11.願望を叶えるためには必要な対価がある。
――衝撃のままに白矢が床へと転げた。
それでも間合いを取ったというべきか、巨躯から離れたところで立ち止まり、構えた。
掌底におけるダメージは見ただけではわからないが、しっかりと構えを取っていることから、然程のものでもないようだ。
「白矢、その程度では無駄な足掻きだ。
――とはいえ、ここで時間を潰している暇などない」
白矢へと掌底を食らわせた巨躯はというと、さらに余裕の様子で白矢を冷淡と見据える。
その手を懐へと忍ばせた。
迷うことなく何かを取り出した。
金色に輝く歪な球体――林檎。
しかし、色からしてどう見てもただの林檎ではない。
林檎にしては異様さがままならない。
巨躯の異様さに負けんばかりのもの。
でも、巨躯と同じ〝この世ならざるもの〟という認識を与えてくる――〈黄金の林檎〉。
「君たち、〈蒼い王〉を出したまえ。
君たちの願望を、今ここで〝叶えよう〟ではないか」
巨躯は白矢から視線を外した。
見ていなくとも余裕と言いたげ。
構成員二人へと向けて、林檎を持たない左手を差し出す。
白矢は巨躯の隙を窺っているのだろうが、巨躯に全くの隙がない。
どんなに攻めたところで、全てをかわされてしまうのではないかと考えているのだろう。
「え!? ここで――ですか?
こいつらがいるというのに?」
構成員の二人ともが慌てた様子で巨躯へと視線を向ける。
どちらも巨躯の言葉――ドイツ語を理解している辺り、今までの構成員と違って教養があると見られる。
一人を白矢に呆気なく殺されてうろたえている状態で、自分たちの所有しているもの――和葉が欲しているものを出せと言うのだから、怪訝になるのは至って当たり前か。
巨躯は「当然だ」と頷いて返した。
拒否を全く受け入れるつもりがない。
うちの一人――革のジャケットをまとった男が懐からとても惜しみながらペンダントを取り出した。
仕方なくというよりも、巨躯の言うことに逆らえない様子。
ジャラジャラとペンダントトップが垂れ下がる。
蒼い石――サファイア。
銀の蝶の台座にその石がついている――〈蒼い王〉。
「白矢だけならどうしようもできるが、他にもいるからな。
さすがにそちらまでは相手にできそうにもないのだ。
――だから、〈蒼い王〉を体現させれば、君たちがあのような輩に劣るわけがない。
それに、こちらには〈願望器〉がある。
ともなれば、君たちの〝力〟において、相手を打ち倒すことも容易いというものだ」
巨躯が構成員の持つ〈蒼い王〉の前へと〈黄金の林檎〉をかざした。
二つが互いを呼び合うように、光りだした。
黄金色の光と蒼い光が――そう、まるで太陽と地球でも表しているかのように。
ドクン――
トクン――
ドクン――
トクン――
交互に光りだした。
〈蒼い王〉が〈黄金の林檎〉を呼んでいるのか、〈黄金の林檎〉が〈蒼い王〉を呼んでいるのか――互いに呼び合い、応えあっている。
まるで生きものの鼓動のようにも見える。
二つの心臓が交互に動いている。
それにも、次第に光る感覚が短くなり――何かが動き出している。
蠢きだしていた。
「させない!!」
これから何が起きようとしているのかを感じ取ったのだろう。
ヘカテがCAWSを巨躯へと向けて、撃ち放った。
乾いた音が耳を劈くまでに反響。
ゴムの散弾が、巨躯へと襲いかかる。
今までどおり構成員たちを〝撃ち〟倒してきたように、今回も巨躯を〝撃ち〟倒す――
ことがなかった。
まず、巨躯に当たることがなかったのだ。
床に散弾が転がるだけ。
巨躯の前に、〝見えない壁〟でも存在するのか、散弾を弾いた。
巨躯は散らばるゴム弾を見下ろして、嘲笑。
「近代兵器に頼ることしかできない哀れな〈魔女〉は、そこで黙って見ていたまえ。
これから〈蒼い王〉が目覚める。
決して何者にも覆すことのできない、何者にも汚されることのない、〝王〟の目覚めだ。
この辺りにあるような低俗の魔具と違う、〝本物の奇蹟〟が起きるのやもしれんぞ。
歴史に名を刻む瞬間が、訪れるのやもしれんぞ」
巨躯は淡々と述べていく。
攻められている立場であるというのに、微塵にも感じさせない。
それどころか、何一つ変えない表情が、巨躯が実は人間でなく人形なのではないかと錯覚させるほど。
「――ほら、見たまえ。
〈蒼い王〉の目覚めだ。
〝大いなる王〟が我々のような下賎な人間の前に顕現なさるぞ」
巨躯の言葉に対して、〈黄金の林檎〉が光を失っていく。
逆に〈蒼い王〉は光を増していき、眩しいとさえ思えるほど。
巨躯の手から〈黄金の林檎〉が落ちた。
いや、放したのだ。
もう、〈黄金の林檎〉に用がないと言わんばかり。
〈黄金の林檎〉は音もなく飴細工やガラスが割れるかのように砕け、塵へと変わって霧散していった。
はじめからその存在がなかったかのように――。
〈蒼い王〉の光が膨らんでいき、巨躯の手から離れた。
意思を持っているかのように、宙を舞い、構成員の二人へと近づいていくと――呑み込んでいく。
光に呑み込まれた二人を、あまりの眩しさのために姿を判断できない。
「あ、うわ、あ、な、何だ!?」
「や、やめ、あ――」
悲鳴とも取れる声――次第に声が小さくなっていく。
光も声に合わせてしぼみ始めた。
ゆっくりと光が失っていく。
そして、構成員の二人の姿はどこにもなかった。
消えてしまった。
「何をしたんですか?
