幕間:和葉 4.他人の思いつきで別世界へ。
「色々と考えたんだがよぉ。手っ取り早く、相手をぶちのめした方が勝ちってことにするか。分かりやすくていいだろ」
それは深く考えたのか、全く考えていないのか――誉は煙草を三本、喫み終えたところで言った。そもそも、三本もの間に出た答えというべきものかさえ疑わしい。後者だと見るべきなのだろうとしか思えない。前者だとしたら、浅慮なだけなのか、裏に裏をかいてさらに裏を取ったとでもなければ思いつかない。
だからこそというべきだろう、和葉は唖然と絶句し、霞は厭いたため息をついている。
和葉にとっては、誉が考えている間にどれだけやきもきされたか。焦燥感に駆られるだけの時間を過ごしたにすぎない。
霞にとっては、のんびりと煙草を吹かしていたが、こんなことで時間をとられることに辟易としていたほどだ。
そんな二人の心境も考えているのかどうか分からない誉の提案なのだから、二人の反応は当然のものなのではなかろうか。
「さて、これから早速――というわけにはいかねえか。互いの都合というものがあるだろうしよぉ。んで、いつにするかねぇ」
二人の了承も得ずに話を進めていく。二人が誉の話についていけていないだけということもあるのだが、たとえそれが分かっていたとしてもお構いなしのようだ。決定したのだから文句を言わせねえとでも言うつもりなのだろうか。
「んでよぉ、お前さん方の意見をだなぁ――聞こうと思ったんだが、どうしたんだ、あ?」
誉は和葉に霞と見ていくのだが、二人の反応の悪さに首を傾げている。
ようやく状況を飲み込めたのだろうか、和葉は誉の突出さに苦笑いすら浮かばない。頬が引きつったまま固まってさえいる。
「乗り気じゃねえようだが、お前さん方の頼みを聞くんだぞ。チャンスだろうがよ」
誉の感謝してほしいものだと言いたげな態度に、和葉は頭痛を感じる。
「……あのね。私は〝一般人〟と一戦交えるためにここへと来たわけじゃないの」
霞も頭痛を覚えたのだろうか、頭を押さえながらの抗議。
「んだあ? んじゃ、お嬢ちゃんはあの坊主のために負けてやるんだな」
「な、何で!? それじゃ、私がここへと来た意味がなくなるじゃない」
霞が和葉へと睨みつけてくる。誉へとぶつけていたはずの思いがこちら側に向いてしまったようで、その鋭い視線に和葉は身をすぼめる思いである。
おかしな発言をしているのは明らかに誉の方なのだと視線で訴えるものの、和葉の視線はあまりにも弱々しく霞を引かせることができない。
「おい、虐めんなよ。怯えてんじゃねえかよ」
誉に言われて霞は和葉から視線を外す。
和葉は視線が外れたことで、息をついた。睨まれていると生きた心地がしない。呼吸できているのかさえ分からないほどである。
「坊主、お前さんはどうする?」
誉が見やって尋ねてくる。問われてもすぐには答えられない。和葉は戸惑いがちに誉を見返し――
「僕は母のためにここへと来たのです。たとえ何であれ、受けて立つのみです」
霞をとても怖く感じてしまうが、ここで引き下がると目的を果たせなくなる。負けまいと霞へと睨んでみせる。
立場が逆になろうとも、霞が怖気づくような様子はなく、不満げに煙草を吹かすだけだ。
「……分かったわよ。やるわよ。何か、年寄りの道楽につき合わされている気分なのは、どうしても拭いきれないけど」
霞は、誉に和葉が加わったことでため息をつき、嫌々ながらも承諾をする。今にも歯軋りをしそうなほどに顔をしかめているのだから、その不満もよく伝わってくる。
「そうこなくちゃな」
誉は実に楽しげである。暇な日々を過ごすだけの老人が、楽しみを見つけたかのように見えてしまうのは気のせいだろうか。きっと気のせいではないのだろう。
そんな誉とは逆に、二人は呆れるしかない。そんな二人の反応を見て、誉が豪快に高笑いを上げるのだから、なおのこと。ここまでくると、さすがについていけないな、と和葉は苦笑いしか出ない。
◇
日を改めてということになったわけなのだが、冗談というわけでもなく思いつきでやらされることに辟易としながらも、怖さを持ったを相手にしなければならないことにとても気が重い。
ひとまず、学校のない日曜日ということで、街は遊びに出た人が行き交っている。休日を楽しむ者たちばかりである。
和葉はその中に自分だけが休日を楽しめないことに、今日に限っては、そんな能天気さが羨ましくも、恨めしく見てしまう。見ているからといって自分の立ち位置が変わるわけでもないので、憂鬱の息を漏らす。
