12.一つの終わりと、全ての始まり。
「この度の件、本当にありがとうございました」
東雲は深々と頭を下げた。月光の撃墜、消滅、〈鎮魂〉より三日後のこと、東雲がネコジシ商会へと訪れたのである。その間、東雲が何をしていたのかということになるが、〈鎮魂〉を行った際の事後処理に追われていたのである。
美加もまた、警察側の事後処理に追われていて、今日までネコジシ商会へと訪れることができなかった。
二人とも忙しい身だった。そして、どちらもその合間を見てここへと訪れたのである。
“事後処理”――彼女らが忙しいと言わしめる原因は、専らクレーム処理だ。街を封鎖した上で空戦まで広げたのだから、街の住民を始めとした周辺地域に住まう人たちからのクレームが絶えない。また、東雲が直接起こしたわけではないのだが、月光の撃った弾によっていくつかの損害が出ていた。あと、これは東雲による損害だろう。低空域、街のすぐ上で戦闘機を飛ばしていた物だから、ガラス窓が割れたなどの損害がいくつか出ていた。
自衛隊は損害を受けても責任を負わないとなっているが、自衛隊機が空を飛んでいたのだから、嫌でもクレームはやって来てしまう。国、組織なら“責任を負わない”という当初の約束通りのことを言い張っていればいいのかもしれないが、世間ともなるとそうもいかないということだ。今日日、国会議事堂の前では自称正義の味方が自称正義の言葉を叫び続けている。尤も、そういう集団はそうするように扇動されていると言った方が正しいのかもしれない。
美加も同じ理由でクレーム処理に追われているのだが、こちらは桜田門及び所轄署の前にそういった自称正義の味方は集まっていなかったりする。こちらはマスコミが多いだろうか。事件についての情報を欲してのことだろう。その目つきがどこかハイエナ染みているのは、言うまでもない。
そんな忙しい二人なのだが、対照的なのは和葉である。いつものように暇そうにコーヒーをすすっている。ヘカテも同じだろう。少女姿となっていつものように隅っこの席へと座って、のんびりとしていた。
彼らはすでに損害経費を全て“街”へと支払いを済ませている。形なりとはいえ、責任を果たした後なのだ。クレーム処理は一切ない。世間はネコジシ商会が事件に関わっていることなど知る由もないのだから、当然と言えば当然と言える。
時間的、精神的な損害の出ている美加と東雲。資金的な損害の出ている和葉。全くもって対照的だ。どこまでも対象的だ。
「礼を言われるようなことはしていません。僕は商人として、商会の利益になるように動いていたに過ぎませんので。まあ、目ぼしい魔具は見つからず、僕にとっては疲れるだけ、商会にとっては損害賠償で不利益――といっても元々“どこから出ているのか分からないお金”なので、僕としてはどうでもいいのですけどね。それに、損害賠償を支払った社長も気にしている様子はなかったようですし」
「そうだとしても、私は百合垣さんを始め、皆さんのお蔭で事件を終わらせられることができました」
東雲は手を差し出した。和葉はその手を一度見やり、握り返す。商人における握手はとても大切なものだ。仕事をやり遂げたからこそ、握手もこうして行うことができる。お互いが納得した証にもなる。
「本当に、本当にありがとうございました」
最後に東雲はもう一度深々と頭を下げると、ネコジシ商会を後にした。
――静かになったと言うべきだろうか。“いつもの状態”に戻ったと言うべきだろうか。三人のネコジシ商会がそこにある。
「あなたも忙しいでしょうし、警察署へと戻っていただいても構いませんよ」
東雲がいなくなったから遠慮なしに、たとえいたとしても遠慮なしに、和葉が美加へと一瞥をくれて、冷め切ったコーヒーをすする。
美加は和葉のいつもの態度に、いつも通りの反応――げんなりと肩を落とす。でも、負けてたまるかと無意味に張り合うように椅子をスチールデスクの前へと置き、いつものように座った。ムムム、と和葉へと睨む。
「いいんですよ。どうせ、私は役立たずですから、どこにいたって変わらないんです」
拗ねたように口を尖らせながら言ってやった、いつも言われてばかりなのだから、こちらから立ち向かってやると言いうこれまた無意味な意固地である。
それに対して、和葉の眉がピクリと動く。美加が食い下がってきたことに、相当ご不満な様子である。
「――まさかとは思いますが、忙しい筈なのに、ここへと厄介払いされたんじゃないですよね?」
「どうでしょうかね!」
ジト目で言ってくる和葉に、美加はプイッとそっぽを向く。そのままブツブツと口の中で愚痴を漏らす。どこに行っても役立たずにされる、と。役立たずになって愛想を尽かされることを最も恐れていた筈が、今や恐れなんて何のそのの不機嫌なだけの“山猫”となっていた。まるで、“腹をすかせた山猫”である。
和葉はコーヒーを飲み干し、マグカップを置く。何かを考えているようで、どうせいつもの嫌味を言ってくるのだろうと美加は内心身構える。
