10.飛翔の果てに、限界の果てに。
上空には満月が照り、眼下には明かりが点々とした街が見える。
今や満月が目立ち過ぎて、そんな暗がりに包まれた街は寂しく見えた。いや、寂しく思えるのも当然なのかもしれない。灯っている明かりといえば、街灯や信号、そのほかに夜になれば自動的に灯る明かりばかりだ。それも、限られた区画のみのことで、事情を知らなければ停電事故に遭ったとでも思われるのかもしれない。
勿論、その区画から外れれば夜なのだと分かるほどに明かりが眩しい。くっきりと明暗の分かれているこの街は、異様とも取れるだろうか――。
F‐15Jには東雲が操縦しており、寂しいというのは辺りを見渡して思ったことだ。
街を見下ろすために戦闘機を駆っているわけではない。いつ不明機が現れてもいいように、待ち構えているのである。そして、もし現れたら迎え撃つべく、注意を四方へと向けている。
今のところ、視認もできなければ、レーダーによる察知もない。ただ、同じところを繰り返し飛び続けるだけの時間が過ぎていくだけ。
『――本当に出るのだろうな?』
無線から訝しく管制官の声が聞こえてくる。F‐15Jを発進させてから、いつまでも不明機が現れないことに苛立っているようだ。
『あの不明機をどうにかできると言ったのは、お前なのだぞ。それも、撃墜までして行うと豪語したのだからな』
声が次第に刺々しさを増しているように感じられた。何も起きないこの状況に焦れてしまっているようだ。無理もないだろうか。不明機に魔具が関わっていることなんて知る由もないし、そういう事由の説明を一切していない。ともかく不明機を撃墜する必要がある旨を話しただけで、納得がいってもらっていないままに作戦が開始されたのである。
尤も、別のところからそう作戦を立てるように圧力がかかっているらしいから、そちらの方でも不機嫌を招くことにもなっているようだ。その“別のところ”がどういったところなのか東雲は知らないが、ネコジシ商会のように魔具に関することを知る誰かが少なくとも自衛隊の上層部、もしくは防衛省や政界にもいるということになる。
『高々、不明機の一機相手に指をくわえたまま何もできない自衛隊などと、からかわれ続けるわけにもいかん。かといって、領空侵犯しかしていない不明機を撃墜するまでに至る必要性はあるのか? 撃墜することで、どれほどのことが起きるのか分かった上でのことなのか?』
「その話はすでに終えたことではありませんか。それを今になって蒸し返す時ではないと思っています。すでに総理と大臣を始め、自衛隊は不明機を撃墜すると決めたことです。ですから、私は今、飛んでいるのです」
東雲は管制官の厳つい声に怖気つくこともなく毅然と答えた。何も間違っていない。正しいと思っていることをやっている。信念を抱えているからこそ、毅然としていられる。
『フン、ヒヨッコが一丁前なことを言うようになったものだ。まあ、いい。今回の件、我々は飽くまで日本を脅かしかねない不明機を撃墜するだけのことだ。後の始末は他のところがやってくれることとなっている。違いないな?』
「はい、その通りです。私たちは、日本を守るために飛んでいるのです」
東雲は端的に答えた。
東雲は和葉から不明機が出現したら撃墜するように言われ、飛んでいる。撃墜することもまた〈鎮魂〉の一環なのだと言っていた。詳しい説明をしてもらえなかったが、それで本当に不明機をどうにかできるというのなら、自分にできることであるのならやり遂げるだけだ。そう心に決めて基地へと戻るなり上申したのである。
最初、自衛隊の上層部は東雲の言葉を聞き入れる余裕が全くなかった。撃墜できれば楽なことなど誰にだって分かっているが、そこに至るための理由と不明機を捉えられていないという現実が付きまとっていたためだ。しかし、いつまで経っても不明機をどうすることもできない自衛隊に対し、マスコミを始め、街の住民たちから苦情が相次いだことが後押ししたというべきだろうか。国会でも色々とと問い質されることもあって、已む無く“不明機の撃墜”を決めたのである。
それでも、自衛隊側は最後まで渋っていた。政治、政局、面子、様々なものが彼らの中で渦巻いていたのかもしれない。それ故に東雲の上申に即答できなかったのだろう。
その上で、〈鎮魂〉の際に何かしらの損害が出た場合、“自衛隊は一切の責任を負うことのないようにすること”を条件として突き付けてきた。自衛隊の意思で撃墜するわけではないのだから、責任を負う理由にならないと言うのだ。そして、この条件を呑めないのであれば、不明機の撃墜はおろか、邀撃機の発進すらも許さないと言ってきたのである。
“日本を脅かすかもしれない不明機を撃墜する”というのは、飽くまでも表向きの大義名分でしかない。
和葉が自衛隊の条件を呑むと答えたので、東雲はこうして飛んでいられる。
