12.幻想の王と吹き荒ぶ風の捕食者。
「くれぐれも言っておきますが、〝出オチ〟という結果は要らないので、そこのところを宜しくお願いしますね」
和葉は作業を続けたまま、霞を見ることなく言った。
むしろ、霞を相手していたところでどうしようもない。
あの道化師を相手すれば、自分のやることに差し障りが出てきてしまう。
何よりも、今は〈鎮魂〉の準備を終えることが第一であるからだ。
「あら、カズくんたら失礼なことを言うのね。
私が、一体〝何か〟を知った上で言っているのかしら?」
霞が不満げに言葉を漏らした。
和葉のピンチの場面で、〝颯爽と現れて恰好よく決めた〟と思って、有り難がられるとでも思っていたのだろう。
和葉としては余計なのが来た程度にしか感じていないのだから、有り難く思う気もない。
「一応、この街の〈異端狩り〉として名を馳せています。
それこそ並大抵の〈異端狩り〉があなたを恐れているほどに、ね。
――ですが、いつ妹分の漆原千代にその座を覆されるかわからない、〈異端狩り〉として実に不甲斐ない咲耶霞です。
簡単に言ってしまえば、名前ばかりの〝お荷物〟でしかありません」
だからこそ、思っていることを遠慮なく言う。
「あら、えと……そこまではっきりと言われちゃうと、どうしたらいいのか……。
どうしたらいい、千代ちゃん?」
ことごとく和葉に言い返されしまったことで、霞は困った顔で千代へと窺う。
しかし、千代に「知りません」とそっぽを向かれてしまった。
いつもなら「霞姉さんの悪口を言うな」と、今にも斬りかかる勢いなのに、今回ばかりは霞を庇うつもりがないらしい。
霞の態度には千代もいくらか辟易としていることの表れか。
なので、霞はげんなりと肩を落とすだけ。
「もぅ、みんな、意地悪よねぇ」
ちょっといじけた様子を見せるのだが、すぐにいつもの調子へと戻る――上がったり下がったり、いつもの調子。
ゆえに道化師。
「いいわよ。見せてあげるわよ。
〝咲耶霞〟として、恐れられた力を」
霞が〈蒼い王〉へと向かって、歩き出した。
ヘカテの銃火器も通用しない相手を前にしているのに物怖じしない。
むしろ、余裕さえ窺える。
だからこそ、〈異端狩り〉として恐れられる咲耶霞と言えるか。
――音。
霞が歩みを続けることに沿うようにして、音が鳴り出す。
低い音、高い音、硬い音、鈍い音――様々な音。
何かの演奏かと思うが、これといったメロディがあるようにも聞こえない。
だからといって、無意味な音の連続とも意図がないとも思えない。
実に――異質。
和葉は音が気になり、顔を上げると、視線から霞を遮るようにして千代が立つ。
「霞姉さんが〝音〟を奏で始めました。
不本意ですが、霞姉さんの〝音〟から守る壁となります」
千代の背中が語る。
言っていることが本当なら、あの音は霞が何かしらをして出したものとなる。
音を出すようなものを手にしていないので、〝普通の音〟でないことは確かだろう。
千代が「守る」と言うことから、さらに裏付けられる。
「その〝不本意〟も、もう少しの我慢です。
こちらはもう少しで完成しますので」
「ええ、我慢するので、早く仕上げてください」
千代は懐から小太刀を取り出して、抜いた。
霞を真っ直ぐに見据え、〝音〟をじっくりと見据える。
霞の態度から何も伝わってこないが、千代からは嫌というほど緊張感が伝わってくる。
それだけ霞がこれからやろうとしていることは、危険なことなのだろう。
霞は煙管を取り出し、クルリと回してからくわえた。
「本当なら煙草を喫みたいところなんだけど――地下駐車場じゃ、しょうがないわよね。
喫んだほうが気分いいし、〝自分〟を保てるんだけどね」
煙管を手に、正面に円を描く――音が鳴る――、
右に円を描く――音が鳴る――、
左に円を描く――音が鳴る――。
宙に円を描いているだけなので、見た目で何が起きているのか窺えない。
代わりに何もない筈の宙に――円を描いた部分から音が奏でられている。
様々な音が混じり合って、音楽を作り出していく。
高い音の連奏に低い音が被さっていく。
低い音の上から、高い音が連なってくる――
他にも様々な音がアンサンブルとして、ここに一つの演奏を実現させていく。
それらに合わせて霞は詩を口ずさんだ。
古い詩――哀愁のある静かな旋律――
地下駐車場という閉鎖された空間だからこそ、音が幾重にも響き渡り、コンサートホールのような音響をもたらす。
風が舞い上がった。
〈蒼い王〉の起こす風とは違う。
霞を中心に音が風を吹かせて渦巻いている。
その風にはどこから舞い散ってきたのか、桜の花びらが交じり――混じり、薄紅色の渦となった。
「――天は桜に、地は風に、我が前に立ち塞がりし者に桜嵐を!」
霞は煙管を振るった。
風に、それ行け、と命じるように――
しかし、それだけで何も起こらなかった。
霞の回りで渦を巻いていた風は次第に勢いを失っていき、消えてしまった。
桜の花びらも虚しく散っていく――。
「あ、あれ? どういうこと?