二人はどうしたのですか?」
和葉は巨躯へと尋ねた。
あまりに不可思議なことが起きたからこその疑問。
大人二人を易々と消すことなど、可能なのかどうか。
巨躯は依然変わらず冷静に――最早、冷静以外の表情など持ち合わせていないのか――胸に下げているロザリオを手にする。
掲げれば、ロザリオが〈蒼い王〉の光を反射して、鈍い光を放っている。
「〝殉教なされた〟だけだ」
端的な答え――それがさも当たり前の答えだったかのような言い方。
「それとも〈蒼い王〉が目覚めるための〝供物〟になったとでも言えば宜しいか?
〈蒼い王〉の目覚めは、〝彼らの願望〟だ。
ワタシは、それを叶えただけに過ぎない」
口元だけが笑みに変わった。
とても異質で、気味悪い。
これが聖職者の顔なのかと疑いたくなるようなもの。
「命を失ってまで叶えてほしい、と言っていましたか?
〝供物〟になってまで叶えてほしい、と言いましたか?
僕にはそのような言葉を一切耳にしておりませんが。
〝供物〟にされるために、彼らは存在していたのですか?」
巨躯のやり口が気に入らない。
反吐の出そうな顔で和葉は再度尋ねた。
巨躯から嘲笑が漏れる。
「願いを叶えるには、時として〝犠牲〟がつきもの。
彼らは、そのための〝尊い供物〟として、〝犠牲〟になったに過ぎない」
宙に十字を切った。
これで「アーメン」と口にすれば、さぞかし〝タチの悪い冗談〟にしか見えない。
ゆえに、和葉の目が細待った。
気に入らないと今にも口に出てきそうだ。
「人の命を弄ぶ奴なんだ、そいつは!」
白矢が刀を振りかざして巨躯へと襲いかかった。
今までと変わらない瞬撃、斬撃――でも、今までと変わらずかわされていく。
速さが風を生み、そのわきでは――〈蒼い王〉の光が薄れていき、中から何かが出てこようとしている。
とても大きな影――蒼い翅を広げる――
蝶。
その下には、〝供物〟として全うした構成員の二人が、ミイラのような枯れた姿で横たわっていた。
〝人としての死〟すら全うできずに。
「なるほど。
あれが〈蒼い王〉、またの名を〈常闇の蝶〉ですか。
あんなものを信仰したがる人の気持ちなど、さっぱりわかりませんが――畏怖すべきものであることには違いありませんね。
――ヘカテ、できますか?」
和葉はヘカテへと見やる。
ヘカテは顔をしかめている。
全くといっていいほど乗り気でない。
「いきなり無理難題を突きつけないでよ。
こんなゴム弾で仕留められるようなものなら、誰も〈蒼い王〉なんて欲しがらないわよ」
「そんなことを言われましても、僕は何も武器を所持しておりませんし、実行制圧力は僕よりもヘカテのほうが明らかに上ですからね」
睨み付けてくるヘカテを和葉は涼しい顔で受け流した。
しかし、現状を受け流すわけにもいかず、どこまでも涼しい顔でいるわけにはいかないと〈蒼い王〉へと視線を戻した。
「〈鎮魂〉しに来たんだから、その準備をしたら?」
「だとしたら、なおさら、時間稼ぎをお願いします」
「カズハの馬鹿!
