9.嵐の通った後には蝶の翅が散らばっている。
これで何人目になるだろうか――
男が悶え苦しみ、床へと崩れ倒れて動かなくなった。
血が流れることはなく、恐らく――飽くまで恐らく――死んでいないだろう。
気絶しただけ――の筈だ。
和葉とヘカテは倒れた男たちなど気にも留めずに、その横を黙々と通り過ぎていった。
〝動かなくなったのなら、それでいい〟程度にしか考えていないことだろう。
仮に死んでしまったとしても、〝運がなかった〟程度の感想しか漏らさないことだろう。
それだけ、男たちのことなど考えてもいなかった。
〝道に転がる石〟程度にしか見えていなかった。
建物へと入っていけば、薄暗い廊下がどこまでも続いている。
〝魔界〟に通ずる入り口とでも言うのだろうか。
そこは照明のいくつかが切れかかっていて、異様さをかもし出していた。
暗い場所と明るい場所が続き、暗い場所から何が出てきてもおかしくないような雰囲気でもあった。
それこそ、〝悪魔〟なんてものが体現してもよさそうだ。
その上、芸術とかけ離れた落書きが上下左右に散りばめられていた。
さすがにニューヨークを代表するような〝センスのいいもの〟は、チンピラ程度では到底描き込めるものではないのだろう。
それともここのチンピラがあまりにも絵心がなさ過ぎるだけのお粗末なのかもしれない。
見る価値もない図柄を横目に歩んでいき、辿り着いた場所は広いところだった。
レジャーランドの時のまま取り残された機器が並ぶボウリング場。
レーンのいくつかは汚れて使いものにならないところが目立つものの、綺麗なところも残っていてボウリング玉とピンさえ用意すればいつでも遊べそうだ。
ともなれば、普段はチンピラ同士で遊んでいるのかもしれない。
しかし、今日はボウリング場で遊ぶためにここへと訪れたわけではない。
中央のレーン付近へと見やれば、また構成員が群れを成していた。
一見、いやむしろというべきか、出来損ないのチンピラが集まっているようにしか見えなかった。
ラフな恰好をしている者からスーツ姿の者まで、統合性がない。
所詮、どこまでいっても〝寄せ集め〟のチンピラ。
それぞれが木刀や鉄パイプなどの凶器――ヘカテの飛び道具の前では何ら無意味――が握られていた。
とりあえず、突然の来訪者――むしろ、侵入者に対して、とっさに武器を集められただけ立派なのかもしれない。
その上、チンピラなりに凄みを持った面持ちで睨んでくるのだから、及第点を与えるべきだろう。
飽くまで内容が伴っているわけでなく、その姿を評価した上での話。
「おやおや、随分と人相の悪い人たちが集まっているようですね。
いやはや、怖そうです。
ええ、怖そうで泣いてしまいそうです」
和葉は全くもって心のこもっていない棒読み口調で、どこまでも小馬鹿にしているようにわざと慌てたふりをした。
なので、目が笑っている。
「――とまあ、言ってみましたが、悪者染みたことをしている僕たちが言えるものではありませんね」
すぐさま冷笑をもって男たちを見る。
言葉こそ謙遜であるが、明らかに完全に鼻で笑っているといっていい。
「お前ら、何なんだ!?
