3.ロシアンブルーの悪戯な笑みに心乱されて。
「カズハからも何か言ってよ。
アタシの部屋なんだよ。
アタシの立場は何なのさ」
スチールデスクのいつもの席に、和葉はいつものように黒猫のイラストの描かれたマグカップでコーヒーを飲んでいた。
――筈だったが、その和葉に詰め寄るヘカテに眉をひそめていた。
小煩いのが喚いていて迷惑だ、と和葉の表情はあからさまに語っている。
ただ、和葉がどんな顔をしようとお構いなしのようで、ヘカテはさらに捲くし立ててくる。
「アタシのプライバシーはどうなるのさ!?
アタシの自由は!?
アタシはカズハにとって何なの!?」
この勢いを止めることなど、誰もできやしないだろう。
「小煩いガキンチョです。
喧しいので、さっさと遊びに出て行ってくれれば助かると思って仕方がありません」
しれっとした様子で言い返した。
できる限り相手をしたくない、と今にも言いたげ。
止められないのなら、さっさと追い出してしまえばいい、ということである。
「何さ! 何なのさ!
そうやってアタシを馬鹿にするんだ!?」
ヘカテは頬をぷくっと膨らませて、さらに捲くし立てる。
火に油を注ぐだけだったのか、と和葉はうんざり。
ただ、少女姿で捲くし立てるものだから、どこにも怖さが感じられない。
少女が駄々を捏ねているとしか見受けられない。
だからこそ、うんざり感が増す。
子どもを相手になんかしていられない、と。
しまいには両耳を押さえて、ヘカテの言葉など聞きたくないと抗ってみせた。
そんなこと、姑息でしかないことは重々承知の上での行動。
そんな態度がさらにヘカテを激昂させる。
喚く勢いが倍どころか数倍に膨れ上がり、風船のように破裂するのではないかと思うほど。
いっそのこと破裂してしまえば大人しくなるのかもしれないが、それはそれで何か別に問題が生じるのではなかろうかとも考えてしまう。
そんな二人を前に、事の原因ともいえる者たちが厭いた様子で見ていた。
千代と遊慧。
そして、どこか落ち着かない美加が二人をどうやって止めたらいいのか戸惑い、勢いに呑まれて何もできないでいた。
千代を休ませるために美加が連れてきたわけで、遊慧は保護という名目上、ネコジシ商会で匿ってもらっている。
その二人が寝泊りをするためにヘカテの部屋を陣取っているということで、ヘカテが不満をあらわに――大爆発させ――和葉へと申し出たのだ。
自分の部屋なのに、自由に使えないことの鬱憤が溜まり溜まったというべきだろう。
ただ、まだ二日しか経っていないのではあるのだが。
「ねぇ、いつまでいるの!?
いつまでアタシの自由を奪うの!?
開放しなさい!
一刻も早く!」
ヘカテの怒りの矛先は千代へと遊慧へと向く。
指を差して怒りのあまりに歯軋りまでしているのだが、やはりどこか怖さが感じられない。
少女姿でどんなに迫ってこようとも怖さが半減してしまう。
子どもの癇癪だとしか見ることができない。
だからというべきなのか、千代も遊慧もどこ吹く風といった様子。
美加だけがいつものようにハラハラと息を呑む。
何度もこういったこを目の当たりにしているのに、いつまで経っても慣れないのが美加だということなのだろう。
――その喧騒とも暢気ともいえる空間に、ドアをノックする音が響いた。
全員の視線が出入り口のドアへと向かう。
開かれたドアの前には女。
蠱惑的な体を白いスーツで包み、睨んでいるわけでもないのに鋭さのある視線は猛禽のようで獲物を探しているかのような威圧感がある。
背も高く、美加と同じぐらいだろうか、その体格がより威圧感を顕著にしている。
「これはこれは、リーリャ。
随分と久しぶりですね」
和葉はヘカテから逃れる絶好のチャンスだと言わんばかりに、マグカップを置いて、言った。
それを合図としてか、リーリャと呼ばれた女は和葉の前へと歩み寄ってくる。
足取り軽やかで、でも〝カタギ〟に見えない。
煌びやかな碧眼、歩むたびにふわりとしたグレイの髪の揺らぐ様はセレブリティ溢れるのだが、女の持つ雰囲気がそれを真っ向から否定している。
日本においてとても異様な雰囲気を持っているのだが、どう見ても外国人である彼女だからこそ、それが当たり前のようにも見える。
何が当然で何が異様なのか、判断がつかない。
「ホント、久しぶりねぇ、カズハ・キソノハラ。
――いえ、今はカズハ・ユリガキだったわね」
見た目の威圧感と逆で、人懐こさのある話し方。
それも流暢な日本語を話すことが、さも当然であるかのようで、しかし、外国人の恰好なのに日本人なのではなかろうかと思えるところが異様でもある。
「ええ、木曽野原は母が再婚する前の姓ですので。
よく苗字が変わったことをご存知で。
いえ、〝あなたなら知っていて、当たり前〟でしたね。
というより、はるばるロシアからどのような用です?」
「用といえば用があるのだけどね。
その前に一つ。
しばらく見ないうちに随分と女の子を囲うようになったのね」
リーリャは美加、千代、遊慧と見ていく。
途中でヘカテを見なかったのは、ヘカテのことを知っているからこそか、ヘカテを年端の行かない少女と見てか。
和葉は眉をひそめ――眉間にしわが寄っていき、口も〝へ〟の字に曲がっていく。
リーリャが要らぬ勘違いをしているから、不満でならないのだろう。
「で、どれが〝本命〟?
