は、そんなこと言わなかったのに」
二人は不満気だったけれど、プリシラはピンクの髪色をしているし、ローズは黄色のメッシュが入った赤髪をしているから、赤一色の花の色とは比べにくいのかもしれない。
エキドナはふふふとおかしそうに笑った。
「ごめんなさい。でも、私たちは赤い色にこだわりがあるのよ。だから、見逃してちょうだい。ところで、この花は夜にしか咲かないけど、花開く時には光がいるの。つまり、月光の下でしか咲かないのよ」
そうだったわねと、300年前を思い出しながら相槌を打つ。
「エキドナの言う通りね。そして、効能があるのは開いた花びらだけだから、採取するのが大変なのよ。私が知っている限り、宵闇草は特殊な場所でしか育たないわ。だから、その特殊な場所から蕾の付いた宵闇草を採ってきて、月光の下に一晩置かないといけないの。そして、開くのを待って花びらを摘むってわけよ」
エキドナは考えるように首を傾げた。
「薬草として使う場合はそうでしょうね。でも、観賞する場合はそうじゃないわ。花開いた赤い花を朝日が昇るまで眺めているの」
「宵闇草は陽の光に弱いって話だったわよね。そんなことをしたら、枯れてしまうんじゃないかしら」
ローズが不思議そうに尋ねると、エキドナはその通りよと頷いた。
「そうね。だから……」
エキドナが説明しかけたところで、娘のスフィンが母親に向かって歩いてきた。
「母さん」
スフィンが母親を呼んだので、どうしたのかしらと見つめると、彼女の手の中には植木鉢があった。
エキドナは驚いたように片方の眉を上げる。
「あら、まだ夜になっていないのに花が咲いたの? 月光にも照らされていないのに、ろうそくの灯りを月光だと勘違いしたのかしら。うっかりものの蕾ねえ」
エキドナの言う通り、スフィンが持つ植木鉢の中で、宵闇草の蕾が1つ開いていた。
ロウソクの光に照らされ、赤い花が美しく浮かび上がる。
「まあ、綺麗ね」
思わずそう呟くと、プリシラとローズもその通りだと頷いた。
花開いた宵闇草をこのまま摘みとれば、石化症の特効薬の材料になるのだけれど、エキドナにそのつもりはないようだ。
その証拠に、エキドナは娘から植木鉢を受け取ると、窓に向かって歩いていき、勢いよく分厚いカーテンを開ける。
その途端、部屋の中にサッと陽の光が入ってきた。
宵闇草には太陽光は絶対禁止のはずなのに……と驚いていると、案の定、美しく咲いていた赤い花がみるみるうちにしぼんでいく。
さらには、赤かった花色がどんどん黒色に変化していった。
これまで宵闇草に日光を当てたことなどなかったので、初めて見る衝撃的な光景に言葉を失う。
すると、エキドナが説明してくれた。
「陽の光を浴びると、この花の成分が変容してしまうようで、花びらが鮮やかな赤から漆黒に変わってしまうの。ふふふ、一度、観賞すると病みつきになるわ。聖女様の髪色のように鮮やかな赤が黒に呑み込まれていく光景は圧巻だし、とても気分がいいから」
そうかしら。
自分が赤い髪色をしているからか、逆に気分が悪くなってきたわ。
そう感じたのは私だけではなかったようで、プリシラが不快そうな声を出す。
「その感覚は私とは異なるわね。私はむしろ嫌な気分になってきたわ」
その時、それまでずっとおとなしくしていたクェンティン団長が、さり気なく腕を捻った。
すると、どういうわけか団長と私の腕を縛っていた縄が簡単にほどける。
驚いて目を丸くすると、団長が体を屈めて耳元で囁いた。
「少しばかり雰囲気がおかしくなってきたので、いつでも動けるよう縄を解きました。フィーア様、用心ください」
クェンティン団長は何かを感じ取ったのかしら。
分かったわと頷いている間に、スフィンが母親に近付いていき、植木鉢に手を伸ばして、枯れた花を茎から手折る。
すると、折った部分の茎から勢いよく赤い液体が出てきたので、スフィンは躊躇うことなく口を開き、ゴクゴクとその液体を飲んだ。
「赤い液体? 宵闇草の茎を折った時に出るのは、透明なサラサラした液体のはずだけど……」
300年前の記憶を辿りながら呟くと、エキドナが『忘れたの?』とばかりに片方の眉を上げる。
「陽の光を浴びて変容したのよ。まるで血みたいでしょう」
それはあまりいいたとえとは思えなかったので、返事ができずに無言を貫く。
その間に、スフィンは茎から出る液体を全部飲みつくすと、ぺろりと唇を舐めた。
それから、彼女は顔を上げると、挑むような表情で私を見つめてくる。
窓を開けたことで太陽の光が差し込み、部屋の中は明るくなったのだけれど、なぜかスフィンの瞳の色が先ほどよりも暗く見えたので不思議に思った。
ぱちぱちと瞬きをする私に向かって、スフィンは楽し気な声を出す。
