第3節:【-130日〜-40日/秋〜初冬(9月〜11月)】 【9月10日(受精後 191日目/誕生まであと106日)】
第3節:【-130日〜-40日/秋〜初冬(9月〜11月)】
【9月10日(受精後 191日目/誕生まであと106日)】
実りの秋が、最果てのアルカ村に訪れていた。
サリマが胎内から地道に【キン】のスキルを発動させ、コンポスト(有機分解)菌の代謝を助けてきた共有畑には、黄金色の稲穂ならぬ、丸々と太った雑穀の穂がずっしりと頭を垂れていた。
「見てくれよ、村長! 今年の雑穀は粒の大きさが例年の倍以上あるぞ!」
「ああ! 5月の土壌改善のおかげだ! これなら干ばつ前の収穫量を完全に超えて、6トン(6,000kg)近くは収穫できるぞ!」
村の若い農夫であるピートたちが、鎌を手に汗を流しながら歓声をあげていた。7月にサリマの知恵(麦芽酵素)で成功させた「魔物ジビエの熟成生ハム」を食べてきた村人80人は、以前の骨と皮だけの痩せこけた姿とは見違えるほど、引き締まった体力を取り戻していた。
ボロ小屋の脇の木陰で、ふっくらと膨らんだお腹を撫でながら作業を見守る母エリス。 その胎内で、すくすくと成長を続けるサリマ(茅理紗)は、聴覚と触覚を通じて外の活気を全身で感じ取っていた。
(うんうん、収穫量は見込み通り6トン近くまで回復したわね! でも……喜んでばかりはいられないわ)
サリマの脳内計算は、冷徹な現実を弾き出していた。
(今年の収穫は6トン。だけど、8月下旬にやってきたあの不愉快な代官の徴税人が言っていた通り、秋の年貢として【半分(50%)の3トン】が容赦なく強奪される。……手元に残るのは、たったの3トンよ)
3トンの雑穀。普通に固いお粥や雑穀飯として食べてしまえば、胃腸の消化吸収率の悪さも手伝って、80人の村人は冬の途中で食糧が尽きて餓死してしまう。
(だからこそ、二重の防衛策が必要なのよ! 手元に残る3トンの雑穀は、麦芽の酵素で低分子化(糖化)させ、地下穴の冷暗所で『高栄養な熟成発酵酒』へと変えて消化吸収率を100%に引き上げる!……そしてもう一つ!)
サリマは胎内で、ニヤリと社畜バイオ研究者らしい邪悪な笑みを浮かべた。
(代官に年貢として納める『ビスケット』……! 言われた通り小麦や雑穀を炒って大量に焼き上げて提出してあげるわ。だけどね……フフフ……ただで渡してあげると思うなよ?)
サリマが思いついたのは、前世の生物学・生化学の知識を応用した『仕込み(小さなざまあ)』だった。
(アルカ村の村人たちがこのビスケットを食べるときは、日頃から日常的に飲んでいる『熟成発酵酒(乳酸菌とビフィズス菌が超豊富な発酵液)』のおかげで、腸内フローラが強固に守られていて何の影響も出ない。……だけど! 普段そんな発酵液を飲んでいない代官や徴税人たちがこのビスケットを食べると……生地に混ぜ込ませた『微細な難消化性難分解でんぷん(レジスタントスターチ)+不水溶性食物繊維の酵素分解物』が、彼らのひ弱で脂ギッシュな腸内で爆発的に水分を抱え込んで、お腹をキュ~ッと緩くさせるのよ!!)
毒ではない。命に別条もない。 だが、食べれば食べるほど……ジワジワと胃腸がゴロゴロと鳴り出し、大事な会議や執務の最中に「トイレへ駆け込まずにはいられなくなる」という、地味だが精神的にじわじわ効くバイオのいたずら(地獄)だ!
(ふふふ……理不尽に年貢を50%も強奪していく悪徳代官どもへの、ささやかなお礼よ! 腹を壊してトイレに籠もってなさい!)
◇
【9月20日(受精後 201日目/誕生まであと96日)】
収穫作業が完了し、村の中央広場には山のように積まれた雑穀の袋と、かまどで夜通し焼き上げられた『高栄養発酵ビスケット』の木箱(1箱2.5kg入り×12箱=計30kg)が並べられていた。
ダッ、ダッ、ダッ……!
