■ 第21節:【2歳3ヶ月〜2歳5ヶ月/3月〜5月(春)】前編
■ 第21節:【2歳3ヶ月〜2歳5ヶ月/3月〜5月(春)】
【2歳3ヶ月(3月初旬・春の足音)】
最果ての地に、ようやく厳しい冬の終わりを告げる柔らかな風が吹き始めようとしていた。 赤岩山脈の頂きを覆っていた白銀の雪も少しずつ解け始め、村を包む空気には湿り気を帯びた土の匂いが混ざり始めている。
「お父ちゃん! こっちの屋根、トントン完了! つぎ、ピートのおうち!」
2歳3ヶ月を迎えたサリマは、自分用に作ってもらった小さな革の作業ポーチを腰に巻き、1歳児の頃より格段に素早くなった足取りでトコトコと村の小道を走り回っていた。
「おーいサリマ! あんまり走ると転ぶぞ!……しかし、サリマの指示通りに屋根の裏に薄い板を一枚挟むだけで、こんなに風が入らなくなるもんだなぁ」
村長ガノスが、はしごの上で木ハンマーを握り直しながら、感心したように汗を拭った。
「そうよガノス様。冬の間、あんなに寒かったボロ小屋が、今は隙間風ひとつ入ってきませんもの。本当にサリマは家のことまで何でも知っていますのね」
エリスがかまどで煮出した温かい野草茶の入った大きな竹筒を抱え、ニコニコと笑顔で歩み寄ってくる。
「かぁか、お茶! さりまも飲む! お父ちゃんも、休憩!」
サリマは二本の足でしっかりと立ち、竹筒を両手で受け取ると、器用に木碗へ注いでガノスへ手渡した。
「がはは! ありがとな、サリマ! よし、一旦休むか!」
ガノスははしごから下りてくると、サリマから受け取ったお茶を美味そうに飲み干した。
サリマは自分の小さな手を見つめ、前世のアラサー社畜バイオ研究者・明日香茅理紗としての記憶と知性をフル回転させていた。
(ふぅ……! 2歳3ヶ月! 自力走行、精密な指先の動き、そして大人と対等な言語コミュニケーション……完璧な機動力を手に入れたわね!)
サリマの瞳には、前世の研究者としての冷徹な計算と、家族を守る情熱が同時に宿っていた。
(前節(第19・20節)で、王都の大商人クラウスと『表のボロ小屋』限定の極密貿易を結び、ついに大量の【本物の金貨】が村に流れ込み始めた……。だけど! ここで焦って金貨を使い込み、村人たちが急に豪華な服を着たり、立派な家を建てたりしたら……隣領の強欲代官ゴルドーや徴税人に一発で怪しまれるわ!)
(突然豊かになった村は、強奪の標的にしかならない……。だからこそ! 金貨は表向き『旅の商人から古道具を安く買い叩いた』というカモフラージュ(偽装)を徹底しつつ、じっくりと村の生活基盤と体力を底上げしていくのよ!)
サリマはガノスの太い腕を小さな手でグッと引っ張った。
「お父ちゃん! 金貨、出しちゃだめだよ! 代官、めが『¥』になって、また来ちゃう!」
「がはは! 分かってるよサリマ。クラウス様からいただいた金貨は、お前とドワーフのバルドさんが作ったあの『結界隠し倉庫』の奥に、厳重に隠してあるからな」
ガノスは声をひそめ、サリマの目線に合わせてかがみ込んだ。
「代官の手下どもには、相変わらず『生活が苦しくて旅の商人から安物(サビた鉄具や古布)を買い叩いて、何とか屋根を直しているだけです』って顔をしておくさ」
「うん! カモフラージュ、だいじ!」
サリマが小さな親指をグッと立てて「サムズアップ」をして見せると、ガノスとエリスはおかしくって声を合わせて笑った。
◇
【2歳4ヶ月(4月上旬・春の芽吹き)】
春が深まり、村の共有畑の黒土が柔らかく解れ始めた4月上旬。
サリマは小さな手押し車を押して、畑の畝の間をトコトコと巡回していた。手押し車の中には、サリマがバイオの知恵で仕込んだ『特製の発酵コンポスト肥料』がぎっしりと詰まっている。
「サリマ様ーっ! こっちの畝にも、その黒い発酵土を撒いてもいいですかっ!?」
村の若い農夫ピートが、ドワーフから貰った頑丈な鉄のクワを手に、汗を流しながら駆け寄ってきた。
「ピート! うん、いいよ! でもね、一箇所にたくさん置いちゃだめ。パラパラ〜って、薄くのばすの!」
「ハッ! パラパラですねっ! 分かりましたっ!」
ピートがサリマの指示に従い、丁寧に発酵肥料を畑の土へと混ぜ込んでいく。
ドワーフの鉄具によって深くまで耕され、サリマの【キン】のスキルで有用菌が繁殖したコンポスト土壌は、手で触れるとふかふかと温かく、植物の根がぐんぐんと伸びる最高の栄養床となっていた。
ガノスが畑の脇で、新しく収穫された「カブモドキ」の白い根を愛おしそうに撫でていた。
「すごいなぁ……。サリマが作ってくれたあの『カブモドキのキムチ』のおかげで、この冬は村人80人、誰一人として熱を出したり肌が荒れたりしなかった。例年なら冬場に何人かが体調を崩して倒れていたのに……」
「ええ、ガノス様。お肉だけでなく、お野菜の発酵食品を毎日いただくようになってから、村のみんなの顔色が本当にツヤツヤしておりますわ」
エリスも嬉しそうに頷く。
そう——サリマの計画の真骨頂は、単に金貨を隠すことではなく、「村人たちの体内環境(免疫・栄養)を根本から強化すること」にあった。
(どれだけ金貨があっても、病気や栄養失調で倒れたら意味がないのよ! 雑穀の炭水化物、ジビエ肉のタンパク質・アミノ酸、そしてカブモドキキムチの植物性乳酸菌とビタミンC……! このゴールデンバランスの食生活こそが、村人80人の絶対の生存基盤なのよ!)
サリマは胸の中で胸を張った。
そこへ、山から戻ってきた狩人のダンが、獲物袋を担いで大足で歩み寄ってきた。
「村長! サリマ様! 今日も山で大きな『トゲイノシシ』が二頭獲れましたぞ! ドワーフさんの鉄の罠と矢尻のおかげで、怪我人も一人も出ていません!」
「おお! ダン、でかしたぞ! すぐに解体して、裏山の結界倉庫へ運び込もう!」
ガノスが頼もしく拳を握りしめる。
獲れた肉は、表の村で食べる分だけをボロ小屋で解体し、残りの大量の肉は夜陰に乗じて「結界隠し倉庫」へと運び込まれ、サリマの【キン】の酵素と熟成味噌タレで「極上ジビエ生ハム」や「味噌漬け肉」として長期保存される。
表向きは貧しい山村を装いながら、裏では王都の貴族すら羨むような高栄養・高タンパクな最高の発酵食生活を享受する——これぞサリマの描いた完全な戦略であった。




