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第4節:【-30日〜0日/初冬(12月下旬)】 【12月1日(受精後 273日目/誕生まであと24日)】

第4節:【-30日〜0日/初冬(12月下旬)】

【12月1日(受精後 273日目/誕生まであと24日)】


12月に入り、最果てのアルカ村には本格的な冬の寒さが吹き荒れ始めていた。

山々から吹き下ろす冷たい風が小屋の隙間を叩き、屋根の茅には朝ごとに真っ白な霜が厚く降り積もる。


しかし、かつてのような「死の絶望」は、この村のどこにも存在しなかった。


「ふぅぅ……あたたかいわねぇ、ガノス様」


補修された木のボロ小屋の中。臨月を迎え、まんまると大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でながら、エリスが微笑んでいた。

かまどの上では、ろ過された透き通る水で淹れた野草茶が、香ばしい湯気をゆらゆらと立ち上らせている。


「ああ。外は吹雪になりそうだが、家の中は薪も食料も十分だ。……これもお前と、お腹の中の子が引き寄せてくれた知恵のおかげだな」


ガノスが穏やかな顔でエリスの肩に温かい毛布をかけてやる。


アルカ村の20世帯・80人の村人たちは、秋の収穫の半分(3トン)を過酷な年貢として代官に奪われながらも、手元に残った『残りの半分』をサリマの誘導による「でんぷんの糖化(麦芽シロップ)」と「地下穴での熟成発酵酒」、そして7月に成功させた「魔物ジビエの発酵生ハム」として無駄なく活用していた。


少ない食糧から100%の栄養を吸収できる身体を作り上げていた村人たちは、寒さの中でも体力を落とすことなく、誰一人として病に倒れることなく冬を過ごしていたのだ。


(ふふん、順調順調! お母さんの血流も完璧、私の骨格や内臓、脳のネットワークもほぼ完成形よ!)


胎内の暗闇の中で、サリマ(茅理紗)は自分の小さな手足をぐっと伸ばしながら、満足そうに胸を張った。


(予定日は12月25日のクリスマス頃……。細胞レベルの受精卵からスタートして、ついにここまで来たわね。長かったような、あっという間だったような……)


しかし。平和な時間を打ち破るように、村の広場から甲高い悲鳴と、荒々しい馬の蹄の音が響き渡った。


ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!


「おい泥人間ども!! 村長を出せっ! ガノスはどこだ!!」


怒号とともに村へ乗り込んできたのは、隣領の代官の手下である、あの髭面の徴税人だった。しかも今回は、重装備の兵士を20人も引き連れ、殺気立った雰囲気を漂わせている。


「ひっ……! 代官様の手下どもだ……!」


「なんでこんな真冬に、こんなに大人数で……!?」


集まってきた村人たちが恐怖に身を縮める。

ガノスは固い表情で小屋のドアを開け、広場へと飛び出していった。


「代官様の手下の方々……! このような寒気の中、一体何事でございますか? 秋の年貢も、お言いつけ通りのビスケットも、すべてお納めしたはずですが……」


ガノスが深く頭を下げると、馬上の髭面の徴税人は、顔を真っ赤に怒らせて鞭をバチィンッ! と鳴らした。


「黙れ、泥人間!! そのビスケットのことで来たのだ!!」


徴税人の言葉に、ガノスと村人たちが首をかしげた。


「ビスケット……でございますか? お気に召しませんでしたでしょうか……?」


「お気に召すも何もなさるか!! あのビスケットを食べた後……代官様も! この俺も! 腹が破裂しそうなほどの激しい下痢に見舞われ、丸一日便所に釘付けになったのだぞ!!」


「「「……えっ?」」」


村人たちが口ぐうぐうと目を見合わせた。


(ぶはっっっ!!!)


胎内のサリマは爆笑を堪えるのに必死だった。


(効いてる! 効いてるわぁぁぁ! 難消化性デンプンと不水溶性食物繊維のコンボによるバイオざまあ!! 案の定、ひ弱な悪徳代官どものお腹を直撃したのね!!)


