幕間:和葉 5.〝蛇〟を孕む者と〝蛇〟を薙ぐ者。
風が吹いた――というよりも、疾風が抜けていったというべきなのかもしれない。右肩を掠めていったのだ。首筋には刀が宛がわれていて、すんでのところで止まっている。
それが一瞬のことで、かつ、目の前まで霞が迫ってきていたことに、和葉は反応ができなかった。全く動けなかった。
尋常でない速さではなかったはず。なのに反応をしきれなかったのは、霞の動きに無駄が一切なかったからなのか、あまりにも動きが自然過ぎて至極当たり前の風が吹いたとばかりに感じてしまっていたからなのか。
決して油断をしていたわけではない。霞を注視していた。警戒していたはずなのに、隙を衝かれたとしかいいようがない。霞が近づいてくるまでの間の意識が止まっていたとしかいいようがない。
これが和葉のまだ知らない世界の人間の動きというのだろうか。あり得ない、と何度も心の中で叫ぶのだが、目の前でこのような動きを見せられてしまえば、あり得ないと考えてしまうことがあり得ないことになってしまう。
「さ、早く降参して。無駄に私たちが争うことなんてないの」
冷ややかな声はさらに動きを封じてくる凍えさせる息吹。
明らかに自らと次元の違う相手が目の前にいる。それも思いつきで始められたことで対峙することとなってしまった。
何でここにいるのだろうか、迷いが出てしまう。いや、迷ってはいられない。
「僕だって――」
勇気を奮い立たせて何とか震える声を出し、霞から視線を逸らすまいと見据える。
「ここで引き下がるつもりはありません。〝奇蹟〟だろうと何だろうと、知る必要があるのです」
霞がどんな事情を持っていようと、ここで負けるわけにはいかない。相手が何であろうと引き下がるわけにはいかない。どんなに次元の違いを見せ付けられようとも迷うわけにはいかない。
「まだ怯えがあるようだけど、段々いい目をしてくるようになってきたわね。負けたくないという気持ち? 違うわね。その程度なら、恐怖を植えつけさえすれば、たちまち崩れていく。それ以上に思い詰めていることがあるのね」
刀がゆっくりと振りかざされる。目の前のはずなのに、刀がはるか遠く高いところにあるように見えてしまう。でも、どんなに遠くに見えていても、とても大きな刀に見えるのだから、その威圧感が常に付きまとう。ひとたび振り下ろされれば和葉などあっという間に斬り殺されることだろう。
でも、誉は命の奪い合いをするなと言っていたのだから、殺されることはないはずだ。ともなれば、無駄に怖がる必要はない。それを逆手に利用してやればいいだけのこと。
「言っておくけど、殺さない程度に斬ることだってできるんだから、そんな余裕を見せていると――」
風切り音。そして、冷たい感触が目の前を上から下へと通過していった。
「痛い目に遭うって、あらかじめ言っていたつもりだったのだけど」
霞は厭いたように嗤うように言う。
和葉は一歩、二歩と下がる。袈裟懸けに服が裂けており、痛みがそれに沿って走る。斬られたのだ。あまりにもの一瞬だったので、気づくのに時間がかかってしまった。
相手の本気を見間違えていた――いや、違う。自分の覚悟がまだまだ足りないのだと知らされた。だからこそ隙が生まれる。殺されなくて済むなどと甘い考えでいれば、そこを衝かれる。
「浅く撫でただけよ。血は出てるけど、その程度なら死にやしないわ。さ、早く降参して。そうしないと、次は腕か足を斬り落とすことになるわ。嘘じゃないわよ」
再び霞は下段の構えを取る。霞の鬼灯のような深紅に見えてしまう瞳が、真っ直ぐに捉えて逃してくれそうにもない。
早く動かなければ、こんなところでもたもたとしていれば、次は言葉どおりに腕か足のどちらかを斬り落とされることだろう。
でも、足がすくんでしまって、すぐには逃げることができない。少しずつ下がるのみ。霞から全然離れることができず、体が言うことを聞いてくれない。
このまま何もできずに終わってしまうのだろうか。ただ斬られるだけで終わってしまうのだろうか。