約束の刻限。 隣領の代官の手下である、あの髭面の徴税人たちが、十数人の武装兵士を引き連れて荒々しく村へ乗り込んできた。
「おい! 泥人間ども! 年貢の回収の時間だぞ! 村長を出せっ!」
徴税人が馬の上から横柄に鞭を鳴らす。 ガノスは固い表情で前へ進み出で、深々と頭を下げた。
「代官様……お待ちしておりました。今年の収穫6トンのうち、半分にあたる【3トン(3,000kg)の雑穀】……そして、ご命じられた通りの【ビスケット12箱(30kg)】でございます。どうかお納めください」
「ほう……?」
髭面の徴税人は馬から飛び降りると、不快そうに雑穀の袋を検分し、続いて並べられた木箱の蓋をガバッと押し開けた。
箱の中には、香ばしくキツネ色に焼き上がった、厚焼きのビスケットが整然と並べられていた。香ばしい麦の匂いと、ほのかな甘い香りが秋の冷気の中に広がる。
「フン……見た目は美味そうだな。おい、村長! 毒など入っておらんのだろうな?」
「滅相もございません! 俺たちも毎日食べている、命を繋ぐ大切な糧食でございます!」
「よし、なら証明してみろ。お前がまず食ってみろ」
徴税人はビスケットを一気に二枚掴み取り、ガノスへ投げつけた。 ガノスはしっかりと受け止めると、迷うことなくその場でガリリと噛み砕いた。
「むぐ……むぐ……。はい、美味しく焼き上がっております」
ガノスは何の躊躇もなく飲み込み、ケロリとした顔で応えた。 それもそのはず、ガノスをはじめ村人80人は、サリマが地下穴で仕込ませている「発酵酒」を毎日飲んでいるため、腸内環境が完璧に強化されており、このビスケットの特殊な食物繊維など痛くも痒くもないのだ。
「ふん、なら良し!」
徴税人は自分でも一枚をつまみ上げると、口へと放り込み、ガリリと噛み砕いた。
「……ッ!?」
徴税人の眉が跳ね上がった。
(な……なんだこの美味さは……!? 噛むほどに香ばしい麦のコクと、今まで味わったことのない濃厚で優しい甘みが広がる……! 硬すぎず、サくッとした歯触りで、腹にズシッと溜まる感触があるぞ……!)
「た、隊長……いかがです……?」
後ろに控える部下が喉を鳴らして尋ねると、髭面の徴税人はニンマリと下品な笑みを浮かべた。
「素晴らしい……! これほどの保存菓子、代官様もお喜びになるぞ! 貴族どものお茶請けとしても高値で売れそうだ!」
徴税人は大満足で手を打ち鳴らした。
「よくぞ用意した! 収穫の半分とこのビスケット、きっちり回収していくぞ! これで今年の年貢は免除してやる!」
ガノスは悔しさを押し殺し、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、代官様……」
徴税人たちは3トンの雑穀と12箱のビスケットを馬車に積み込むと、高笑いを残して風のように去っていった。
……広場に残された村人たちは、悔しさに肩を震わせていた。
「くそっ……俺たちが汗水流して育てた作物の半分が……持っていかれちまった……」
「ビスケットまで奪われて……これからどうやって冬を越せばいいんだ……」
ガノスはゆっくりと立ち上がり、村人たちを見回した。
「……みんな、落ち込むな」
ガノスの声には、意外なほど強い「確信」がこもっていた。
「奴らには……表面上の半分とビスケットだけを渡しておけばいい。俺たちには、奴らの知らない『生き残るための知恵』があるんだ」
ガノスは全員を促し、ボロ小屋の床裏にある地下の古い貯蔵穴へと案内した。
◇
【10月5日(受精後 216日目/誕生まであと81日)】
薄暗い地下穴の扉が開かれると、そこには無数の素焼きの土壺が整然と並べられていた。
「これは……村長、一体なにが……?」
ピートが驚いて目を見開く。
ガノスは壺の一つに歩み寄り、密封された木蓋を少しだけずらした。
ふわり……!
地下穴の中に広がったのは、雑穀の泥臭さとは全く異なる、フルーティーでどこか凛とした、熟成された甘酸っぱい深い香りだった。
「……!? なんですかこの香りは……!? 甘くて、胸の奥がスーッとするような……」
「これはな……」
ガノスはサリマのいるエリスのお腹を愛おしそうに見つめながら、静かに説明した。
「残った半分の雑穀(3トン)と山で採れた麦芽を、ろ過水に混ぜてこの地下の冷暗所でじっくり発酵させておいたものだ。見た目は濁った雑穀汁だが、これを少量お湯に溶かして飲めば、身体が温まり、腹が減らず、病気にもかからなくなる『命の水』だ」
「な……本当ですか、村長!?」
「ああ! 代官の手下どもには、表面上の半分とビスケットを渡して大人しく従う振りをしておけばいい。俺たちはこの隠された発酵酒と、7月に作ったあの『魔物ジビエの生ハム』を分け合い、この冬を絶対に全員で生き抜くんだ!」
村人たちの瞳に、絶望ではなく、静かで力強い「抵抗の灯火」が宿った。
「村長……! 俺たち、やります! 奴らに奪われてたまるか!」
「そうだ! 知恵を絞って、みんなで生きて春を迎えるんだ!」
(よし……! 完璧な戦略的防衛作戦よ……!)
胎内のサリマは、完成しつつある小さな手でガッツポーズを作った。
(奪われる半分は年貢として割り切り、手元に残る半分を『発酵と糖化』で100%栄養化する。暴力に正面衝突せず、しなやかに生き残る……これこそが持たざる者の本当の強さよ!)