徴税人は剣の柄に手をかけ、ギラギラとした凶暴な目でガノスを睨みつけた。


「代官様は大変なお怒りだ! 『あの貧乏村の奴らが、ビスケットに毒を盛ったに違いない!』とな!」


「と、毒など滅相もございません!!」


ガノスが慌てて叫んだ。


「俺たちも毎日同じものを食べております! ほら、ご覧ください!」


ガノスは懐から自前のビスケットを取り出し、その場でガリリと噛み砕いて呑み込んで見せた。


「俺たちには何の症状も出ておりません! 毒など決して入れておりません!!」


「フン、お前たち頑丈な泥人間には効かない毒かもしれんだろうが! だが代官様のお疑いはそれだけではない!」


徴税人は冷酷な笑みを浮かべ、村の家々を見回した。


「『収穫の半分を年貢として奪い、寒波が押し寄せているというのに、なぜアルカ村の奴らは一人も病気にならず、餓死者も出ずに元気なのか? 報告にない食糧や宝物を隠し持っているに違いない!』……とな!」


「「「……ッ!?!?」」」


村人たちの顔から血の気が引いた。


(鋭いじゃないの、あの豚代官……! 悔しいけど、悪知恵だけは働くわね……!)


サリマの表情が引き締まる。


徴税人はニヤリと下品な口元を歪め、兵士たちに命じた。


「全家屋の『抜き打ち家宅捜索』を行う!! 床下、天井、壁の裏まで徹底的に引っぺがして探せ! もし隠し食糧や酒が見つかれば……村長、お前をその場で打ち首にし、村人全員を奴隷として売り払う!!」


「な……ッ!? そんな無茶な……!!」


ガノスが絶望の声をあげるが、武装した兵士たちは容赦なく村の家々へと雪崩れ込んでいった。


◇


【12月10日(受精後 282日目/誕生まであと15日)】


「おい! ここを開けろ! 中を改めさせてもらうぞ!!」


どかっ! と足蹴にされ、ボロ小屋のドアが乱暴に開け放たれた。

踏み込んできたのは、サビついた槍を持った二人の凶暴な兵士だった。


「ひっ……!」


エリスが悲鳴をあげ、ガノスが必死に庇うように前へ立った。


「な、何も隠してなどございません! どうか、臨月の妻を驚かせないでください……!」


「黙っていろ! 探せ!」


兵士たちはかまどをひっくり返し、壺を叩き割り、部屋の中を荒らしまわり始めた。


エリスの胸の中に抱かれているサリマ(胎児)は、緊張のあまり身体をこわばらせた。


(まずい……! 兵士の一人が、部屋の奥……あの『地下穴への隠し床板』がある場所へ近づいてる……っ!)


そう、ボロ小屋の床裏には、村人80人の命綱である「熟成発酵酒」が眠る地下穴への入口があるのだ。

もしあの隠し床板が見つかれば、地下の無数の土壺が露呈し、ガノスは即座に打ち首、村は滅亡してしまう。絶体絶命のピンチだった!


兵士が隠し床板の上に足を乗せ、ドカドカと靴で踏みつける。


「……ん? なんだこの床の音は……? ここだけ少し、板の重なりが不自然だな……?」


兵士が不審に思い、槍の先を床板の隙間に差し込もうと屈み込んだ。


(やばい……! 抜かれたら終わりよ! どうする!? 言葉は喋れない! 動くこともできない! この状況をどうやって打破すればいいの……!?)


サリマの脳内で、二十九年間の知恵とバイオの知識が高速回転する。


直接手を出すことはできない。だが——今の自分には、母親の身体を通じて『疑似的な生理現象』を引き起こす力がある!


(お母さん、ごめんなさい! ちょっとだけ痛い思いをさせるけど……村と、お父さんと、私自身を守るためよ!!)