やり返さなければ――何を? 刀をもった相手に何ができるのだろうか。見ているだけ。睨むことが精一杯。
「おいおい、もうちょっと粘ってくれよな」
この緊迫した状況に誉の欠伸と声がある。もとよりこうなるように仕向けてきたのは誉ではないのか。それを遊び感覚で見ていられても困るだけだ。むしろ、遊びじゃないんだと言い返してやりたくなる。
それができれば早いが、できないからこそ霞を見ることしかない。誉へと意識を向ければ、たちまち斬られるだけ。
「何言ってんだい。あんたが仕向けたんじゃないさ」
和葉の代弁とでも言うべきなのか、単にこの誉の思いつきに嫌気がさしての一言なだけなのか、眞紀がため息をついて額に手を当てる。
「遊びじゃないんだ。あっちにも何か手はないのかい? 一方的に終わるのなら、こんな茶番は要らないさね」
「やるからにはもっと盛り上げなければ駄目ってか? お前も――」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。アタシは茶番を見に来たんじゃないさね。帰りの準備に取り掛かろうかね」
「おい、立会人が帰ってどうするんだよ」
「アタシなんて要らないだろうさね。茶番は勝手にやりな。終わったらアタシに一言くれればいいさ」
眞紀は背を向けて車へと乗り込んでしまう。終わるまで車中で待とうというのだろう。乗降口に男二人が眞紀の邪魔をさせまいと護衛として立った。それを見た誉は顔をしかめる。
「――さ、早く茶番を終わらせましょ。そもそも、何のためにこんなことをやっているのかすら、分からなくなりそうだもの」
刀が和葉の肩へと当てられる。トンと何気なく置いただけの行為。しかし、引けば簡単に傷口を増やすことができる。
これだけされても、和葉には睨むだけしかできない。無力という言葉が、嫌でも突きつけられる。自分ができること、抗えることは何なのか、考える。
「僕は諦めません。何が何でも――」
渾身の抗いである負けまいと食い下がった途端、肩に痛みが走った。霞が躊躇なく刀を引いたのである。痛く熱く、血でも噴き出しているんじゃないのかという痛みに、肩を押さえて膝を突く。
「早く諦めて。これ以上、無駄なことを繰り返させないで」
霞にとってはまだ力を入れていない。だから肩口に傷ができただけのようだ。押さえる感触から、血は滲み出ている程度のようである。
「い……嫌です。僕は……負けるわけにはいかないのです」
和葉は痛みに顔を歪ませながらも立ち上がった。たかだか刀で撫でられただけなのに、意識が痛みに支配されようとしている。触覚だけでなく、視覚も聴覚も、意識が遠退き始めている。奥歯を噛み締め、この程度の痛みで不甲斐ない、と叱咤し意識を留める。
「負けたって、あなたには居場所があるでしょ。私は居場所が欲しいの」
霞は刀を振りかざす。今度は撫で斬りだけでなく、腕か足か、確実に深い傷を負わせようとその目が語っている。
「居場所を求めて、そのあとどうするつもりですか。居場所なんて探せばどこにでもあるはずです。ですが、僕の求めるものは――」
霞が刀で斬りつけてくるのなら、和葉はどこまでも言葉で抗うだけだ。
「人の手に余るものよ。そんなので、幸せになれるわけがないじゃない」
「なら、あなたはどうして、〝そのようなものがある世界〟にいるのですか。幸せになれないと分かっているのなら、〝そんな世界〟にいる必要なんてないはずです」
「人に戻れないのだから、人でない世界にいるしかないのよ。人としての生活を求めて。どんなに愚かだと言われても、人として生きてきたことに、今でも憧れているのよ」
霞は踏み込み、刀を振り下ろす。和葉は霞から目を離さず見据え――
「僕には守りたいものがあるのです」
霞が〝どんなに愚かだと言われても〟と言うのなら、和葉とて同じく言うだけだ。
刀がピタリと止まる。和葉の目前を、寸止めしている。刀身の光が眩しく感じるのは、まだ生きていることの証拠だし、まだ斬られていないことを表す。