「聖女のお姉さん、なぞなぞを出すわね。聖女の髪のように真っ赤だった花が、しぼむにつれて黒一色に変化したわ。同時に、植物自体も変容して、茎から出る液体が赤色に変化した。……さて、この赤い液体は何の味がするでしょうか?」
変容したと言っても、恐らく色が変わっただけだろう。そして、味まで変わるはずがないから……
「無味じゃないかしら。場合によっては、花の蜜が混じっていて少し甘いかもしれないわね」
常識的な答えを返すと、スフィンはぷうっと頬を膨らませた。
「何てつまらない答えなの! ごちそうをより美味しく感じるためには、とっておきのストーリーが必要なのに」
ストーリー? と首を傾げると、エキドナが訳知り顔で話を引き取る。
「たとえばフィーアの髪色を『とても綺麗な赤』と表現するよりも、『300年前の大聖女と全く同じ赤』と表現する方が、ドラマティックでしょう。後者に表現を変えただけで、あなたの髪はより美しく、価値があるものに見えるようになるわ」
「そうかしら」
実のところ、300年前の大聖女は私の前世だから、ドラマティックというよりもただ事実を述べただけになるのよね。
そう心の中で呟いたけれど、私の前世など知らないエキドナは間違いないと請け合った。
「その通りよ。だから、宵闇草の茎を流れる液体については……黒く美しき者に取り込まれた聖女の甘い血の味……と表現すべきだったのよ。そうすれば、聖女の血の味をイメージして、その味を感じられたでしょうから」
私は戸惑いのあまり、大きく首を傾げた。
エキドナがどんなつもりで言っているのか分からないけど、聖女が聞いたらいい気分はしないんじゃないかしら。
そして、プリシラやローズ、私は聖女なのよね。
だから、これは問題発言じゃないかしらと考えていると、私が何か言うより早く、プリシラとローズが苦言を呈する。
「私たちは聖女よ。そんな私たちの前で、おかしな冗談は止めてちょうだい!」
「ええ、聞いて楽しいものじゃないわね!」
きっぱりと忠告されたエキドナは肩をすくめると、困ったわとばかりにため息をついた。
「聖女たちには未熟なところがあるのね。これまでちやほやされるばかりだったから、ちょっとでも気に入らないことを言われたら、すぐに文句を言ってくるなんて我慢が足りないわ」
腹立たし気なプリシラとローズを横目に見ながら、私は首を傾げる。
おかしいわね。私とクェンティン団長が小屋に入ってくるまで、プリシラたちは1時間もここにいたのだから、エキドナと仲良く過ごしていたはずだ。
それなのに、どうして今は険悪な雰囲気になっているのかしら。
戸惑う私の心情など知らぬげに、エキドナが質問してきた。
「ねえ、フィーア、この黒く変色した花を、黒く美しき者に取り込まれた聖女に見立てることについて、あなたは反対かしら?」
先ほど聞いた時は気分が悪くなったけれど、よくよく考えてみたら必ずしも悪いたとえではないわよねと思ったので、私は首を傾げる。
「何をイメージするか次第だと思うわ」
「フィーア!」
「フィーアは教会の教えを受けていないから分かっていないのよ! この場合、『黒き者』と言ったら……」
プリシラとローズが慌てて言い募ってきたけれど、エキドナが自分の言葉を被せてくる。
「ええ、『黒き者』と言ったら、この世界の支配者である恐ろしい存在だわ。ふふふ、2人とも素敵な表情ね。恐怖は血の味を変容させ、とても甘く美味しく変えるのよ。フィーアの恐怖に満ちた表情だって……ん?」
私の表情を確認したエキドナが戸惑ったように言葉を途切れさせたので、彼女の娘のスフィンが私に顔を向ける。
それから、スフィンは母と同じく戸惑いの表情を浮かべた。
「フィーアは恐怖に怯えていないわ。えっ、聖女が黒き者に喰われた話をしたのに、どうしてそう平然としているの。ねえ、怖いわよね?」
「いいえ、ザビリアは私を食べたりしないから怖くないわ。黒く美しき者と言ったら黒竜よね。あの大きな翼に包まれるのは気持ちがいいわ」
「何といっても、ナーヴ王国の守護聖獣だから!」と付け足すと、すかさずクェンティン団長が同意してくる。
「フィーア様の言う通りです!」
そうよね。
ところで、ザビリアは今日も王城でおとなしくしているのかしらと考えたその時、小屋の外が騒然となった。
なぜか突然、小屋の中にいてもはっきり分かるほど、騎士たちが大騒ぎを始めたのだ。
一体何事かしらと驚いた私は、窓から外を眺めてみたけれど、騒ぐ騎士たちの姿しか見えない。
しかし、何かとんでもないことが起こったのは間違いないようで、全員が恐怖に顔を歪めていた。
ただごとではないと感じたので、私は部屋の反対側に歩いていくと、外に続く扉を開ける。
すると、たった今思い浮かべていた黒い翼を持つお友達が、巨大な姿で空に浮かんでいたのだった。
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