13.桜の花の散った木を見て、何を思うか。
桜の花は全て散り、葉桜となっていた。
暖かい日と寒い日が交互に続き――桜の花が終わる頃には、暖かい日々が続くようになってきている。
それでも春ならではの気候とあって、いつ天気が崩れるのかわかったものでない。
とはいえ、今日は春らしい暖かい陽射しがあった。
桜の花を見られなかったことは寂しいが、暖かい陽射しは心を和やかにしてくれる。
美加は葉桜へと見やり、ため息をついた。
桜の咲き乱れていた間は、ずっと病室で過ごしていたために、身動きができなかったからだ。
病室から桜の木を見ることは可能だったが、満開の桜の下で楽しむことが叶わなかった。
それゆえの、楽しめなかったことの悔しさがため息に出てしまっていた。
「まだ足が痛みますか?」
美加の前を歩む美麗が心配そうに顔を覗き込んでくる。
痛みによるため息と見られてしまったらしい。
美麗は制服姿でバッグを持っている。
美加が退院するということで付き添いとして来てくれたのだ。
手にしているバッグは美加のもの。
これも美麗が持つと言ってくれたので、言葉に甘えることにした。
「ううん、大丈夫よ。
ただ、お花見ができなかったなあって」
「ああ、そうでしたね。
来年はみんなで行きましょうよ。
和葉兄さんも一緒に」
尻尾を振り続ける人懐こい仔犬を思わせる美麗は、隣に歩く懐かない黒猫を思わせる和葉へと向いた。
和葉はどこか不機嫌な様子で、美麗、美加と一瞥をくれてくる。
いつ嫌味をくれてくるのかわからない目をしている。
不機嫌な理由として、和葉が美加の退院の付き添いに行きたくないと言ったのに、美麗が無理矢理に連れてこられたことにあるらしい。
美加は和葉に来てほしいと頼んだ覚えはない――でも、来てくれたことはとても嬉しい――ので、美麗が気を利かせてくれたのだろう。
そういったことがあるから、不機嫌な黒猫のまま、会ってから終始黙ったままだったりする。
「ごめんなさい。
私、独りでも大丈夫だったのに」
「いいんですよ。
和葉兄さんはいつもこんな調子ですから」
和葉の態度に美加はげんなりとして、美麗は慣れた様子。
とても対照的。
「だけど、みんな忙しいだろうし」
「私なら大丈夫です。
和葉兄さんはもっと大丈夫です。
何たって、毎日〝閑古鳥の鳴いているお店〟で、一日中呆けているだけですから」
美加はより下手に、美麗はより上手に――和葉の不機嫌な顔が、どちらの物言いで増していっているのだろうか。
そんな和葉を前にしているものだから、今にも嫌味がマシンガンのように連射されるのではないか、と美加は内心冷や冷やとしている。
なのでより下手の態度になってしまう。
対して、美麗は全く気にしておらず、嫌味を言えるものなら言ってみろ、と堂々としたもの。
和葉はそんな二人の心情を知った上か、単に相手したくないだけか、二人から視線を背けてさっさと歩いていってしまう。
背中から窺えることは、和葉の考えることが伝わってこないことだ。
さっさと帰りたいのか、つきあってくれているのか。
どちらなのか何ともわからない。
スタスタと歩いていってしまう和葉の後ろを、二人はゆっくりと歩いていく。
和葉が何も話してくれないので、女同士の他愛のない会話が続いた。
ふと、美麗が美加の前に出て足を止めた。
つられて美加の足も止まる。
「あれ?
そういえば、美加さんは、ペンダントをしていないですけど、やっぱり駄目でしたか?」
「ペンダント……?」
美麗の言う〝ペンダント〟というのは、和葉のくれたラピスラズリのペンダントのことなのだろう。
美加は言葉を失った。
あのペンダントが決して駄目とか気に入らなかったとか、そういうわけではない。
ただ、あのペンダントをしていると、男たちに襲われた時のことを思い出してしまうのだ。
怖くてつけられないでいた。
あの時のことを思い出すと、今でも震えが出てきてしまう。
特に、男たちに囲まれていたことよりも、白矢――。
美麗はそのことを知らないのだろう――筈だ。
美加が入院していたことも男たちと白矢によってのことだということも知らないだろう。
別の何かで怪我をして、入院したと認識しているだろう。
〈異端狩り〉に襲われたなど、美麗のような〝一般人〟には知らなくていいことだ。
魔具などのこともそうだ。
美加は返答に困った。
あったことをそのまま話すわけにはいかない。
嘘を言うにしても、美麗を納得させるような嘘をつけるほど器用でもない。
美麗がじっと見つめてくるので、なおさらどう答えていいのか悩んでしまう。
そこへ――
「以前、僕が――ペンダントをつけている姿を見て、からかってしまいましたからね。
そのことが悔しくて、つけるにつけられないのでしょう」
和葉の素っ気なく言った。
美加は唖然と和葉へと見やる。
和葉は依然背中を向けたままなので、どのような顔で言っているのかわからない。
以前、和葉が言ったようなことはなかった筈だ。
からかわれたことなんてない。
魔具かどうかを確かめようとして、魔具でなかったことがどこか残念そうだったことだけは覚えている。
言っていることと記憶が合致しない。
となれば、和葉は嘘を言っていることになる。
何でそんなことを言うのだろうか。
言えば非難されるのは和葉のほうだ。
わざわざ嘘を言う意味が、意図が全く掴めない。
美加としては和葉から折角貰ったものなのに、和葉の前でつけていない自分を悔やむほど。
「和葉兄さん!
