第1節:【3月】細胞の目覚めと、0.1グラムの酵素革命 3月3日(受精後 1日目/誕生まであと297日)後編
いつも作品を読んでいただきありがとうございます。
二つの新作を投稿します。
不定期になったらごめんなさい
題名は
『−300日から始まる転生のんびりスローライフ』
『W転生〜パパがスライムだった件〜』の二本です
お昼前に投稿する予定です
読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします
数時間後の昼過ぎ。
ガノスは背負い籠いっぱいに「何か」を詰め込んで、興奮気味にボロ小屋へ駆け戻ってきた。
「エリス! エリス、見てくれ!!」
「まあ! ガノス様、そんなにたくさんの草を……! それ、何なのですか?」
ガノスが籠を床にあけると、そこから転がり出たのは、半ば芽が吹き、不気味に萎びた野生の小麦の束だった。
「西の谷の湿地で見つけたんだ! 芽が出て腐りかけてたから誰も採らなかったみたいだが……なんだかすごく、うまそうな香りがしたから持ち帰ってみた!」
(それよ!! それなのよお父さん!!)
サリマは胎内でガッツポーズをした。
芽が出た麦——それは、バイオの基本中の基本、『麦芽』だ!
麦は発芽する段階で、自らの持つ酵素を爆発的に活性化させる。この酵素は、麦自身のでんぷんを分解し、「糖(麦芽糖)」へと変える力を持っているのだ。
(お父さんナイス! これで……これでついに、私の念願だった『甘いもの』が作れるわ!!)
しかし、ここからが本当の試練だった。
ガノスは目の前にある芽吹いた麦を前に、首をひねっている。
「うーむ……見た目は腐りかけの雑草だが……これをどうやって食うんだ? 焼いて食うのか?」
「固くて苦そうですね……煮込みましょうか?」
(ちがーーーーう!! 焼いチャダメ! 沸騰させて煮込みすぎても酵素が熱で死んじゃう!!)
せっかく手に入れた麦芽も、加熱しすぎれば糖化酵素が失活してただの焦げた雑草になってしまう。
理想の温度は『60度前後の保温』。でんぷんとお湯を混ぜ、酵素が一番元気に働く温度帯で数時間じっくり置くことで、麦の中のでんぷんが溶け出し、濃厚で甘い「麦芽糖(水あめ)」が完成するのだ。
(どうする!? どうやって『60度のお湯で数時間保温しろ』って伝えるの!? モールス信号は失敗したのよ!?)
サリマは思考を高速回転させた。
直接言えない。匂いでの誘導も、具体的な調理プロセスまでは指示できない。
(……待って。お父さんが自分で『偶然』そうせざるを得ない状況を作ればいいんだわ!)
サリマは決断した。
(お母さん、ちょっとだけ体温上げさせてもらうわよ! 風邪じゃないから安心して!)
サリマは【キン】の力でエリスの代謝をほんのわずかに高め(37.5度程度の微熱)、さらに胃の筋肉を緩めて「つわり(吐き気)」の症状を意図的に再現した。
「うっ……うう……」
「エリス!? どうした、急に顔が赤くなって……!」
「すみません、ガノス様……なんだか急に胸がムカついて……熱っぽくて……」
「大変だ! 横になりなさい!」
ガノスが慌てふためく。エリスはお腹を押さえながら、苦しそうに呟いた。
「温かい……お湯が飲みたいですわ……。でも、熱すぎるのは胃に障りそう……お風呂くらいの、ぬるいお湯が……」
「ぬるいお湯だな!? よし、すぐ沸かす!」
ガノスは急いでお湯を沸かし、冷まし、エリスに飲ませようとした。
その時、サリマはエリスの口から「芳香(甘い香り)」をガノスの鼻へ放出した。
「ん……? お湯に……この麦の芽を浸したら、もっと良い匂いがするんじゃないか……?」
ガノスは無意識のうちに、ぬるくなったお湯の鍋の中に、細かく砕いた芽生え麦(麦芽)と、余っていた雑穀の粉を放り込んでしまったのだ。
「エリス、これを少し飲んでみ……いや、もう少し置いて温めておいた方が美味くなるか? 壺に入れて、かまどの余熱の横に置いておこう」
(完璧……! 完璧すぎるわお父さん!! 完璧な糖化温度(60度前後)での保温環境が完成したわ!!)
