4.追いやられた先に辿り着いた場所は猫の溜まり場。
「――そうやって、何もしないで時間を潰すんですか?」
美加は眉尻を下げて、どこかうな垂れるようにして尋ねた。
その相手は、スチールデスクの向こう側に座って新聞を広げて黙々と読んでいる和葉である。それも、美加の問いなど耳に入っていないようで、何も答えてくれない。そもそもが、美加を相手にしていないようにも見える。
こんな和葉なら、もっと強気で問い質してもいい筈だ。なのにできないでいるのだから、美加の優しさというよりも、和葉を気遣っているというよりも、単に気が弱いだけの不甲斐なさになるのだろう。
美加はため息をつく。元々浅く座っていた椅子に深く座り直し、しょんぼりと肩を落として大きな体を小さくしてしまう。
あの自衛隊基地を訪れてから、追い返されてから、早二日が経った。
美加は自衛隊基地で何ら情報も得られなかったことで和葉がどう動くのか気になり、また、和葉の手伝いをすることが自分に課せられた仕事ということもあり、連日ネコジシ商会へと訪れている。たとえそのどちらでなかろうとも、ネコジシ商会へと訪れることが仕事でもあるのだから、ここで暇を持て余していたのではないかということは、この際措いておく。
この二日間、和葉はいつもの席に座り、何もせずにただ新聞を眺めて過ごすだけだ。今の状態をずっと繰り返している。変わったものをあえて挙げるとするならば、日付の違う新聞と、ゴシップ誌に目を通したことがあったことぐらいだろうか。
そして、同じように声をかけても、相変わらず返事をしてくれなかった。
捜査の協力をしてくれるというのだから、もう少し積極的に何かしらの行動があってもいいところだ。和葉が思い通りにしてくれないところが何とももどかしい。
また、上司たちにどうなっているのかと訊かれたら、何も答えられないでいることに困っていた。進展がないのだから、答えなど生まれるわけがなく、仕事であることを考えればそんなことを答えとして出すわけにもいかない。
和葉が動き出す――のだが、ここで何かを始めるというわけではなく、コーヒーを淹れるだけ。またもや時間が過ぎて行くだけだ。
こうなってくると、ここで誰かもしくは何かを待っているということになるのだろうか、と考えが浮かぶ。しかし、何もしない和葉のことをヘカテが「暇人がいる」と指さして嗤って外へと遊びに出ていってしまうところを見てしまえば、その考えもすぐさま否定せざるを得ない。
和葉が何もしないなら、美加自身が何かしらの行動を起こすべきなのだろう。だが、生憎と美加には魔具に関する知識を持ち合わせているわけでもなく、闇雲に動いても疲れるだけなのは容易に推測できてしまうので、どうしようもない状態にあると言える。何も分からないまま動いていたら、それこそ和葉に何とどやされるのか怖いところだ。
だからというか、隆文始め、上司たちに現状を説明して現場転換というか、捜査の仲間に加えてもらおうという考えがある。だが、和葉に協力するのが仕事だと言ってしまった手前、その考えはすでに諦めている。
「――和葉くん、何もしないのですか?」
もう一度、美加は和葉へと伺いを立てた。その言い方がやはりどこか遠慮がちになってしまう。これもまた、和葉が変わらずと同じで、美加も変わらずである。
何度も同じことを尋ねられていることがいい加減鬱陶しく思ったらしく、和葉が一瞥をくれてくる。その視線が冷たく、美加は背筋にぞぞっと悪寒が走るのを感じた。さすがに“黒猫”と称しただけあって、同じことを繰り返すのは、機嫌を損ねるだけだったと思い知らせれた形だ。
こうなると、いつも通りのげんなりになるしかない。
「一つ、訊いていいですか? 月齢は分かりますか? 今日の月齢で構いませんので」
「月齢……?」
ようやく言葉を返してくれて喜ばしく思った矢先に、美加はその内容に首を傾げてしまう。
日にちに曜日なら答えられるが、いざ月齢となるとぱっと出てこない。釣り好きな人なら潮を気にするだろうから答えられるような気がしたな、とは思いつつも、そういった人がすぐそばにいるわけでもない。なので、自分で答えを出すしかないのだろう。
ポケットから携帯電話を取り出し、カレンダーを見る。日にちに曜日は当然の如く載っているものの、肝心の月齢までは表示されていない。月齢を表示させるアプリなんて入れているわけもなく、ここでネットを使って調べるなんてことが頭にない。折角の携帯電話が使用者の無知加減で無用の長物と化している。
