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第12節:【1歳3ヶ月〜1歳4ヶ月/4月〜5月(春)】 「1歳児サリマの倉庫大移動」とミクロの【菌】空気清浄システム

■ 第12節:【1歳3ヶ月〜1歳4ヶ月/4月〜5月(春)】


「1歳児サリマの倉庫大移動」とミクロの【菌】空気清浄システム

【1歳3ヶ月(4月初旬・春)】


最果てのアルカ村にも、待ち望んだ暖かな春の陽気が満ち始めていた。 山々の残雪は勢いよく解け出し、共有畑の黒土からは青々とした野草の芽が力強く顔を出している。


「お父ちゃん! こっち! お酒、おいでおいで!」


1歳3ヶ月を迎えたサリマは、小さな手押し車を自分の二本の足で力強く押し、トコトコと軽快な足取りで裏山への小道を先導していた。手押し車の籠には、大切に布で包まれた「熟成酒の予備壺」が納められている。


「がはは! 早い早い、サリマ! 手押し車をすいすい使いこなして、すっかり一人前の作業員だな!」


後ろから大きな土壺を担いだガノスが、目尻を下げて嬉しそうに声をかける。


「本当ですわねぇ。一年前は私のお胸の中で小さく泣いていたばかりでしたのに……。ほら、サリマ、転ばないように気をつけてね」


エリスも干し肉と麦芽シロップの瓶を詰めた籠を抱え、微笑みながらサリマの隣を歩く。


「かぁか、だいじょうぶ! さりま、強い!」


胸を張って答えるサリマの姿に、周囲を歩く村の若い農夫・ピートたちからもドッとあたたかな笑い声が上がった。


(ふぅ〜っ! 二足歩行+手押し車の機動力、最高ね! 自分の足で歩いて作業に参加できるこの達成感、前世の社畜時代には味わえなかった爽快感だわ!)


サリマ(明日香茅理紗)は、前世の29歳アラサーバイオ研究者としての知性をフル回転させつつ、1歳児としての身体を存分に動かしていた。


一行が裏山の赤岩の断崖絶壁に到着すると、ガノスが周囲を警戒するように見回してから、壁の前に立った。


「よし……周囲に人はいないな。結界を開けるぞ」


ガノスがバルドから教わったルーンの合言葉を低く唱えると、目の前の一枚岩の壁がすうっと揺らぎ、中へと続く隠し洞窟の入口が顔を出した。


「すごい……! 何度見てもドワーフさんの結界魔法は魔法みたい……って、魔法なんですけれど!」


ピートが感心しながら手押し車を押して中へ入っていく。


新しく完成した裏山の「結界隠し地下倉庫」。 大人数十人が余裕で入れる広大な地下ドーム内には、ドワーフの鉄具、熟成発酵酒の土壺、発酵ジビエ肉の小壺が綺麗に整頓され、村の全財産が安全に保管されていた。


しかし——。


倉庫の中に足を踏み入れた瞬間、サリマの敏感な鼻が、空気の微妙な変化を鋭く察知した。


(……ん? ちょっと待って……)


サリマは手押し車を止め、くんくんと鼻を鳴らした。


春の陽気とともに解け出した雪解け水が、地下ドームの岩盤の微小な亀裂を伝い、壁面の奥へとじわりと染み込んでいたのだ。 さらには、外界の温かい空気が結界の隙間からほんのわずかに流入し、ドーム内の冷気と混ざり合うことで、天井や部屋の隅に「湿った空気の滞留(湿度85%以上の高湿度域)」が発生しかけていた。


サリマは手押し車を置き、トコトコとドームの最も奥にある壁際へと歩み寄った。 壁の表面にそっと小さな手を当て、目を閉じる。


(バイオ感覚、全開……! ……やっぱりだわ! 岩盤の表面に、春の湿気を好む悪性の『糸状嫌気性カビ(腐敗菌)』の胞子が漂い始めてる!!)


ドワーフの古代魔法は、外からの「視覚」と「匂いの漏れ」を完全に遮断してくれる超絶技術だ。 しかし、魔法は「空気の対流や微生物の増殖」まで自動で衛生管理してくれるわけではない。 このまま春から初夏にかけて放置すれば、地下ドーム内にカビが充満し、土壺の微小な隙間から侵入して、大切な熟成酒や発酵肉を酸毒の泥水へと変えてしまう。


(せっかく自宅の床下から安全な場所へ引っ越してきたのに、空気の滞留で全滅なんて絶対にさせないわ!!)


