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クロネコヤマネコ  作者: 葛飾タキ
Episode6.獅子の瞳
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幕間:和葉 7.敗者の居場所/勝者への仕打ち。

 霞は本来ならまだ入院していなければならない身だった。でも動けるからということと、入院し続けるためのお金がないという理由で無理矢理にも退院したのである。

 しかし、本当に動けるのかと問われたら、まだ大人しくしていたいというのが本音である。歩けば痛みが嫌というほどに響き渡るのだから。

 お金の面にしても全くないわけではない。入院するに余裕であるほどの資金はあるのである。

 なら、どうして退院したのかということになる。ゆっくりと静養しておけば、痛みに悩まされることもないはずなのだ。

 その理由は和葉を見ていられなかったのである。〝守る〟という意志の強さに負けたことが、とても悔しくて羨ましくて――和葉が眩しく見えて、自らの不甲斐なさが痛烈に感じてしまうから、とてもつらいのである。


 病院を出てからずっと通りを歩いていれば、痛みが少しばかしつらくなってきたので、足を止めた。嫌な汗がずっと止まらない。

 どこかに休める場所がないだろうかと見渡す。痛みが引くまでで構わないから、落ち着ければどこだっていい。しかし、そんな都合よく座って休むような場所は見当たらない。周りは住宅や商店があっても休むに適していなかったりする。喫茶店のようなものでもあれば、と願ってみるものの、喫茶店はおろか軽食屋やファミレスすらもないときている。

 ともなれば、我慢して歩かなければならないのだろう。歩き続ければ、いずれは休める場所も見つかるかもしれないという安易な希望を胸にして。

「見つけました、霞お嬢様。勝手にいなくなられるから、千代お嬢様が心配なさっていましたよ」

 そこへ呆れ顔の遊慧が、後ろから近寄ってくる。

 「見つけた」と言うわりには、捜していたように見えない。ずっと陰で見ていたのだろう。病院からずっと追跡していて、根を上げそうになるまで待っていたように見えてしまう。

「痛みがつらいのでしたら、どうして退院なされたのですか? まだ休んでおられてもよかったですのに」

 問われても答えられない。痛みでそれどころでないし、退院した理由を恥ずかしくて言えないということもある。遊慧のことだから、理由を言っても嗤いはしないだろうが、小言を言ってくることは容易に想像できる。いくら仕える身だとしても、仕える相手の行動によっては厳しく当たってくるのが遊慧である。

「無理をなさるぐらいなら、なおさら休んでおられればよかったのです。いっそのこと、家にお帰りになさいますか? 大奥様には私の方から話をさせていただきますので」

 遊慧は霞の答えを待つこともなく話を続けていく。

 霞は反論もできない。いや、反論ができないまでに疲弊するまで待っていたということも考えられる。だからこそ、小言も体にこたえる。全て計算された上でのものなのではないのか、鬱蒼としてくる。

「霞お嬢様は、一度お休みになるべきなのです」

 きっぱりさっぱり言われてしまって、霞にできることといえば、遊慧に一瞥をくれてやるだけのことだ。でも、遊慧がそれぐらいで動じる相手でないことは、よく分かっているつもりだ。霞がそういう抵抗しかできないことを知った上で行動しているから、たちが悪いとしか思えないし、口にしたくともそこまでする気力もない。

 さらなる遊慧の小言がやってくるのかと、鬱々としていれば――

 二人の前にストレッチ・リムジン――GM・ハマーH2リムジンが止まって、遊慧の言葉を遮った。

 それの後部座席のウインドウが開けば、そこから眞紀が覗ける。

「ああ、ようやく見つけたよ。病院に行ったらすでに退院したと聞いてね。全く、面倒をかけさせてくれたものだね。ほら、車に乗りな。あんたに話のある人がいるんでね。拒むのは許されないからね」

 眞紀がドアを開けると、奥へと引っ込んでしまう。乗れということなのだろうが、今は動くこともつらいのだから、睨むことしかできない。

「霞お嬢様、どうなさいますか? 罠ということではないでしょうが、この辺り一帯を仕切る矢鮫組です」

 問われなくとも言われなくとも分かっている。奥歯を噛み締め、ゆっくりとであるが歩む。車へと手をつき、一度深呼吸をしてから痛みに声を出さないようにして中へと入った。身を屈めると痛みがこれ以上にないほど襲ってくる。座席に座り、息を吐き出せば、小さな呻き声が出てしまう。