サリマは【キン】のスキルを全開にした。


母エリスの子宮平滑筋に対し、微細な刺激を与えて『疑似陣痛(強烈な子宮収縮)』を意図的に誘発! さらに、子宮口の分泌物を一時的に増加させ、破水したかのような温かい水分を足元へ流しさせたのだ!


「……っ!? あ……ああぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!! 痛いっ! お腹が……お腹がぁぁぁぁっ!!」


エリスが突然、お腹を押さえて絶叫し、その場に崩れ落ちた!

足元からは、パシャリと温かい水が床に広がる。


「エリスーーーーーッっっ!?」


ガノスが青ざめて駆け寄った。


「ど、どうしたエリス!? まだ予定日には早いはず……っ、まさか、破水か!? 陣痛が始まったのか!?」


「あぁぁぁっ! ガノス様……痛い……お腹が破裂しそう……っ! 赤ちゃんが……赤ちゃんが生まれそうですわぁぁぁっっ!!」


エリスの壮絶な悲鳴と、足元の水分(破水)を目にした兵士は、ドン引きして一歩後ずさった。


「う、うわっ……!? なんだなんだ、急に産気づきやがったぞ! 汚ねぇな、水まで撒き散らして!」


「おい、血や羊水で汚れちゃ敵わんぞ! 陣痛の最中に家探しなんてやってられるか!」


ガノスが狂ったように兵士たちを押し払う。


「出ていってくれ!! 妻が出産なんだ! 邪魔をするなっ! 出ていけぇぇぇぇっっっ!!」


「チッ……気味の悪い家だ! 別の家に行くぞ!」


隠し床板の真上にいた兵士たちは、気味悪がって慌てて小屋から逃げ出していったのだった。


「……ふぅぅぅぅぅぅ……っ!!」


兵士たちが去ったのを確認し、エリスの呼吸が落ち着くと、サリマは子宮の収縮刺激をそっと解除した。


「はぁ……はぁ……。ガノス様……兵士さんたちは……?」


「いなくなった……。行っちまったよ、エリス……」


ガノスは床にへたり込み、エリスを強く抱きしめて涙をこぼした。


「助かった……。お前と、お腹の子が……命がけで嘘の陣痛を起こして、村を守ってくれたんだな……!」


「ええ……。不思議ですわ。あんなに痛かったのに、兵士がいなくなったら、嘘みたいに痛みが引いて……。お腹の子が『今だよ』って教えてくれた気がしますの」


(ふぅぅ……冷や汗出たわよ……! でも、間一髪で隠し穴を守り抜いたわ!!)


サリマは胎内で安堵の溜め息をついた。


他の家々でも、村人たちが知恵を絞って隠し場所をカモフラージュし、結局代官の兵士たちは決定的な証拠を見つけることができなかった。


夕方、徒労に終わった髭面の徴税人は、忌々しそうに捨てゼリフを残して去っていった。


「チッ……本当に何も隠していなかったか! だが覚えておけ、次におかしなマネをしたら確実に村を焼き払うからな!!」


こうして、村は最大の危機を乗り越えたのだった。


◇


【12月25日(受精後 297日目/ついに迎えた誕生の日)】


そして、運命の日が訪れた。


12月25日。しんしんと美しい白雪が降り積もる、静かな聖なる夜。


「……あ……あぁぁぁっ! ガノス様……っ! 今度は……今度は本当ですわ……っ! お腹が……本格的に……っ!!」


ボロ小屋の中で、エリスが本物の激しい陣痛に襲われ、汗を流して苦しみ始めた。


「エリス!! しっかりしろ! 今、マーサさんたちを呼んでくるからな!!」


ガノスが飛び出し、村の経験豊富な女性たちが集まってきた。


「エリスさん、息を整えて! 吸って〜、吐いて〜!」


「大丈夫よ、あなたなら産めるわ! 元気な赤ちゃんが降りてきているわよ!」


(ついに……ついにこの時が来たわ!!)


