3.白刃咲かすは鮮紅の花。
「――さて、本題だ。
〈蒼い王〉であるかどうかを確かめる前に、訊いておかなければならないことがある」
「訊いておかなければならないこと?」
何を訊かれるのだろうか。
男たちが〈蒼い王〉とやら以外に、美加に用があるとも思えなかった。
あれば、すでに訊いたりしてきてもおかしくない筈だ。
それとも、あの夜道でのことは、それが念頭になかっただけなのだろうか。
男たちの目的がはっきりとしない。
〈蒼い王〉なのか、別のものなのか。
疑問が重なり、さらには不安が募っていく。
そんな美加の心境を知ってか知らずか、正面の男は腕組みをして、顎をしゃくる。
それを合図に、控えていた二人が美加へと近づいてくる。
二人ともコンバットナイフを手にしており、美加の返答次第では拷問も辞さないことだろう。
一人が首筋にナイフの刃を当ててきた。
切れ味がいいのか、切っ先が触れただけで表面の皮が切れたようで、僅かながら痛みが走る。
美加はナイフの放つ鈍い光に息を呑んだ。
男たちが酔狂でこんなことをしているのでなく、本気で拷問をかけてくることがヒシヒシと伝わってくるからだ。
「さて、いくつか質問をすることになるのかもしれないが。
――そうだな、手っ取り早く訊いたほうが、訊く側も訊かれる側も楽でいい。
率直に問う。
お前は〈シュメッターリング〉の者か?」
「しゅめ? 何よそれ、聞いたこともないわ」
毅然と答えた。
ここで怯えようものなら、男たちのペースに持っていかれてしまう。
あることないこと訊かれ、男たちの思うがままに事が運びかねない。
もう一人のナイフを持つ男が、それを美加の頬へと向けてきた。
ナイフの鈍い光から逃れるように、美加は顔を背けた。
どんなに毅然としようとも、さすがに凶器を目の前にちらつかされれば、平然としていられない。
「白を切っても何ら得などないことは、お前自身がわかっていることだろ?
この状況で、お前が強がったところで、意味などないのだ。
もう一度訊く。
お前は〈シュメッターリング〉か?」
「し、知らないわ。
本当に知らないわ。
その〝しゅめ何とか〟だって、初めて聞くもの。
嘘じゃない」
正直に答えているのだが、男には全く信じてもらえていないようだ。
そもそも、弁解しても無意味なのではなかろうか、そんな雰囲気がある。
その男は小さくため息をつき、美加のすぐ前へと歩み寄ってくる。
美加の顎を掴んで、一瞥をくれてくる。
ギラギラ、ギトギトとした視線がねっとりとしていて、気味が悪い。
「お前は恐れを知らないのか?
白を切っても何ら得もないと言っただろ。
それとも、本当に知らないのか?
だとしたら、困ったものだな」
「本当に知らないものは知らないわ。
第一、あなたたちは何者なの?
寄ってたかって」
「お前は自分の立場というものを理解しているのか?
質問するのはこちら側。
答えるのはお前だ。
強気でいるのは構わないが、早死にするだけだぞ。
――まあ、いいか。
教えといてやる。
知っているかどうか、こちらも怪しいものだが、我々は〈異端狩り〉と呼ばれている。
この世界の秩序を乱す〈異端〉を見つけ、駆除することが我々の使命だ」
男は余裕を持った不敵の笑みを漏らす。
視線と合わせてこちらも薄気味悪い。
それよりも――
「〈異端狩り〉……」
その言葉に身震いをした。
脳裏に〝ある男〟の姿を掠めるのだ。
ただものならない恐怖を与えてきた相手――白矢。
月光の事件の際に現れた〈異端狩り〉。
殺されかけた記憶が体を強張らせてくる。
体の動きを封じてくる。
「ほう――その反応だと、〈異端狩り〉のことは知っているのか。
だとしたら、わかるよな?