カズハの好みだと、そうね――」
リーリャは美加、千代、遊慧へとそれぞれに近づいていき、まじまじと彼女らを見ていく。
美加は戸惑った顔をし、千代は不満げにリーリャから視線を逸らし、遊慧は挨拶か何かと勘違いしているのか会釈を返す。
リーリャの品定めのような行動に、和葉の表情が曇っていく。
余計なことをしないでほしいと言いたげに。
「リーリャ、冗談はよしてください。
何なのです、藪から棒に」
「ん? 和葉の趣味が何かを調べ、本国に報告を、と思ってね」
リーリャは楽しげに答える。
それがまた和葉の表情を強張らせる。
「何を報告するのですか?
どこまで冗談を繰り返すつもりですか?」
「フフ、で、どの人なの?
カズハの本命は?
ああ、そういうことは、〝魔女っ娘ヘカちゃん〟にでも訊いたほうがいいのかしらね?」
リーリャは和葉の表情が変わっていくのもお構いなしで、ヘカテの前へと寄っていく。
ヘカテは最大限の不満を顔に出して――
「そんな呼び方、やめてよ!
っていうか、日本に来んな!」
身の毛もよだつという顔をしてそっぽを向くと、部屋の隅のいつもの席へと戻ってしまった。
元より機嫌が悪い状況の中で、さらに気に障るようなことをするのだから、当たり前である。
リーリャは怒ったヘカテが余程おかしかったのか、笑みを漏らす。悪戯好きな子どもがしてやったりのことをして、楽しんでいるかのよう。
「リーリャ、本当に冗談はよしてください。
僕のことなど、どうでもいいことなのです。
むしろ、あなたに僕のことをあれこれと知られたくありません」
今の状況をとことんかき回してくれるリーリャに対して、我慢が続かなくなってきたのだろうか、和葉の眉間が谷間とばかりにしわが寄っている。
不機嫌黒猫がいつ〝爆発〟してもおかしくない。
「カズハ、ああ、もう、つれないのね。
いつも独りで可哀想な男の子だと思っていたのよ。
あなたのお母さんに宜しく言われているし。
まあ、正直、カズハの本命が誰であってもいいのだけどね」
リーリャの視線が僅かであったが美加へと向けられた。
ただ見やっただけなのか、すぐにその視線は和葉へと戻ってしまう。
美加は気になるものの、目があっただけなのだろう、とこの場は流すことにした。
「――それでね。
用というか、この辺りで厄介なことが起きているんじゃないかなって、話を聞きにきたの」
「厄介なこと?
具体的には、どのレベルのものですか?
