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■ 第10節:【11ヶ月〜12ヶ月(1歳)/(初冬)】 「二足歩行&たどたどしい言葉」と一歳の誕生日・『秘伝酒の開栓』

■ 第10節:【11ヶ月〜12ヶ月(1歳)/11月〜12月(初冬)】


「二足歩行&たどたどしい言葉」と一歳の誕生日・『秘伝酒の開栓』

【生後11ヶ月(11月中旬・1歳の誕生日まで:あと1ヶ月)】


最果ての地に、再び静かで冷厳な冬の気配が巡ってきた。 朝起きればボロ小屋の薄い窓枠にはびっしりと白い結晶が走り、遠くの赤岩山脈の頂きは白銀の冠を戴いている。


しかし、アルカ村の空気は一年前のどんよりとした絶望とは打って変わり、熱気と活気に満ちあふれていた。


「とうた! かぁか! みてー!」


囲炉裏のそばで、サリマは自分の足でしっかりと床を踏みしめ、トコトコと二本の足で歩いて見せた。 生後十一ヶ月。歩行器の助けを借りることなく、自力での『二足歩行』を完全にマスターしていた。


「お、おおおっ! エリス、見たか!? サリマが一人で5歩……いや、10歩も歩いたぞ!」


ガノスが作業の手を止め、膝を叩いて歓喜の声をあげる。


「まあまあ……! ガノス様、サリマったら『とうた』『かぁか』ってハッキリお喋りまで……。本当に成長が早くて頼もしい子ですわね」


エリスがかまどから湯気の立つ野草茶を運びながら、目元を留めて微笑んだ。


(ふふん! 足腰の骨格と筋肉の連動、前庭感覚のバランス……完璧よ! これで完全に『移動の不自由』から解き放たれたわ!!)


サリマ(明日香茅理紗)は二十九歳のアラサーバイオ研究者の知性と意地を胸に、胸を張ってニカッと笑ってみせた。


(自力で歩けて、簡単な単語が喋れる……。これなら村の大人たちへの指示や、ミクロの【キン】のスキル操作の精度もさらに跳ね上がるわ!)


そんな親子のあたたかな時間の中に、どたばたと威勢の良い足音が飛び込んできた。


「ガノス村長! いるか! 大物だ! 今年最後の『大狩猟』の準備が整ったぞ!」


ドアを勢いよく開けて入ってきたのは、狩人のダンと、その背後にそびえ立つ巨体——ドワーフの小頭、バルドだった。


「バルドさん! ダン! 大狩猟……とは?」


ガノスが立ち上がる。バルドは豪快に胸を叩き、赤い髭を揺らしてニヤリと笑った。


「おうよ! 裏山の奥の深林に、冬ごもり前の『岩甲イノシシ』の群れが降りてきておる! あいつらの肉は脂肪が乗って絶品だが、表面の皮膚が岩のように固くて、人間の弓や古い罠じゃ歯が立たんかったろう?」


「ああ、あの岩甲イノシシか……! 罠を仕掛けても丸太ごと破って逃げてしまう凶暴な魔獣だな」


「ガハハ! だが今は俺たちドワーフ特製の『鋼鉄のくくり罠』と『重矢尻』がある! さらに、ギルドから流れてきた例の冒険者ラグナスの一行も助っ人に加わっておるんだ! 村長、この山分け大狩猟……乗らん手はないぞ!」


(岩甲イノシシの群れ……! 脂の乗った巨大な魔物肉!!)


サリマはトコトコとバルドの足元へ歩み寄り、バルドのゴツゴツした太い指をギュッと握りしめた。


「バルド! にく! やるー!」


「ガハハハハ! 見ろ村長、この幼子サリマ様が乗り気だぞ! この子は酒の味も肉の価値も分かっておられる『神の子』だ! よし、決まりだな!!」


「ははは、サリマがそう言うなら断れんな。よし、村の男手を総出で出そう!」


アルカ村の狩人、山嶺のドワーフ族、そして流れの冒険者ラグナスたちによる、『冬の大狩猟作戦』がここに幕を開けたのだ。


◇


【生後11ヶ月半(12月初旬・1歳の誕生日まで:あと2週間)】


大狩猟作戦は、大成功を収めた。


ドワーフのバルドが鋳造した超強靭な鋼鉄罠と、冒険者ラグナスたちの巧みな追い込み、そして村の狩人ダンの熟練の狙撃により、体長三メートルを超える巨獣『岩甲イノシシ』を含む三頭の魔獣が見事に仕留められたのだ。


村の中央広場には、山のような肉と骨が積み上げられ、村人80人とドワーフ、冒険者たちが熱気に包まれていた。


「凄ぇ……! こんなに大量の脂が乗った肉、村の歴史上見たことがねぇぞ!」


「だが村長、岩甲イノシシの肉は脂が多すぎて、普通の塩漬けじゃすぐに油が腐って(酸化して)傷んじまうんだ。どうやって冬の間保存する?」


ダンの問いかけに、ガノスは自信に満ちた笑みを浮かべ、足元のサリマを見つめた。


「大丈夫だ。サリマとエリスが……新しい『発酵保存の技』を仕込んでくれたからな」


サリマは前世の食品生化学の知識をフル動員していた。


(脂質の多いジビエ肉の長期保存……それこそが日本の誇るバイオ技術『味噌漬け・麹熟成(発酵タレ)』の出番よ!)