◇
【10月25日(受精後 236日目/誕生まであと61日)】
一方その頃——隣領の代官の館(城砦)。
豪華な絨毯が敷かれた執務室で、太った代官と、あの髭面の徴税人が優雅にティータイムを楽しんでいた。
「ほう……! これは美味いな、徴税人よ!」
代官が、アルカ村から奪ってきた発酵ビスケットをカリリと噛み砕き、満足そうに目を細めていた。
「あんな最果ての泥人間どもの村で、これほど香ばしく甘い菓子が作られていたとはな! 麦のコクが凄まじいぞ!」
「ははっ! 代官様のお気に召して何よりでございます! 年貢の半分とともに、毎月納めさせるよう言いつけてございます!」
「うむ! ご苦労であった! これなら王都の貴族どもへの献上品としても使えそうだな! ハハハ!」
二人は高笑いしながら、ビスケットを何枚も何枚も口へと放り込んでいった。
……しかし。
ビスケットを四枚、五枚と食べ進めたあたりで、代官の表情が微かに引きつり始めた。
「……ぬ?」
「代官様……? どうなさいましたか?」
「いや……なんだか、お腹の奥が……急にキュ〜ッと鳴り出したような……」
ゴロゴロ……キュルキュルキュル……。
執務室の静寂の中に、代官の腹から小さく不穏な鳴動音が響いた。
「ん……? 徴税人よ、お前のお腹も鳴っていないか……?」
「え……? あ、いえ、まさか……あっ!?」
徴税人もハッと顔を蒼白にした。 自分の下腹部の奥底で、まるでマグマが沸き立つような、猛烈な「くだり(波)」が押し寄せてきたのだ!
(な、なんだこの激痛は……!? 毒ではない……! 毒のような刺す痛みではないが……お腹の中の水分が一気に下へ集まってくるような、猛烈な下痢の波が……っ!?)
「ひ、ひぃぃぃっ! 徴税人! た、トイレだ! トイレはどこだっ!?」
「だ、代官様! お待ちください! 私が先に……ぐはっ! 出る! 出てしまう〜〜〜っ!?」
「無礼者! 代官であるわしが先だぁぁぁっっっ!!」
ドタバタドタバタっ!!
二人の男は高貴な服の裾を振り乱し、腹を押さえながら、悲鳴をあげて便所へと猛ダッシュしていった!
便所のドアを奪い合い、中で盛大に「バリバリバリッ! ゲロゲロゲロ〜〜〜ッ!(※水音)」と破裂音を響かせる代官と徴税人。
「うおぉぉぉぉっ! お腹が破裂するぅぅぅっ! なんだこの菓子はぁぁぁっ!?」
「ひ、ひぃぃぃっ! 出切ったと思ったら、また第二波がぁぁぁっ! トイレから出られません代官様ぁぁぁっ!!」
二人はその日一日、執務どころではなくなり、丸一日便器にへばりついて泣き叫ぶ羽目になったのだった。
◇
【11月15日(受精後 257日目/誕生まであと40日)】
アルカ村には、静かな冬の気配が漂い始めていた。
「ふぅ……エリス、今日も外は冷えるな」
ボロ小屋の中で、ガノスがかまどに薪をくべながら、温かい野草茶を淹れていた。
「ええ……ですが、家の中はこんなに温かいですわ」
エリスは臨月近くまで大きくなったお腹を愛おしそうに撫でながら、かまどの横で温かい発酵野草茶を口に含んだ。
エリスの肌は、寒さの中でもツヤツヤと潤いを保ち、飢饉の頃の痩せこけた面影は完全に消え去っていた。 サリマが胎内から腸内環境を微調整し続け、さらに地下の熟成発酵酒から得られるグルコースとアミノ酸を母体へ送り続けた成果だった。
(ふぅ……代官どものお腹、今頃ゴロゴロ言ってるかしらね!)
胎内でサリマは、完成した小さな手で口元を押さえてクスクスと笑った。
(毒じゃないから疑われないし、あの村のビスケットを食べた時だけ妙にお腹が緩くなる……。代官どもは『きっと自分たちの胃腸が疲れているせいだ』と勝手に思い込んで、理由も分からずトイレに籠もり続けるのよ! ざまあ見なさい!)
お腹の外から、ガノスの低く優しい声が届く。
「エリス、もうすぐだな……。今年の厳しい冬の中で、俺たちの宝物が生まれてくる」
「ええ、ガノス様……。あのお腹をトントンと叩いていた元気な男の子ですわ。早くこの抱擁で抱きしめてあげたいです……」
エリスの手の温もりが、お腹越しにサリマへと伝わってくる。
(うん……! お父さん、お母さん! もうすぐそっちに行くからね!!)
12月の誕生に向けて、サリマの胎内での最後の準備が、着々と進んでいくのだった。
『誕生(12月25日頃)まで:あと40日』




