11.信じるからこそ、信じたいからこそ。
浄一が淡々とした口調で、手に入れた情報を話してくれる。そんな口調だからなのか、聞いているだけでは何の驚きも得られない――というよりも、落ち着いて話を聞かせてくれている。だから、さも当然のことだったかのように、妙に納得してしまう。
でも――
話された内容を、もう一度頭の中で〝再生〟すると、実に驚いてしまう。いや、〝いずれはこういうことも起きてしまうことだったのだろう〟とより納得してしまっている。
変死体の事件には、何かしらの魔具が関わっていること――隆文の読みどおりだった。変死体が公安職員のもの――それも、魔具関連に関わっているのだから、結果に至ったということだろう。
そして、魔具に関わる事件だからこそ、やはり魔具を身近としている者が関係するということになる。互いに魔具を取り合ったのか、どちらかがどちらかの魔具を追い続けていたのか――理由をつけようと思えば、他にも出てくることだろう。
では、どのような人物が、この事件に関わっているのかということになる。必然的に、消去法ですぐにも辿り着いてしまう。いや、真っ先に導かれているというべきか――。
事件に和葉が関わっている恐れがあるということだ。〝恐れがある〟というのは、まだ情報が確定されていないからに過ぎない。かなり〝黒に近いグレイ〟のように感じられる。
美加自身にも納得した感がある。
ここ最近、和葉が事務所を留守にしていることが多い。忙しいというからには、魔具を追っていると見るのが自然だろう。何せネコジシ商会は、そういったものを生業としているのだから。
〝黒猫を捜している〟と和葉は言っていたが、たかが猫捜しをやるとも思えない。黒猫に魔具が関わっているか、〝黒猫〟というのは隠喩であって魔具を追っていることだって考えられる。
――美加は深淵の底にいるような気分になった。とても気が重い。和葉を相手に捜査の目を向けなければならないこと――疑いを持たなければならないこと。できればしたくない――したくなかったことだ。
「――そんなわけだが、気を落とすなよ。百合垣が犯人であるとは決まったことじゃないんだ。飽くまで、関連があるらしいということだけだ」
浄一の気休め程度の慰め。本人もそう思っているのかもしれない。バツが悪そうな顔をしている。彼自身も和葉を信じたいからこそ、手に入った情報を何度も何度も読み直した上で、それでも情報を納得するにはどうしても至りにくいと言いたそうである。
美加は湯飲みを手にした。お茶はすでに冷め切っており、何の温かみもない。手が震えて、お茶に映る自分の顔を歪ませ、波紋に消してしまう。
「俺はもう少し情報を集めてみる。この事件、百合垣が関わっているにしても、少し変な気がするんだ。ま、それも確証がないから、勘としか言えないんだがな。ネコジシ商会が動くにしても、何かがあるはずだ。人死にを出してまで、あいつが行動をするとは思えないんだ。もっとも、ネコジシ商会そのものが、人死にが出ることを嫌っているからさ」
浄一はそう言い、立ち上がった。
「他に、誰かが関わっているんじゃないかってさ。――それと、今回の事件に限らず、ここ最近の魔具に関わる事件について調べようと思うんだが。構わないか?」
浄一が尋ねてくるので、美加は顔を上げた。頷く。
自分の顔は、考え事をするにはまだ早いと言いたげに心情を形作れない。心の整理というべきか、今回の話について、自分なりに考えをまとめることで精一杯なのだ。混乱を抑えられない。
「あの街に、〝何か〟がいる。これも、勘なんだけどな。おかしいんだよ。魔具の事件が、この数ヶ月に立て続けなんだから」
立て続け――以前、誰かが同じようなことを言っていた。それも、この数日の間に聞いた覚えがある。誰だったか――美加は俯いて、答えを出せないことに焦燥感を滲ませるだけだ。
◇
「やれやれ、夏だというのに、どうしてこうも冷たい風が吹くのでしょうかね――」
仄暗い街の中を歩む和葉は、辟易とした言葉を漏らす。ジメジメとした空気で鬱蒼とした気分になり、風のせいでより一層増していく。街は明るく灯していても、この空気のせいで重苦しく見えてしまう。
人の多い通り、少ない通り、色々と巡り歩き――まるで行く先も定まらない迷い猫のように、ひたすら歩き続けた。
「――それにしても、何なのでしょうか? 〝得体の知れない相手〟と言われても、僕だって分かりませんよ」
ため息をつく感じで言葉をつく。相手は――
『こっちだって確認できないんだから。カズハのあとを追っかけてるんだから、カズハが分からないんじゃ、駄目じゃん』