和葉が何を思っているのか、自衛隊の面々は分かりもしないし、分かろうともしないだろう。東雲もそこまでリスクを負う必要などあるのかと疑問を浮かべたほどだ。それでも和葉はリスクを言うほどのメリットがあるのだと答えた。“商人というものは損得で動くものだ”と。だから、得さえあればどんなリスクを負う危険性があっても、飛びつくものなのだと。そんな言い訳をされた。
東雲は最後まで和葉の言いたいことが分からなかったが、自分自身に不明機をどうにかしたいという強い思いもあったので、和葉に問い質すことをしなかった。そう見れば、自分も自分の損得で動いているのだなと自らを嗤ったほどだ。
そう言った背景があって、東雲は単身ながら邀撃任務を遂行すべく飛んでいる。
そして、どれほどの時間が経っただろうか。まだ燃料に余裕があるうちに給油をすべく一旦基地へと戻らなければならないという考えが過ぎった時のこと。
レーダーが何かを捉える。
同時に、上空に浮かぶ淡い光を目にした。目を凝らしてみてみれば、飛行機のようにも見える。いつの間にやって来たのか、というよりも本当に突然出現したように見えた。
『――ザザッ――をレーダーに――ザッ――えた。東雲機――ザッ――明機を、撃――ザァ――しろ』
いつぞやのスクランブルの時と同じく、無線にノイズが混じる。聞き取りにくいものの、内容は分かる。作戦を遂行しろということで、東雲は「了解」と返して光、不明機へと向けて舵を切った。
◇
「人がいないだけで、こんなにも静かになるものね」
街のどこか緊迫した静けさとは裏腹に、何とものんびりとした声、むしろ何も考えてないだろうとも思えてしまう声が、街灯のみの通りに響く。普段なら雑多な音にかき消されてしまうだろうに、今に限っては人の姿もなく妙に反響して聞こえてくる。
辺りに店が立ち並ぶのだが、どれも明かりが灯されていない。街から全ての人が追い出されてしまったために、このような寂しい光景が広がっている。
声の主は美加だ。
人がいない街は緊張感が走っている筈なのに、美加だけが違っている。この緊張感を感じ取れていないような、この緊張感を感じ取ろうともしていないような、何とも情けない様。
そして、なぜここを歩いているのかになれば、和葉が〈鎮魂〉を行うということで、邪魔者扱いをされてしまって、独りのんびりと散策をしているところである。厳密に言えば、街に入り込んだ人がいるかどうかの見回りをしている。そういった人がいれば外へと連れ出すために動いている。美加のみならず、街の中を警察官全員に下されている命令である。
なのだが、本人にその目的が分かっているのか疑わしい。
歩くこと以外に、今のところは何もやることがなかった。街に入ってくる人も見当たらないので、暇を持て余している。故に、目的が分かっているのか疑わしくなっていく一方なのである。
美加と一緒に先程までヘカテもいたのだが、和葉の護衛があるからと言って、どこか近くのビルへと上がっていってしまった。こうも暗いとどのビルに入っていったのかまでは確認できなかった。ヘカテは辺りを一望できて、和葉を護衛するためのポイントを探していたようなので、なるべく高いベルへと入っていったのだろうことは予測できる。
なので、今は独りになっているというわけだ。
空を仰ぐ。満月が見え、轟音が響いている。東雲の乗っていると思われるF‐15Jが僅かにシルエットと各種明かりをともしている姿が見えた。
「あれに、東雲さんが乗っているのかぁ……」
それへと手を振る。向こうから美加の姿が見えるわけでもないのだが、何となくというノリだ。いや、手を振ることで自分も同じ土俵に立っていると感じたかっただけなのかもしれない。自分だけが仲間外れにされているような気がして、自分だけが何もできないことを悔やむようにして。
ふと、淡い光が見える。
今まで何もなかった筈なのに、それは突然現れた。東雲と見間違えたかと思ったが、東雲の機体は別にちゃんと存在している。
「あ、あれは……」
美加は月光のシルエットを目にして、息を呑んだ。いつぞやの見た時と同じく、ゆったりとした速度でとても気持ちよさそうに月光は飛んでいた。
◇
満月の下では、二つの光が幾度となく交差を繰り返していた。
一つはF‐15J。もう一つは月光。二機は互いを視認するなり、戦闘を開始したのである。
とはいえ、攻撃は一方的だった。F‐15Jは逃げるのみで、月光は攻撃を繰り返すのみ。
なぜこのような状況となっているのか。F‐15Jは月光を撃墜するために飛んでいる筈なのだ。立場が逆になっているわけは何か。
F‐15Jが月光を撃墜すべく近寄っていくまではよかったのだが、月光が機首を向けるな否や、容赦なく機銃を掃射してきたのである。
月光であれば上向きの斜銃と踏んでいたのだが、予想に反して前向きの機銃が搭載されている。いや、最早姿が月光というだけで、中身は全くの別物なのかもしれない。魔具と呼ばれる物で体現されているのであれば、従来の物と別の仕様になっていても何らおかしくもないのだろう。今までの和葉の説明を聞いて考えた上で、そう結論付けた。
