■ 第21節:【2歳3ヶ月〜2歳5ヶ月/3月〜5月(春)】後編
■ 第21節:【2歳3ヶ月〜2歳5ヶ月/3月〜5月(春)】後編
【2歳4ヶ月半(4月中旬)】
その日の夜。
裏山の切り立った赤岩の断崖絶壁——外部からはただの一枚岩にしか見えない『結界隠し地下大工房』の中で、定期的な生産確認が行われていた。
ドワーフの小頭バルドが、年中12度・湿度65%に保たれた地下ドームの中で、ずらりと並ぶ大型醸造樽を愛おしそうに叩いた。
「ガハハハハ! サリマ様、今月の『透明清酒・水晶』も素晴らしい仕上がりじゃぞ! 不純物が一滴もなく、まるで湧き水のように透き通っておる!」
「バルド、ありがと! ここ、ずっと冷たくて気持ちいいもんね!」
サリマがトコトコと駆け寄り、バルドの太い脚をぽんぽんと叩くと、バルドは「ガハハ! 天才サリマ様じゃ!」と大泣きしてサリマを抱き上げた。
ガノスが手帳を開き、今月の出荷分を点検する。
「クラウス様へ引き渡す清酒『水晶』が小瓶で二十本、ジビエ熟成生ハムが十塊……。これだけで今月も【金貨二百五十枚】の対価になるな」
「まあ……金貨二百五十枚……! 夢のようですわね……」
エリスが溜め息をつく。
だが、サリマはバルドの腕の中で、あえて表情を引き締めた。
「お父ちゃん! 金貨、まだ表に出しちゃだめだよ。代官ゴルドー、絶対『おかしいな』って探ってくるからね」
「分かっているよ、サリマ。クラウス様から受け取った金貨は、この結界倉庫の奥の石金庫にそのまま保管してある。村で使う分は、クラウス様に頼んで『サビた鉄具』や『古い布』『家畜のひな』といった、ごく普通の資材に換えて届けてもらっているからな」
「うん! お父ちゃん、賢い! 100点!」
サリマがニコッと満面の笑顔を浮かべると、ガノスは照れくさそうに頭を掻いた。
そう——王都の大商人クラウスとの極密貿易で得た莫大な金貨は、そのまま現金として村に流すのではなく、「生活に必要な目立たない資材や家畜、種子」に姿を変えて、少しずつ村へ還元されていたのだ。
これにより、村人たちは代官に怪しまれることなく、頑丈な農具、温かい衣類、豊富な種子を手に入れ、生活水準を劇的に向上させていたのである。
◇
【2歳5ヶ月(5月上旬・初夏の爽風)】
5月に入り、最果てのアルカ村は新緑の瑞々しい青葉に包まれていた。
村の広場では、新しくクラウス経由で手に入れた「山ヤギのひな(幼体)」たちが、元気よくメァメァと鳴きながら草を食んでいた。
「見てごらんサリマ、山ヤギの赤ちゃんが草を食べているよ」
エリスがサリマの手を優しく握りながら、広場の柵を指さす。
「かぁか! やぎさん、かわいい! 大きくなったら、美味しいおちち(ミルク)、出してくれるね!」
「ええ、そうねぇ。サリマがもっと大きくなったら、美味しいミルクをたくさん飲みましょうね」
エリスが愛おしそうにサリマの頭を撫でる。
サリマは山ヤギの愛くるしい姿を見つめながら、前世のアラサー社畜バイオ研究者としての思考を巡らせていた。
(山ヤギのミルク……! うん、これも私のバイオ研究のターゲット(対象)よ! 将来的にミルクが採れるようになったら、私の【キン】のレンネット(凝乳酵素)と乳酸菌を使って、熟成ハードチーズを開発できるわね!)
(雑穀、ジビエ肉、キムチ、清酒、そして発酵チーズ……! アルカ村の食卓のフルコース化が、着々と近づいているわ!)