羊水が揺れ、子宮口が開き、サリマの全身が外の世界へと押し出され始める。


三〇〇日間。受精卵の細胞として目覚めたあの日から、暗闇の中で両親の声を聴き、前世のバイオの知恵と【キン】のスキルで母体を救い、麦芽糖を作り、土を耕し、魔物ジビエを発酵させ、悪徳代官の搾取と戦い抜いてきた。


(お父さん! お母さん! 村のみんな! 待たせたわね……! 私が今、そこへ行くからーーーーーっ!!)


「ぬうぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


エリスの渾身の力みに合わせ、サリマは力いっぱい自分の身体を外界へと押し進めた!


光が——。

眩しい、あたたかな光が、まぶたの裏に差し込んできた!


「頭が見えたわ! 出る、出るわよ……っ!」


「伸ばして! もうひと押しよ、エリスさん!!」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」


スポンッ……!


冷たい外の空気が、サリマの全身を包み込んだ。

閉ざされていた気管に一気に空気が流れ込み、肺が大きく膨らむ。


「……オギャー!! オギャー!! オギャー!!!」


降り積もる白雪を溶かすような、透き通った力強い第一声が、部屋いっぱいに響き渡った!


「生まれたーーーーーーっっっ!! 生まれたぞエリス!! 元気な、本当に元気な男の子だーーーーーっっっ!!!」


ガノスの歓喜の叫び声が頭上で轟く。


「ああ……ガノス様……! なんて愛らしい子……。ようこそ、私たちの赤ちゃん……」


汗に濡れたエリスが、涙を流しながら産着に包まれたサリマを胸に抱き寄せる。


視界はまだ少し滲んでいたけれど、自分を見つめる父親のゴツゴツとした大きな手と、母親の溢れんばかりの愛情に満ちた笑顔が、はっきりと捉えられた。


エリスがかまどの横の小さな器から、木匙で『黄金色の結晶』——あの日、サリマが作らせたあの甘い『麦芽シロップ』をひと滴すくうと、そっとサリマの小さな唇へ塗ってくれた。


ちゅ……ちゅぽ。


(……っ〜〜〜〜〜〜〜!! 甘い!! 血液経由(胎盤)も最高だったけど、やっぱり『舌』でダイレクトに味わう糖分は別格の快楽よーーーーっ!!)


サリマはちゅうちゅうとシロップを吸い込むと、ニカッと満面の笑みを浮かべて見せた。


「見たかエリス!? 今、この子……シロップを味わって笑ったぞ! 天才だ! うちの子は生まれながらの天才だ!!」


「ふふ、ガノス様ったら気が早いですわ。でも……本当に無事に生まれてきてくれて良かった……」


小屋の外からは、サリマの誕生を知らせる村人80人の大歓声が聞こえてきた。


「村長のお家に赤ん坊が生まれたぞーーっ!」

「男の子だ! サリマ様がお生まれになったぞーっ!」

「地下のあの『熟成酒』をお湯で割って、サリマ様の誕生をお祝いするぞぁぁぁっ!」


村人たちの明るい叫び声と、かまどから漂う香ばしい発酵ビスケットの匂いが風に乗って届いてくる。


サリマは母親の胸の温もりを感じながら、胸の中で力強く誓った。


(細胞時代からの泥臭い胎内サバイバルはこれでおしまい! これからは、この自分の手と足で、もっと高度なバイオの知恵と発酵技術を使って、この村をさらに豊かにしてみせる!)


(そしていつか……あの横暴な代官の支配からも完全に対等な交渉(独立)を勝ち取って、大好きな家族と一緒に、最高の『地酒とお菓子』で堂々と乾杯してやるんだから!!)


母の愛と、試行錯誤の知恵、そして甘い麦芽シロップの味とともに——。

サリマの異世界での新しい人生が、いま静かに、そして力強く幕を開けたのだった。


(第一部・胎内サバイバル&発酵開拓編 完)

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