あなたの場合、洒落じゃ済まなくなる場合もありますので」
和葉はようやく本題に入ってくれたのか、と表情を戻してリーリャを見やる。
「あらあら、そう答えるということは、この街も色々と抱えているのね。
まあ、私としては、カズハの本命が誰なのかを知りたいところなんだけどね――」
しかし、そう思いどおりにならないらしく、むしろ、本題に行くと見せかけての引っ掛けに、和葉は眉をつり上げる。
「話が逸れてますよ。
僕の本命は誰だっていいと言ったじゃないですか。
全く、すぐに自分勝手に話を進めるのですから。
それで、僕に聞きたいことは?」
焦らされ続けるのも癪と考えたのだろう、和葉は急かす。
「そうねぇ……人がいる時にこういう話をするのもねぇ」
それでも自分のペースを変えないと見るべきか、本当に言葉どおりの意味の戸惑いなのか、リーリャは美加らを見渡しつつ言った。
しかし、目がどこか笑っているあたり、前者なのではないか。
「人払いしますか?
あなたの場合、ここに〝僕以外の誰かがいることを知った上〟で訪れていると思うのですけどね」
「あらあら、わかってた?
いやいや、カズハも成長しているのね。
お姉ちゃん嬉しいわ。
ここにカズハ以外の人がいることを知っているのは当然よね。
下調べを済ませてきたものね。
警察官に〈魔女狩り〉、それと――喫茶店のマスターと言ったほうがいいのかしらね。
それとも、〝あの家〟の関係者と言ったほうがいいのかしらね?」
リーリャはさも自慢げに胸を張って答える。
直後、事務所の中に緊張が走る――専ら千代が殺気立っているだけだが。
美加は唖然としていて、遊慧は訝しく目を向ける。
誰一人として自分が何者なのか、リーリャへと言っていない。
なのに、リーリャがそれぞれを言い当てたのだから、驚くか怪訝に思うかしかないのだろう。
和葉は深くため息をつき――
「ああ、何と言いますか、リーリャは――いえ、リディア・ヤコブレフは、ロシアの諜報員でして、要らないことでも何でも調べようとする悪い癖を持っているのです。
悪気がないわけでないのですが、あなたたちがここにいることを知った上で、危害を加えるためにいるわけではないと――思いますが、まあ、スパイを趣味としている悪い女ですので、何なりとしてくれても構いません。
僕は見ていなかったことにしておきますし、何かあっても簀巻きにして大使館の前に捨てておきますので」
椅子を回して背を向けた。
できればこれ以上関わり合いたくない、と背中が語っている。
むしろ、リーリャの相手をするのに疲れるから敵前逃亡したともいえる。
「ちょっとカズハったら。
フォローになってないわね。
本命を探ろうとしたのがいけなかったのかしらね。
思春期の男の子じゃあるまいし、もう少し心を開いてもいいと思うのよね」
リーリャはプンスカと鼻息を荒げる。
和葉を不機嫌にさせたのはリーリャ自身なのだが、不機嫌になった和葉があたかも悪いと言いたげである。
「――それとね、日本には仕事で来ているのね」
これ以上引っ掻き回しても面白く進展しないと思ったのか、目的を果たすためと思しく声のトーンが変わる。
これからが本題ということなのだろう。
「でしょうね。
仕事でもない限り、あなたが日本に来るわけがない」
和葉は背を向けたままに答える。
ここで振り返らないのは、再びリーリャに弄ばれると思っての対抗策か。
「あらあら、カズハが来てほしいって言うのなら、仕事をすっぽかしてでも来てあげるわよ」
「では、帰ってくださいといえば、帰ってくれますか?」
「つれないのね。
いいわ、用を終えたら、この場は去ってあげるね」
「ああ、用件があったんですね。
話が逸れるものですから、大した用件でもないでしょうけど」
「そうねぇ、大したことがあるかないかと聞かれると難しいわね。
日本にイヴァン大佐がいることがわかって、大佐の部下たちがこの街で色々と暗躍しているみたいなの。
そのあたりのことを聞きたかったんだけど――今日はいいわ」
リーリャはそう言うと、和葉から視線を外してヘカテへと歩み寄る。
ヘカテは不満な面持ちを崩さないままリーリャを見据える。
「この街に、〈オルレアンの乙女〉が運び込まれたそうよ。
あなたがいるから大丈夫だとは思うけど、何かの拍子にイヴァン大佐の手に渡っても困るから、あらかじめ言っておくわね」
「……〝あんなもの〟、どうしてこの街に……?」
ヘカテの表情が変わる。
息を呑み、険しい顔をして立ち上がる。
リーリャへと向ける嫌悪と違い、今度は切羽詰った表情。
「カズハ! アタシ、タカフミのところに行ってくる」
ヘカテはそう言うと、自分の部屋へと行くなり、大人の姿へと変貌して急ぎ足でネコジシ商会から出て行った。
◇
美加は何を話していいのか困った。