「守りたい……もの……?」
霞の目が見開かれている。刀を持つ手も震えている。よろよろと和葉から離れ、刀を下ろす。
何か様子がおかしい。霞には余裕があった。それを見せ付けていたのに、今は全くない。どうしてか、焦っているようにも見えてしまう。
和葉は何かをした覚えがない。無意識に何かをやったのだろうか、考えても何も出てこない。意識しようとしまいと、霞には何も歯が立たなかったという印象しかないこの状況で、霞に何をしたというのか。
霞を見据えたまま、立っていることもつらくなり、再び膝を突きそうになるものの踏ん張る。足が震えている。これでは動くにもゆっくりとしかならない。
肩で息をしていることに気づいて、傷は深くなくとも、精神面はだいぶきつい状態なのだと自らを分析。でも、分析できるということは、まだ冷静でいられる証拠。ともなれば、状況を把握すべく、よくと見なければならない。
霞を取り巻く〝蛇〟がうねうねと霞の意思に反して、勝手に動き出している。これから霞を呑み込もうとしているのではなかろうかと、それぞれの鎌首が霞を見下ろす。
「あ……ああ……」
霞の深紅に見える目に変化が表れた。色は変わらないが、瞳孔の形が蛇のように変わっている。
「守りたいものを守るために存在すると約束した。ゆえに我と契約した。守るものも見出せず傷つけるだけのものとなるのなら、我がその体を貰い受けるのみ」
霞の口から言葉が放たれているのに、口調が今までと全く違う。同じなのは体だけで、他は霞と全く別のものと見える。
「今一度、我は自由になる。その前に、不確定要素は消さなければならない」
霞は跳躍した。一直線に速く、何ものにも遮ることのできない一矢として――異変を感じて下がろうとしている和葉の腹部へと刀を突き立てていた。
「え?」
と言っている頃にはもう遅い。自らの腹に突き刺さった刀が赤く染まっていく。体に力が入らない。考えることすらもできなくなっている。ただ、事実を見据えるのみで、今まで以上に何もできない状態になってしまった。
刺されたのだ、とようやく気づく頃には、自らの体を支える力もなく、霞に寄りかかってしまう。
「おいおいおいおい、どういうことだ。ありゃ、やりすぎだろうがよぉ」
誉が慌てた様子で言うだけだ。のんびりと眺めていた矢先の出来事に考えも体も反応しきっていない。
格闘技の対戦でも見ている気分に浸っていたというだけのことだろう。だからこそ、目の前のことが起きるとは思ってもいなかっただけのこと。
「あんたが尻拭いをするんだね」
車中からは呆れた声。眞紀が目を伏せている。
自分たちがどのような〝世界〟にいるかを分かっていればこそ、最悪の事態も考えている。だから、目の前のことが起きても動じることがない。
「どうするの、ホマレ?」
誉の隣の少女が見上げて尋ねる。その顔もまた呆れている――むしろ、厭いている。こんなことになるぐらい予想ついたでしょ、と言いたげである。
「んなこと言われてもよぉ。誰が予想できたんだ?」
言い訳にもならないことを誉は言う。
予想できていなかったのは、この場で誉ぐらいのものだろう。あとは、覚悟を決めてもなお余りあるほどに魔具の世界の恐怖を知らなかった和葉ぐらいのものである。だからこそ、霞の刀に刺されているという事態に陥っているわけなのだが。
「ったく、こういう時に限って柳崎は仕事が忙しいと言って来やしねえし、四塔はどこで迷ってんのか道草食ってんのか、全然来やしねえ。ワシは現役引退して、あんなの相手できるような体力もろくにねえっていうのによ」
頭をガシガシとかきむしり、少女へと見下ろす。
「ホマレが始めたんだから、ホマレがどうにかしないとね」
「正論だがよぉ、正論なのは分かってんだがよぉ」
少女の冷ややかな対応に誉は渋い顔をする。
「ったく、老骨に鞭打って、やってやるか。もう少し、年寄りを労れってんだよなぁ。それじゃ、チビジャリはあっち頼むな。ワシにはできねえからよ」
誉は和葉を指差した。少女はため息をつき――