答えを出せずにあたふたとしていると、新聞に目を通して答えを待っていた和葉が視線を上げて見やってくる。こちらの様子を窺っているらしい。
「分かりませんか?」
「え、えぇとぉ……ごめんなさい」
美加は申し訳なさそうに肩を落とした。満足に答えを出せなかったのに、和葉に「何もしないのか」と何度も尋ねていた自分が恥ずかしくなってくる。
「いえ、謝るほどではないです。女性なら“月と体”の関係性があるので、もしかしたら分かるのかと思っただけです。
では、質問を替えましょうか。昨日の月がどうだったか覚えていますか? 昨日でなくても構いません。この二、三日のことでも構いませんので」
「月ですか……? 月……月かぁ……。確か、一昨日が新月だったような気がしました。月がなかったので、星が綺麗だったのを覚えています」
ああ、と月齢が分からないと言いながらも、月を思い返せばよかったのだとここで気が付いた。とはいえ、ここで早かろう遅かろうはどうでもよく、和葉は気にも留めていない。ただただ月齢を気にしていただけらしい。
「新月、ですか。なるほど。となると、今日は二日か三日あたりですか」
それだけで納得したようで、和葉は新聞へと視線を落としてしまった。
美加には何が“なるほど”なのか分からない。和葉だけが納得できても、なぜ月齢を訊かれたのかが分かっていないので、しっくりと来ない表情で和葉を見据えるのみ。
「――またいつもの“分からない”という顔をしているようですが、少しは知識を蓄えた方がいいですよ。とはいえ、“普通の人”には持ったとしても“何ら意味のない知識”になってしまいかねませんから、無理強いはしませんけどね。
新聞によれば、ここ数日間、例の不明機は出現していないようです。まあ、新聞でのことですので、自衛隊もしくは警察から情報規制をされている可能性もありますけどね。
それと、あなたは僕が何もしていないようなことを言っていましたが、これでも情報を集めているのです。僕なりにできることと言えば、こうして隅から隅まで新聞を読んで、不明機に関する記事が一つでもないか探すことです。それを、何度も何度も何もしないのかと問われてしまっては――いえ、このことはどうでもいい話ですね」
どうでもいいと言っておきながら、どう考えても不満をあらわにしているとしか見えない。
美加はびくびくとしながらも、和葉から視線を逸らすことはしなかった。負けてたまるかという気負いと共に、思ったことを口にするだけだ。
「和葉くんなりに情報を集めていたのなら、そうと言ってくれれば何度も尋ねたりしません。何も言わずにいるから……。それで、不明機と月齢に何か関係があるのですか?」
「直接関係があるのかまだ分からないところですが、可能性の一つとして考えているところです。所詮、仮説の段階ですね。
僕にコーヒーを淹れてくれませんか? 簡単ながら、そのあたりを説明しようと思うので」
和葉はそう言い、今まで読んでいた新聞を畳んで机上へと放り、いつも使用している黒猫のイラストが描かれたマグカップを美加へと差し出してくる。美加はそれを受け取り、立ち上がってコーヒーメーカの前へと歩んだ。
その美加の背中へと――
「それでですね、その仮説を言うとしましょう。僕は、その不明機がもし魔具と関連性があるとした場合、月齢が関係してくるのではないかと考えたわけです。あなたの言ったこと、一昨日の新月が確かであるのなら、不明機は新月を中心に三日から五日、つまり、通して一週間から一週半の間、出現しないことになります」
「でも、どうして新月を中心に出現しないって分かるんですか?」
「正直なところ、そこまで分かっていません。なので、“仮説”と申しました」
美加が新しくコーヒーの注がれたマグカップを和葉の前へと置くと、和葉は口を湿らす程度に一口飲み、置いた。
「もし魔具を用いているのなら、“月”が絡んでいるのではないかと思ったのです。なぜそのような考えに至ったのかと問われても、夜、それも人の目に晒されるような場所で魔術を行うとして、どのようなものがあるのかを考えた上で真っ先に浮かんだものが“月”だったとしか言えませんけどね。
月と絡むような魔具だとすれば、満月の際に最も活性化し、新月の際に最も沈静化するということになるのかもしれません。なので、新月を中心に数日の間は不明機としての体現が儘ならなかったのではないかと考えたわけです」
さらにもう一口、口を湿らす。
