73話 開き、始まる
明海三十九年 9月17日 〇三三〇時
大津久海 屋端箔地周辺海域 高須賀海軍基地艦隊 空母煙龍 飛行甲板
作戦開始三〇分前。
いくつかの作戦に参加し、死ぬ可能性の高い作戦、戦線にも参加したことはあるが、ここまで緊張しているのは初めてだ。
「やけに緊張しているな」
「そりゃ、な」
高緯度地域であるため、作戦の多くの時を日が昇っていない時間に行われる。
それも隠匿されるべき作戦。
それらは去年末から今年の年始にかけて行われた北方海域演習作戦も同様だったが、それ以外に難点はかなり増えていた。
長時間で、最終的に防空設備が整ったと最初から分かっている地域を飛ぶ。
それも山間部の、谷間を縫うように。
海上では目印が何もない代わりに、高度計に従い雲に入らなければ海面に落ちることもないだろうが、この作戦では地上の目印と言えるほどのものは無いくらいの風景を見て、防空網を掻い潜らなければならない。
そして一回きりの救難作戦。
救助対象らは乗ってきた機体の無線を使い、一日に一度通信を行っているらしいが、俺たちが救助に向かうころには間に合わないかもしれないし、救助に失敗するかもしれない。
救助に成功しても、ちゃんと帰ることができるのかも怪しい。
唐突に放たれる轟音。
俺の機体と二番機の芙蓉機が艦後方の甲板上で待機していたが、少し前方で射出機を用いて偵察機が二機、発艦した。
『煙龍管制より相坂機及び芙蓉機へ。誘導に従い、射出軌道へ機体を移動させよ』
「相坂、了解」
『芙蓉、了解』
見ると、艦上誘導員が大手を振って射出機の発艦準備位置へと誘導している。
そしてその通りに機体を移動させるように操作する。
車輪が固定される位置の少し手前で停止を促されるが、射出機を見てみると、車輪を射出する機構がまだこちら側に来ていなかったらしかった。
暫くして、誘導員が手で促し、こちらも手を動かした。
視線が低くなる。
機体の前輪はしっかりと射出装置にはめ込まれている。
「あと数分か……」
「おい、見送りだ」
「は?」
シゲの指す方を見ると、そこには葵が立っていた。
以前より少し短くなった前髪から、こちらを真っ直ぐ射抜く瞳が映った。
作業用の外套を羽織っているとはいえ、こんなところで寒いだろうに、態々ここに来るとは。
勿論整備兵である彼女が寒空の下飛行甲板に出ていることは分かるが、やることが終わればとっとと中に戻っても今の彼女の状態を鑑みればそれを特に咎める者もいないだろう。
この機体がいくら特異な機体だからと言って、他に整備出来る人が居ない訳ではない。
「……」
「……」
彼女は口を一つも動かさないまま、ただ敬礼をしていた。
そのため、こちらも敬礼を返した。
「ぅふぁ~……」
シゲは暢気に欠伸をしていた。
「……」
数秒から十数秒して、彼女は立ち去って行った。
立ち去る姿は澱み無く、迷いも躊躇いも無かった。
戦闘機も随伴せず、作戦空域は過酷なことだけが分かっている不明瞭な環境。
高度に機密の、国際関係に関わる問題が供する作戦が故、死ねば軍の資料に仔細を書かれることなく消息不明扱いで筆を置かれてしまう。
だと言うのに、彼女の姿は、ただ信頼している。
それだけを感じた。
「はぁ……」
溜め息が漏れた。
肝が据わっているな、葵は。
『煙龍管制より相坂機及び芙蓉機、油圧がもうすぐ十分与圧に達する。出力を上げていつでも出せる準備をしておけ』
『「了解」』
出力を上げ、操縦桿に添えた手の力を少し込める。
機関が高音を上げ、共鳴する振動が空気をも震わせる。
「ザワ、用意はいいか?」
「ああ、ちゃんと席に着いてるよ」
「相坂機より煙龍管制、準備完了した」
後に確認を取り、再び前を向いた。
『煙龍管制了解。相坂機から秒読みを開始する』
一呼吸。
『秒読み開始、十秒前。十……、九……』
心を整える。
『八……、七……』
操縦桿を従える。
『六……、五秒前』
目を見開く。
『三……、二……』
力を籠める。
『発艦、……今!』
その声が聞こえると同時に、身体に急激な加速を感じられた。
機体に揚力を感じる。
感じたその揚力を丁寧に扱い増大させていく。
機体が安定したことを確認し、ゆっくりと旋回する。
「こちら相坂機、発艦に成功」
『煙龍管制、発艦した相坂機を確認した。通信回線を切り替え、松果隊の指示に従い空中給油を行え。芙蓉機、秒読み開始する。芙蓉機発艦まで十秒前―――』
「瑞守隊相坂機より松果隊へ、応答せよ」
『こちら松果隊。只今、空中給油の準備が完了したところだ。指示する方向へ向かい、空中給油の準備を行え』
「了解した」
そして演習を行うときと同様に、給油を開始する。
同空域 同日 〇三五八時
『松果隊から作戦全機へ。全ての準備は整った。これより作戦指揮を瑞守隊、相坂機へと引き継ぐ。直掩機及び作戦前の給油機の着艦支援はこちらが引き続き指揮する。相坂少佐、お願いします』
「了解。作戦機は事前に指定されていた周波数の帯域に合わせてくれ」
無線の周波数を変える。
「無線確認のため、部隊ごとに点呼を行う」
〇三五九時
「作戦は本日、四〇〇〇時より開始としている。時計合わせを行う」
再び、淡い緊張。
「三……、二……。作戦開始!」