我々はお前を〈異端〉かどうか、見定めようというのだ。
我々は〝鬼〟じゃないんだ。
お前がさっさと答えれば、すぐに終わるんだぞ。
楽になれるんだぞ。
白を切ったところで、お前が損するだけなのは重々承知だろ?」
「そ、それでも、私は〈蒼い王〉も、〝しゅめ何とか〟も知らない。
本当よ!」
「そうか……」
男は頷くと、美加の顎から手を離し、背を向けて離れていく。
これで解放してくれるのだろうか。
男たちは今の答えで納得してくれたのだろうか。
美加は淡い期待をしようとして、期待するに至らなかった。
解放してくれるとは思えなかったからこそ、すぐさま期待を否定した。
むしろ、この後にこの男たちが何をしてくるのかわからず、不安で満たされていく。
今にも泣いてしまいそうだ。
だが、ここで泣くわけにはいかない。
ここで泣いてしまったら、相手の思う壺だろう。
弱いところを見せれば、そこから攻められるのは考えるまでもない。
どこまでも強気で行かなければ――
でも、今にも心が折れてしまいそうで――
自分に負けるな、と何度も言い聞かせた。
男が五メートルほど離れたところで振り返った。
その距離は何かを考えて歩いた距離のようで、その長いか短いかもわからない距離で考えがまとまったのだろう。
美加の左右にいる二人へと見やり――
「このまま問答を繰り返していても埒が明かない。
その女を犯せ」
さも当然であるかのように淡々と言ったからだろうか、二人は互いを見やってから、言った男へと見やった。
突然何を言い出すのか、と問いたいのだろう。
美加もまた慄いた。
男の言葉を聞いてすぐに言葉の意味を理解できなかったかのように唖然としたが、間を置いてから目を見開いた。
「どうした?
このままうだうだと問い詰めても、同じことの繰り返しだ。
だから、『犯せ』と言ったのだ。
そうすれば、言いたくなくとも言わざるを得んようになるんじゃないのか?
簡単なことだろ。
ただ犯せばいいだけのことだ。
その女にとって痛みが伴うか快楽が伴うか知らんが、嫌でも話してくれるようになるだろうさ。
それとも喜んで話してくれるのかもしれないな」
冗談や酔狂で言っているわけではない、と男の目は語っている。
その態度にどこまでもためらいもない。
チクチクと痛めつけるよりも、女にとって嫌がることをすれば、簡単に話すと考えただけのことだろう。
美加は今すぐにでも逃げ出したくてもがくのだが、手足が縛られている上に、首筋と頬にナイフが当てられているので、動けなかった。
いや、今の男の一言がトドメを刺したと言わんばかりに、体が動いてくれなかった。
最早、体が萎縮して、声すら出なくなってしまっている。
「さ、始めろ」
無情にも男は急かすように二人へと言った。
互いに見合っていた二人は美加へと見下ろしてくる。
頬のナイフが離れ――ジャケットのボタンを弾いて飛ばした。
続けて、ブラウスのボタンを一つ、二つと数えたくもないのに数えさせるかのように宙へと飛ばしていく。
美加の白い肌があらわとなる。
まだほんの首元、鎖骨が僅かに覗ける程度。
美加は悲鳴を上げたくとも、息すらできているのかわからないほどに混乱。
目の前で何が起きているのか、自分でない別の誰かがこれから犯されようとしているのではないのかと見えてしまっている。
目の前のことを俯瞰で見てしまっている。
思考が現実から逃避を始めてしまっている。
三つ目のボタンへとナイフの先がかかろうかというところ――
「やれやれ、どのような尋問がなされるのか、陰ながら窺っていたが――
〈異端狩り〉とは聞いて呆れる。
所詮、小物か。
やること成すこと、下賎のすることだな」
それは唐突だった。
何の前置きもなく、前触れもなく、やってきた。
そこで時間がくれば仕掛けが作動するようになっていたとでも言うような、サプライズイベントでも訪れたかのよう。
声が降りてきた。