耳にしているイヤホンからはつんけんとした声が返ってくる。遠くに離れた場所にいるヘカテと無線を使ってやり取りをしているのである。
かれこれ一時間ぐらいだろうか、街を練り歩く和葉の後ろを、誰かが尾行している。
最初は気のせい程度にしか感じていなかった。視線を向けられているなんて、自意識過剰になりすぎているのだろうかと自らを疑ったほどだ。このジメジメした感覚に気が狂わされたとさえ思っていたほどだ。
しかし、歩き続けていて、その感覚がずっと続いている。それを確認するべくヘカテへと無線を使って尋ねてみれば、それが間違いないと返された。それも〝得体の知れない相手〟とまで言われて。
歩き続けているうちにヘカテがどのような相手なのかを突き止めてくれるのかと思っても、存在があやふやだから判断できないとまで言われてしまって、今に至っている。
「――そんなことを言われても、僕だって分からないのです。余程尾行することに慣れた相手なのかもしれません。いえ、存在をあらわにできないにしても、気配を消せないでいるので、そうとは言いにくいのですけどね。
しかし、何なのですかこの不可解な相手は――」
和葉は足を止め、後ろへと振り返る。人のいない通り――和葉のみが佇む。気配を僅かに感じるのに、全くもって姿を見せてこない。認識できない。じっと虚空を睨むのみ。
これもすでに何回も繰り返している。尾行していることを和葉が気づいているということに、向こうも気づいているはずだ。なのにつかず離れずをずっと繰り返しているのである。
「ヘカテ、どこまでも僕を追いかけてくる気のようです。何か策はありますか?」
『そうだね。あそこがいいよ――』
ヘカテの答えを耳にし、和葉は前へと向きなおし、再び歩き出した。さもついて来いと言わんばかりに――。
それからは目的を持って真っ直ぐの足取り。相手は尾行してくるだけのようで、周りを気にしないで歩けるのは手間がなくていい。
和葉の行く先――建物がある。古ぼけた雑居ビルで十階ほどか。暗くてはっきりとしない。それが何という建物かさえも分からない。
しかし、和葉はためらいもなく入った。ここがヘカテの示した場所であり、尾行した相手の対抗手段に用いるのである。
入ってすぐにエレベータがあり、乗って上へと目指す。この間にも、尾行している誰かはしっかりとついてきているのだろうか。エレベータの中からでは分からない。それでも、今までどおり尾行を続けていると思うしかない。
エレベータの着いた先は最上階。さらに階段へと足を延ばし、上へと向かう。
屋上――ドアを開けて出た先にはねっとりとした風。そのまま屋上の縁へと向かい、振り返った。あとは、向こうから出てくるのを待つだけ。
音が聞こえてくる。誰かが屋上へと上がってくるようだ。ゆっくりとした足取りで、こちらに確実に近づいてきている。
和葉は息を呑み、静かに待つ。時間が、とてもゆっくりに感じる。さあ来い、さあ来い、と手招きをするように出入り口を見据える。
その出入り口に人影が現れた。今まで姿を隠していたのに、今度は隠れる気がないのか。観念して現す気になったのか。
「ここへとおびき出されたのを察知して、姿を現す気になりましたか。それで、僕に何のようです?」
和葉は嫌悪をあらわにして、その人影へと言葉を放つ。
人影はゆっくりと前に出てくる。月の光にその身を浴びて、姿がはっきりと見えた。スラリとした長身、風になびく長い髪――。
「どうして、あなたが?」
その姿に和葉は驚くばかりだ。なぜ〝彼女〟が尾行をしていたのだろうか。疑問が頭の中を埋め尽くしていく。
目の前に現れたのは、美加なのだから。
◇
「どうして、あなたが?」
いつも冷静沈着でいることを見せる和葉が、驚いている。ずっと身を潜めて尾行していた相手が美加だったことをとても信じられないようだ。
美加自身、和葉を尾行するなんて思いもしなかったことだ。尾行したくてしていたわけじゃない。和葉の後姿をたまたま発見して、いつまた会えるか分からないからということもあり、浄一から得た情報がどうしても気になったということもあり――そのあとをやむを得ず、と言うのが美加の本音。本当なら、和葉を相手に尾行なんてしたくもなかった。信じたいからこそ、やりたくなかった。でも、今は信じるために尾行をしてきた。
和葉の目つきが変わる。敵対心をあらわにしている。もう嫌味を言われる程度では済まされないだろう。
そんな威圧に臆すわけにはいかない。ここは毅然と立ち向かわなければならない。何せ、和葉を問い質さなければならない――信じるためにも。