もう一度いくわね。
天は桜に、地は風に、我が前に立ち塞がりし者に桜嵐を!」
気を入れなおして、もう一度煙管を振るった――
だが、同様に何も起きなかった。
変わらなかった。
霞はおろおろと煙管を見やり――
「あ、あのね……失敗しちゃった」
振り返り、エヘッ、と舌を出した。
ぶりっ子よろしくの空笑いまでする始末。
それを見た三人は唖然、呆然――。
それ以外の反応はまずあり得ないというべきか。
意気揚々に前へと出たのはいいが、活躍はおろか何もしないで終わってしまったのだから、言葉を失うのは当然のことだろう。
それも、この緊迫した状況の中でされれば、唖然以外に何を持ってくればいいのだろうか、という話にもなる。
和葉の手が震えている。
魔法円を描き終えなければならない筈の手が、完全に止まってしまった。
やらなければならない、とわかっていながらも、手が進まなかった。
止まりかけていた思考をかろうじて動かし――
「……僕は、『〝出オチ〟という結果は要らない』と、先に言いましたよね?」
声もまた震えてしまっている。
これは何なのだろうか。
〝怒り〟に相当するものなのではないかと、止まりかけた思考が答えてくれる。
「魔法っていうものはね、どんなに優秀な術者がいて、どんなに高等な魔術を用いたとしても、もともとあってないようなものだし、常に〝成功〟と〝失敗〟が重なり合っていてね――」
「〈シュレーディンガの猫〉とでも言いたいのですか?
〝常に結果が重なり合っているがゆえに、発動してみないとどちらが結果として現れるのかわからない〟と?
――僕は言い訳なんて求めていません。
あれだけの前口上を述べたのですから、結果を残していただきませんと」
「わ、わわ、千代ちゃんどうしよう?
カズくんが、もんのすごぉく怒ってる」
「あなたが失敗したんですから、あなたが責任を取るべきなんですけどね。
必要ない結果しか導けないなんて、妹分が可哀想だと思いませんか?」
霞が千代へと助けを求めようとするのだが、和葉が矢継ぎ早に言って、千代の答えを待つ暇も与えない。
何も言い返せない霞は拗ねた子どものように口を尖らせるだけだ。
これ以上の言い訳もないのだから、口を尖らす他にないのだろう。
「――とはいえ、〈蒼い王〉も覚醒したばかりで、何もしてこなかったことが不幸中の幸いでしたね。
さ、役に立たないあなたは後ろに下がっていてください。
何もできないのに、ここで怪我をしても損でしょうからね」
「はいはい、どうせ役に立ちませんでしたよ。
カズくんは千代ちゃんよりも口が悪いんだから、もぅ……」
霞は肩をがっくしと落とし、とぼとぼと和葉たちの後ろ――十メートル以上離れた壁へと歩んでいき、しょんぼりと膝を抱えて座った。
何とも寂しい情景。
そんな霞など、もう気にもしない。
和葉は急いで魔法円を完成へと導いていく。
「――さて、漆原千代。
あなたには、是非とも働いてもらいますか」
「なぜお前のような奴に従わなければならないの?