無理に話をする必要性もないのだが、何の話もしていないというのも気が引けてしまう。
尤も、話しかけられないから間が持たなかった、といったほうが正しいのかもしれない。
その戸惑いの理由として、隣にリーリャがいるということだ。
和葉のお願い――むしろ命令――でリーリャをロシア大使館まで送り届けることとなった。
リーリャとのやり取りを見ていると、独りで帰ってもらってもいいといつもの和葉なら言いかねないのだが、リーリャに限って違っていたのである。
ちゃんと最後まで送り届けるように、と耳にタコができるほど言われたのである。
和葉にとって、リーリャはそれだけ〝特別な存在〟なのだろうか。
美加の目にはとても気になる存在として映っている。
美加にそのような目を向けられているのに、さも気づかないフリをしてリーリャは街を眺めている。
互いが互いを意識しているのは、隠しつつも筒抜けだった。
ふと、リーリャが感嘆の声を漏らす。
リーリャの視線の先にあるのは、遠くに見える赤い電波塔。
もう何十年も前からある古いものであるが、観光名所として名を馳せていた場所なので、そう珍しいというわけでもない。
だからといって、感嘆の声を漏らすほどのものかといえば、やはりこの街に住んでいるからなのか、特に思うこともない。
外国人ならではの感嘆なのだろうか。
それとも、古くからあるからこそ、懐かしさが込み上げてくるのかもしれない。
和葉とも古くからの知り合いのようだった。
ならば、以前に日本へと来て見た時のことを思い返しているのかもしれない。
チラリチラリと美加がリーリャの様子を窺っていると、リーリャは美加へと視線を向けてくる。
その顔には笑みがある。
それもどこか悪戯っぽい笑み。
「おやおや~?
私が気になって仕方がないってところかな?」
「えっ!? いや、その……」
美加はたじろぎ、リーリャの視線から逃れようと顔を逸らす。
だからといって、リーリャが容易く逃してくれるわけもなく――
「いいのいいの。
さっきから私を見ていたものね。
それで、何が気になるのかな?
私について? 私とカズハについて?」
ニタニタと顔を近づけてくる。
翡翠が埋め込まれているかのような艶やかな目が真っ直ぐに捉えてきて、美加を逃すまいとしてくる。
美加は言葉に詰まり、全てを見透かされていたことに観念して、うな垂れた。
リーリャは諜報員というのだから、人が何を考えているのか見通すことも簡単なのかもしれない――のだが、単に美加がわかりやすいだけのこと。
顔というべきか、態度そのものが全て物語っているため、ある程度の洞察力を持ってさえいれば、誰であろうと察しがついてしまう。
「訊いて訊いて。
さ、思うままに訊いて頂戴ね。
何でも答えてあげるからね」
美加があたふたとするものだから、楽しんでいる。
「え、えと、とりあえず、は、離れてください、ヤコブレフさん」
ただでさえ焦って仕方がないのに、近づかれたままでは、落ち着かせることもできない。
「ええぇ、〝ヤコブレフさん〟だなんて、他人行儀な人のことの言うことなんか、聞けないかな。
〝リーリャ〟って呼んでくれなきゃ、駄目」
ここまでくると、悪ふざけとしか思えない。
リーリャの笑みは甘美な毒とでもいうべきか、自分のことを見透かされたから焦っていたのに、今や見つめられているだけで焦ってしまう。
「え、ええっ!?
じゃ、じゃあ、リーリャさん、離れてくれますか」
毒の回る思いを振り払って言葉に出すのだが、どこか上ずったまま。
「〝リーリャ〟は愛称なの。
〝さん〟なんてつけなくてもいいのに。
――と言っても、あなた生真面目そうだから、これ以上言っても可哀想かもね。
なら、それでもいいのかもね」
リーリャはンフフと悪戯な笑みをしながら美加から二歩三歩と離れていく。
そのままワルツでも踊るかのように両手を広げ、回り、街並みを眺めていく。
「昔のままのところもあるし、変わってしまったところもあるけど、この街自体はこの街としてあるのね」
美加を一周して前へと戻ってきたところで足を止めた。
「あの……和葉くんとは昔からの知り合いなのですか?」
美加は意を決して言葉を口にした。
でも、聞いてしまっている自分がとても恥ずかしい。
確かに思っていたこととはいえ、それを口にするとまでは思ってもいなかった。
それも和葉のことを気にかけていると言わんばかりに。
「あの、その、ただ思っただけのことなんです。
和葉くんがどうとか、あなたがどうとか、その……」
「うんうん、大丈夫よ、だいじょーぶなのよね。
カズハとはそういう関係じゃなくて、ただの友達ね。
カズハを盗ったりなんてしないから、心配しなくて大丈夫だからね」
「そんな、心配とか……え? ええ?