美加は自分の分のコーヒーも用意すると、難しい顔をしながら椅子へと戻る。和葉に倣って三毛猫のイラストの描かれたマグカップへと口をつける。難しく頭が混乱しそうなところをコーヒーの苦みがふっ飛ばしてくれた。けど、それでも理解しがたく、難しいことは変わらない。元々の知識が乏しいのだから勝手な想像はできようも、今はその想像ですら浮かびそうもない。
「“月”というものは、魔法において最もポピュラーな媒体の一つですからね。魔術に用いられることが多いのです。と言ってみましたが、その様子では、今まで説明した部分すらも全く理解できていないといったところでしょうかね」
美加がぽかんとした表情で話を聞いていたものだから、和葉は呆れたと言わんばかりに眉をひそめている。それには空笑いを返すことしかできない。弁明の余地がないので、頭を下げることしかできない。
「別にいいのです。いつものやりとりをいつものように繰り返しているだけですので、僕は特に気になりません。さて、これ以上の説明はどうしましょうかね。あなたには苦痛でしかないようなので、やめておいた方がいいですかね。それと、あなたの場合、まとめて説明するよりも少しずつ説明していった方がいいでしょうし」
「面目ありません……」
和葉の言う通りであることに何も言い返すことができない。子ども扱いされていることも分かっているが、これも自分の勉強不足でのことなのでなおさらである。
ここにきて静寂が戻ってきた。ただ以前と違うところは、和葉が新聞からコーヒー、美加が自分の無知加減に嘆きながらコーヒーをすするということだ。
この静寂を利用して、和葉の言っていたことを思い返す。復習と言えばいいのかもしれない。自分なりに理解しようと思ったに過ぎない。
何も理解できずに終わることなど分かっている。それでも理解しようとしなければ、和葉の手伝いをしている意味がない。和葉が“普通の人には意味のない知識”だと言っていたが、それでも知識を蓄えて、少しでも役に立つことができれば自分にとって大きな利益となる。
言い訳――自分自身に言い聞かせる言い訳なのかもしれない。ため息しか出ないことをただやっているだけなのかもしれない。それでもいいかと自分勝手に納得してみる。それでもっと手伝えることが増えれば、役に立たないなって言われずに済む。自分の存在理由を持つことができる。和葉からの嫌味だって減るかもしれないし、安雄からだって馬鹿にされずに済むし、忙しい隆文に無理に仕事の手伝いをしてもらうこともなくなることだろう。
しかしだ。やっぱり思い返してみたところで、難しいと投げたくなるほどにため息が出てくる。とりあえず和葉の言っていた通りなのだろうと考えることにした。それ以上は深く考えることやめた。頭痛でため息どころじゃなくなってしまう。
全てを理解することが自分の仕事でなく、知識を蓄えた上で和葉に手伝いをすることが自分の仕事なのだ――と、これもまた言い訳なのだろうとげんなりするだけだ。
「――ただいま」
どれほどの時間が経ってのことか。数分の沈黙、コーヒーのすする音のみが響いていたネコジシ商会の事務所に、元気な声がやってきた――いや、帰ってきた。
美加がいつもの様子で「お帰りなさい」と振り返れば、声の主、ヘカテと見知らぬ女の姿がある。ヘカテだけだとばかりに思っていたために、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしてしまう。
それは美加だけでないようで、和葉にとっても見知らぬ顔なのだろう。訝しげな視線を女へと送っている。
女は黒い短髪、スラリとしているもののただ細いというよりも引き締められた体で、天色のブルゾンに烏羽色のスラックスからでもよく分かる。何よりも表情が印象的で、凛とした力強い漆黒の瞳に、軽く紅を引いただけの引き締まった唇から、何かしらの強い意志を持っていると思わせる。
「ヘカテ、その人は?」
「お客さんだよ。外で迷ってたから、ここまで連れてきたの」
和葉が尋ねればヘカテは答え、いつものように部屋の隅へとパイプ椅子を持って行って座った。
ヘカテの紹介に肖ってというべきか、女は和葉の前、美加の横へと歩み出てくる。
「東雲と申します。以後、お見知りおきを」
女、東雲は礼儀正しく会釈をした。
和葉は東雲の態度に信用が置けると感じたのか、訝しくことをやめ、商人としての顔つきとなる。
「ネコジシ商会へとようこそ。胡散臭い物から如何わしい物まで何でもござれの当商会にどのようなご依頼を?」