 隣には遊慧が乗り込んでくる。

 ドアが閉まれば、車が発進した。小さい揺れなのだが、体に響いて痛みを倍増させる。

「やれやれ、その様子じゃ話も満足にできそうにもないねぇ。せめて腫れが引くまで大人しくしていればよかったものをさ。そこに救急箱があるだろ。中に痛み止めが入っているから、使ったらいいさね」

 眞紀がそう言うと遊慧が動き出した。霞は彼女らが何をしているのか、最早痛みのせいで把握できていない。ただただ痛みに耐えるということだけが延々と続いている。認識力は正直眠っているなみにないといっていい。

「ああ、そいつの使い方、知っているかい? というよりか、その薬の分量なんだがね」

「はい。心得ております」

「痛みを散らす程度にしておくれよ。話をすることが先なんだからね」

「はい」

 霞が何もできないことをよそに遊慧と眞紀の話が進んでいく。そして、遊慧が霞の腕を取った。何をやっているのかと見やれば、注射を打っているところだ。何で、と考えが頭の中を巡っていくのだが、痛みの方が強く、考えもすぐに散漫としてしまう。

 しばらくして、痛みが鈍くなっていく。ゆっくりと息をついて、眞紀を見やる。今までどうして気がつかなかったのだろうか、眞紀の隣には老婆がいる。どこかで見たことのある顔の気もするし、知らない顔のような気もする。頭がうまく回らず、見たことがあるかないかの判断も認識もできない。

「話せるようになったかい? こちらにいるのは栗花落(つゆり)の者さ。あんたのことを話していたら、是非とも会いたいと言ってね。それとも、すでに見知った顔だったりするのかい? この街へと来れば、あんたのような者が相手するのは、アタシのほかにネコジシのジジイとこの栗花落のババアぐらいのものだからね。

 ああ、栗花落のババアは耳が遠いし、声を出すのも億劫だというものだから、アタシが代弁させてもらうよ」

 眞紀はグラスに水を注ぎながら言う。水でも飲ませて落ち着かせようとそのグラスを向けてくるのだが、霞は見るだけで受け取ろうとしない。なぜグラスを向けられているのか――そもそもグラスそのものを認識できているのか霞自身分からなくなっている。代わりに遊慧がグラスを受け取った。

「さて、話というのはね、あんたの居場所についてだ。この街に住みたいらしいね。ネコジシのジジイにそう言ったんだろ? で、アタシらはあんたのために住む場所を提供しようというのさ。ま、このババアは色々と土地を持っているからねぇ。すぐにでも用意できるそうだよ」

 居場所――この言葉は鈍い頭でも反応できた。何よりも自分が求めているものだ。願っていたものだ。たとえ認識力が乏しくなっていても聞き逃すわけがない。

 眞紀を見据える。

 しかし、ぼんやりとしていて眞紀の言っていることが全て聞き取れているわけではない。何としても聞き取らなければならないことなのだと重々分かっているつもりだ。集中をしなければ、と認識力を高めようと気を張る。しかし、感覚は思いと逆で段々緩慢となっていく。

「薬が効き過ぎているのかい? ここえ話を済ませてしまおうと思ったんだけどねぇ。二度手間は――仕方ないかね、この際。それでね、住み場所は用意できるが、代わりにといっては何だい、頼みごとがあるのさ。世の中、持ちつ持たれつと言うだろ? この街には、生憎とあんたのようなのがいないのさ。いたとしても、ネコジシのジジイとつるんでいる者たちぐらいでね。若いもんが欲しかったところなのさ。分かるかい、アタシの言っていること」

 眞紀はじっと見てくるのだが、霞が何も返さないことに深く息をつく。

「〈異端狩り〉という存在をね、この街に是非とも置きたいのさ。理由は――言っても分かってくれるのか、分からないところが困ったところだねぇ。一応簡単に言っておくと、この街にだってある程度の歴史があってね。〈異端〉なんて呼ばれる相手から、いつ狙われてもおかしくないのさ。ここは〝〈焔姫(ホムラヒメ)〉の地〟だからね。〈焔姫〉欲しさに、集まってくるもんからどうしても守ってくれるもんが欲しいのさ。アタシらのような〝ただの人間〟だけじゃ、この〝シマ〟を守りきるのが難しいからね」

 眞紀は続けて写真を差し出してきた。遊慧が受け取り、霞へと預けてくる。女の写真で、何年か前に撮ったもののようで、色はまだ褪せていないものの角が曲がっている。黒く長い髪が特徴で、儚さを持つ女という印象がある。

「この街を守るついでで構わないけど、その娘もできたら守って欲しいのだそうだ。これは栗花落のババアからの直接のお願いさ。詳しいことは後日に栗花落のババアから聞くんだね。アタシには分からない案件だからね。

