幕間:和葉 6.家族を迎え入れるに。
和葉は朦朧とする意識の中で、色々と騒がしかったことは頭の片隅で覚えている。ただし、何があったのか、何が起きたのか、思えているのにも拘らず曖昧にもなっていた。
誰かが必死に呼びかけているようなのだが、よく分からない。よく知る人なのか知らない人なのかの判断もつかなかった。
体を色々と触られたりした。色々と運ばれたりもした。色々――はっきりとしないので色々と何かをされているという認識しかなかった。
世界が暗いような眩しいような不可思議な感覚のまま、意識はテレビかラジオを切るようにブチリと途切れたのである。
次に目を覚ませば、鈍い感覚の中で見るよく知る顔があった。両手を口元に当て、涙を浮かべながら何かを言っている。認識力がまだ乏しいためか、言葉までは理解できなかった。でも、喜びと悲しみの入り混じった顔だということだけは分かった。
それをしばし見た後、すぐに力尽きて眠りについた。
「――目が覚めた?」
意識が戻れば、最初に聞こえたものは女の声である。それも横から聞こえてくる。
和葉はゆっくりと頭を動かして見やれば、ベッドの上で横になって雑誌を開いている霞の姿がある。とても暇そうに、今にも欠伸をしそうなほどぼんやりとしている。
「いつから、そこに?」
和葉は問うのだが、うまく声に出せているのか分からない。そもそも、なぜ霞がベッドの上にいるのだろうか、と疑問を浮かばせる。刺されたのは和葉であって、霞が傷を負ったという記憶がない。
「最初から。あなたが集中治療室を出る前からいたのよ。どうして同じ部屋にしたのかって文句を言ってやったんだけどね。こうなるきっかけを作ったのは誰なのかって、すぐに言い返されてしまったわ。普通なら女と男では部屋を分けるはずなのだけど、表沙汰にできないことだから、ひとつの部屋に押し入れられたのね」
霞は笑う。しかし、すぐにわき腹を押さえて痛みを堪えている。笑いと痛みを天秤にかけ、結局笑いをとって痛みに涙を溜めている。
そうなるということは、霞も怪我をしているということになる。何が起きたのかと思い返してみるのだが、和葉の記憶には霞が怪我を負ったということがすっぽりと抜けている。
どうであれ、ここで寝ているというのだから、霞も誰かによってここに寝かされる羽目になったのだろう、とだけ解釈した。
霞は目尻を指で拭い――
「勝負はあなたの勝ちよ。私は己を維持することができなかった。言い訳のしようもないまでに、みっともないところを見せてしまったわ」
苦笑いを浮かべる。
そう言われても、和葉には何のことを言っているのだろうか、とぼんやりとした記憶を探ることしかできない。
覚えていることといえば、霞に刺されたということぐらいだ。あとは、何で刺されたのか、刺されるきっかけになったのは何なのか、何も分からない。いや、忘れてしまっている。
だから――
「勝負……そういえば、していたんですね。忘れていました。僕はずっと……何をしていたのでしょうか。何かを探していたような覚えが少しあるだけで……」
手繰り寄せられる記憶を基に、曖昧な答えしか出せない。
「ああ、傷のせいで記憶障害が起きているのね。すぐに思い出せるわよ。というか、誰かを助けるのでしょ? 守るのでしょ? そのために、〝一般人〟の身でありながら、魔具なんて物に手を出そうというのだから」
「そう……でした……。僕は、母のために……」
思い出して、言った。そのまま力が抜けていく。いや、力を込めるに至らなかった。瞼が重い。霞が何かを言っているようだが、聞こえてこない。音すらも遠ざかっていく。
これで何度目になるのだろうか、眠りへと落ちていった。
◇
「あら、眠ってしまったわね。少し話しただけで疲れてしまったのかしら」
霞は和葉の寝顔を見て笑む。その穏やかな顔に、「僕には守りたいものがあるのです」と言った時の顔を重ねて見る。トクンと胸が鳴る。それだけ、あの時の和葉が印象に残っている。何より――
自らの想いを思い返した。何のために居場所を求めているのか。生きていくための場所がなかったからこそ、居場所を求めていたのは事実。そして、生きるための目的があるからこそ、居場所を求めていたことも同じ。