「――僕に、何か話でもあるのですか?」
と言ってきたのは、さすがに予想外だった。肩透かしを食らった感じで、思わずきょとんとしたまま和葉を見据えてしまう。少しの間ためらい、考え――口を開く。
「不明機……ええと、月光でしたよね。それを撃墜すれば事件が終わると知っていたんですか?」
「そうですねぇ……」
和葉は腕を組み、右手を顎へとやる。
「正直な話、さっぱり分かりませんでした。撃墜してみれば、何かが起きるだろうという後先考えない行動だったと思います。いつだったか、ヘカテがミサイルで墜としてやりたいなんて言っていたのを思い出し、実行に移してみようと思ったに過ぎません。今思えば、思い付きの体たらくな考えだったと反省させられます。それで、〈鎮魂〉にまで至るのかどうか、賭けみたいなものでした。撃墜できなかったら、また別の手を考えればいいと軽く考えていました。今だからこそ言えますが、“結果よければ全てよし”といったところでしょうかね」
和葉は一通り言うと、くっくっくっと含み笑いをして、マグカップを美加へと差し出してきた。美加は何か考えがあって行動していたとばかり思っていたので、完全に呆気にとられたとため息をつく。
和葉からマグカップを受け取り、コーヒーメーカーの前へと立つ。
「――不明機の現れる原因は、さすがに未だ分からずじまいです。僕なりに調べてみたのですが、こればかりは社長の手を借りないと駄目なのかもしれません。とは言っても、月光を模型に戻すことしかしていませんので、何の検証もできないと言った方が早いかもしれませんけどね」
「模型を調べても駄目だったんですか?」
「ええ、残念ながら。模型はどこまでいっても、“ただの模型”でした。あの模型に魔具たる要因は見受けられませんでした。
ただ、僕には分からずとも、ヘカテが何かを知っているようです。それが何なのか、僕から訊いていないので、何も話してもらっていませんけどね」
和葉はヘカテへと視線を送ると、ヘカテは話を振ってほしくなかったと言わんばかりに顔をしかめている。美加もまた、コーヒーの新しく入ったマグカップを和葉の前へと置くと、椅子へと座って俯いた。
月光が消えた夜に見た“白い幽霊”を思い出した。そして、あの“白い幽霊”が何かを言っていた。何かが月光を空に飛ばしたのだ、と。
そんな美加とヘカテの様子に、和葉は首を傾げている。
「……まさか、あなたも何かを知っているのですか?」
和葉が美加を真っ直ぐに捉えてきた。ヘカテだけにあらずということが驚きのようである。
「えぇと、ですね……あの人がいたんです。えぇ……魔具を持っている人を、その……い、いたん……〈異端狩り〉と言いましたっけ? その人がいたんです」
「あの場にですか? おかしいですね。今回はネコジシ商会が解決するから手を出さないでほしいと連絡を入れておいたのですが。何故、出しゃばってきたのでしょうかね」
和葉は傾げた首を右に左にと揺らせ、納得いかない顔でコーヒーをすする。
「白矢だよ。白矢がこの街に来ていた。それも、〈黄金の林檎〉を追って」
ヘカテは立ち上がり、美加の横へと並ぶと重々しい面持ちで言った。和葉は眉をひそめ、ヘカテの言葉を信じられないと言いたげである。
「冗談ではないですよね? 白矢といったら〈異端狩り〉の中でも、要注意人物じゃないですか。それも、この辺りでは活動をしていない筈ですよ。今一信じがたいですが……ヘカテが見たというのなら、本当にいたということになるのでしょうね。
――それで、そのことを他に知っているのは?」
「分からないよ。アタシたちしか見てないし」
「となると、この街の〈異端狩り〉はまだ知らない可能性がありますね」
和葉は慌てたようにスチールデスクの引き出しから、便箋を取り出す。ペン立てから万年筆を取り、書き始めた。
二行ほど書いたところで手を止め、美加へと視線を送ってくる。
「白矢がいたとして、よくあなたたちは無事で済みましたね。まあ、ヘカテがいたからこそ命を取られないで済んだのかもしれませんが。白矢は〈異端〉というものに対して全くと言っていいほど容赦のないことで有名です。〈異端狩り〉の人たち中でも、恐れられている存在ですからね。それと、〈異端〉でなくとも、彼の姿を見たものを消そうとするキライがあります。これだけは言っておきます。次からは、白矢を見たら真っ先に逃げることをお勧めします。
――それにしても、〈黄金の林檎〉ですか。この街も色々ときな臭くなってきましたね。今回の報告も含め、この街に白矢が来ていることをこの街の〈異端狩り〉に知らせておきます」
和葉はそう言って、便箋へと再び万年筆を走らせた。
美加は和葉が言ったことをすべて理解するに至らなかったが、普段見せない和葉の焦りように、只者ならぬ相手なのだろうとだけは察した。さらには、白矢を前にした時のことも思い出し、背筋に悪寒が走った。