アタシはカズハの手伝いをするために来たんじゃなくて、憂さ晴らししに来ただけなの」
「そう言われましても、〈蒼い王〉の体現までは予想にありませんでしたし。
〈鎮魂〉の邪魔を阻止するのが、あなたの仕事の筈ですよ」
「ううぅ……やるわよ。
やればいいんでしょ!」
ヘカテは半泣きで、CAWSを〈蒼い王〉へと向けた。
トリガーを引き、発射――
次々とゴムの散弾が〈蒼い王〉を捉える。
――が、すり抜けていった。
「うわぁん、物理的に無理じゃない。
物理的に倒せたら、〈鎮魂〉する必要もないしぃ」
「そりゃそうでしょうね。
わざわざ僕の台詞を盗るのですから、頑張って対処してください」
「わかっているわよ、バカカズハ!」
ヘカテは空になったマガジンを抜き捨て、新しいマガジンを挿し込んだ。
今度のマガジンにはゴム弾という非殺傷弾でなく、殺傷可能な通常の散弾。
しかし、ゴム弾の当たらない相手に、弾を替えたからといって何かが変わるわけでもない。
同様にすり抜けていくだけ。
「弾を替えても駄目じゃない」
「〝物理的に無理〟と言ったのはあなたでしょうに。
なのに、物理的にいくのですから。
もう少し考えてください。
仮にも〈魔女〉なんて渾名がついているのですから」
二人がやり取りしているうちに、〈蒼い王〉が羽ばたく。
弾がすり抜ける身なのだが、風を巻き上げることは可能のようだ。
「ほらほら、物理的にも体現しつつあるようですよ。
ヘカテ、物理的にあれば、少なからずあなたの持っているものが役立つのではないのですか?」
和葉は風に耐えつつ、ヘカテの苛立つ声を受け流しつつ、床にチョークで魔法円を描いていく。
いつぞやの月光が相手の時とは違い、準備に時間がないので簡易的な魔法円。
それでも多種多様な文字体系がそこに記されていく。
どこの国の魔具が相手でも対処できるように、とネコジシ商会の社長が考案したとされる。
ヘカテが無駄弾ともいえる射撃を繰り返していく中、和葉の言うとおりか〈蒼い王〉に弾が当たるようになってきた。
だからといって、すぐさま〈蒼い王〉をどうにかできそうにもない。
弾を受けてもなお、何ともないのだ。
焼け石に水となっていた。
蝶としての具現化がより顕著になっていく。
まさに、蛹から羽化する蝶そのもの。
「無理、無理だって」
「そんな泣き言を言われても、僕はこっちで忙しいですし」
和葉は手を止めることなく、ヘカテを見ることもなく、魔法円を描き続ける。
まだ完成には時間がかかる。
完成するまで、どんなに泣き言を言われようともヘカテに頑張ってもらうしかない。
「そういえば、白矢はどうしましたか?」
顔を上げて、周囲を見渡す。
どこにも白矢の姿がない。
〈蒼い王〉の体現するそばで巨躯と戦っていた筈。
どちらも人並みはずれた動きを見せていた。
だからといって、認識できないようなことがあるのだろうか。
いや、認識できないの話ではなく、すでにこの場に二人がいない。
「どこに行ったのですか?」
「あのでっかい変なの追っかけて、出て行っちゃったよ。
気づいてなかったの?」
「あんな人以上の動きをするような人たちなんて、気にしている暇はありませんでしたからね。
それならば、やはりあなたしか頼りになる人がいないので、引き続きお願いしますよ」
「勝手にお願いしないでよ。
あんなの、お願いされても困るんだけなんだから」
ヘカテはCAWSから機関拳銃――グロック18Cへと持ち替えた。
グリップを握ることでレーザーサイトが点灯――〈蒼い王〉の中心へと定まる。
トリガーを引いて掃射。
弾の口径、種類が変わってもなお〈蒼い王〉には何ら大差がない。
確実にグロック18Cより発射された弾は〈蒼い王〉を捉えている。
弾かれているというべきか、受け付けないというべきか、〈蒼い王〉を捉えた弾丸は勢いを失って床へと転がるだけ。
〈蒼い王〉がこちらへと近づいてくる。
風を巻き上げ、羽ばたけばさらに風が勢いを増した。
和葉は床にへばりつくように風に耐え、魔法円の完成を急いだ。
なるべく円が歪まないように正確にゆっくりと時間をかけてでも――時間がなくとも――。
「――あら、結構大変なことになっているようね。
もしかして、〝真打登場〟になってしまったかしら?」
暢気な声。