俺たちが何だかわかっているんだろうな!?」
構成員たちのうちの一人――勇気があるのか蛮勇なのか、それとも今いる集団の中では上位の者なのか――鉄パイプを向けながら近づいてくる男。
姿恰好といい、物言いといい、今までと同様のチンピラ程度にしか見えず、威圧で黙らせようという腹積もりも同じ。
こうなると単に粋がって単身出てきただけの無謀か。
やはり、どこまでいってもチンピラは〝チンピラ〟だということか。
何の芸もない。
最早、端役以下のモブキャラクター、いや、文字どおりのモブか。
それがまた和葉に冷笑を引き起こさせる。
ここまでくると笑い以外に出てくるものがなかった。
「なるほど、これが〈シュメッターリング〉ですか。
〝蝶〟とは程遠い、チンピラ集団ですね」
和葉は男の凄みに臆すことなく、むしろ、涼しげに受け流しながらきっぱりと言い放った。
それがまた男を刺激、煽ったということになるのだろう。
額に血管を浮かばせ、血圧上がると大変だぞ、と言いたくなるほどに顔を真っ赤にさせた。
和葉も男がどのような反応を見せるかわかった上でやっているのだ。
だから、チンピラ風情が怒りをあらわにしたところで何ら怖くもない。
〈異端狩り〉を名乗る連中を前にしたことがあるのだから、比較するまでもない。
男が鉄パイプを振りかざして突進してくる。
「わー」とも「あー」ともいえる、如何にもモブキャラクターの怒号を上げて――
結果、そんな気負いも虚しく、ヘカテのCAWSによって呆気なく吹っ飛ばされた。
男は向かってきた勢いがどこへと行ってしまったのだろうか、床に転げると動かなくなった。
死んでいないようだが、白目を向いている。
その光景を目の当たりにした他の男たちは、先程までの凄みなどどこに行ったのだろうか、うろたえつつ後退りしだした。
普通の人間なら当たり前のことだ。
吹っ飛ばされて動かなくなる様をまざまざと見せ付けられて、うろたえないほうがおかしいだろう。
それまでに、ヘカテの一撃は圧倒的だったに過ぎない。
「な、ななな、何だよ、本当に!?」
あまりにうろたえてしまって呂律が回っていない。
こうなるとチンピラらしさもない。
いや、ほんの少し力の差を見せ付けただけでうろたえてしまっているところが、如何にもチンピラらしいか。
「僕は商人です。
至って普通の商人です。
ただ、扱っているものが特殊なだけの商人に過ぎません」
和葉は胸元に手のひらを当て、言った。
いつものように飄々とおどける道化師のように。
「しょ、商人だと!?
信じられるか!」
商人が殴りこみすること自体、考えられないということなのだろう。
ヤクザか他のチンピラグループが殴りこみに来たと思っているに違いない。
なので、明らかに和葉の言葉を信じていないだろう。
「そう申されましても、それが事実であり真実ですので、否定されても困ります。
さて、皆さんが〝まだ元気なうち〟に訊いておきますか。
〈蒼い王〉はどこです?
少なくとも、僕の目的はそれです。
あ、素直に僕の言うことを聞いておいたほうが賢明ですよ。
僕はともかく、こちらは気が立っているので、何をするのかわかりません。
まあ、すでにお一人はその様ですから、言わなくてもわかっていると思いますけどね」
和葉はヘカテへと指差す。
ヘカテは悪ふざけというべきか、CAWSを肩に担いでニタリと笑んで見せる。
悪役ぶっているだけなのだろうが、最早〝トリガーハッピー〟に成り下がった哀れな女にしか見えない。
ここで立ち向かってくれば間違いなく撃つ――撃ちたいからこそ、立ち向かってこいと言わんばかり。
和葉はあえて言うまでもない、とヘカテを見ないようにしている。
折角乗りに乗っているのだから、興醒めするような突っ込みをする必要もないと見てのこと。
それに、今さら何かを言ったところで、ヘカテがやめるとも思えなかった。
対して、構成員たちはうろたえ方が一層増していった。
可哀想なまでに、怯えきってしまっている。
「〈蒼い王〉だと!?
お前ら、あれか!?
〈異端狩り〉とかいう奴らなのか!?」
うろたえ怖気づく中でも、まだ言葉をしっかりと発せられる者がいたようだ。
和葉はそれに感心するものの、嫌そうな顔つきで見やる。
さすがに今の一言には、言ってやらなければならない。