栗花落ビルを前に入るのをためらっていると、すぐ横に気配が生まれた。誉か霞かと思って見やれば、知らない顔。白髪混じりの初老の女。通りすがりたまたま横に並んだだけなのかと思うものの、違う。そうではなようだ。
「ネコジシのジジイもモウロクしたのかねぇ。このアタシをここに呼ぶなんてさ。ヤクザの抗争でもおっぱじまるんじゃないかって、警察が動かなければいいのだけれどねぇ」
不満を口にして栗花落ビルへと入っていく。また、その女の後ろには強面の男が二人、続いていった。
黒のスーツとグレイのスーツ、どちらもサングラスをかけており、誰が見ても全うな人間でないことが窺える。それとも、あからさま過ぎる恰好なので、その手の男ではない可能性だってあるのかもしれない。どうであれ、女の護衛をしているという風貌だったことは見間違いないようである。
和葉は栗花落ビルに入るのをよりためらってしまう。今の女は「ネコジシのジジイ」と言っていたのだから、誉に用があって来ているのだろう。ともなれば、あの二人も同行していることになる。絡まれたくないという思いが足を進ませてくれない。
「――怖気ついて逃げるのなら、今のうちよ。私が伝えておいてあげるし、何よりも私にとってはそっちの方が手っ取り早くて助かるもの」
再び横に気配が生まれる。見やれば深紅の髪の女――霞。威圧感は相変わらずだが、今回はうんざりだと言いたげな感じが強く混じっている。
「僕だって、ここで引き下がるわけにはいきません。僕は選んだのですから、下がれません」
「そう。――フフッ、この前はびびっちゃって何も言い返せなかったのに、この間に何かあったの?」
「僕はやらなければならないことがあるんです。たとえあなたが相手でも――」
「意気込みは買うわ。でもね、そういうことを言っているうちが華よ。私はどうなったって知らないから」
霞はそう言って栗花落ビルへと入っていく。
和葉は一度頷いてから霞へと続いた。
改めて栗花落ビルを見上げれば、不気味に見えたこのビルもただの古いビルでしかないことに気づく。薄暗かったこそ、怖く思えただけに過ぎない。ならば、霞とて同じだ、という認識でその背へと睨む。
ネコジシ商会の扉をくぐれば、奥の窓際に立つ誉が待っていたと言いたげに不敵な笑みを向けてくる。それに先程の女と男二人。あと、部屋の隅に外国人らしき少女がパイプ椅子に座って傍観している。
「さて、集まったようだな。始めるとしようか」
実に楽しげに誉は言う。ようやく祭りが始まるのだと心待ちにしてたかのようである。
「ちょいとお待ち、ネコジシのジジイ。栗花落のババアがいないじゃないか」
それに女が一瞥をくれた。どうやら、この女も和葉たちと同じく誉の思いつきに巻き込まれた側のようである。乗り気ではないが、呼ばれたからにはその役目をなそうというだけのことなのだろう。そうでなければ関わるつもりもないような、如何にも嫌そうな顔をしている。
「あ? 栗花落のババアなら、いつもどおりの放任主義だとよ。んだから、矢鮫のババア、お前が立会人として呼んだんだろうがよ」
楽しみの進行の妨げをするなと言いたげに誉は女へと言い返した。
「ったく、どいつもこいつも身勝手だねぇ。呆れるわ」
女――眞紀が額に手をやり、深々とため息をつく。後ろについている男二人も眞紀同様のようで、ため息をつきたいところを我慢しているようだ。
「んじゃ、移動しようか。ここじゃ、せめえしよぉ」
誉はスチールデスクの上から鍵の束を手にした。ジャラリと連なるそれは、どれも車のキィのようで何台分のキィがそこに連なっているのだろうか。
そのまま先陣を切って事務所を出て行く。続いて眞紀と二人の男、霞が続いた。
部屋の隅にいた少女が和葉へと近づいてくる。物珍しそうに見上げてくるその視線は、品定めでもしているのか、どこかねっとりとしている。
「――ふぅん、〝一般人〟だね。何を気負っているのか知らないけど、無理しないでね。あの赤毛のお姉ちゃん、怒らせると何をするか分からないから、気をつけてね」
忠告だったのだろうか――少女はニンマリと笑むと、タッタッタッとした足取りで先に出て行った人たちに続いていった。
前にも感じたことなのだが、この場に和葉がいること自体が不釣合いに思えて仕方がなかった。
◇
