第19節:【2歳1ヶ月/1月(極寒の冬)】 王都の大商人クラウスの来訪と「表の村」での極密取引
■ 第19節:【2歳1ヶ月/1月(極寒の冬)】
王都の大商人クラウスの来訪と「表の村」での極密取引
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【1歳1ヶ月→2歳1ヶ月(1月中旬・極寒の冬)】
最果ての地に、年間で最も苛烈な極寒の季節が押し寄せていた。
赤岩山脈から吹き下ろす凍てつく吹雪が、アルカ村全体を分厚い白銀の雪の中に閉じ閉じ込めている。ボロ小屋の屋根からは太い氷柱が何本も垂れ下がり、表の街道は人影一つ途絶えていた。
しかし、補修と補強を重ねた村長ガノスのボロ小屋の中は、囲炉裏にくべられた薪の爆ぜる音と、あたたかな湯気に包まれていた。
「お父ちゃん! お茶、入ったよ! かぁかも、あたたまって!」
2歳1ヶ月を迎えたサリマは、小さな手押し車から手際よく木碗を取り出すと、2歳児とは思えぬ滑らかな足取りでトコトコと歩み寄り、ガノスとエリスへ手渡した。
「おお……! ありがとな、サリマ。本当に気が利く子だなぁ」
ガノスが目尻を下げ、ゴツゴツとした大きな手で温かい木碗を受け取る。
「サリマのおかげで、この寒さの中でも家の中はぽかぽかですわね」
エリスも愛おしそうにサリマの柔らかい頬を撫でた。
サリマは自分の小さな手を見つめ、前世のアラサー社畜バイオ研究者・明日香茅理紗としての記憶と、この2年間で歩んできた足跡を脳内で静かに反復していた。
(ふぅ……! 歩行も、手先の器用さも、ハッキリとした言語コミュニケーションも完璧! 0歳児の頃の『首すら据わらない地獄』に比べたら、自由度が段違いだわ……!)
サリマの頭脳は、これまでの成果を冷徹に再確認していた。
(裏山の切り立った断崖絶壁に作り上げた『結界隠し地下大工房』……。あそこはドワーフの古代魔法『マナ・カモフラージュ』で外敵から完全に不可視化され、私の【キン】の調湿膜で『年中12度・湿度65%』の絶対環境が維持されている。悪徳代官ゴルドーの家宅捜索も返り討ちにして減税(50%→30%)させ、至高の透明清酒『水晶』も完成させたわ)
(……だけど! 守っているだけじゃ、村の真の繁栄(自立)は届かない。この至高の生成物を、代官の手下どもに目をつけられることなく、安全に外の世界の『本物の資本(金貨)』へ換える仕組みを作らなきゃいけないのよ!)