商人特有の愛想笑い。商人がどのような存在なのかを知っていれば、如何に嫌な笑みだろうか。損得のみを第一に考えている生き物ならではの笑みなのだから、想像するだけでも悪寒が走るほど。
「私は自衛官であります。あなた方二人が基地へと訪れた際、実は陰で見ておりました」
和葉の笑みとは逆に、女は表情を変えることもなく、元々の引き締まったままの表情で返す。
「なるほど、見ていたのですか。あの時、僕たちはこの人の至らなさで追い返されてしまいました。――まさかとは思いますが、それを嗤いに来たわけじゃないですよね?」
一言多い和葉に、美加は“言葉の槍”で突き刺された気分になり、げんなりとなる。初対面の人間を前にして、どうして自分へと嫌味を言えるのだろうか。和葉の考えがさっぱり分からない。きっと学生の頃は、ネチネチとした虐めっ子だったに違いないと内心毒づくだけだ。それを言葉にできないあたり、不甲斐なさが心を満たしていき、さらにげんなりとするだけだ。
「いいえ、そんなことありません。確かにアポも取らなかったという点では至らなかったと思いますが、そのようなことを嗤うためにわざわざこちらへと訪れたわけではありません」
東雲は決して嫌味を言っているつもりなどないのだろう。だが、美加には和葉と東雲の両方から言葉攻めによって窒息するのではないかと錯覚してしまう。
「私は件の不明機でのスクランブル騒ぎの際、邀撃機のパイロットをしておりました」
「邀撃機……その不明機を相手に出向いていったというわけですか。ですけど、結果、空振りに終わった?」
「はい。私だけでなく、基地の皆もあれが何だったのかと騒いでおります。そこへ、警察と協力体制で不明機が何なのかを追うこととなったのですが、捜査は警察で行うことになって、私たちは邀撃任務以外に何もさせてもらえない状態になっています」
「だけどあなたは、捜査が気になって仕方がないということで、警察へと訪れたということでしょうか?」
「ええ、そうです。なのに、地元の警察へと行くように言われ――」
「しまいには、ここへと行くように言われてしまった、というところですかね」
「はい……その通りです」
東雲は唇を固く結び、悔しさが滲み出ているといった様子で頷く。それを見た和葉が、両肘をスチールデスクの上に突き、手を組めば顎を乗せて目を瞑る。
「体のいい追い出しとでも申しましょうか。任務に集中できないのなら、勝手にどこかへと行けといった感じで警察へと送り出されたのでしょう。そして、警察へと行っても捜査を手伝う自衛官なんて素人同然ですから、当てにしませんからね。それよりも、縦社会の組織ですから、よその組織の人員を当てにするつもりなどははなからなく、地元の所轄部署に当てたといったところでしょうか。所轄部署も何やかやと忙しいですし、大方、柳崎さん案で“陰ながら警察に協力している”僕のところへと追いやられたのだと思います。ここなら、捜査ができようともできまいとも、縦社会のしがらみすらもありませんので、丁度よかったのだと思います」
深く息をつき、目を開ければ黒味の強い褐色の瞳が煌めく。
「僕としましては、あなたがここへと来て何をしようとも構いません。僕の邪魔さえしなければ、たとえ何の知識も持ち合わせておらず役に立たない人であっても、いてくれて構わないのです」
美加は“役に立たない人”というのは自分のことなのかと睨もうにも、力のなさは自分自身が何よりも分かっていることなので、睨むこともできずにうな垂れるだけだ。分かりきっていても、他人から改めて言われると“言葉の槍”でぐりぐりと抉られるかのように心が痛い。
東雲の目からも美加が“役に立たない人”であると見えたらしい。もしくは美加のうな垂れる姿を見て美加であると予測を立てたのだろう。そんな美加を哀れんでいるかのように、横目でちらりちらりと見つつ気にかけてくれている。
「ですが、その代わりと言いましょうか、雑用は色々とやってもらうことになると思います。それでもいいと言うのでしたら、契約と行きたいのですが」
「契約、ですか?」
「はい。僕は商人です。契約無くして、仕事の話はできません。それに、あなた方公務員もまた、書類無くして仕事を進めることができないと思います。それと同じです」
和葉はそう言い、スチールデスクの引き出しから用紙を取り出して、東雲の前へと置く。「契約書」と大きく書かれた文字に、下には契約に関する文面が小さな文字で羅列されており、さらに下には署名欄が設けられている。