「やれやれ、どうしていつも僕たちを〈異端狩り〉などという物騒な人たちと一緒にされてしまうのでしょうかね」
いくら魔具を扱っているとはいえ、商人なのだ。
〈異端狩り〉ではないのだ。
そのことを知らしめなければならない。
「僕は先程も言ったとおり、ただの商人です。
〈異端狩り〉のようなことなど、するつもりはありません」
和葉の視線が次第に冷たくなっていく。
構成員たちを蔑むだけ。
「信じられるものか」
男は覇気――残された〝自分自身〟を振り絞った。
悲しいまでの勇気――蛮勇――無謀――。
「信じてもらえないのですか。
残念です。
――ああ、もしかしてヘカテが物騒なものを持っているから、僕までも一緒に見られてしまうのでしょうかね」
和葉はかぶりを振った。
理解してもらえないのは仕方のないこと。
特に知識の乏しそうなチンピラが相手では、なおさらのこと。
どんな見方をされようとも、否定したところで何もならない。
〝男たちの見方〟を受け入れるつもりなどないが、問答を繰り返していても先に進まないということで――
「それはそれは、困りました。
信じてもらえないのでしたら、致し方ありません。
他の方に訊くことにします。
ここで問答を繰り返していたって、何の利益もありませんからね。
――ヘカテ、頼みます」
和葉の言葉に合わせて、ヘカテが前へと出て行く。
ニヤケ面を崩すこともなく――でも、映画に登場するような〝処刑人〟然とした足取り。
どこまでも悪役を演じるつもりなのだろう。
いや、単に相手を〝撃ち〟倒すことが、悦楽や快楽になってしまっただけか。
それを見た構成員たちは、たった一人の女ならたとえ飛び道具を持っていたとしても、集団でかかればどうにかできる、と考えたに違いない。
撃たれる前に叩きさえすれば、勝機があるとでも考えたに違いない。
手にしているものを振りかざして、一斉にヘカテへと襲いかかった。
何人もの重なり襲いかかってくる様は圧巻。
雪崩のようなとまではいかないが、大きな壁が迫り来るかのように影が覆いかぶさってくる。
ヘカテの口元が歪んだ。
ニィと笑う様は〝人ならざる者〟の笑みのよう。
ヘカテの〝二つ名〟――〈魔女〉を表している。
ただ、手にしているものが〝魔女〟めいたものでなく、CAWSという銃火器になってしまっているが。
直後、様々な音が轟いた。
◇
元レジャーランドの敷地と道路を隔てる門の前に、霞と千代が辿り着いた。
千代が嫌々と駄々を捏ねる霞を連れてくることに時間がかかったために、和葉が施設の中へと入ってどれほどの時間が過ぎたことだろうか。
門の前にでは男が横たわっていた。
千代が男の容態を見ている。
呼吸、脈、しっかりと確かめている。
「――気を失っているだけのようです。
どうしますか?
このまま放っておきますか?
彼らがどうなろうと、我々がどうこうする問題ではないので、放置しても構わないと思いますが?」
千代が霞へと窺ってくる。
霞は煙管をクルリと回しながら、門の前に止められているドマニを眺めていた。
その独特で鋭利なデザインに感心して、ため息すら漏らしている。
「このバイク、カズくんの趣味かな?
それともあそこの社長の趣味かな?
すごいバイクよね。
こういうのがあるんだぁ」
「霞姉さん、今はバイクなんてどうでもいいのではないのですか?」
「うん?
まあ、そうなんだけどね。
あの会社がどれだけ儲けているのか知らないけど、趣味にお金をかけるぐらいは稼いでいるってことなんでしょうね。
羨ましいなぁ。
うちの喫茶店なんて、商工会の男どもが――考えるの、やめよう。
鬱になりそうだし」
霞はドマニから視線を外すと、建物へと見やった。
短く深呼吸をしてから、倒れている男たちを見渡していく。
「しばらく放っておいても大丈夫じゃないかな。
ここで寝ていても、〝風邪を引く〟程度で済むだろうし。
この時季に凍死なんてしないでしょ、多分。
全て終わってから警察を呼んで、後始末を押し付けてしまえばいいし。
何なら、今のうちに柳崎さんにでも連絡しとく?」
「霞姉さんは――はぁ……どこまでも無責任ですね」
折角真面目に答えたというのに、千代が厭いた視線を向けてくる。
「あ、あら、千代ちゃんたら、言い方がきついわ。
まるでカズくんみたい」
「何ですか、その例えは?