いや、白い風が舞ったと言うべきか。
白い風は、安っぽいお化け屋敷に出てきそうな白いスーツを被った幽霊を髣髴とさせるもの。
白矢。
幽霊のようにゆらりとした佇まいに、頭からすっぽりとフードを被り、手には白刃の刀――セラミックブレードが握られている。
その姿を見ただけで、美加は目前まで迫っていた危機すらも忘れてしまうほどの恐怖に包まれた。
視線は白矢に釘付けとなり、全身の毛穴が開くような感覚とともに体が勝手に震えだす。
呼吸すらもできているのか定かでない。
ひぅ、ひぅと引きつった息を漏らすだけ。
美加へと手をかけようとしていた二人は、首より鮮血を噴き上げ、声すらも上げることなく、力なく転がった。
白矢が現れたこともわからないままだったのではなかろうか。
それこそ、最期の記憶は、風が吹いたとしか残っていないのではなかろうか。
白矢が降りてきた際に、手にしている刀で男たちの首を斬りつけたのだ。
そのため、全て白い筈の刀身の先だけが紅く染まっていた。
「な、何だ、お前は?」
一人生き残った男は、闖入者に慄いて、あたふたとした声を上げた。
呆気なく死んでしまった二人を見てうろたえている様は、先程まで美加に向けていた勝気な態度と全く逆。
しまいには、おたおたと尻込みをする始末。
仲間を失ったことで、今度は自分までもが仲間と同じ目に遭うのではないかと恐怖がそうさせるのだろう。
白矢はフードを取り、一息ついた。
長い金髪が垂れ、宝石の如く煌めく碧眼があらわとなる。
声さえ聞かなければ、男なのか女なのかわからない中性的な綺麗な顔立ち。
「〝何だ〟か?
ただの〈異端狩り〉だ。
お前たちのような小物と同じように見られることが嫌いなだけの――ただの〈異端狩り〉に過ぎない」
極地の冬の海のように冷え切った声。
それも、男を見下し、ひどく嘲り笑っている。
「い、いい、〈異端狩り〉だと!?
な、なら、〈異端狩り〉がなぜ我々に刃を向けるんだ!?
我々は同志じゃないのか?
だ、第一、その女は〈蒼い王〉を持っているのかもしれない〈異端〉なのだぞ。
お前が向けるべき刃は、我々でなくその女だろ」
男は目を白黒させて言うものだから、思うように言葉が出ていない。
まざまざと見せ付けられた白矢の瞬殺劇に、怯えきってしまっていた。
「――ああ、そうだな」
白矢は刀についた血を汚らわしいものでも見るかのように振り払う。
「だが、まずは小物の処理からだ」
とても身軽に、音も立てずに男へと跳んだ。
本当に幽霊の如く――そよ風が立ったぐらいのことしか起きていないのではなかろうかと思うほどに。
男は白矢を凝視。
いや、柔らかにとても速い動きを白矢を目で捉えるに至らなかったのかもしれない。
断末魔を上げる間もなく、いつ斬られたかもわからないままに、虚空を眺めたまま、ゴロリと首を落とした。
男の胴体部――首元から噴水の如く血を噴き上げた。
そのまま仰向けに、人形を倒しただけなのかと思うほどに、何の抵抗もなく体が倒れた。
白矢の白い姿が、噴き上げた血を浴びたために紅く染め上がっていく。
その紅白の入り混じった配色は、〝白い幽霊〟から〝白装束をまとった吸血鬼〟にでもなったかのよう。
白矢がゆっくりと振り返り、美加へと近づいてくる。
美加は白矢から目を離すことができなくなっていた。
男が死んだことすら、視界の隅で捉えていたかどうか。
白矢の碧眼――吸血鬼の〈魔眼〉――真紅の瞳――によって魅了された処女のように、ただ見据えるのみ。
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい――
逃げたい一心なのに、体が動いてくれない。
縛られているのだから当たり前なのかもしれないが、それでも動ける部分がある筈だ。
そこまでも動かすことができなくなっている。
白矢がすぐ目の前まで、手の届く位置まで近づいてきた。