「仕方ないなぁ、ダメホマレなんだから」
「うるせえ」
誉と少女はそれぞれに動き出した。
ズルリ、と和葉から刀が抜かれる。着ている物の腹部が赤く染まっていただけなのだが、さらにすぐさま赤く染め上げ、足を伝って足元すらも赤く染め上げていく。
和葉は膝を突き、手を突き、体を支えることもままならなくなって地面へと横たわる。
感覚が薄れつつあり、意識も遠退きつつある。負けたくないという想いがあるからこそ、まだ意識を保てているに過ぎない。でも、もうそれも難しくなってきている。
目の前が霞みつつある中、少女の近づいてくる姿が見えた。
霞は和葉を刺すだけで満足したのだろうか、まるで次の獲物を探すかのように和葉から離れていく。和葉へと近づいてくる少女のことは眼中にないようである。
「まだ、生きてる?」
少女は挨拶をするような軽い様子で聞いてくる。しかし、答えられない。声が出ないし、少女の姿も水中から見るかのようにはっきりとしない。まだ声が聞こえるだけマシだといえるような状態にまで陥っている。
「綺麗に斬られているから、傷は何とかなりそうだね。でも、血を流しすぎているかな」
聞こえてきた声も、段々と朧気になってきている。これでは、意識もいつ失われるか分からない。
少女が手を伸ばしてきて、何かを始めたようだ。
何をされているのか分からない。見える景色から、仰向けにされたらしい。少女が乗りかかるように視界を覆ってくる。
「もうちょっと意識を保っててね。ここで気を失われても困るから。こういうのは意識があるうちじゃないと、〝かかり〟が悪いの」
少女の言葉が聞こえてくるのはここまでだった。このあとは何かを言っているらしいが、聞こえてこない。
ぼんやりと、ただぼんやりと意識を漂わせている――。
◇
霞の前には面倒そうな顔をする誉。新しく煙草をくわえ、火をつけた。ふうと紫煙を吐き出せば、真っ直ぐに霞を見据える。
霞は構えをとった。誉を敵として認識したようだ。霞の周りをうねる〝蛇〟の全てが誉を睨みつける。
「おうおう、ワシが相手だからってそう気張んなよ。ワシなんて楽に倒せるだろうがよ。ったくよぉ、それにしても、実行力のあるもんがいねえと、しまらねえよなぁ」
誉がため息をつけば、まるでタイミングを計っていたのだろうか、近づいてくる車――フィアット・ヌォーヴァ500がある。それは誉の車の脇へと止まると、女が降りた。
クセのあるセミロングの髪に、カジュアルな恰好をしている。その恰好からして、今この場で起きている事態には余りにも場違いに見えてしまう。
誉はその女へと見やり――
「ようやく来たか――って、おいおい、何であいつじゃねえんだ」
期待していた相手と違い、苦い顔をして女へと睨む。
女は誉の睨みなど気にも留めず、助手席から細長い袋を取り出し、この場の雰囲気を全く分かっていない様子で誉へと近づいていく。
「四塔遊慧と申します。父の名代で参りました」
一切の表情も変えず、誉へと頭を下げる。
「名代? あいつはどうしたんだ?」
「父は腰を患ってしまい、引退しました。ご存知ありませんでしたか?」
女――遊慧はやんわりと首を傾げる。
「あ、ああ、引退したのかよ――って、ただのぎっくり腰だって聞いていたんだが、そんなに悪かったのか? しばらく休んでいればすぐによくなるなんて言っていたんだがなぁ。
まあ、そんなことはいいんだよ。で、お前さんはどんなことができんだ? 四塔の娘っていうのなら――」
誉の知る四塔――この場合は遊慧の父に当たる――は〈異端狩り〉として、様々なものに対処できる男だ。それこそ、目の前にいる〝蛇〟にいいようにされている霞だろうと相手ができる。ならば、名代で寄越した娘の遊慧も同じことができるのか、ということになる。
期待を込めて遊慧を窺う。
「私は、父のようなことはできません。私ができるのは、人が相手の時ぐらいのものです。さすがに人以外ともなりますと、どうしようもありません」
「そうか。じゃあ、あれはどうだ?」