 さて、話はこれまでだけど、どうするんだい? アタシたちの話に乗れば、あんたはこの街に住める。ネコジシのジジイが何か言ってこようとも、アタシらがどうにでもするさ。さ、どうするんだい? 伸るか反るか」

「守る……? 私……が?」

「ああ、そうだい。大変になるか暇な日々を過ごせるか分からないが、この街を守るだけでいいさ」

「……分か……ったわ……何でもいい。私が〝私〟でいられるのなら……」

 条件反射だったというしかない。ただ一言、〝守る〟に反応しただけだ。守り続けることが生き続けることなのだと常日頃考えていることだったから、考えるに至ることなく答えていた。

 それで今ある力の全てを使い果たしてしまった。目を閉じ、暗闇へと落ちていく。痛みに耐えられなくなった――違う。眞紀と話しているうちに痛みはどこかに行ってしまったから、一時的とはいえ痛みから解放されたことで気が楽になったために、眠ってしまったとした方がいいか。

 これでゆっくり休める、と――。



   ◇



 和葉が栗花落ビルの前の立つのはこれで三度目になる。誉の思いつきで始められた対決からしばらくの入院生活。退院をするまでに至ったが、まだリハビリをして過ごしている身。だから前回からだいぶ間隔が開いてしまった。

 誉は退院したら来いと言っていたが、そのことを今でも覚えているのだろうか。あの時だけの口約束ということもあり得る。でも、ここへと来たのだから、今度こそ聞き出すつもりでいる。

 栗花落ビルへと足を踏み入れていく。まだ三度目だからか、緊張感も前と然程変わらない。でも、慣れた感もある。

 最初はおどろおどろしいと思っていた薄暗い階段も、今や明かりぐらいないと足元が危ないな程度に感じるようになってきている。その階段を上っていき、体力がだいぶ衰えてしまっているので、五階まで上がると息が乱れてしまう。

 廊下の窓の縁に手を置き、外を眺めながら息を整えた。何とも言えぬ、年老いた気がしてならない。でも、まだ十八なので、何を言っているのかと自嘲。

 廊下の奥を見やれば、スチール製のドアが見える。黒猫のエンブレムが描かれている。前見た時と何も変わらない。

「兄やん、気分悪いん?」

 見据えていると後ろから声がかけられた。振り返ってみれば、いつぞやの浄一と一緒にいた少女である。あと、病院では誉たちとも一緒にいた記憶がある。

 どういった少女なのだろうか。気にかけたところで、どこから見ていいのか分からない。どこまでも不可解な少女としか見えないのである。それこそ、浄一が〝珍妙〟と言っていたことを思い出し、正にそのとおりだと頷くほかない。そして、和葉が魔具を知るきっかけとなった人物であり、譲葉を守るための手段を魔具に見定めたきっかけでもある。

「兄やん、本当に大丈夫なん? 救急車、呼んだ方がええん?」

 再度尋ねてくる。体力がなくて息を切らしているだけなのを病気で気分を悪くしていると見られてしまったようだ。いや、こちらの顔を見知っているはずだから、そういうことはないだろう。こちらの顔を忘れていなければ、という条件がついていればの話だが。

「僕は大丈夫です。外を――外を見ていただけです」

「そうなんかぁ? なら、ええんよぉ」

 少女はニンマリと笑みを向けると、軽快な身のこなしでネコジシ商会のあるスチール製のドアへと向かって走っていく。

 少女に釣られたというべきか、少女の背中を笑んで見送る。一緒に行けばいいのに、なぜ留まったのだろう。息も落ち着いてきているのに、歩けないわけでもないのに。

 まだまだ恐れがあるのだろうか。ないという方がおかしいのかもしれない、と自らを鼻で笑う。生きているといっても、一度は死にかけた命である。霞に突き刺され、その後のことは覚えていないが緊急に措置をしないと危険だったと聞かされた。

 手を見やれば、僅かに震えている。足だって震えているようで歩こうともしない。記憶が曖昧になっていても、体が覚えているのだろう。無意識のうちに恐れているのだろう。

「……何が覚悟だったのですかね。僕はまだ何の覚悟もできていないのではないのですかね。口ばかり――」

「なら、〝口ばかり〟を貫いてみせたらどう? できないことないんじゃないのかしら? 刀を向けても逃げなかったところは、男としてよかったと思ったけどね」

 また背後から声がかけられる。それもよく知る声で、和葉をこんなまでにした張本人のものである。振り返るまでもなく――霞が和葉の前へと出てくる。

「本当なら口ばかりの人って嫌いなのだけど、あなたのように立ち向かう気を向ける人なら、むしろ逆ね。力がないのなら力がないなりに行動で示せばいいのだから」

「どうして、あなたがここにいるのですか? また――」

「ああ、ないない。ないわよ。命のやり取りなんて、ご免だわ。私はそこの社長に呼ばれたの。先代の誉ではなく、現社長の方にね。それに、また同じようなことをさせられようものなら、こちらから身を引くわよ。そう何度も痛い目に遭うのはご免だもの」