誉の運転するミニバン――シボレー・アストロに揺られ、やって来たのは荒廃した街。
再開発計画が挙がっているので、立ち退き後の建物が並んでいるだけの場所である。解体業がいくつかすでに幌を被せているものがある。
都市部には土地がないと言っているのだが、少し離れればいくらでも土地があることを示しているのではなかろうか。いや、ここがまだ再開発されていないからこそ、土地がないと言う人が出てきてしまっているのかもしれない。
そんな周囲のどこを見渡しても廃墟にしか見えない、言い方を悪くすればゴーストタウンと称されてしまうような場所に、車は止まった。降りれば乾いた風が肌を撫でてくることに気づき、ネコジシ商会のあるところから然程離れていないだろうこの場所を、別世界のように錯覚してしまう。
「ここは栗花落のババアの土地だから、好きに使える。バブル弾ける前に色々と開発計画があったらしいがよ、バブル弾けて建物だけの場所になっちまったんだよ。今再開発計画が出て、どこもかしこも建てなおすからって、好きに使えるんだとよ。特撮の撮影なんかにも使われているって話だ。といっても、お前さん方はそういうの興味ねえか」
誉は煙草をくわえながら、一望できる建物群を指差す。撮影に使われるとあってなのか、アスファルトにはカーアクションをしたらしきタイヤ痕が何本もある。いや、それともここで車を滑らせて遊んでいる者たちのタイヤ痕かもしれないが、少なくとも好きに使えるのは本当のようだ。
ここで何かしていても、余程派手なことをしなければ警察も来ないということなのかもしれない。だからこそ、誉はここへと皆を連れてきたのだろう。誉の遊びの場として、好き放題できるように、と。
「ネコジシのジジイ、アタシはどうすればいいんだい? ここで暇してろと言うのかい?」
眞紀がずっと座っていたことで腰が痛くなったらしく、不機嫌を表して腰をさすりながら言う。
「あぁ? 何寝ぼけたこと言ってんだよ。とうとうボケたか? お前は立会人だろうがよ。俺があれこれ勝手に決めて文句を言うのはお前なんだから、しっかりと立ち会ってもらわにゃならねえ」
「もうすでに勝手をしているじゃないさ。呆れたもんだよ、あんたたちには。アタシら極道よりずれてるよ。ま、何言っても無意味なんだろうけどね。さ、始めてくれないかい? さっさと終わらせて、アタシは猫たちと遊ぶんだからさ」
眞紀は二人の男を従えて車の脇へと下がっていく。そこから見届けるということなのだろう。また、事務所にいた少女も眞紀のそばへと寄っていき、二人して何かを話している。言葉は聞こえてこないが、その話し合っている顔つきからして、ここへと連れてこられたことの愚痴に違いない。和葉もまたそこに交ざりたい気分になる。
「んじゃ、始めようか。まどろっこしいことは言わねえよ。どんな手を使っても構わねえ。相手を降参させた方が勝ちだ。分かったか、お前さん方よぉ。――あぁ、言っとくけどよ、命の奪い合いじゃねえんだからな。武器は使っても構わねえけどよ、そこんとこ間違えんなよ」
誉は霞へと向けて言う。
霞の手には細長い布袋に収まるものがある。竹刀袋のように見えるが、そのような生易しいものではないだろう。木刀――いや、誉の言い方からして刀が入っているのではなかろうか。色々と予想して、和葉は息を呑んだ。
「殺しやしないわよ。痛い目に遭って、少しでも早く退いてもらうつもりではあるけど」
霞はどこか面倒くさそうな物言いで、袋から中身を取り出していく。案の定というべきか、まさかの予想どおりだったというべきか、白木で組まれた刀である。抜けば時代劇の模造刀と違った光を放つ刀身。刃紋も綺麗なもので、素人目でも業物だと分かるような美しさがある。
霞の深紅の髪が不釣合いのように見えるが、黒髪だったらさぞかし美しい女剣士として映えることだろう。
ここまでくると脅しや酔狂でもないのだろう。本気なのだと伝わってくる。刀を振るってもいないのに、冷たい刀身が空気を伝わってきて肌を切り刻んでくるかのように、恐怖を刻んでくる。
対して、和葉は何も手にしていない。何も持たずにここへと来てしまった。何も持たずにここに立っている。何も持たずに――挑む覚悟すら持っているのだろうか、自ら疑ってしまう。
誉が命の奪い合いをするなと言っても、いつ死んでもおかしくない状態にあるのだ、と今ようやくここで思い知らされた気がした。全くもって場違いな自分がここにいると辟易さえしてくる。