誉は霞を指差した。人以外はどうしようもないということだが、一応霞の体は人そのものである。
この間、霞は誉と遊慧を見定めているようだ。攻撃の意思は感じられるが、すぐさま攻撃をしてこようという気はないようだ。遊慧が現れ、どのような相手なのかを窺っているからこそ、すぐさま攻撃してこないのだろう。
「霞お嬢様ですか? まあ、霞お嬢様本人であれば何とかなりますが、〝霞お嬢様の中に巣食っているもの〟に対してはどうしようもありません。そういった相手に対しては、父から何も伝授されませんでしたので」
困っているという風貌ではないが、相手できるものがきっぱりと決まっているからこそ、どうにもできない相手に対して躊躇がある。
「まあ、あのお嬢様をどうにかできれば、あとはワシが何とかしよう――〝お嬢様〟? おい、〝お嬢様〟って何だ?」
誉は怪訝に霞と遊慧を交互に見る。
「父は〝人以外のものを相手にする〟ことを生業としていましたが、私は幼少の頃より咲耶に仕える者として生きてまいりました。霞お嬢様のことでしたら、よく存じております。そうですよね、霞お嬢様? いえ、今は霞お嬢様に憑いた不埒な〝蛇〟でしょうか」
遊慧は袋の紐を解き、中身を取り出す。刀というにはどこか違和感がある。見ただけでは霞の持つ刀と変わらないように見えるものの、実際には刀よりも僅かに長く、反りも僅かに強い。太刀である。それも歴史が古いのか、用いている鞘の光沢が鈍く光っている。
袋を投げ捨てると、太刀を左腰へと宛がった。ゆっくりとした足取りで霞へと近づいていく。
霞は遊慧を真っ先に対すべき敵だと捉えたようだ。構えなおすと、一直線に遊慧へと駆けて行く。
けたたましい音とともに火花が散った。
それは一瞬のことだった。
霞が刀を振り上げ、渾身の一撃で振り下ろしたところを、遊慧は抜刀とともに霞の刀をかち上げたのである。その衝撃に霞は大きくよろけ、隙が生じる。遊慧は太刀を返し、峰で霞の胴を薙いだのである。
霞は地面を転げ、わき腹を押さえて悶絶。その苦しみようから、肋骨が折れているのかもしれない。脂汗を流し、胃の中の物を地面へとぶちまけている。全てを吐き出したのか、苦しそうな息を漏らしながら仰向けに寝転がった。
「たとえどんな人外であっても人の体を用いている時点で、人と変わらないものですね。それも霞お嬢様の体ともなると、霞お嬢様の癖が出ているものですから、動きの予想も楽です。こんなにもあっさりと勝たせてもらえるなんて、詰まらない戦いです。もっと強い人はいないものでしょうかね。でも、人しか相手にできないので、高望みはしない方がいいのでしょうけど」
遊慧は静かに言い、太刀を鞘へと収めた。
「お、おい、お前さんよぉ、そいつの家に仕えてるんだろ? よく平然とやれるもんだな」
誉は霞へと近寄り、見下ろしながら言った。霞に抗う力がないと見るや、ポケットから石を取り出して、霞の胸元へと宛がう。
「霞お嬢様が何か悪さをなさったら、容赦なく折檻して構わないと大奥様から承っておりますので。それに、これでも加減したつもりです。これが〝蛇〟風情でなく、いつもの霞お嬢様なら、迂闊に私の間合いへと入ってくることはありませんし、私相手なら攻めるよりも守りに入りますので、もう少し戦いがながびいたでしょうね」
「か、加減してこれかよ。咲耶の家はこえぇところだな。少し我慢しろよ。今、抑え込んでやるからよ。そうしたら、病院だろうと何だろうと連れてってやっからな」
誉はひとつ息をつくと、祝詞――大祓詞を口ずさんだ。石が呼応し、ほんのりと蛍光色を放って霞を照らす。霞の苦悶の表情は変わらないが、まとわりつく〝蛇〟の幻影が薄らぎ消えていく。
霞から〝蛇〟が出てこないことを見て、次に和葉へと寄っていった。
「そっちは、どうだ?」
「見てのとおりだね。アタシの力じゃ、塞ぐので精一杯。病院に行って、血を入れてもらわないとちょっと駄目かな」
少女は焦る様子を見せないものの、苦笑いをして答えてきた。