鍋はかまどの余熱でじんわりと温められ、数時間が経過した。
◇
その日の夜。
「……ガノス様、かまどの横の壺から、すごく甘い匂いがしてきますわ」
「そうだな……どうなったか見てみるか」
ガノスが壺のフタを開けると、そこにはドロリとした褐色の液体が溜まっていた。
雑穀のドロドロしたカスが沈殿し、上澄みは黄金色に透き通っている。
「なんだこれは……? お湯に入れた麦が、溶けてサラサラになっている……?」
「ガノス様、ちょっと匂いを……」
エリスが匙ですくい、恐る恐るその液体を口に含んだ。
瞬間。
エリスの目が、信じられないほど大きく見開かれた。
「っ……!? な……なに……これ……!?」
「エリス!? 毒か!? 吐き出せ!!」
ガノスが青ざめて飛びつくが、エリスはボロボロと涙をこぼしながら、何度も喉を鳴らして飲み込んだ。
「甘い……甘いです、ガノス様……! 夢みたい……お口の中に、とろけるような甘さが広がって……こんなに甘くて、美味しいもの……私、生まれて初めて食べましたわ……!!」
「な……なんだって……!?」
ガノスも慌てて匙を取り、上澄み液を舐めた。
「っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?」
ガノスの体が絶句したように硬直した。
濃厚で、心をほっと解きほぐすような優しい甘み。
でんぷんが酵素の力によって分解されて生まれた、純度100%の『天然の麦芽糖(水あめ)』の味だった。
「あ、甘い……! 本当だ! 砂糖なんて見たこともない俺たちの村で……麦の芽から、こんな甘い蜜ができるなんて……! お前がぬるま湯につけて置いてくれたおかげだな、エリス!!」
ふたりは抱き合い、安堵の涙を流してその「甘いスープ」を味わった。
胎内では。
エリスが摂取した麦芽糖が急速に消化・吸収され、高品質なグルコース(糖分)となって、血液を通じてサリマの元へとなだれ込んできていた。
(きたきたきたきたーーーーーーっ!! 糖分!! 最高のグルコース!!)
細胞レベルで全身が歓喜する。
(あぁぁぁ〜〜〜……生き返る……! 脳(になる予定の組織)が喜んでる……! 甘いものは最高の栄養よ……!!)
「ガノス様! これ、村のみんなにも飲ませてあげましょうよ! 寒さと飢えで参っているみんなも、これを飲めば絶対に元気になりますわ!」
「ああ! ああ、そうだとも! 麦の芽なら山にまだ生えている! 俺が明日から気をつけて採ってきて、この『甘い密』をアルカ村の80人みんなで作ろう!」
絶望に包まれていた村長の家に、久しぶりの明るい兆しが差し込んだ。
(ふぅ……どうよ! 言葉が通じなくたって、バイオの知識と【キン】の力があれば、お父さんを誘導して『水あめ』くらい作れるんだから!)
サリマは満ち足りた心地よさの中で、うとうとと微睡み始めた。
(でも……まだ第一段階突破に過ぎないわね。お父さんが麦芽を採り尽くしたら山は終わるし、土壌そのものを改善しないと秋の『年貢50%』の徴税と冬の飢饉は越えられない……)
暗闇の胎内で、細胞サリマの泥臭くリアルな「村救済ミッション」は、まだまだ始まったばかりだった。
『誕生(12月25日頃)まで:あと289日』