私が従うに値するのは、霞姉さんだけだというのに」
「それでも構いませんが、汚名返上するチャンスだと思いませんか?」
手を止め、顔を上げれば、千代が訝しく見下ろしてくる。
「姉貴分の代わりにあなたが働くことで、〝役立たず〟のレッテルを剥がせるかもしれません。
尻拭いをする責任があるという見方でよければ、そちらでも構いませんが」
和葉は立ち上がり、チョークを投げ捨てた。
魔法円は完成した。
あとは魔法円の力を起動させるだけ。
しかし、起動させるにも時間がかかる。
その間は描いている時と同様に無防備となってしまう。
なので、千代の力を頼らざるを得ない。
千代はどこか迷いのある顔をしている。
和葉に〝霞の尻拭い〟をしろと言われても、和葉に従うことのほうが余程嫌らしい。
でも、歯軋りを鳴らして考えながらも、頷いてくれる。
「霞姉さんの名誉のためです。
不本意ですが、〝共同作業〟であるというのなら、仕方がありません」
「いい返事です。
ヘカテとともに〈蒼い王〉の力を削いでください。
あちらも時間が経ったことで戦意が高まっているようですし。
〝A級指定〟の代物ですので、どれほどのものか計り知れませんが――やるだけのことは、やりませんとね」
そう言っている間にも〈蒼い王〉がすぐ前へと迫ってきた。
翅から鱗粉が舞い、蛍光灯の光を浴びてキラキラと煌めく。
まるで幻想の世界へと迷い込んだかのよう。
光に満ちた眩しい世界とでも言うべきだろうか、全てが幻想なのだと――白い世界へと成り代わっていく。
その中では幻想とかけ離れた――それとも現実から離れた光景だけに幻想そのものが起きているというべきか。
幾度となく鱗粉の嵐を巻き上げる〈蒼い王〉を正面に、幾度と飛び交う赤い影がある。
千代が小太刀を振るっているのだ。
支援として、ヘカテがグロック18Cを掃射。
和葉は自ら描いた魔法円へと手を当て、〈鎮魂〉のタイミングを待った。
自らの〝力〟を魔法円へと注ぎ、魔法円に食われてしまうかのような錯覚が襲ってくる。
本来ならもっと〝力〟を注いでおかなければならないが、そこまでしている時間がないので最低限の発動がいつでもできる状態に留めておく。
二人へと見やれば、並々ならぬ大きさの〈蒼い王〉を前に、千代の小太刀もヘカテのグロック18Cも、玩具同然の塩梅で然程のダメージがない。
この状態で魔法円を発動させたところで、力の衰えていない〈蒼い王〉には全く効き目がないことだろう。
ゆえに待つ。
二人の攻撃をただ見ていることしかできないことに、焦りすら感じ始めている。
千代が和葉の正面へと舞い戻ってきた。
力尽きたにしてはまだ早い。
でも、今まで飛び跳ねていた筈の身なのに、足が止まっている。
よろよろとふらつき、肩膝を突いた。
呼吸も肩で大きくしている。
〈蒼い王〉に直接何かをされたようには見えなかった。
ダメージを与えるに至っていないにしても、攻撃を食らったようには全く見えなかった。
それは千代だけでなく、ヘカテにも起きている。
千代のように大きな動きを見せているわけではないから消耗も激しくない筈。
なのに、狙いがうまく定まらなくなり、撃つことすらもつらそう。
何が起きているのだろうか。
考えようとした和葉にもまた同じことが起きている――と見ていいのだろう。
意識がどこか定まらなくなってきている。
魔法円に〝力〟を送ったからではない。
別の何かの影響――気を抜けばすぐにも気を失いそうだ。
「何なの……体が……」
千代は奥歯を噛み締めて、脱力に抗って立ち上がる。
思った以上に力が入らないのか、足に震えが来ている。
「古い文献での話ですが――〈蒼い王〉は人を眠りへといざない、幻想とともに人を操る力を有しているようです。
集団催眠に用いるための魔具――それが〈蒼い王〉の実用的な使い方です。
あのような形で体現されたとあれば、その力も予想できるのではないでしょうか。
それに、この大きさの体現ならば催眠以外に力押しすることも可能だということが証明されようとしています。
そしてと言いましょうか、〈蒼い王〉の鱗粉こそが〈蒼い王〉の力の具現と見ていいでしょうかね。
このままでは……集中するにも限界があります。
魔法円の維持も難しくなります。
どうにかなりませんか?」
地下駐車場という半ば密閉された空間では鱗粉の風から逃れる術がない。
呼吸をすれば否応なしに鱗粉も吸ってしまうこととなる。
かといって、生き物である以上、呼吸をしなければ先が続かない。
ガスマスクのようなものが都合よくあるわけでもなく、鱗粉の実害が出る前に事を終えなければならない。
しかし、今の段階では〈鎮魂〉に至らず、手の打ちようのない状態で早く終わらせようと思っても、思いどおりにならない。
実に焦れったいところだ。
「どれだけできるかわからない。
ただ、やるだけ……」