「本来なら、仕事の依頼を受ける際の書類なのですが、他に代わる書類がないので代用品とさせてもらいます。まあ、ここで僕の仕事の手伝いをするということを署名していただきたいだけのことです。どんな些細なことであれ、商会が関わる以上、署名が必要なのだと社長からいつも言われていますので」
和葉がトン、と署名欄を指さし、ペンを差し出す。東雲はペンを受け取れば、署名欄に「東雲佳」と記した。文字にも東雲の風貌が表れており、きっちりとした文字である。
「これで契約成立です。これから、宜しくお願いします」
和葉は契約書を受け取り、右手を差し出した。東雲は「こちらこそ、宜しくお願いします」とその手を握り返した。
「ああ、そうです。自己紹介がまだでしたね。僕はこの商会を社長より任されている百合垣和葉です。部屋の隅っこの子供はヘカテといって、僕の仕事上のパートナーをやってもらっています」
東雲は部屋の隅で黙ってこちらを見ているヘカテを見て、驚きの表情をする。こんな子供までもがここで働いているのか、とでも思っているのかもしれない。ヘカテをただの子供と見ていれば誰もが思うことだろう。実際は見た目こそ子供であれ、大人へと変貌することもできる〈魔女〉の異名を持つ女。それを知らないのであれば、ただの子供にしか見えないのは致し方ないところだ。
「彼女は見た目こそ子供でありますが、頼りになります。見た目で判断なさらない方がいいですよ。僕たちの中では、あなた方“一般人”の言う“不可思議な物”に対しての知識を誰よりも持ち合わせていますからね」
「ヨロシクね、お姉ちゃん」
ヘカテは手を振って笑みを見せている。そんなヘカテから頼りになるようには全く見えないのであるが、ここで和葉が嘘を言っても意味がないと分かってのことか、東雲はヘカテへと頷いて応えている。
「それと、あなたの横にいるのは……あぁ、言うほどの者でもないですね」
「何よ、そんな言い方ないじゃない」
紹介するにも言い方というものがあるのではないのか、美加は憤然と言い放つ。けれども、和葉には全く意味がなく、美加の言葉が微塵にも届いていない。言われたから仕方ないな程度の面持ちでしかない。
「――と言うので、ついでながらの紹介としましょうか。所轄の警察官で、あまりの役立たずぶりに僕のところへと“干されてしまった”、実に役に立たない人です」
「う、ううぅ……どうしてそこまで言うのかなぅ……」
ここできっちり言い返せればいいところであるが、全くの事実に言い返せないところが哀しい。
「そんな彼女でありますが、使い走り程度には役に立ってくれると思いますので、どうぞ扱き使ってやってください」
「な、何よ、もぅ。名前すら言ってくれないなんて。
私は芒原美加といいます。宜しくお願いしますね」
和葉の物言いにめげるものかと気を取り戻して、美加は右手を差し出す。その手を東雲は握り返してくれた。ひんやりとした感触の手ながらも、しっかりとした力が込められている。また、表面がいくばくか硬く肉刺もできていることから、普段から訓練を怠らない人なのだろうと感じ取れた。
「まずは和葉くんにネチネチと言われないように頑張りましょう。“黒猫”さんなので、なかなかに愛想が悪いのは、和葉くんの個性だと思ってくれれば大丈夫だと思います」
美加はお返しだとばかりに言った。これで和葉も少しはげんなりとしてくれれば、と思うものの現実はそう簡単にいかず、和葉は多少の嫌味など全くもって受け付けないとばかりにどこ吹く風である。
「は、はぁ……」
むしろ東雲の方がどう答えていいのか分からないと言った様子で、空返事をするだけ。尤も、美加と和葉との関係がどのようなものなのかを知らないのだから、至って当たり前の反応というべきところか。少なくとも、美加よりも和葉の方が上手なのだという上下関係は分かったようである。
「――僕が陰湿な人間と見ているようですが、そんな態度をするのはあなたを相手にする時だけです。ええ、実に役に立たない人を前にしない限り。いえ、これ以上言うのはやめておきましょうか。実に役に立たない人に泣かれても困るだけですので」
さらに上下関係を証明するかのように、どこまでも嫌味を向けてくる。それ対して美加はぷくりと頬を膨らますことしかできなかった。これ以上何を言ったところで、倍返しをされることだろう。
それが楽しいらしく、いつものようにと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、ケタケタと楽しそうにヘカテの笑い声が響き渡った。