いや、そういう意味で訊きたかったわけじゃないんです」
美加は顔を真っ赤にしてあたふたと否定。
リーリャに美加が和葉を恋愛対象として見ていると思われたことに――今までそういうことも考えたこともなかった――恥ずかしさが押し寄せてくる。
自分でも泡を食っていることがわかっているのだが、心を落ち着かせるに至らない。
むしろ、心を落ち着かせようとして、さらに動揺してしまっているといっていい。
リーリャはそんな美加の反応を見て楽しんで、笑みを漏らしながらはしゃいでいるように見えた。
妙齢の女性のなりなのに、どこか少女っぽさのある仕草。
大人になりきれていないあどけなさがある。
美加はどうやって取り繕うかと考えるのだが、これもまたうまく答えがまとまらない。
全身が火照り、今にも火を噴きそう。
「いつまでも、そうやって笑ってないでくださいぅ」
あまりの恥ずかしさに、しまいにはそう言って頬を膨らませてそっぽを向く。
「そうやって色々と表情を変えるから、カズハもあなたを気にしているのかもね。
フフ、面白い組み合わせね」
リーリャの笑みは止まらず、美加を置いて先に行ってしまう。
美加は膨らませた頬をしぼませると、今度は口を尖らせてリーリャの後を追いかけた。
ここまで言われてしまうと、まるで美加と和葉が相思相愛の仲のようにも聞こえてしまう。
いつも嫌味ばかりを聞かされているのに、気にしているなんてあり得ない全否定の言葉を声に出さず、口の中で呟いた。
――二人が歩き続け、先に異変に気づいたのはリーリャだった。
足を止めて美加へと振り返ってくる。
また人の反応を見て楽しむために何か言ってくるのか、と美加は身構えるのだが、リーリャの顔が悪戯っぽい笑みから真剣な眼差しに変わっていることに気づいて、周囲を見渡す。
街の中をずっと歩いてきたにも拘らず、美加とリーリャ以外に誰もいないのだ。
駅へと通じる通りなので、人の姿が途絶えることのない場所だというのに、誰もいないのは異変以外の何ものでもない。
店もあるのに、客はおろか、店員の姿もない。
一種のゴーストタウンと化している。
「どうして……?
どうして誰もいないの?」
「〝こんなこと〟するのって、決まっているのよね」
うろたえる美加。
状況を判断したのか、落ち着きのあるリーリャ。
遠くから駆けてくる音が聞こえてくる。
一つや二つでなく、複雑に交わる音は人数の特定ができない。
足音が近づいてくるのを待っていれば、あっという間に美加とリーリャは囲まれてしまった。
誰もが目出し帽を被り、自動小銃――AKS74Uで武装した男たち。
どれも鍛え上げられた体の持ち主。
〝武装集団〟と一言で言ってしまえばそれだけだが、それぞれの動きに統率があるように見受けられる。
まるで軍人の動き。
「やれやれね。
冷戦は二十年も前に終わっているというのにね。
時代錯誤ってカズハなら言うでしょうね」
リーリャは銃口を向けられているにも拘らず、落ち着いているどころか、この集団に辟易とした視線を向け、ロシア語で言った。
「大佐、いるんでしょ?
もう、こんな〝演出〟しなくても、私は逃げたりしないわよ。
というか、むしろ、大佐を捜していたわけだし。
こんなにも早く出会えるなんて、幸福ね」
リーリャは囲っている男たちにでなく、どこへともなく言葉をかける――のだが、代わりに正面に立つ男から「大佐は、ここにはいない」とロシア語で返してくる。
「あれ?
ということは、私を消すためだけに、こんな大掛かりをしたわけ?
血気盛んな大佐のことだから、陣頭指揮を執っているものだとばかり思ってたのに」




