第17節:【1歳11ヶ月/12月(冬)】 「裏山の魔物・大グモ(アラクネ)」の討伐と『天然絹糸・発酵ろ過膜』革命
■ 第17節:【1歳11ヶ月/12月(冬)】
「裏山の魔物・大グモ(アラクネ)」の討伐と『天然絹糸・発酵ろ過膜』革命
【1歳11ヶ月(12月初旬・本格的な冬の到来)】
12月に入り、最果ての地に猛烈な寒波が押し寄せていた。 赤岩山脈から吹き下ろす凄まじい吹雪が村全体を真っ白な雪の中に閉じ込め、ボロ小屋の屋根からは太い氷柱が何本も垂れ下がっている。
しかし、裏山の結界隠し倉庫の奥——あの大拡張された『地下バイオ発酵コンビナート』の中は、ドワーフの土魔法とサリマの【キン】の調湿膜によって、年中「恒温12度・湿度65%」の暖かく澄み切った空気に満たされていた。
「とうた! ここ、すずしい! お酒、すやすや寝てるよ!」
1歳11ヶ月を迎えたサリマは、もうすっかり大人顔負けの足取りでトコトコと地下工房の石畳を走り回り、ズラリと並んだ巨大な木樽の表面を小さな手で愛おしそうに撫でていた。
「がはは! 本当だなサリマ! 外は猛吹雪だというのに、この地下工房の中は極楽の暖かさだ!」
ガノスが汗を拭いながら、熟成樽のバルブを点検する。
1歳11ヶ月のサリマは、日常会話の語彙力が飛躍的に増加し、複雑なニュアンスも家族やドワーフたちへハッキリと伝えられるようになっていた。前世のアラサー社畜バイオ研究者・明日香茅理紗としての深い知性が、1歳児の愛くるしい言動と完璧に融合していたのだ。
そこへ、地下鍛冶場区画からドワーフの小頭バルドが、険しい表情で足音高く歩み寄ってきた。
「ガノス村長、サリマ様! 少々厄介なことになったぞ!」
「バルドさん!? 一体どうしたんですか?」
ガノスが作業の手を止める。バルドは太い赤髭をいじるように掻きながら、裏山の奥深くを指さした。
「裏山の奥の深林……俺たちの地下工房の排煙ダクトの先にある大洞窟にな、冬ごもり損ねた厄介な巨大魔獣が居座りおった! 凶暴な大グモ——『大粘糸グモ(ポイズン・アラクネ)』じゃ!!」
「大粘糸グモ……!? あの、粘着質の強い糸を吹き出して人間や動物を縛り上げる、危険な魔獣ですか!?」
ガノスが息を呑んだ。
「そうじゃ! あいつが排煙ダクトの近くで暴れ回ると、炭の煙が地下工房へ逆流してしまう恐れがある。それに、村の狩人たちが山へ入るのにも危険じゃ。……村長、冒険者のラグナスどもと協力して、一気に退治しに行こうと思うのだがどうじゃ!?」
「もちろんご協力します! 村の安全のためにも放置はできません!」
ガノスが即座に立ち上がった。
傍らで聞いていたサリマの瞳が、その瞬間——科学者特有の妖しい輝きで爛々と光り輝いた。
(……ちょっと待って! 『大粘糸グモ』ですって……!?)
サリマ(茅理紗)の脳内で、前世の天然高分子材料学とバイオニクス(生体模倣技術)のデータが一気に展開された。
(クモの糸……! それは地球の科学でも『夢の超高機能素材』と呼ばれた、鋼鉄の数倍の引っ張り強度とナイロンの柔軟性を併せ持つ最高峰のタンパク質不溶性繊維(クモ糸フィブロイン)よ!!)