あまりにも酷い一言です。
だ・い・た・い、霞姉さんがあまりにも無責任な態度を取るから、こうして私が――」
「はいはい、千代ちゃんのお説教は長いので、割愛させていただきますねぇ。
――さ、気を引き締めて参りましょう」
霞は建物へと煙管を向けて歩みだした。
背後に千代から厭いたため息を浴びせられてしまう。
相当不満なのだろうが、霞は気にする様子もなく、気にしたらそれこそ千代に不満を畳みかけられることがわかっているので、相手にしない。
暗がりを歩いていく中、どうしてこうも倒れている男たちがくっきりと見えてしまうのだろうか。
自分の目のよさが嫌になってくる。
どれも気を失っているだけのようで、今さら気にする必要もないのだが、見ていて気分のいいものでもない。
門のところの男たちと何ら変わらない――目障りなオブジェに映るのだ。
敷地内へと入っても見える光景は変わらなかった。
男たちが何人も倒れ、中には意識が戻っている者もいるらしいが、呻き声を上げるだけで動けないようだ。
「何だか、すごいことになってるわね。
どういったことをして、こうなったんだろうね。
全部、カズくんの仕業かしら?」
「これで倒されたのだと思います」
二人は歩みつつ、千代がいつの間に手にしていたのか指で摘まむほどの〝小さな玉〟を霞へと渡してきた。
霞はそれを照明に向けて掲げて、何かを判断すると投げ捨てた。
黒く、柔らかい弾力を持ったゴム。
「それがいくつも転がっておりました。
恐らく――」
「〈魔女〉の撃った弾ね。
ゴム製の弾で、〝人を殺さないためのもの〟だって、何かで見たことがあるわ。
運が悪ければ死んでしまうこともあるらしいけど、基本的に当たっても死なないものらしいわね。
でも、衝撃は受けるわけだし、痛いそうよ」
霞はそう言いながら、倒れている男たちに両手を合わせて「ナムナム」と言った。
念仏のつもりだ。
周囲の状況から見ればかなり緊張感のないことだろう。
そもそも緊張感をもって臨んでいないのだから、他人事にしか周りを見ることができない。
「霞姉さん、死んでいないのですから……」
千代は肩を落とし、ため息をついた。
突っ込みを入れるのも面倒だと言いたいのだろう。
千代にまで緊張感のなさが伝染しつつあるようだ。
直後、千代は何かを感じ取り、険しい表情となった。
周囲を見回しているので、何かが近くに来ているのだろう。
霞の背筋にもヒシヒシと感じる悪寒があり、千代の表情も理解できる。
今までの経験からして、とてもいいものではない。
害悪と言われればそうでもないと言い返せるのだが、対峙しようものなら一戦交えなければならないような嫌な感覚。
それも、霞にとってよく知っているといってもいい感覚。
「霞姉さん、今、何かの――」
「白矢よ。
建物へと向かっていったわ」
うんざりだと言わんばかりにその名を口にした。
「白矢?
白矢も〈蒼い王〉を狙っているのですか?
前は興味なさそうだったのに」
「違うでしょうね。
白矢は白矢の目的があって、ここへと来ただけだと思うし。
そもそも、この街のチンピラ風情に〈蒼い王〉を手に入れられるわけがないのよ。
お金を積んだとしても、さすがにあれほどの魔具を手に入れるには、相当な額になるんじゃないかしら。
現に、建前ではあるけど、カズくんがネコジシ商会のために欲しいと言うほどのものよ。
なのに、彼ら〈シュメッターリング〉はいとも簡単に手に入れてしまった。
お金を積んでいると考えるにしても、そんなに大金がこの街で流れたようには思えないし、正直、どんな手を使ったんだろうねって思うわけよ。
大金が動けばこの街のヤクザ屋さん――矢鮫組も黙っているとは思えないし。
それに、〝鼻〟の利かない私ならともかく、千代ちゃんの〝鼻〟にもわからないようにしてこの街に〈蒼い王〉を持ち込んだのよって話」
「となると、〝裏で手を引く者がいる〟ということですか?」
「まあね。
断言できないけど、十中八九そう思っても間違いないと思うわね。
だから、白矢もここへと来たと思うのよ。
〈蒼い王〉を狙ってではなく、その〝裏で手を引く者〟を狙ってね」
霞は空を見上げて笑んだ。
周りに街灯などの照明がないからか、星がいくつも見える。
遠くからの光がまだ邪魔になるのだが、ここが〈シュメッターリング〉の溜まり場でなければ、さぞかし天体観測に向いている場所なのかもしれない。
特に近くに山などもないのだから、街の中では見ることのできない星も見ることができただろう。
星は瞬き――でも、どの星が何という名前なのかは見当がつかない。
千代は霞の表情を窺っているようだ。
霞の笑みが何かを意図するものだと気になっているのだろう。
「霞姉さんは、それを考えた上でネコジシの連中に好き勝手にさせているということですか?」
「フフ、どうなんだろうねぇ。
――あぁ、でもやっぱり、ここでも星は少ないなぁ」
霞は正面へと視線を戻し、煙草の詰められていないままの煙管をくわえた。
正面にはレジャーランドの建物――入り口が口を開いて待っている。
幻想に住まう魔獣の口へと入っていくかのような、黒々と暗々と闇の淵へと呑み込んでしまうような、おぞましさが覗かせている――