サリマは胎内時代から【キン】のスキルで土壌や穀物から採取・選別しておいた、安全な『好気性麹菌(こうじきん)の原種』を、雑穀と塩、そして麦芽シロップと混ぜ合わせて『特製発酵味噌タレ』を小壺に作らせていたのだ。


「この特製の発酵タレを肉の表面にたっぷりと塗り込み、素焼きの壺に詰めて冷暗所で寝かせるんだ。そうすれば、麹の酵素が肉の脂の酸化を防ぎ、旨味成分のアミノ酸を爆発的に増やしてくれる!」


ガノスが村人たちに指示を出し、解体された岩甲イノシシの肉に発酵タレが揉み込まれ、次々と壺に密閉されて地下穴へ運ばれていった。


「ほう……! 肉を菌と味噌で漬け込むのか……! 嗅いだことのない甘く香ばしい匂いがするぞ!」


冒険者のラグナスが感嘆の声をあげる。


「よし! 一年間頑張った村のみんなと、協力してくれたバルドさん、ラグナスさんたちに、今夜はできたての『岩甲イノシシの味噌焼きジビエ』をご馳走するぞ!」


ガノスの宣言に、広場から割れんばかりの歓声が上がった。


「「「うおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」」」


その夜、村の中央広場に据えられた巨大な焚き火の周りで、大宴会が繰り広げられた。


網の上でじゅわじゅわと脂を滴らせ、香ばしい焦げ目を上げる岩甲イノシシの味噌漬け焼き。 バルドが一口噛み砕くと、肉汁が弾け飛んだ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」


「う……美味すぎる……!! 脂のしつこさが全くない! 味噌のコクと麦芽の甘みが肉の奥まで染み込んで、噛むほどに旨味が溢れ出してくるわぁぁぁっ!!」


「酒だ! 酒を持ってこい! この肉にはあの『熟成酒』がなければ犯罪だぞぁぁぁっ!」


ドワーフたちも冒険者たちも、村人たちと肩を組み、極上の発酵肉と熟成酒を汲み交わして大泥酔し、歌い踊った。


かつて飢饉と絶望で死に瀕していたアルカ村は、いまや異世界のどんな都市よりも豊かで、温かく、美味しい笑顔にあふれる「奇跡の発酵集落」へと完全に変貌を遂げていたのだった。


◇


【12月25日(ついに迎えた1歳の誕生日)】


そして、運命の日が訪れた。


12月25日。しんしんと美しい白雪が天から舞い降り、最果ての村を清らかな銀世界で包み込む聖なる夜。


ボロ小屋の中は、囲炉裏のあたたかな火と、集まった人々のみち満ちた笑顔で熱気に包まれていた。


村長ガノス、母エリス、生後十二ヶ月(一歳)を迎えたサリマ。 さらに、村の若い衆ピートやダン、ドワーフの小頭バルド、冒険者のラグナスたちまでが、狭い部屋にぎゅうぎゅうに集まっていた。


「さあ! 今日は、俺たちの村を救い、俺たちに生きる知恵と笑顔を与えてくれた……サリマの『一歳の誕生日』だ!!」


ガノスが感極まった声で宣言する。


「「「サリマ様! 一歳のお誕生日、おめでとうございますーーーーっっっ!!!」」」


村人たちから拍手と歓声が巻き起こる。 ドワーフのバルドが、自身の手で鍛え上げた『小さな鉄の匙と頑丈な木彫りの器』をプレゼントとしてサリマの手に持たせた。


「サリマ様! ドワーフの誇りを込めて打った、世界に一つだけの匙だ! 一生使ってくれ!」


「おじちゃん、ありがとー!」


サリマが舌足らずに、しかしハッキリとお礼を言うと、バルドは「ガハハハ! 喋った! 賢い子だぁ!」と大涙を流して喜んだ。


「そして……今日の日のために、サリマが生まれたあの日から『二年間』……地下穴の最深部でじっくり熟成させてきた……『第一号・至高の原酒』を開栓するぞ!!」


ガノスが、ピートとともに地下から抱えて上がってきた、金の模様(熟成で生じた結晶)が浮かぶ素焼きの土壺をテーブルの中央に据えた。


サリマが胎内時代から【キン】のスキルでミクロの酵母と乳酸菌の比率を極限までコントロールし、不純物を一滴たりとも許さずに熟成させ抜いた、まさに神の領域の熟成酒だ。


ガノスが慎重に、壺の封泥を削り落とし、木蓋をぽんと抜いた。


ぽんっ……。


静かな音とともに、蓋が外れたその瞬間——。


ふっ……ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……っ!!