サリマはトコトコとバルドの足元へ駆け寄り、バルドの太い腕をギュッと掴んだ。
「バルド! くも! ぜったい退治! でね、くもの糸……捨てちゃダメ!! たくさん持って帰るよ!!」
「え……? サリマ様、あのネバネバした不気味なクモの糸をかい? あんなもの持ち帰ってどうされるのじゃ?」
バルドが不思議そうに首をかしげる。
サリマはニカッと不敵な笑みを浮かべ、小さな胸を張った。
「くもの糸、さりまの魔法(バイオ酵素)で洗う! そうするとね……ピカピカの『極上絹』と、お酒を綺麗な透明にする『魔法の膜(ナノろ過フィルター)』になるの!!」
「な……ッ!? 凶暴な魔物の毒糸が、絹や酒のろ過膜になるだと……!?」
バルドとガノスは顔を見合わせ、信じられない思いで目を丸くした。
◇
【1歳11ヶ月半(12月中旬)】
『大粘糸グモ(ポイズン・アラクネ)討伐作戦』は、ドワーフのバルド、冒険者ラグナスの一行、そして村の狩人ダンの合同チームによって迅速に実行された。
「うおぁぁぁぁっ! 叩き潰せぇぇぇっ!」
バルドの鉄ハンマーが怒号とともに火花を散らし、ラグナスの大剣が閃く。 大粘糸グモは巨大な八本脚を暴れさせたが、ドワーフの強靭な鋼鉄罠と冒険者の連携の前には敵わず、あっけなく討伐された。
洞窟の奥には、討伐された大グモが吐き出した、巨大な繭のような巨大な「粘着糸の山」が残されていた。
「サリマ様の言われた通り、糸を一切切らずに丸ごと持って帰るぞ! 担げぇっ!」
ラグナスたちが苦笑いしながら、粘着質でドロドロとした不気味な糸の山を巨大なカゴに詰め込み、地下工房へと持ち帰ってきた。
地下工房の中央広場に運び込まれた、大量の粘着クモ糸。
村人のピートやドワーフの職人たちが、遠巻きに眉をひそめて見つめていた。
「サリマ様……これ、本当に綺麗になるんですか? 触るとベタベタくっついて、微弱な毒の臭いまでしますけれど……」
「だいじょうぶ! さりまに任せて!」
サリマは1歳11ヶ月の小さな足でトコトコとクモ糸の山へ近づくと、腕まくりをして小さな両手を糸の表面へペタリと押し当てた。
(スキル【キン】——全開発動!!)
サリマは集中力を極限まで高めた。
前世の社畜バイオ研究者としての専門知識が、完璧な化学反応(酵素処理)を命令する。
(ターゲット設定:大粘糸グモの糸に含まれる粘着性糖タンパク質(セリシン様毒素)! 麦芽から抽出したプロテアーゼ酵素と、アルカリ性発酵液の常在菌を急速増殖させなさい!)
(ベタベタした表面の粘着毒素だけを選択的に分解・溶解(精練・デガミング)し、芯にある超高強度の不溶性タンパク質繊維『クモ糸フィブロイン』だけを、一切傷つけずに完全に抽出するのよ!!)
目に見えないミクロのバイオ精練革命。
サリマの手のひらを通じて、特製の発酵酵素液が不気味なクモ糸全体へと浸透していった。
すると——信じられない奇跡が起きた。
シュワシュワシュワ……!
ドロドロと不気味にベタついていた糸の表面の粘着毒素が、酵素の力によって見る見るうちに綺麗に溶け去り、その下から——雪のように真っ白で、水晶のように美しい光沢を放つ『極上の細糸』が滑らかに解れ出てきたのだ!
「な……なに……っ!?」
ピートが目を見開き、腰を抜かした。
「ベタベタだった不気味な糸が……まるで天の衣のように光り輝いているぞ……!!」
バルドが思わず駆け寄り、解れ出た糸に触れた。
「あ……あり得ん……! なんだこの手触りは……っ!? 絹のように滑らかで柔らかいのに、引っ張っても絶対に切れん! 王都のどんな高級絹織物すら、この糸の前には雑巾に等しいわい……!!」
「すごーい! ピカピカ! きれい!」
サリマは無邪気にパチパチと手を叩いて喜んだ。
(ふふん! 成功よ! これぞクモ糸フィブロインのバイオ精練技術! 軽くて頑丈で、光沢が美しい最高峰の『天然バイオシルク』の誕生よ!)