刀の切っ先をブラウスの第二ボタンまで開かれてあらわとなった白い肌――鎖骨の合間へと突き立ててくる。
ツーと血が一筋、まるで窓の結露が落ちていくかのように垂れていく。
痛みがなかった。
恐怖のあまりに痛覚が麻痺しているのかもしれない。
何もできないまま、白矢を見上げることしなかった。
それしかできなかった。
自分の意思と別に、ガチガチと歯を鳴らして震えるだけの、体が反応するだけだ。
「話を聞こうにも、無理そうだな。
いっそのこと、〝楽〟にしてやったほうがいいか?」
白矢が尋ねてくるものの、答えられなかった。
喉が震え、声を出せない。
「返事すらもできないか。
――いいか、落ち着け、深呼吸だ。
わかるか? 深呼吸だ」
白矢は刀を下ろし、美加の目に入らぬよう半身で隠した。
刀さえ見えなければ、美加が落ち着くと思ったらしい。
しかし、刀を見たから落ち着かないのではない。
〝白矢〟という存在を目の当たりにした恐怖が体を支配するために、落ち着くわけがない。
何も変わらなかった。
白矢は美加が恐怖を取り除けなくても構わないらしく、反応を待つこともなく顔を近づけてくる。
互いの鼻先が触れるかどうかまで近づき――白矢が小さく笑んで何かを口の中で呟いた。
こんなにも近くなのに、何を言っているのか聞き取れない。
聴覚すらも麻痺してきてしまっているのだろうか。
白矢の美加よりも白い肌に、透き通っているかのような鮮やかな碧眼――幻想なのか紅く見える――が映えて見える。
とても美しいのかもしれないが、冬の北方の海のような緑――冷たく硬い紅玉の光――に恐怖以外の何ものも感じない。
その目に吸い込まれてしまいそうな感覚がある。
やはり、吸血鬼の持つ〈魔眼〉なのだろうか。
人を魅了してくるのだろうか。
その目で体を支配されてしまっているのではなかろうか。
白矢の呼吸に美加の呼吸が少しずつ合わせられていく。
呼吸が落ち着くにつれ、体の硬直も弱まっていく。
支配。
間違いなく白矢の思うが侭だ。
体が白矢のものになってしまったかのよう。
「――そろそろ、話せる状態になってきただろう?」
白矢の顔が離れていく。
なぜ顔を近づけてきたのか――美加の心を何かしら用いて落ち着かせてくれたことは、美加にもわかった。
ただ、何を用いたのかまでは知れない。
白矢は三歩離れたところで美加を見下ろしてくる。
美加は恐怖こそ拭いきれていない。
むしろ、放心状態に近い。
心すらも麻痺しつつある。
これも白矢の目を見た影響なのか。
それとも、単に恐怖で感情が凍りついてしまったのだろうか。
「お前はあの時の女だな?
〈黄金の林檎〉で飛んだ飛行機――あれが消えた時のことだ。
覚えているか?」
「お……覚えているわ……」
覚えているからこそ、白矢に恐怖して萎縮してしまっているのだ。
でなければ、ここまで恐れていたかも怪しいもの。
男三人に囲まれ、今にも犯されそうになっていたことよりも、白矢のほうが恐ろしい。
やはり、殺されかけた事実が何よりも印象を強めている。
「ほぉ、返事ができるようになったようだな。
では、話の続きといこう。
まず言わせてもらうが、お前が危機に陥ったからといって助けに入ったわけではない。
俺は、たまたま偶然というべきか、お前が連れ去られるところを陰で見ていたわけだ。
ま、正直に言えば、別件であの辺りを散策していたから出くわしたに過ぎん。
何の件かまでは口にできない話だがな。
連中が〈人払いの陣〉まで使っていたので、何ごとかと気になったということでもいいか。
間違いでもないからな。
それと、お前が〈蒼い王〉を持っていると、連中が言っていたのを耳にしたこともあるか。
さて、〈蒼い王〉を渡してもらおうか。
あれはお前のような〝一般人〟が持っていていいようなものではない。
我々のような〈異端狩り〉が管理しなければならない代物だ」
白矢が手を向けてきた。