サリマが真剣な表情で腕組みをしていると、吹雪の音を突いて、ボロ小屋の木のドアがトントン……と慎重に叩かれた。
「村長、俺だ。ラグナスだ……。頼まれていた『あのお方』をお連れしたぞ」
合図のノック音。村の信頼できる協力者である冒険者ラグナスの低く緊迫した声だった。
ガノスは表情を引き締め、サリマとエリスに目配せすると、重い木のドアの閂をそっと外した。
◇
【表のボロ小屋での密会】
ぎーっ……と音を立てて開いたドアの隙間から、吹雪の冷気とともに、重厚な毛皮のコートに身を包んだ二人の男が滑り込んできた。
一人目は、剣を腰に下げた武骨な冒険者ラグナス。
そしてもう一人——毛皮のフードを深く被り、上質な服と重厚な指輪を覗かせた、一目で「タダ者ではない」と分かる気品と鋭い眼光を備えた中年男性だった。
ラグナスが周囲の安全を確認してから、静かにドアを閉め、閂をかける。
「村長……紹介する。王都に本社を構える『クラウス商業連合』の総帥……クラウス様だ」
「初めまして、ガノス村長。突然の訪問を許していただきたい」
毛皮のフードを脱いだ男——王都の大商人クラウスが、紳士的に深く一礼した。その仕草には洗練された貴族的な気品がありながらも、百戦錬磨の商人特有のギョロリとした観察眼が光っていた。
ガノスは緊張で唾を飲み込みながら、頭を下げる。
「ようこそおいでくださいました、クラウス様。最果ての貧しい村で、ろくなおもてなしもできず恐縮です」
「いや、構わんよ。……それよりもラグナスから話は聞いている。代官の目を盗み、この過酷な村で『あり得ない品質の特産物』を秘かに醸している……とな」
クラウスの鋭い視線が、部屋の中央の低いテーブルに注がれた。
そこには、ガノスが事前に「裏山の結界隠し倉庫」から手持ちで数本だけ運び出しておいた、試作サンプルが並べられていた。
ドワーフの精巧なガラス小瓶に入った、一滴の濁りもない透明清酒『水晶』。
そして、サリマが【キン】の酵素分解と熟成味噌タレで仕込み抜いた『岩甲イノシシの熟成発酵生ハム』である。
クラウスは眉をひそめ、半信半疑の様子でテーブルへ歩み寄った。
「失礼……検分させてもらうよ」
クラウスはまず、薄くスライスされた熟成生ハムを一口、口へと運んだ。
瞬間——。
「……っ!?」
クラウスの顔色が一変した。
(な……なんだこの旨味は……!? 魔物の固い肉だというのに、口の中でトロリと解け、濃厚な味噌のコクと上質な肉汁が爆発する……! 王都のどの高級料亭のジビエすら、この一口の前には霞んでしまうぞ……!?)
クラウスは震える手で、次に透明清酒『水晶』のガラス小瓶の蓋を静かに外した。
ぽんっ……。
ふわり……っ!!
狭いボロ小屋の空気全体が一瞬で一変した。
熟した果実のような芳醇で甘い香気、湧き水のような清涼感、そして脳の奥を直接刺激するような圧倒的な気品ある香りが、一気に弾けたのだ。
「な……ななな……ッ!?」
クラウスは大商人としての数十年の経験と誇りを一瞬で打ち砕かれ、目を剥いて絶句した!
「こ……これは酒か……!? 水のように澄み切っているのに、この芳醇で神聖な香りは何だ……!? 王国の宮廷醸造家が造る最高峰のワインすら、この一本の前には泥水に過ぎんぞ……っ!!」
クラウスは我慢できずに小杯へ数滴注ぎ、震える手で口へと運んだ。
ごくり……。
「……っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
クラウスは杯を落としそうになり、慌てて両手で抱え直した。彼の大全な顔が真っ赤に染まり、目からボロポロと大粒の涙が溢れ出してきたのだ!