◇
【1歳11ヶ月末(12月下旬)】
だが、サリマの本当のバイオ革新は、シルクの精製だけに留まらなかった。
サリマは精製された極細のバイオシルク糸を、ドワーフの精密技術を使って「ミクロの網目を持つ特殊な薄膜(高分子ろ過フィルター)」として織り上げさせたのだ。
地下大発酵工房の醸造区画。
サリマはガノスとバルドを伴い、熟成を終えた二年前仕込みの「熟成発酵酒」の大型樽の前に立っていた。
「お父ちゃん! この『まほうの膜(ろ過フィルター)』で、お酒を通してみるよ!」
「この薄いシルクの布でお酒を漉すのか……? サリマ」
ガノスが半信半疑で、大型樽のバルブから出た濁り酒(原酒)を、シルクろ過膜を張った漏斗へと注ぎ込んだ。
とろ〜り……ポタリ……ポタリ……。
ミクロの網目を持つバイオシルク膜を通って、下の透明なガラス瓶へと落ちていく液体。
その液体を目にした瞬間——ガノス、エリス、バルド、そして周囲にいた職人全員が、息を呑んで硬直した。
「な……なんだ……この液体は……!?」
ガノスが震える手でガラス瓶を持ち上げた。
漏斗を通り抜けて落ちてきたお酒は——これまでの濁りや澱がミクロ単位で完璧に除去され、まるでダイヤモンドや水晶のように透き通った、完璧な『無色透明の超清酒』へと変貌を遂げていたのだ!!
「透き……通っている……! 水のように透明なのに、琥珀色の神聖な光を放っているぞ……!?」
バルドが思わず膝をつき、ガラス瓶を食い入るように見つめた。
サリマは「お父ちゃん、飲んでみて!」と微笑んだ。
ガノスが震える手で小杯に注ぎ、その水晶のように透き通った酒を一口含んだ。
ごくり……。
「……っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
ガノスの全身に、雷のような衝撃と圧倒的な多幸感が駆け巡った!
「う……美味い……!! 美味すぎる……っ!! 濁りや雑味が完全に消え去り、澄み切った湧き水のような喉越しの後に、圧倒的な果実の甘みと旨味が爆発する……! 旨い……旨すぎるぞエリスぁぁぁっ!!」
「まあ……! 私も……ごくり……っ! なんて綺麗で美味しいお酒でしょう……! まるで水晶を溶かして飲んでいるようですわ……!」
エリスも目からボロボロと感動の涙をこぼした。
これまでサリマが仕込んできた「熟成酒」も至高の味だったが、雑味や酵母の澱が残る「濁り酒」の域を出ていなかった。 しかし、このクモ糸バイオシルク膜によるナノレベルのろ過(ナノろ過技術)を経たことで、不純物が完全に削ぎ落とされ、世界で唯一無二の至高の透明清酒『水晶』へと覚醒を遂げたのだ!
「ガハハハハ! 凄すぎる……! 凄すぎるぞサリマ様ぁぁぁっ!!」
バルドが大涙を流して天井を仰ぎ、叫んだ。
「この『水晶清酒』と、あの美しい『バイオシルク』……! 王都の国王や大貴族どもが見たら、国を傾けてでも欲しがるに決まっておるわい!!」
「サリマ様バンザイ!」「至高のお酒だーっ!」
地下工房内に、ドワーフたちと村人たちの割れんばかりの大歓声が響き渡った。
◇
その日の夜。
ボロ小屋のあたたかな囲炉裏の傍らで。
1歳11ヶ月になったサリマは、エリスの膝の上で、出来立ての最高級シルクで縫ってもらった小さな服を着て、ニッコリと満足そうに笑っていた。
「綺麗ねぇ、サリマ。お洋服も、あのお酒も……あなたが全部作ってくれたのね」
エリスが愛おしそうにサリマの頬を撫でる。
「かぁか! さりま、綺麗なお酒、つくった! お父ちゃんも、かぁかも、笑顔!」
「ああ……サリマ。お前は本当に我が家の、そしてこの村の誇りだ」
ガノスがサリマの小さな手を両手で優しく包み込む。
(ふふん! 1歳11ヶ月! 魔物クモ糸のバイオ精練による『極上シルク』と、ナノろ過による至高の透明清酒『水晶』の完成ね!)
サリマは前世のアラサー社畜バイオ研究者としての胸の中で、誇らしく胸を張った。
武力での防衛、ドワーフとの地下工房開拓、代官との減税交渉、そして今回の最高級絹と至高清酒の誕生——。
1歳児サリマのバイオ革新は、もはや最果ての小さな村の枠を完全に飛び越えようとしていた。
来月は、ついにサリマの『2歳の誕生日(12月25日)』。
そして2歳を迎えるサリマの前に、冒険者ラグナスの紹介によって、「王都の大商人クラウス」が極秘に訪れることになる。
最果ての貧村から、世界を揺るがす『アルカブランド』の発酵要塞都市へ——。 サリマの新しい人生は、さらなる輝かしい未来へ向かって、どこまでも力強く突き進んでいくのだった。