どうして、そうやって要らないことばかり言うの!」
美麗が目くじらを立てて和葉へと迫っていく。
〝和葉の嘘〟を完全に真に受けてしまっている。
和葉は「煩いですね」と返すだけだ。
美加は、自分がペンダントをつけなかったばかりに、兄妹喧嘩をしてほしくないのでここは止めなければならない、と二人の間に入ろうとして――
「やれやれです」
先に和葉がこちらへと振り向いた。
「仕方がないので、愚昧のために、一度つけてやってくれませんか?」
美麗に観念したかのような言い方。
不機嫌な面持ちはどこにもなかった。
からかおうというつもりも見えない。
至って普通の――事務所で見せる和葉の顔。
そういう顔で言ってくれるのはいいが、ペンダントをつけるとなると強迫観念が襲ってくる。
またあの時のようにペンダントを狙って男たちのように誰かがやってくるのではないのか。
あの時は自分だけだった。
今は和葉と美麗がいる。
二人にまで危険な目に遭わせてしまうのではないかと考えてしまう。
そんな美麗の心情など露ほどにも知らないだろう。
美麗は「つけて、つけて」と急かしてくる。
どうしたらいいのか、美加は和葉へと見やった。
和葉は何もかもわかっていると言いたげな様子で――
「つけても大丈夫です。
何も起きませんし、気にし過ぎです」
と頷いてくるのだ。
和葉が言うのなら、大丈夫なのだろう。
でも、まだためらいがある。
美麗の持つバッグからペンダントを出し、ゆっくりとした動作で――ためらいがあらわとなって――つけた。
陽がラピスラズリに反射――瑠璃色の光が生まれた。
初めてこのペンダントを手にした時の感動が蘇ってくる。
「わ、やっぱり美加さんみたいな大人の女性なら、似合うんだよね」
美麗が感嘆の息を漏らして、笑んでくれた。
嬉しそうな声を上げてくれるのなら、つけたことも悪くない。
美加は気恥ずかしそうに「アリガト」と返した。
「それね、今のお母さんから貰ったの。
でもね、私じゃ似合わないし、宝の持ち腐れかなって思ってたの。
だけど、和葉兄さんがいつもお世話になっている人が、女の人だって聞いて――」
「お世話をされた覚えはありません」
「――和葉兄さんは黙ってて。
で、ね。
女の人だって聞いていたから、どんな人かなって思ってたの。
それも、こんな嫌みったらしい和葉兄さんの相手をしていて、一緒にいられる人なんて初めてだったから、余計に気になっていたの」
美麗の笑みに、どこか含みがあるように感じられた。
「綺麗な人だし、何だかんだ和葉兄さんともうまくやってるみたいだし、プレゼントして渡してねって和葉兄さんに言ったの。
このことはお母さんにも相談したんだよ。
お母さんも和葉兄さんのことを気にしていたから」
そう言うと、美麗は颯爽と走り出した。
何を意味していたのだろうか。
問い質そうも美麗がどんどん離れていくので、タイミングを逃してしまった。
そして――
〝幸せ〟になれるペンダントとしての件を思い出した。
途端に顔が真っ赤になる。
美麗が和葉と自分を〝くっつけよう〟と画策しているのではないか、と勘繰ってしまう。
ワタワタと、美麗の背中を見ることしかできない。
美麗は交差点まで走っていったところで振り返り、「早く、早く」と急かしてくる。
心穏やかになれないこの感情をどうしたらいいのか、と美加は和葉へと見やった。
「似合っていると思いますよ。
母の若い頃を思い出します」
と和葉は歩き出した。
褒めてくれていると見ていいのだろうか。
一旦喜ばせて、すぐさまからかうようなことを言うんじゃないのだろうか。
怪訝――。
「あ、そうそう。
もう〈蒼い王〉のことは気にする必要がないので、そのペンダントを気にせずつけていて構いません。
それはただのペンダントであって、魔具では全くもってないのですから」
和葉が五歩行った先で振り返った。
〈蒼い王〉のことを気にする必要はない!? と美加は首を傾げるのみだ。
何のことを言っているのか、わからなかった。
首を横に振り、和葉の後ろに続いた。
とりあえず、今は春の暖かさを感じていよう。
胸に瑠璃色の光を抱えて――。