「どうして、と聞いているのです。いつものだんまりは、いつまでも、今回も、通用すると思わないでください」
冷淡とした声。今まで自分に向けてきたことのない、和葉の敵意。
すごく怖い。でも、そんな脅しに屈するわけにはいかない。ここは勇気を振り絞り――今にも体が震えだしそうだ。
「私は……私は、和葉くんを信じたくて」
どう答えていいのか――何を言葉にしても、和葉には通用しない。だから、今思っていることをただ真っ直ぐに答えるだけだ。
「〝信じる〟? 言っている意味が分かりません。僕を尾行することが、どうして〝信じる〟ことになるのです? むしろ、疑っているとしか思えませんが?」
しかし、思いが伝わるわけではない。それは分かっている。分かっていたからこそ、この和葉の返す言葉も理解できる。怪訝に思うことも理解できる。
「信じたかったの。どうしても、信じたかったの……」
これしか答えようがない。和葉に言っているはずなのに、自分に向けて言っているような――美加はあやふやな気持ちに苛まれる。いくら真っ直ぐな言葉を向けたからといって、相手にその真意まで伝わることはない。その焦燥感が、体を強張らせる。和葉の冷たい視線、冷たい言葉よりも、自分の焦燥感がとても怖く感じてきている。
和葉は美加の言葉をどう捉えているのだろうか。視線が緩まない。真意まで伝わらないのだから、視線の緩みようがない。
「それでは、尾行の目的を聞きましょうか。信じる信じない――そのことが目的にはなりませんよね? 尾行して、どのようにかして信じる信じないという結果を導き出すのでしょうから。
さて、目的は何です? 何をもって判断するのです? そして何よりも、何について信じるのです?」
「それは……」
どのように言えばいいのだろうか。素直に、変死体についてを尋ねればいいのだろうか。魔具を追っていることを聞けばいいのだろうか。
和葉が事件に関わっていないことを信じたいのに、これらを尋ねられないということが、最早、〝信じられない〟と結びつけてやしないだろうか。
「――どうしたのです? 素直に言えばいいじゃないですか。〝魔具を手に入れて、どうするのか〟と。ま、こちらとしても素直に答えておきましょうかね。紛失した魔具を見つけ次第回収。これが僕たちのやろうとしていることです。信じる信じないは、あなたの自由ですがね」
和葉は淡々と答える。
これが答えなのだろうか。本当にそうなのだろうか。しかし、今嘘を言ったところで、何の意味もないはず。いや、嘘を言わずとも、本当のことを全く言っていないことだってあり得る。それが和葉のやり方だ。何度か見てきたことだ。
疑心暗鬼――信じたいのに、信じたいはずなのに、どこか疑ってしまっている。
「そういうわけです。それに、回収と言っても、警察の協力を得るほどのものでもありません。ですので、この件は終わりにしましょう。互いに疑いあう必要などないのです。一応言っておきましょうか。まあ、前にも言いましたが――」
「黒猫を捜しているんですよね? でも、それだけですか? 他にもありませんか? 変死体――いえ、ここはあえて、警察官と言います。そのことについて知っていることがあるんじゃないのですか?」
真っ直ぐに和葉を、和葉の目を見据える。もう逃げない。逃げるわけにはいかない。和葉を信じるのだ、と言い聞かせる。疑心暗鬼になっていられないのだ、と胸の中の焦燥感を振り払う。
見据える見据える見据える――睨む。睨みたいわけではないのに、信じたい度合いが強くなってしまったがために睨んでしまっている。
和葉が僅かに揺らいだ。ほんの一瞬のこと。意識して見ていても、見逃しかねないもの。
「変死体? ああ、最近起きた事件ですね。テレビのニュースで言っていたことを覚えています。確か、公安の人だったそうで。身内のことですから、そちらとしてはさぞ躍起になっているのでしょうね」
和葉の言葉に、美加はドクンと胸が高鳴ったことを感じた。重く鋭く痛い鼓動。それも、どんどん早まっていく。意識が遠退きそうになるほど――駄目だ。ここで現実から目を逸らしては、駄目だ。
「ねえ、和葉くん。どうして、〝公安の人〟だって知っているの? ニュースでは、まだ身元が明らかにされていないはずなのに」
「――!?」
和葉の目が揺らぐ。今度ははっきりと見間違いようがない。和葉が自ら〝関係がある〟と暴いたといってもいいだろう。
「和葉くん?」