 霞が笑みをこぼした。苦笑いなのだろうが、笑みを見せるような相手だとは思いもよらなかったので、隙を衝かれた思いである。

「何? 私、おかしなことを言ったかしら?」

「いえ、違います――」

 笑うと綺麗な人なんだな、と言おうとしたところで口ごもった。さすがに恥ずかしくて言えるものではない。それに、自分をこんな目に遭わせた相手に言うような言葉でもない、と心の中で首を横に振る。

 霞が訝しく見てくるが、あえて無視をする。気恥ずかしさで顔が赤くなっているのではないか、と顔をその向けて歩き出した。

 ネコジシ商会へと向かうことの怖さなど、この恥ずかしさの前には些細なことに思えてくる。

 その後ろを――

「やっぱり、私っておかしいのかしら?」

 と尋ねながら、霞はついてくる。

 最初見た時の怖い印象はどこにもない。だからこそ言えるものがある。今ならお返しとばかりに言ってやる。

「その赤い髪が変です。全く似合ってません」

 いつもの嫌味を垂れる和葉をあれほど怖いと思っていた霞に向けることができる。

「うわっ、いきなりグサッとくることを言うのね。一応、これでも昔は綺麗な黒髪ね、なんて言われてたこともあるのよ。訳あって赤くしちゃったけど」

 むぅと唸ってむくれているように聞こえてくるのだが、ますますなぜこの女を恐れていたのだろうかと訝しくだけだ。そんなに臆病だったのだろうか、とこちらも唸りたくなる。

「いっそのこと、ピンクにでも染め直したらどうですか? ケバさが際立って、より変に見えることでしょうから」

「言ってくれるわね。覚えてなさい。今度、その減らず口を利けないようにしてあげるから」

 恨み節のようだが、どこか楽しげに言ってくる。全くもって怖くない。事を対峙しなければ、こういう性格なのだろうか。怖い相手なのだと思って、気負いすぎていたのかもしれない。

 ネコジシ商会の前に立ち、ドアを開けると、変わらずの風景がある。飾り気のない事務所。奥のスチールデスクの向こうでは、先程の少女が椅子に座ってクルクルと回って遊んでいた。他には誰もいない。誉はどうしたのだろうか。それに、部屋の隅にいると思われた少女の姿もない。

「なぁよなぁよ、兄やんが〝新しいバイトくん〟やったんかぁ? それならそうと言ってぇなぁ」

 椅子を止め、少女は口を開く。

 和葉は少女の言っていることが理解できないと口を半開きにしてポカンとする。その背を霞が押してくるので、抵抗もなく中へと入った。

「姉やんも来たんやなぁ。ちょうどええなぁ。ほな、今日から宜しくなぁ」

 少女は話を勝手に進めていく。

「今日からとは言うけど、私は何をしたらいいのか聞かされていないのだけど」

 霞には話がどのようなものなのか分かっているらしく、少女へと言葉を返している。和葉は二人を見やるだけだ。

「そうなんかぁ? ジーちゃんに聞いてへんのかぁ? 矢鮫のバーちゃんと栗花落のバーちゃんに頼んだら、ええって返事貰ったんになぁ。姉やんはぁ、兄やんの先生になってもらうんよぉ。魔具の使い方からぁ、使い方までなぁ」

「いや、〝使い方〟が被っているから。そうじゃなくて、〝先生〟って、私が教えるってわけ? ネコジシであるあなたが教えるのじゃなくて?」

「そうなんよぉ。ジーちゃんもそれがええって言うてくれたんよぉ」

 和葉は一向に二人の会話が理解できない。教えるというのは、誉が約束してくれたことなのだろうと、一応なりの話の流れから考えて予想がつく。

 しかし――

「その娘、誰なんですか?」

 少女がどういった相手なのかさっぱり分からないので、おもむろに聞いた。

 すると、少女は驚いているようで目を見開き、霞も驚き呆れてため息をつくのである。そんなにおかしなことを聞いたのだろうか。和葉は訝しくばかり。

「彼女がネコジシの現社長、ネコジシネネコよ。知らなかったの? 見た目はあれでも、私と対して年が変わらなかったはずよ」

 霞は仕方がないと言わんばかりに、少女の傍らへと寄って、紹介するのだ。


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