生きていくための目的――〝守ること〟。何かを守り続けること。守り続けなければ生き続けられないこと。
何ゆえ守るのか、守り続けるのか――〝蛇〟との契約がある。使命といえばいささか大それた言葉になるのかもしれないが、やり続けなければならないこと、果たし続けなければならないことには違いない。
契約を破れば、〝蛇〟が内から食い破らんとばかりにこの体を乗っ取ってくる。そうしなければ、〝蛇〟も生き残れないから必死なのである。
それが自らの暴走を生み、和葉を刺し、遊慧の一撃によってベッドの上で暇を持て余すということに至ってしまった。
互いに契約を守らなければ生き続けられない。
思い耽っていると、扉がノックされ開かれる。
「お加減は、いかがでしょうか」
白百合の花束を手にした遊慧が入ってくる。日に一度は見舞いに来てくれる。正確には様子を見るためであるが。
霞は遊慧へと見やってから、和葉へと視線を戻した。
「遊慧が加減をしないから、しばらくこんな身よ」
責めるつもりはないのだが、少々困らせてやろうと意地悪なことを言う。
しかし、遊慧は表情を変えることがない。そんな目に遭ったのは誰の失態なのか、とさも当然だと言いたいのだろう。
「そうでございますか。私としましては、〝蛇〟に囚われた霞お嬢様を静かにさせるには、一番と思ってのことなのですが。それに、私は霞お嬢様のように人ならざる者の相手ができません。私が相手できるのは飽くまで人です」
遊慧はしれっと言い、花瓶を手にして部屋から出て行ってしまった。これでは困らせてやろうと思ったのに何も動じないのだから、こちらが困ってしまう。
また和葉と二人きりになったのだと思えば、扉の前に少女の姿があることに気づいた。霞のよく知る人物――千代である。通っている中学の制服をまとっているので、学校を終えてから遊慧とともに来たということだろう。
扉の前にいるのは、遠慮しているのだろうか。暇を持て余していたのだから、誰かが来てくれるのはとてもありがたいことなのだ。だから、そう遠慮せずに入ってくればいいのに、と見やる。
「遊慧と一緒に来ていたの?」
千代へと笑みをかければ、応えるように千代がベッドのそばまで寄ってくる。とても心配そうな目をしている。
確かに怪我をしているが、そこまで心配されるような状態ではない。〝蛇〟は誉のお陰で、今や静かに眠っている。体が回復するまでは起きることもないだろうから、体を乗っ取られるという心配もない。
「私なら大丈夫よ。遊慧のお陰で肋骨を二本折られてしまって、この様だけどね」
ともなれ、みっともない姿を晒しているため、すんなりと心配するなとも言えず、苦笑いである。
「……無理をしては、嫌です。私はあなたに救われた。だから、今度は私が――」
救われた――この街へと来る前に関わった事件で、千代を引き取ることになった。救われたとは、そのことを言っているのだろう。
だから、今度は代わりに千代が霞を救おうというのだろう。律儀な子なのだ。それが微笑ましく思え、苦笑いもすぐにどこかへと飛んでいく。
「フフ、中学生が背伸びなんてしないの」
そっと千代の頬へと手を伸ばす。千代は動かず、霞の手を受け入れる。優しく撫でてやった。
「私はずっとあなたに付き従います。あなたの成すことを、成そうとすることを、私にもお手伝いさせてください」
「ありがとう。でも、今はまだいいわ。私はあなたの〝姉〟。あなたは私の〝妹〟。それだけでいいわ。それに、しばらくは何もできないから」
千代から手を離し、天井を見上げる。
真っ白な天井は何もない自分を表しているようで嫌いだ。守るために生きると言うが、実際には何を守っていいのか定まっていない。とりあえず助けられる者がいれば、助けるという行動を繰り返してきた。
だから、自分にはまだ〝守るべきもの〟が何もない。和葉のように誰かを守るという意志はとても憧れることである。
高校生に先を越されたな、と和葉を見やり、苦笑するだけの自分がとても辟易としてくる。
「あの男が、あなたをこんなことに至らしめた原因ですか?」
千代が眠る和葉を睨む。憎悪を向けている。
「違うわ。私にないものを持っているのよ。誰かのために――。私もそういう誰かを持ちたいのよ。ねぇ、私のことを、もしよければだけど『お姉ちゃん』って呼んでくれる?」