千代がゆっくりと前のめりに倒れそうになるのを堪えながら、前に足を出して歩んでいく。
〈蒼い王〉は依然として風を巻き上げている。
鱗粉を舞い上げて、幻想世界に浸っている。
風に逆らう力もないのか、千代の足はなかなか前へと進まない。
ヘカテも風に押されて、こちらへと後退りを始めてしまっている。
――そこへ、背後から背中を押すような風が吹いた。
それに合わせるようにして、あれほど前に出ることに苦しんでいた千代の歩みが速まった。
後退りを始めていたヘカテも踏ん張りが利くようになり、前へと出て行く。
和葉の薄れつつある意識も戻ったような気がする。
何が起きたんだろうか。
気になったとしても考えていられない。
目の前に集中するだけ。
千代の一撃が〈蒼い王〉の右翅を貫き、引き裂いていった。
右翅はヘカテの銃撃によって散っていく。
啼いた。
〈蒼い王〉の叫びだったのだろうか。
蝶が啼くとは思えないが、元が魔具と考えるなら〝あり得ないこともあり得る〟のだろう。
ここがチャンスだ――和葉は魔法円へと一気に〝力〟を注いだ。
一時的とはいえ、集中力を欠いていたことが徒となったか、魔法円の力が思うように動かない。
〝力〟を食われるだけの感覚が続く。
もう一度風が吹いた。
和葉の〝力〟だけでなく、背中からやってきた風もまた魔法円へと力を注いでくれているようにも見えた。
魔法円が光を放つ――発動。
魔法円から風が舞い上がった。
光が風とともに地下駐車場を埋め尽くしていく。
〈蒼い王〉の舞い上げる風など取るに足らないと打ち消していく。
場を魔法円が支配していたと見ていいだろう。
鱗粉すらも受け付けない。
魔法円から光の蔦のようなものが伸びた。
魔法円に記されている様々な文字が力となし、光の蔦と化した。
光の蔦は意思を持つように〈蒼い王〉へと襲いかかった。
圧倒的――
それは蝶を食らう〝虫〟のよう。
捕食しているようにしか見えなかった。
〈蒼い王〉の動きを完全に止めてしまっていた。
どんなに〈蒼い王〉がもがこうとも、それを許さなかった。
さらには――
〈蒼い王〉を魔法円へと引きずり込み、〝食った〟。
あれほど吹き荒れていた風が静まっていく。
〈蒼い王〉の姿は消えた――魔法円に呑み込まれてしまった。
魔法円は〈蒼い王〉を呑み込んだことで役目を終えたのだろう、綺麗に消えてなくなった。
代わりに、ペンダントが床の上にポツンとあるだけ。
和葉はゆっくりと息をついた。
ペンダント――〈蒼い王〉を拾い上げ、サファイアの蒼を見据えた。
ペンダントは無機質な冷たい光を放つだけ。
「……終わった、ようですね」
「うん」
疲れたと言わんばかりに、ヘカテが和葉のそばで座り込んだ。
和葉は後ろを見やるが、そこにいる筈の霞の姿がなかった。
また、正面に戻しても、千代の姿もなかった。
「……道化を、演じていたということでしょうか?
何のために……?
咲耶霞のことですから、意図は掴めませんね」
背後から吹いた風のことが気になり、霞に問い質したかったところなのだが、いないのであれば独り言で終わってしまう。
どんなに考えても和葉の後方には終始〝役立たず〟と化した霞しかいなかったのだ。
ならば、風を起こすことができるのは霞だけ。
魔術を失敗して何もできなかった――ことは、あえてしなかっただけなのかもしれない。
「考えるのはよしましょう。
あの人は自分勝手に行動するのが好きなようですし、考えるだけ無駄です。
――ともあれ、〈蒼い王〉の〈鎮魂〉は完了しました……。
正直、僕には必要ないものなんですよね。
ま、これで、〝あの人〟が怪我をした要因の一つを潰したわけですし、よかったということにしておきますか」
◇
「霞姉さん、私の力が足りなかったばかりに申し訳あり――」
「何のこと?
無事終わらせることができたのは、千代ちゃんの力があってのことよ」
レジャーランドの外で霞と千代が並んで歩いている。
〝基本的に何もしなかった〟霞は、元気が有り余っているようだ。
対して、千代は疲弊しきっていた。
「霞姉さんがそう言うのでしたら、何も言いません。
ですが、霞姉さんが独りで前に出た時、〝失敗したふり〟をしたのはなぜですか?」
「だから、何のこと?」
「惚けても無駄です」
「うぅ……千代ちゃんたら、怖い顔しないでよ。
わかったわ。言います。言いますったら。
カズくんたちの実力を見ておきたかったから、かな。
私だけ出しゃばっても、カズくんたちの今の実力を量ることができないし」
「そうですか……」
ふらりと千代がよろめいた。
霞がその体を支える。
「すみません……」
「いいのよ、このぐらい。
千代ちゃんは頑張ったのだから、ゆっくり休んで、ね」
「はい。お言葉に甘えて、そうさせてもらいます……。
家に帰って、ゆっくりと眠りたいです」
足元の覚束ない千代に、霞は肩を貸して、二人は街へと消えていく――。