サリマは即座に振り返り、土壺を棚へ並べていたガノスとピートに向かって声を張った。


「お父ちゃん! ピート! ここ、しめしめ! カビ、くるよ!」


◇


【1歳3ヶ月半(4月中旬)】


「えっ……!? カビが来る、だって……!?」


ガノスが驚いて手に持っていた壺を置き、サリマの元へ駆け寄ってきた。


ピートも慌てて壁際に寄り、手で壁を触ってみる。


「むむ……? 言われてみれば、確かに壁の隅がほんのり湿っぽいです。でも、村長、カビなんてまだ生えてませんよ?」


「バカ言え、ピート!」


ガノスはピートの頭を軽小づいた。


「サリマが『カビが来る』って言ったんだぞ! 生後三ヶ月の時も、地下穴のカビを一番最初に気づいて教えてくれたのがサリマだったんだ! この子の勘は、俺たちの何倍も確実なんだよ!」


「は、はいっ! すみませんサリマ様! 俺が浅はかでした!」


ピートが慌ててサリマに向かって深く頭を下げる。


(勘じゃないのよ、科学的根拠(エビデンス)に基づいたバイオ分析よ! でも信用してくれるのは助かるわ!)


サリマは「あうっ!」と可愛らしく頷いて見せると、壁をトントンと叩きながら、ハッキリとした言葉で指示を出した。


「あな、あける! 風、とおす! くるくる〜って!」


「穴を開けて……風を通す……? 換気口を作れってことか!?」


ガノスが目を見開いた。


「そうだ! どんなに広い穴でも、風が流れなきゃ空気が淀んでカビが生える! サリマの言う通りだ、新倉庫に空気の通り道(換気ルート)を作らなきゃならん!」


そこへ、定期点検のために結界を潜ってやってきたドワーフの小頭・バルドが足音高く現れた。


「ガハハ! なにごとじゃ、ガノス! 大声を上げて……ん?」


「バルドさん! ちょうど良いところに!」


ガノスが事情を説明すると、バルドは太い赤髭をワシワシと掻きながら、天井と壁面をじっくりと検分した。


「ぬう……なるほど。流石はドワーフの掘削じゃと自負しておったが、確かに春の雪解け湿気までは計算に入っておらんかったわい。サリマ様、相変わらず恐ろしいお方じゃ……」


バルドはサリマの前に膝をつき、感心したように頷いた。


「よし! 天井の岩盤に、外の街道からは見えん角度で『斜め細穴の換気煙突』を二本掘り抜いてやろう! 風の通り道を作れば、湿気は逃げていくはずじゃ!」


「バルド、ありがと! かんき、だいじ!」


サリマが小さな手でバルドの太い腕をぽんぽんと叩くと、バルドは「ガハハ! 礼を言われたぞ! 職人魂が燃えるわい!」と大喜びでハンマーを担ぎ直した。


◇


【1歳4ヶ月(5月上旬・初夏への足音)】


ドワーフの掘削技術により、結界倉庫の天井と壁面に細い「自然換気煙突」が二本穿たれた。 外の風が煙突を通じて地下ドーム内を通り抜け、滞留していた湿気は一気に外へと排出され始めた。


「サリマ様! バルドさんが換気穴を開けてくれたおかげで、すごく空気が清々しくなりましたよ!」


ピートが爽やかな笑顔で報告する。


しかし——サリマは新倉庫の中央で腕を組み、うーんと小さな首をひねっていた。


(うん、換気穴で湿気の滞留は劇的に改善されたわ。……でもね、これだけじゃ『地球のワインセラー』レベルには届かないのよ)


サリマは前世の醸造学と環境微生物学の知識を脳内で巡らせた。


(単に外の風を通すだけだと、夏になれば外の『蒸し暑い空気(30度近く)』がそのまま入ってきて倉庫内の温度が上がっちゃう。逆に冬は冷気が入りすぎてお酒が凍結しちゃうの。熟成酒と発酵肉にとって理想の環境は……【年中を通じて温度12度前後、湿度65%を一定に保つ絶対恒温恒湿空間】なのよ!)


外気の影響を受けず、カビの発生をゼロに抑え、かつ理想の温度と湿度を365日維持する……。 魔法だけでも、単なる建築技術だけでも届かない領域。


(そう……ここで私のアラサーバイオ研究者としての本領発揮よ! 微生物による『調湿&空気清浄システム』を、この倉庫全体に構築してあげるわ!!)


サリマは両親とバルドが作業をしているスキを見計らい、トコトコと新倉庫の石畳の壁際へと歩み寄った。


そして、そっと両手のひらを岩壁にペタリと押し当てた。


(スキル【キン】——全開発動!!)


サリマは全身の集中力を手のひらへ注ぎ込んだ。


ターゲットは、新倉庫の岩壁や地面の石畳に自生している「有用な常在菌類(耐冷性乳酸菌、安全な放線菌、調湿性地衣類菌)」。


(壁面の調湿性微細菌の代謝を最適化! 岩盤から染み出す過剰な水分を菌類が膜となってキャッチし、湿度が下がった時に適度に放出させる『天然のバイオ調湿フィルター』を形成しなさい!)


(さらに……外気から混入する悪性の黒カビ胞子を、壁面の放線菌が放つ天然の抗菌物質(バクテリオシン)で秒で無力化(除菌)! 空気を常に清浄に保つのよ!!)