「え?」
「血はつながっていないけど、養女として咲耶家に入ったわけだし、一応形だけど姉妹なんだから。駄目、かな?」
霞は千代へと見やれば、千代は目を丸くして見据えてくる。突然のことにどう答えたらいいのか迷っているのだろうか。立場が逆であったとしても、やはりどう答えるにしても戸惑うだろう。
「今は、誰を守ればいいのか分からないけど――その、形だけになってしまうけど、あなたのことを守るべき人の一人として」
「私なんかがいいのですか?」
「大事な妹だもの。ずっと一人っ子だったから、妹ができて嬉しいの」
霞は両手を広げて、おいでと言わんばかりに笑みを向ける。
千代はためらい戸惑う目を向けてくる。やはり、血がつながっていないと駄目なのだろうか。それとも、互いによく知らないからこそ、いきなり姉妹なんてなれないのだろうか。
「か、か、霞姉さん……」
突然の申し出だったからと諦めようとした矢先だ。千代が顔を赤らめて、それもボソボソと言う。そして、ゆっくりと霞の腕の中へと収まった。
小さな体。少しでも力を込めれば壊れてしまいそう。でも温かく、とても愛らしく、この温かみを守り続けられればと――。
◇
もう何度、目を覚まし眠りを繰り返してきただろうか。でも、繰り返していくうちに色々と思い出すことができたし、考えることもできた。他にやれることもなかったので、やれなかったので、できたのだろうと結論づけた。
そして、何度目の目覚めなのか数えてもいないので分からないことだが、ある程度頭が冴えてきたところで、ベッド脇に譲葉の姿があることに気がついた。何度か繰り返しているうちに、譲葉を毎回というわけではないがいたことを覚えている。
最初はひどく傷心しきった顔だったが、その顔も見ていくうちに少しずつ穏やかに変わっていった。だから、和葉の心の中も穏やかになっていったことを覚えている。
それと、目が覚めて譲葉がそばにいると決まってこう言うのだ。
「よかった。目が覚まさないのかと思った。本当によかった。あの人の時のようにならなくてよかった」
顔をくしゃりとさせて、笑っているのか泣いているのか分からない。
譲葉の言う〝あの人〟とは、きっと夫――和葉の父親のことだろう。和葉がまだ小さい頃、病気で亡くしている。譲葉はこうして夫の前で夫の眠りを見続け、息絶えるところも見てきたのだろう。それを和葉にも重ねて見てしまい、ずっと哀しんでいたのだろう。
「大丈夫です、母さん。僕はちゃんと目を覚まします」
和葉も笑みを返した。手を動かして譲葉に触れたいところだが、体力がままならなく、体が重い。腕を上げることが、こんなにも大変なことなのかと実感し――譲葉が手を取ってくれる。
ふと譲葉の向こうに見知った顔と見知らぬ顔があることに気がつく。霞ではない。霞はいつの間にか退院してしまって、最近はこの部屋で独りだったのだから。
見知った顔というのは誉とネコジシ商会にいた少女、そして浄一と一緒にいた妙な恰好をした少女。見知らぬ顔は男女一組で、親子だろうか、譲葉と変わらぬ年齢と思しき男と小学生らしい少女。
「あ、紹介しなくちゃね」
譲葉が男へと見やれば、男が譲葉の横に立つ。眼鏡をかけており、さほど痩せているというわけでもないのだが、線が細めの如何にも事務職をやっていそうな体格。
譲葉とどのような関係なのだろうか、怪訝の目を向けてしまう。
「もっと早く話さなければならなかったのだけど、どう伝えていいのか分からなくて、ずっと先延ばしにしてしまっていたの。この人は百合垣康広さん」
譲葉の紹介にあやかって男――康広が会釈をする。その後ろで、少女が康弘を盾にしてこちらを窺っている。
「それとね、そちらが娘さんの美麗ちゃん」
少女――美麗は恥ずかしそうにして康弘の陰に隠れてしまった。
「私は康弘さんとお付き合いしていたの。こういう時に言うようなことじゃないのは分かっているわ。でも、和葉が命を張って、怪我までして、私をどうにかしたいという気持ちをどこまでも貫いて――和葉の気持ちはとても嬉しいけど、無理はしてほしくない。
それでね――康弘さんと一緒になろうと思っているの。もし――もしも、和葉が許してくれるのなら、なのだけど」