今の状況に不釣合いな声。
ここには和葉とヘカテのみの筈。
それに、暢気な声を出すような相手がいただろうか、と疑問に思い、和葉は顔を上げた。
顔を上げずにも知っている声なのだが――それならそれで、〝なぜここにいるのか〟という疑問が生じる。
女が二人。
深紅の髪が何よりも特徴的な霞。
〝金魚のフン〟としていつも霞についている、深紅のジャケットを身にまとった千代。
「霞姉さん、何を暢気なことを言っているのですか?」
いつも真っ先に和葉を「殺してやる」と言わんばかりに睨んでくるのだが、今回ばかりは違っていた。
〈蒼い王〉を目の前にしているのだから、仕方がないのだろう。
「〈蒼い王〉が体現していますよ。
非常にまずい状況だと思います」
「そうねぇ、確かにまずい状況かもしれないわねぇ。
こんな〝封筒一つ〟で私たちを出し抜いて、〈蒼い王〉を手に入れようなんて、欲張るから大変な目に遭うのよ」
そう言う霞の手には封筒がある。
和葉がここへと来る前に印刷した情報――封筒に入れてポストに投函してきたもの。
どうしてそれがここにあるのだろうか。
郵便局が回収する時間をあらかじめ念頭に入れて、翌日以降に回収、かつ、それ以降に霞の手に渡る筈だったのに。
和葉がポストに投函するところを見張っていて、ポストから無理矢理取り出したということになるのだろうか。
和葉を見張ることなど、千代に任せればできるだろうからわからないことでもない。
しかし、ポストから封筒を取り出すという行為は――
考えても始まらない。
〝ここにいる〟という事実は変わらないのだから。
「霞姉さん、そんなことはどうでもいいです。
それよりも、〈蒼い王〉はペンダント型の魔具だと聞いていますが、あんなにはっきりと〝別の存在〟として体現――〝暴走〟しているじゃないですか。
見た感じ、ここには術者もいませんし。
誰が収拾をつけるのですか」
慌てた様子の千代に、霞は動じることもなく、見やり――
「誰って……私たち?」
と、変わらずの暢気さで答えた。
千代の顔が歪んだ。
呆れた――厭いたとでも言うべきだろうか、頬が引きつっている。
両手で頭を抱え、「ああ、どこまでも暢気なんですから」とかきむしった。
そんな二人を和葉は冷ややかな目で見ていた。
この二人が現れたことの動揺など、霞の暢気な物言いでどこかへと飛んでいってしまった。
和葉自身も千代の言葉に賛同したい。
そこまで暢気で、何をしに来たのだ、と問い質したい。
問い質したくとも、今は魔法円の完成を急がなければならない。
だが――
「何しに来たんですか?
あなたたちの漫才を見る気なんて、全くないのですけどね」
つい、口に出してしまった。
そんな会話などお構いなしに、地下駐車場の天井にまで届きそうなほどの大きな蒼い蝶――〈蒼い王〉がゆっくりと迫り来る。
その羽ばたきは風を起こし、最早、超局地的な台風といっても過言でないほど。
正に魔具たる然とした存在の表れ。
和葉はその風に耐えながら床に魔法円を描き続ける。
正確さを必要とすると聞かされているので、すぐさま描き終えたいが時間をかけて確実に描いていかなければならない。
魔法円は三分の二ほどまで達した。
あと一息――
しかし、模様が複雑であるため、そう簡単に完成するものでもない。
ヘカテは手持ちの銃火器が通用しないということで、手を拱いているところ。
撃てども撃てども、当てども当てども、何度も繰り返すが〈蒼い王〉に何の影響も与えられていない。
「さあ、私が来たからには、どんな事件も解決よ」
フフンと鼻を鳴らして、如何にも漫画に出てきそうな台詞を恥ずかしげもなく吐く霞。
千代は厭いてため息をついている。
最早、突っ込む気すら起きないようだ。
霞は〈蒼い王〉へと指差すと、かかって来いと言わんばかりに手招きした。
そんな昔のカンフー映画の主人公染みた挑発が人でもない存在に理解できるのか疑わしいのだが、〝気分〟というものなのだろう。
千代が「無茶はしないでくださいね」と釘を刺している。
これではどちらが姉貴分なのかわからない有様。
「くれぐれも言っておきますが、〝出オチ〟という結果は要らないので、そこのところを宜しくお願いしますね」
和葉は作業を続けたまま、霞を見ることなく言った。