不意打ちを食らったという形であったが、F‐15Jは機体を傾けて月光の車線上から逃れることができたので、幸い被弾はない。こういう時に誘導兵器を搭載されていなかったことはなおのこと幸いだったのかもしれない。でなければ初手でこちらが撃墜されて終わっていたことだろう。
その後は、月光を撃墜すべく、月光から逃れるべく、何度も交差することとなった。
相手は第一世代のジェット戦闘機よりも古いレシプロ機、そしてこちらは今や古い機体と言われるようになってきたと言えど第四世代のジェット戦闘機。性能差は明らかなまでにF‐15Jに分がある。それなのに、F‐15Jが防戦一方となってしまっていた。
それは迂闊に攻撃して、眼下の街へと損害を与えるわけにはいかないと思ってのこと。仮にも自衛隊たる者が、街に損害を与えてしまっては、自衛隊としての矜持に関わる。それは甘い考えなのかもしれないが、どうしても譲れない。
だからといって、幾度も交差しておきながら、一度も撃つチャンスがなかったかというわけでもなかった。少なくとも何度かチャンスはあったのだ。
――だが撃てなかった。
月光をHUDのターゲットに捉えるものの、月光が小回りを利かせてすぐに機首を向けて撃ってくる。そして、こちらは撃つまでに至らず、月光から攻撃を躱すために車線上から逃れることしかできない。
ターゲットに捉えることができるのだから、決死の覚悟で挑めば撃つことなど可能だ。それをしないのは、自機が被弾して、街に墜落するなんてことになったらという問題があるからだ。だから、最大限のチャンスを待つことしかなかった。幾度も交差して、ここぞという一発を決めるしかない。
そうしている内に、F‐15Jは三度も被弾してしまった。それでも無事でいられるのは、月光の攻撃力が低いからだろうか、被弾箇所が運よく飛ぶことに支障ない箇所だったからだろうか。
東雲は歯を食いしばり、建物のすれすれを目掛けて機体を傾けていく。
低空域の高速戦闘の最中、一つでも操作を間違えれば建物へと真っ直ぐに突っ込みかねない。かといって、スロットルを絞って速度を弱めれば、さらに被弾が増えかねない。それも機体にかかる圧力でいつバラバラになるのか分からない怖さまである。
目まぐるしいまでに、コックピットから見える景色がグルグルと回っているかのようだ、街の明かりが星の明かりと錯覚して、上下の間隔を失いかける。
感覚だけに身を任せていると操作を誤りかねない。かといって、思考に気を配ると反応が鈍ってしまう。感覚と思考が幾重にも織り交ぜ合う。
その中で、撃墜できないことの苛立ち、焦りが募っていく。
一旦スロットルを絞り、制動をかけて機首を上へと向けたところで、再びスロットルを開けて一気に上昇をかけた。
前面から全身にGがかかるのを感じ、むしろ、圧し潰されてしまうのではないかと錯覚し。機体が軋むような感じがし、Gと空気圧に耐えられなくなってバラバラになってしまうのではないかという恐怖がつきまとう。
それだけ、限界ギリギリを飛んでいる。
これで何度、Gを体に受けてきただろうか。前から横から押しかかってくるGに耐え続け、気を振り絞っているが、いつまで体力を維持できるか分からない。さらには、体力次第で集中力がいつ尽きてしまうのかも分からない。集中力が尽きれば、いつやられてもおかしくない。また、自滅してもおかしくない。
HUDのターゲットに月光を捉えた。
これで何度目のチャンスとなるのか。幾度となく潰えてしまったチャンスを、今度は確実に手にしなければならない。
気合などではどうにもならない。でも、気合の一つでもなければ、チャンスをまた逃してしまいそうで怖い。
月光がまたこちらへと機首を向けてくるのが見えた。また同じことの繰り返しなのか。この状況に嫌気が差し、スロットルを開ける。さらに加速、Gが増し、呼吸すらもままならない。歯を食いしばる力が増し、奥歯が欠けたような気がした。
ターゲットは月光を捉えている。相手の機種はまだこちらへと向ききっていない。
それは叫んだのか、ただ息をしただけなのか――合わせて、トリガーを引いた。
舵はそのままに月光へと向けて、自機を突っ込ませていく。月光が迫る。次第に大きく見えてくる――。
◇
F‐15Jが機銃を掃射しながら上昇していった。対する月光も機首をF‐15Jへと向ける。
しかし、加速するF‐15Jを捉えきれず、月光は被弾しながら破片をまき散らせていく。
F‐15Jが月光のそばを駆け抜けていくと、月光はダメージが大きかったらしく、被弾した個所から空気抵抗に耐え切れずに千切れていった。
さらには、月光自体が大きな光をまとって、塵となって霧散していく。その多くははらはらと雪が舞うように、幾つかは箒星の尾のようにも。
F‐15Jは制動をかけての旋回。月光へと向き直すものの――
そこにはもう月光の姿がなかった。