「――やれやれ、僕としたことが、失言でしたね。ええ、どうやら、あなたの追っている事件と関わりがあるのかもしれません。ちなみに、僕はあの公安の人を殺したりしていませんよ。あの公安の人にしつこく嗅ぎ回れて仕事がやりづらかったので非常に迷惑していましたけどね。しかし、死んだからと言っても、別の人が僕たちの周りを嗅ぎ回るでしょうね。それも――いえ、愚痴をこぼしても、何も進まない話でしたね」
和葉が珍しく美加の前で肩をすぼめている。
「さて、どうしますか? 僕の言っていることを信じる信じないかは、あなた次第です」
「和葉くんが悪いことをしていないと言うのなら、私にも手伝わせてください」
「僕とあなたとでは、別件です。あなたの力は必要じゃないのです。それに、僕は僕のために動いているので、あなたのためにもなれません」
和葉が首を横に振った。それを見て、美加は目を伏せる。いつものようになれない。いつも一緒にいたと思っていたのに、実はまだまだ互いの距離は遠いのだと、現実を突きつけられる。
「では、僕はここで」
和葉が美加の横を通り抜け、屋上の出入り口へと足を向けた。その背中へ「和葉くん」と美加は呼び止める。和葉は足を止め、振り返る。
「まだ用件があるのですか?」
冷たい和葉がいる。再び敵対心を表に出している。
「和葉くんは、本当に関係がないのですか?」
信じる信じないか、まだ決められない。だからこそ、何度でも尋ねてしまう。
「僕はすでに述べました。あとはあなた次第です。それと、これ以上僕に関わらない方がいいです。むしろ、関わらないでください。今回は、言うだけにしておきます。次、もし今回のようなことがあれば、あなたの無事を保障しかねます。分かりますよね? 僕がこういう場所にいるということは、どこかにヘカテがいるということです。余計なことをすれば、すぐさま狙撃されます」
最初の冷淡な物言い。これ以上、何を言っても聞いてくれなさそうだ。
それでも、と手を伸ばし、声をかけようと――
足元を勢いよく何かが弾けた。ゾクリとくる悪寒がある。考えられるのはヘカテの狙撃。今いる場所は、十階建ての屋上とはいえ、ここよりも高い建物が周りにいくつもある。ここが狙撃ポイントとして最適なのかもしれない。現に、屋内にでも入らない限り逃げも隠れもできないのだから。
「今のは、警告だそうです。あなただから、できれば撃ちたくないそうです。なので、僕たちに関わらないでください。何かあれば、こちらから連絡しますから」
和葉が自らの耳を指差す。無線でのヘカテからの言い伝であることを示しているのだろう。
美加が何も答えないと見ると、和葉は建物の中へと入っていった。
美加は動けず、何も言えず、和葉を見送るだけだ。
和葉の姿が見えなくなると、横へと向いた。離れたところに、ここよりも少し高い建物がシルエットとして見える。そこにヘカテがいると限らないのに、あたかもそこにいると分かっているかのように見据える。
ねっとりとした風が髪を揺らす。心を揺らす――。
◇
「まさか、ここにいるって分かっているのかな。そんなに優秀だなんて聞いていないんだけど。それとも、当てずっぽう? だとしても、もっと間近なところを見るだろうし。困ったなぁ……」
美加が見据える先のビルの屋上では、グレイのギリースーツを被ったヘカテが、アサルトライフル――ステア・AUGのスコープで美加を見ている。
「自分で役立たずと言っておきながら、なかなかの察知能力よ。ま、だからこそタカフミはネコジシに送り込んできたんだろうけど。体力だけの馬鹿ヤスオと全く違うわ」
『珍しいですね。ヘカテが人を褒めるなんて』
「カズハほどじゃないわよ。物事を察するというのは、様々な事象において大事なことだもの。それを素直に認めているだけ」
『軌道計算で、あなたの場所を見つけたのかもしれませんよ。仮にも警察官ですし』
「そんなの、いつも戦場にいるか、特殊な訓練をいつも受けて能力を高めていないと駄目じゃないのかしら。大雑把に見渡すことはできても、ここをじっと見ることなんて、アタシがここにいるということを分かっていないとできないもの。ミカって、SATとかSITとか、配備されていた過去でもあるの? まさか、外国人部隊とか傭兵とか、なんてないわよね?」
『ありませんね。警察学校を出てからは、あの警察署に配属されて、ずっと柳崎さんの下で働いています。なので、ずっと折部さんにいびられているそうです。以前見せてもらった経歴書で把握しています』
「なら、本能的なもの? ミカって、獣みたいな敏感なところあったかな。ま、いいわ。もう少し様子を見たら、アタシは場所を移動するわ。ミカだって、いつまでもあんなところにいるとも思えないし。ミカがいなくなるまで、アタシが動けなくても問題ないでしょ?」
『ええ、今のところは』