「「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!?」」」


部屋の中にいた全員が、落雷に打たれたように息を呑み、硬直した。


部屋の中どころか、家の外、さらには村全体にまで染み渡るような、筆舌に尽くしがたい香気が一気に弾けたのだ。


甘く熟した果実の香り、清冽な湧き水の透明感、そして胸の奥をふんわりと解きほぐし、全身の血流を沸き立たせるような、圧倒的に優雅で気品ある芳香。


「な……なんだこの香りは……!?」


冒険者のラグナスが目を見開き、手振るわせた。


「酒か……? これが本当に、人間の作った酒なのか……!? 匂いを嗅いだだけで、体中の疲労と傷が消えていくようだ……!」


「ガハハ……! ドワーフが三百年生きても、こんな酒は醸せん……! まさに『神の醸造酒』だぁっ……!」


バルドが感動に震え、膝をついた。


ガノスが木柄杓で、壺から透き通った琥珀色の液体をすくい上げ、全員の木碗へと注いでいった。


「サリマの誕生に……そして、俺たちを繋いでくれた奇跡に乾杯だ!!」


「「「乾杯ーーーーーっっっ!!!」」」


全員が一斉に、小杯の黄金色の酒を口へと運んだ。


ごくり……。


「……っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」


全員が目を丸くし、言葉を失って涙を流した。


喉を通る瞬間の絹のような滑らかさ。 口いっぱいに広がる濃厚な麦芽の甘みと酸味、そしてアミノ酸の圧倒的な旨味。飲むほどに身体の底から活力がフツフツと湧き上がり、全身が幸福感で満たされていく。


「美味い……っ! 美味すぎるぞチクショウ……っ!」


「生きてて良かった……! こんな凄い酒が飲めるなんて、アルカ村に生まれて良かったぁぁぁっ!」


歓喜と感動の涙が、部屋いっぱいに溢れ出した。


ガノスとエリスは涙を流しながら、サリマを二人で強く抱きしめた。


「サリマ……サリマ……。お前が俺たちの元に生まれてきてくれて……本当に良かった。ありがとうな、サリマ……!」


「ええ……! あなたは私たちの、この村の最高の宝物ですわ……!」


両親のあたたかな温もりと、溢れんばかりの愛。


サリマは胸の奥がカッと熱くなり、前世の孤独だった二十九年間の自分(明日香茅理紗)の記憶が、祝福の光の中に溶けていくのを感じた。


前世の自分は、狭いラボで深夜まで一人で顕微鏡を覗き込み、誰からも感謝されずに倒れて死んだ。 けれど、今——自分にはこんなにも愛してくれる両親がいる。自分が仕込んだバイオの知恵と発酵の力で、心の底から笑ってくれる仲間たちがいる。


(……ああ、あきらめずに試行錯誤して、本当によかった……!)


サリマは両親の胸に小さく頭を預け、エリスの手に持たされた小さな匙から、一年前と同じ「黄金色の麦芽シロップ」をひと滴、舌に乗せてもらった。


ちゅ……ちゅぽ。


(……っ〜〜〜〜〜〜〜!! 甘い!! やっぱりこの麦芽シロップの味は、世界で一番美味しいわ!!)


サリマはちゅうちゅうとシロップを味わうと、ニカッと太陽のような満面の笑顔を浮かべた。


「とうた! かぁか! みな! だいすき!」


「「サリマ……!!」」


ガノスとエリスがサリマを強く抱きしめ、村人たちやドワーフ、冒険者たちが大きな歓声と拍手を送った。


サリマは二人の膝の上でしっかりと立ち上がり、満ち足りた思いで窓の外の美しい雪空を見上げた。


(細胞時代から始まった、私の泥臭い0歳児サバイバルはこれで完全に大成功で完結よ!)


(でも……私の物語はここからが本当のスタート!)


サリマの瞳(前世のアラサーバイオ研究者の知恵を宿した瞳)が、力強く、そして未来に向かって頼もしく輝く。


(一年間で完成させた私のバイオ技術、ドワーフとの鉄具交易、そしてこの『至高の熟成酒』……。これがあれば、もう悪徳代官の脅威に怯える必要なんてない!)


(もう少し大きくなったら、この酒を武器にして代官と完全に対等な交渉(独立)を勝ち取り、このアルカ村を13州一の『バイオ醸造・発酵都市』へと発展させて……)


(いつかお父さんとお母さんと一緒に、堂々とこの至高の酒で『最高の家飲み』をしてやるんだから!!)


家族の愛と、試行錯誤の科学の知恵、そして甘い麦芽シロップの味とともに——。 サリマの異世界での新しい人生は、さらなる希望と美味にあふれた未来へ向かって、力強く歩み始めていくのだった。


(第二部・0歳児バイオサバイバル&亜人交易編 完)

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