ふと浄一が図書室で忠告してきたことを思い返す。違う世界にいるというのは、冗談などではなかったのだな、と。
でもここまで来てしまったのだ。自分の意志でここにいるのだ。知らないこと分からないことだらけでも、譲葉のために自分の足で入り込んだのだ。今ならまだ引き返せるのかもしれないが、ここで引き返してしまっては、意志はどこにいったのかとなってしまう。
何としても、手に入れなければならない。知らなければならない。自分の決めた道なのだから。
「これを見ても逃げないということは、それなりの覚悟はあるのね。それならば、こちらとしても少しはやりがいがあるわ。逃げるだけの相手を組み伏すのは退屈だもの」
霞はそう言うと、和葉の前まで歩み寄り、刀の切っ先を喉元へと突きつけてくる。触れるか触れないか、少しでも力を入れようものなら、簡単に突き刺さることだろう。和葉が迂闊に動いても切っ先に引っ掛けて怪我をするに違いない。
和葉は刀の光に目が眩みそうになりつつも、足に力を入れてそのまま動かない。じっと霞の目に視線を合わせる。
黒く、やや茶の光沢の見える瞳は、刀と同じく冷たい光を放っている。でも無機質な光と違って生きた光。冷たさだけでなく、分かり得ないながらも様々なものが含まれているように見えた。
「うぅん、これでも逃げないんだ。ちょっとは見直したかな。言っておくけど、これは真剣だからね。模造刀と明らかに違うのはそちらも分かっていると思うけど。さて、これからどうしようか? 武器も持たない相手に、私がこうして刀を向けているわけだし」
「………………」
「まさか、怖くてだんまり? それはそれで退屈なのだけど。フフ。そんなことないわね。必死に耐えているって感じだし」
「――あなたの目的は何なのですか? こうまでしないとならないのですか?」
「何よ? 話すかと思えば突然。別に隠すほどのものでもないし、言ってもいいけど――あの街に住みたいだけよ。訳あって家を出されちゃって、住むところを探していたの」
「それだけのために、刀を持ち出すのですか?」
「普通に引っ越してくればいい、とでも考えているのかしら? 私が〝一般人〟なら、それでもいいのだけどね。生憎と、〝こんな身〟になってしまうと、そうも言ってられないのよ」
霞は刀を下ろし、下がっていく。十メートルは離れただろうか。和葉を見据えてくる。
和葉は霞を見据えたまま動かない。〝こんな身〟という言葉にどのような意味があるのか、疑問を持つがために迂闊に動けない。
「人間としてなら、人間の社会の中で生きていくことはできるのだけど、〈人間の枠〉から外れてしまえば人間の社会に溶け込むことができず、迫害されるだけなのよ。人間の持つ集団意識、集団無意識が人ならざるものを除外してしまうのよ。受け入れてくれないの。嘘だと思うでしょ? でも、事実なのよ。見れば分かるわ」
そういう霞の目にはどこか寂しさがあるように見える。
深紅の髪、威圧感、どれも普通の人とは違う。でも、そういう人だって探せばいくらでもいるはずだ。趣向、嗜好で髪の色を変えたり、威圧感を持ったりする人は少なくとも存在する。
なのに〈人間の枠〉から外れたというのは、さすがに言いすぎなのではないだろうか――和葉は怪訝に霞を見るだけだ。
――でも、すぐに霞の言っていることを目の当たりすることになり、息を呑んだ。
霞の体に、映画に出てきそうな太く長い蛇が八匹、巻きついているかのように見えるのである。
現実なのか虚実なのか、和葉は目をこするが、蛇の姿が消えることはなかった。
しかし、半透明の姿で幻のように揺らいでいる。鬼灯のような深紅の目をこちらへと向け、鎌首を垂らしている。
「見えるかしら? 私の中にいる〝蛇〟を。こんな姿で、普通の人間として周囲から受け入れてもらえるのかしら? こんな身だからこそ、土地土地の有力者たちに伺いを立てなければならないの。人間の社会に溶け込めるように話をつけなければならないの。
さ、話はここまでよ。さっさと決着をつけましょ。〝蛇〟を抑えるだけでも、結構疲れるのよ。〝一般人〟のあなたには分からない感覚だから、どう説明していいのか分からないけどね」
霞はゆっくりと息をつくと、鞘を投げ捨て、構えた。下段の構え。刀の鈍い光が、蛇の姿と相まって恐怖をあおってくる。
霞の瞳が〝蛇〟と同じく深紅に煌めく――。