譲葉は恥ずかしげに、でもとても嬉しそうに言う。
その言葉は和葉の胸を貫いていった。霞の刀よりも鋭く、勢いよく大きな穴を開けていった。体がバラバラになるのではないかという衝撃。
「いきなり新しいお父さんだなんて言っても、受け入れられない話よね」
譲葉はためらいのある言い方をする。和葉にとっては父親の顔は覚えていないので父と呼んでいいのだろうかという思いがある。だから新しい父親ができたとしても気にすることはない。
「僕は――」
何と言えばいいのだろうか。自分が譲葉を守っていきたいと願っていた。なのに、新しく夫ができるということは、康広に譲葉を託すということになる。それでは譲葉を守るという願いはどうなるのだろうか。
譲葉を見れば、康広のことを真に信頼しているのは伝わってくる。だからこそ康広と一緒になろうと思ったのだろうし、康広も譲葉のことを知った上で一緒になってくれるのだろう。
なら、康広に託せば譲葉を守り続けてくれることだろう。
自分の願いを貫くか、他人に任せてしまうか――とても悩ましい。力不足の自分よりも、康広の方がきっと色々な面で譲葉を守ってくれることだって分かっている。だからこそ、悩んでしまう。
でも、何よりも大事なのは譲葉が幸せかどうかだ。
「僕は今、動くに動けません。その間なら、好きにして構いません。母と一緒になりたいと言うのなら、一緒になっても構わないと思います。ただし、あなたに母の全てを任せる気はないので、そこのところをよく知っておいてください。僕だって、母を守りたいのです。ともに、ということでしたら――」
和葉は頬を赤らめる。何を言っているのだろうか、と自分に辟易さえする。悩んで出した答えが、素直になれないだけの情けない自分を自ら認識するほどなのだから。
すると、康広が笑みを向けてくる。
「ああ、ともに譲葉さんを守っていこう」
和やかな笑みを向けてくる。和葉は恥ずかしさに満ちた笑みを返すだけだ。でも、譲葉を守るためなのだと思えば、いいことなのだろうと心の中で頷く。
「和葉、ありがとう」
譲葉が涙ぐんで言うものだから、声がこもってしまっている。康広が譲葉の肩に手を当て、「認めてもらえたのだから、泣かないの」と言う。
「だって、こんなに嬉しいことがないんだもの」
譲葉は和葉の手をぎゅっと握り、その手に康広の手がかぶさってくる。そして、オドオドとしながらも美麗も手を重ねてきた。
新しい家族ができたということなのだろう。嬉しいことなのだろう。まだ実感の湧かないことではあるが微笑ましくも思えた。自分のことなのに、和葉には他人事のようにも見えてしまう。こういうことはすぐにも実感の湧くことでもないのだろうから、ゆっくりと感じていけばいいことなのだ、と自らに言い聞かせる。
「――めでてえ話のところ悪いんだが、こっちの用事も済ませちまっても構わねえかい?」
それでも遠慮しているつもりなのだろうか、折角の団欒に水を差すというべきか、分け入ってくる声。ずっと待ちぼうけさせられ、痺れを切らせたのかもしれない。
「あ、ごめんなさい。和葉にご用があったのでしたね」
譲葉が涙を拭いながら、場を空ける。入れ替わるように誉がそばへと歩み寄ってくる。
「よぅ、んなことになるとは思ってなくてよぉ、それに関してはワシの落ち度だ。すまねえ」
誉が深々と頭を下げてくる。和葉が瀕死の重傷を負ったことを詫びているのだろう。ただ謝り慣れていないのか、どことなくぎこちない。
「いいんですよ。僕は一度止められていたんです。それでもなお、首を突っ込んだのですから、こうなったとしても僕にも責任があります」
「そ、そうか? そう言われてしまうとこっちとしても何と言うか、ますますすまねえ気持ちで一杯だな。
ま、それはともかくよ、お前さんに伝えておかなければなんねえことがある。勝負はなしになっちまったが、ワシとしては、お前さんに教えてやらんにゃならなくなっちまったんだな。普通の人間には知り得んところにお前さんは足を踏み入れちまった。それを求めるにも求めねえにも限らず、知っておかなきゃならねえことができちまったんだ。
今すぐとは言わねえ。ゆっくり休んで、それからうちに来い。そしたら、お前さんが求めていたもんが何かを教えてやっからよ」