サリマの胸の中で、未来への情熱がメラメラと燃え上がっていた。
そこへ、村の入り口から警戒していた農夫のピートが、少し緊張した面持ちで走り込んできた。
「村長! 村長はいますか!」
「どうしたピート? 何かあったのか?」
ガノスが作業の手を止めて駆け寄る。
「はい! 隣領の代官ゴルドーの手下……あの不気味な徴税人が、兵士を数人連れて村の近くの街道を通りかかったようです! 今、村の中を遠目から伺っています!」
「なに……!? 徴税人が……!」
ガノスとエリスがハッと身を固くした。
しかし、サリマはすまし顔で、トコトコと村の入り口近くの柵へと歩み寄った。
遠くの街道から、馬に乗ったあの髭面の徴税人が、怪しむような目でアルカ村の風景を眺めているのが見えた。
だが——徴税人の目に映っていたのは、以下のような「実に貧しく素朴な農村の日常」であった。
ボロ小屋の屋根は茅や古い板で不揃いに補修され、村人たちは継ぎはぎだらけの古い服(※裏地はクラウスから届いた温かい高品質な布)を着て、サビついたような不格好な鉄のクワ(※ドワーフがカモフラージュ塗装した超高強度鉄具)を振るい、黙々と畑を耕している。
そして、村の中央では、2歳3ヶ月の小さな赤ん坊が、つぎはぎの作業服を着て「バブバブ〜」と愛くるしく手押し車を押して遊んでいる。
徴税人は鼻で笑うようにフンッと息を吐くと、隣の兵士に語りかけた。
「チッ……相変わらず泥臭いドブネズミどもの村だな。秋にシロップを納めさせる約束をしたから見逃してやっているが、相変わらず貧乏でみすぼらしい生活をしおって」
「へい、お役人様。こんな寒村、何の旨味もございませんな」
「ふん、シロップさえ期日通りに納めれば、あの泥人間どもがどう生きようが知ったことではないわ。行くぞ!」
徴税人たちは、完全に安心し切った顔で、馬を走らせて去っていったのだった。
◇
【完全な勝利と春の誓い】
徴税人たちが街道の向こうへ消え去ったのを確認すると、柱の陰で見守っていたガノスとピートが、激しい安堵の吐息を漏らした。
「ふぅぅぅぅぅぅ……っ! 行ったか……!」
ガノスが膝をつき、汗を拭った。
「サリマ……お前の言った通りだったな。『表の村を徹底的にみすぼらしくカモフラージュしておく』ことで、代官の手下どもは完全に油断して去っていったぞ」
「お父ちゃん! 作戦、だいせいこう! 相手、バカだから簡単にだまされたね!」
サリマが小さな手をパチパチと叩いてニコッと笑うと、ガノスとピートも顔を見合わせてガハハと大爆笑した。
「ははは! 言ってくれるなぁサリマ! だが本当にお前の言う通りだ!」
ガノスがサリマを軽々と抱き上げ、くるくると広場で回ってみせた。
表向きは代官に従う貧しい寒村。 だがその実態は、裏山の古代魔法『結界隠し大工房』の中に莫大な金貨と至高の清酒、ドワーフの強力な武力を蓄え、村人80人が誰一人病気にかかることなく健康で豊かな高栄養発酵食を楽しむ『絶対防衛の発酵隠密要塞』。
代官ゴルドーは自分たちが「支配している」と信じ込んで満足しているが、本当は1歳から2歳へと成長した天才バイオ幼児サリマの手のひらの上で、完璧に転がされているに過ぎなかったのだ。
サリマはガノスの首に小さな手を回し、初夏の爽やかな風を感じながら、前世のアラサー社畜バイオ研究者としての瞳を未来へと向けた。
(ふふん、表の擬態と経済的自立はこれで完璧ね!)
(だけど……私の開拓はここで止まらないわ! 次は山野草のバイオ栽培と……感染症や傷口の化膿を秒で治す『天然発酵・殺菌軟膏』の開発よ!)
(科学とバイオの力で、この村を異世界一安全で豊かな理想郷にしてやるんだから!!)
家族の深い愛と、試行錯誤の科学の知恵、そして甘い麦芽シロップの味とともに——。 2歳3ヶ月を迎えた天才バイオ幼児サリマの異世界での挑戦は、さらなる希望と美味にあふれた未来へ向かって、どこまでも力強く、誇らしく歩み続けていくのだった。