「美味い……!! 恐ろしいほど美味い……っ!! 雑味が100%削ぎ落とされ、喉を通る瞬間に果実の甘みと旨味が爆発する……! 夢だ……これは夢に違いない……っ!!」
クラウスは呼吸を荒らげ、ガノスと、傍らで小さく微笑んでいる2歳1ヶ月のサリマを交互に見つめた。
「ガノス村長……! これらは一体……どこで、どうやって作られているのだ!? 頼む、その工房を見せてくれ!!」
クラウスが興奮のあまり、ガノスの肩を掴んで身を乗り出そうとした。
◇
【徹底されたセキュリティと交渉】
その時——。
「クラウス様、そこまでです」
サリマがトコトコと二本足でクラウスの前へ立ちふさがり、2歳児とは思えぬハッキリとした凛とした声で、制止をかけた。
「え……?」
クラウスが驚いて見下ろすと、サリマは服の袖を払い、2歳1ヶ月の幼い容姿からは想像もつかない『絶対の威厳』を放ちながら、クラウスの目を直視していた。
「クラウス様。お酒と生ハムの価値、分かってくれて嬉しいよ。……でもね、『工房の場所』は、だれにも教えられない。クラウス様にも、絶対に見せられない」
サリマの言葉に、クラウスは落雷を受けたような衝撃を受けた。
「な……幼子が……これほど明確にお喋りを……!?」
ガノスが静かにサリマの肩に手を置き、強い眼差しでクラウスを見据えた。
「クラウス様……サリマの言う通りです。この酒も生ハムも、俺たちアルカ村と、裏山の仲間たち(ドワーフ)の『命』そのものです。もし工房の場所や製法が外部に漏れれば、あの強欲な代官ゴルドーに全て奪われ、俺たちは打ち首になります」
ガノスは毅然とした態度で言い放った。
「クラウス様とのお取引は、大歓迎です。ですが……『商品はこのボロ小屋でのみ受け渡す』。どこでどうやって作られているのか、工房がどこにあるのか……それについては一切探らないとお約束いただけない限り、一滴のお酒も、一片の生ハムもお譲りすることはできません!」
「……っ!!」
クラウスは大商人としての冷徹な頭脳を取り戻し、深く息を吐き出した。
(凄まじい……。最果ての貧村の村長と、この恐ろしいほど聡明な幼児……! 代官の目を欺き、絶対の秘密を守り抜く覚悟が完了している……!)
クラウスは姿勢を正すと、2歳1ヶ月のサリマとガノスに向かって、商人としての最大限の敬意を込めて深く頭を下げた。
「……失礼した、ガノス村長、そしてサリマ様。私の浅はかさを恥じるよ。秘密保持の徹底こそが、至高の価値を守る唯一の道だということ……理解した」
クラウスは笑みを浮かべ、不敵に目を輝かせた。
「いいでしょう! 工房の場所には一切立ち入らないし、探りも入れない! 商品はこのボロ小屋で、村人たちの手によって運び出されたものだけを買い取ると約束しよう!」
クラウスは手帳を取り出し、羽ペンを走らせた。
「代官ゴルドーなどの小悪党を通さず、我が『クラウス商業連合』が王都の最高級貴族や皇族へ、完全極密ルートでこの『水晶清酒』と『熟成生ハム』を売り捌く! 酒小瓶一本につき……【金貨十枚】で買い取らせてもらいたい!!」
「き……金貨十枚だとぉぉぉっ!?」
ガノスとラグナスが目を見開いて叫んだ。金貨十枚といえば、一家族が一年間贅沢に暮らせるほどの莫大な大金だ!
(ふふふ……! 提示額としては合格点ね!!)
サリマは心の中でガッツポーズを作った。
前世のアラサー社畜バイオ研究者・明日香茅理紗としてのビジネス交渉のロジックが、完璧に結実した瞬間だった。
(代官ゴルドーへは、約束通り『穀物30%+麦芽糖蜜シロップ10本』を粛々と納めて、『貧しいが素直な扱いやすい村』と思い込ませて油断させておく。そして裏では、王都の大商人クラウスと『表のボロ小屋』でだけ接点を持って、本物の資産(金貨)を蓄える……!)
(結界隠し倉庫の場所は、ドワーフと村人80人だけの絶対の機密! これでセキュリティも経済的自立も完璧よ!!)
サリマはニカッと太陽のような満面の笑顔を浮かべ、小さな手をクラウスへ差し出した。
「クラウス様! お約束、できたね! いいお友達になろうね!」
クラウスは感涙を流し、サリマの小さな手を両手で優しく包み込んだ。
「こちらこそだよ、天才サリマ様! 我が商会の総力を挙げて、アルカ村の秘密と繁栄を守り抜くと誓おう!」
最果ての極寒の夜。
表のボロ小屋の中で、代官の知らぬ間に、世界を揺るがす『極密貿易協定』が静かに、そして力強く締結されたのだった。