目に見えないミクロのバイオ革命。 サリマの手のひらを通じて、微細な有用菌たちのネットワークが地下ドーム全体の岩壁へと、網の目のように広がっていった。


魔法の結界が外敵を遮断し、ドワーフの換気穴が風を呼び、そしてサリマの【キン】のバイオ調湿膜が空気と湿度を完璧にコントロールする——。


『バイオ×魔法×ドワーフ建築』の完全融合!


その瞬間、地下ドーム内の空気が、目に見えて変わった。


サァァァ……っと、ひんやりと爽やかな、まるで高山の森林の中にいるかのような、清廉で澄み切った空気が室内を満たしたのだ。


「……ん? なんだ……?」


土壺を運んでいたガノスが、思わず足を止めて空気を深々と吸い込んだ。


「ガノス様……? どうなさったのですか?」


エリスが不思議そうに尋ねる。


「いや……急に、倉庫の中の空気が……驚くほど澄み切った気がするんだ。ひんやりと涼しいのに、全然湿っぽくない。なんだか……すごく気持ちが良い空気だぞ!?」


バルドも驚いて目を見開き、壁の岩肌を手で撫で回した。


「な……なんじゃこれは……!? 岩肌の湿り気が綺麗に消えておる! それどころか、外は初夏の暑さが始まりかけておるというのに、この部屋の中は……まるで年中変わらん『12度前後の完璧な冷気』で満たされておるぞ!!」


バルドは自身のドワーフとしての長い経験と感覚に照らし合わせ、震える声で叫んだ。


「あり得ん……! どんな高級な地下酒蔵でも、季節によって多少は温度や湿度がブレるものじゃ! なのにこの倉庫は……まるで『酒と肉を熟成させるためだけに神が創った絶対のセラー』になっておるぞぁぁぁっ!!」


「神のセラー……! 一体どうして急にこんなことに……?」


ピートたちが唖然とする中、ガノスとエリス、そしてバルドの視線が、壁際で「ふふん!」と誇らしげに胸を張っている1歳3ヶ月のサリマへと一斉に注がれた。


「サリマ……また、お前がやってくれたのか……?」


ガノスが感動で声を震わせ、膝をついてサリマを強く抱きしめた。


「さりま、お酒と肉、まもった! ここ、ずっとすずしい! おいしいお酒、できるよ!」


サリマが小さな手でガノスの首に抱きつき、ニカッと太陽のような笑顔を見せる。


「がはははは! やっぱりサリマ様じゃ! ドワーフの魔法とサリマ様の祝福が合わさって、世界一の熟成庫が完成したんじゃあぁぁぁっ!!」


バルドが大涙を流して天井を仰ぎ、ピートや村の男たちも「サリマ様バンザイ!」「最高の倉庫だーっ!」と大歓声をあげた。


◇


【1歳4ヶ月半(5月下旬)】


こうして、裏山の結界隠し倉庫は「年中12度・湿度65%」という、地球の最高峰ワインセラーをも上回る究極の熟成環境へと進化を遂げた。


その完璧な環境の中で保管された「熟成発酵酒」は、雑味が100%削ぎ落とされ、果実のようなフルーティーな香りと芳醇なコクを増し続けていた。 また、「魔物ジビエの発酵生ハム」や「味噌漬け肉」も、一切傷むことなく酵素分解が進み、口の中でトロリと解ける極上の旨味へと熟成を深めていたのだ。


ボロ小屋のあたたかな囲炉裏の傍らで。


1歳4ヶ月になったサリマは、エリスが作ってくれた「麦芽糖入りの甘いお粥」を、ドワーフのバルドから貰った小さな鉄の匙で器用にすくい、パクパクと美味しそうに食べていた。


「美味しいねぇ、サリマ。自分で上手にお匙を使えるようになって、偉いわねぇ」


エリスが愛おしそうにサリマの頬を撫でる。


「かぁか、おいしい! さりま、いっぱい食べて、おっきくなる!」


「ああ、いっぱいお食べ。サリマが元気に育ってくれるのが、お父ちゃんとお母ちゃんの何よりの幸せだからな」


ガノスがサリマの頭を大きな手で優しく包み込む。


(ふふん、1歳4ヶ月! 身体の成長も、村の防衛も、倉庫のバイオ環境も完璧ね!)


サリマは満ち足りた心地よさの中で、ニッコリと両親へ微笑みかけた。


しかし、サリマの知恵と開拓の歩みは、これで終わるはずもなかった。


「お父ちゃん! 明日は畑! さりまも、お野菜つくる!」


「おお! 畑仕事も手伝ってくれるのか! 頼もしいなぁ!」


初夏から盛夏を迎える1歳5ヶ月、1歳6ヶ月——。 サリマの視線は、今度は「村の食卓をさらに豊かにする、新しい野菜のバイオ品種改良と発酵漬物(キムチ・ピクルス)」へと向かっていくのだった。


最果てのアルカ村の未来は、天才バイオ幼児サリマの笑顔とともに、どこまでも爽やかに、そして美味しく広がっていく。

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