3.先端と不可思議と、結び付けない事柄を前にして、如何に進むか。
「――なるほど。確かに、“不可思議な現象”とも言えますね」
和葉はコーヒーの入ったカップを片手に、ウムウムと頷いた。
和葉の前では、湯気の立つ湯呑を傾ける柳崎隆文がのんびりとした様子で和葉を見据えていた。
美加の勤める警察署、水穂市に構える所轄署。捜査課の部屋の奥隅にパーティションで区切られた一角がある。普段、捜査課の面々が一休みをしたり、応接間の代わりとして利用したり、宿直明けの刑事がソファで寝ているということもあったり、と色々と使われている。
和葉と隆文は小さなテーブルを挟んで向き合うように、ソファへと座っていた。その隆文の後ろでは美加が立ったまま黙って和葉の様子を窺っていた。
和葉を警察署に連れてくるところまではよかった。だが、説得まで至らなかったこともあって、隆文に頭を下げて頼み込んだのである。
隆文は色々と仕事を抱えている身なので、いつもとても忙しそうだ。いや、忙しそうでなく、忙しいと断言してもいい。常に何かしらの仕事をしている姿を見ているし、のんびり呆けているような時もあるが、それとて仕事で考え事をしている場合だ。そんな隆文に和葉の説得を頼むのは、隆文の仕事を増やすことになるし、何よりも自分の仕事が全うできなかったことを証明することになる。恐れ多いことこの上ない。
でも、美加が頭を下げて頼み込んだことにより功を奏したようで、単に任せていられないと見られてしまっただけなのかもしれないが、仕方ないといった面持ちをしながらも頼みを受け入れてくれた。
そして、和葉が詳しい説明を聞きたいということで、捜査会議用として作ってあった資料をもとに説明してくれた。その説明を受け、和葉が頷くところまではうまくいったと言ってもいいのだろう。
問題はこれからである。和葉に納得してもらわなければならないし、協力を受けてもらわなければならない。
「――実に面白いことです。レーダーでの捕捉の有無は技術的にどうすることもできるでしょう。その辺りは詳しくないので、レーダーがどれだけの精度を誇るのかも知りません。なので、技術に関しては特に言及するところではないですね。
ですが、飛行機を目撃していた人たちの前で忽然と消えてしまったのは、技術的にあり得るものでないと見ていいでしょうかね。まあ、SF作品に出てくるような“光学迷彩技術”なんてものが、この世の中に存在していれば可能なのかもしれませんが」
和葉は首を傾げる。納得がいっていないのだろう。まだまだ乗り気ではないようだ。協力を得るにはまだ何か一押しが必要になる。
「映画のようにはいかんだろうのぅ」
隆文は顎の無精ヒゲに手をやる。
「その何とか技術があったら、今頃“透明人間”の事件が流行っておるだろうしのぅ。仮にそういった技術があったとして、先端技術の実用試験をしておれば、自衛隊にも話が行っておるだろうしのぅ」
「ですが、その仮の話はさすがにないでしょうね。わざわざスクランブル騒ぎにまで発展させるメリットがありません。試験を報道に晒すようなことをして、何の意味になるのかという話も出てきますでしょうし」
和葉はコーヒーを飲み干し、ふうと息をつく。こうして話をしている内にコーヒーは冷めてしまって、香りを感じられない。対して、隆文のお茶はまだ湯気が立っているものの、それは話をしている間に何度かお代わりをして温かいものが出されているからだ。
「そういった技術があると見せつけるためかもしれんぞ? テレビで取り上げられれば、さぞかしいい宣伝になると思うしのぅ」
「そうやって技術を露呈してどうするのかということになりますが。軍事国家でもないのに、軍事力になり得るようなものを見せつけるようなことをして、利益を得られないでしょうから。“自衛隊”という単語だけでアレルギーを起こすような人たちが、それこそ議事堂前で煩く騒ぐでしょうし。それどころか、やっかみの大好きな“隣の半島”から嫌味を言われるだけです。半世紀以上経っても、同じ戦争に見舞われた南方諸国とは違って、それらとは未だに戦争を理由にあれやこれやと言ってきますからね」
「そういった外交的な話はともかく。うぅむ、軍事目的以外での運用を考えているということもあり得るかもしれんのぅ」
「“かもしれない”じゃ、話になりませんよ。まあ、“技術の広告”という点で言うのなら、少しは考えられることもあるでしょうけど。
――だとしても、分かりません。日本国内でスクランブル騒ぎを起こすよりも、アメリカやロシア、それに近隣だと中国などの軍事力のある国を相手に試験をした方がいいのではないでしょうかね。それこそ、“そういった国を相手にしても隠れることができる”というアピールポイントにもなると思いますし」
「なるほどのぅ」
隆文は一気にお茶を飲み干して、お茶の熱さに顔をしかめつつ、立ち上がった。
「ともなれば、先端技術云々を考えるよりも、我々が元々考えておったことの方が、余程分かり易いということかのぅ」
そう言い、美加の背後に回れば肩へと手をやって押すようにしてソファへと座らせてきた。
美加は戸惑いながらも、抗うことなく従った。正面の和葉に、隆文から美加へと代わったことに不満と言いたげな顔が見えたために、息を呑む。またもや嫌味を散々ぶつけられてしまうのか恐れが出る。
隆文へと目配せをするも、隆文が「後は頼んだ」と言って、飄々と行ってしまう。自分の役目はここまでで和葉への協力を要請するのは美加の仕事なのだと言わんばかりである。
俯き加減に上目遣いで和葉へと視線を送る。頼んだのは美加の方であって、逆に頼まれても困ってしまう。ただでさえ説得ができなかったのに、これからどうやって説得をすればいいのだろうか。
どこまでも敵わない相手に、生殺しにされた気分だ。
でも、隆文が無責任な人でないと思っているし、きっと期待してくれているのだろうといい方へと考えることにした。のだが、やはり、それがさらにためらう要因となってしまう。説得がうまくいかずに和葉の協力を得られないことになったらと考えると、とても怖い。
説教で済めばいい。ただでさえ“役立たず”のレッテルを安雄から貼られているというのに、隆文にまで言われるようになったら、今後の皆からの信用に関わってくる。元々仕事に関しての信用があるとは言えず、ないともなれば、それこそどうなるのかという恐怖が付きまとう。
「あ、あの、柳崎さんは、色々と忙しい人だから、アハハぅ……」
美加はどう話を切り出していいのやらと考えつつ言葉にしたのだが、言い訳がましいことを言ってしまっている自分に、空笑いをすることしかできない。
そんな話の切り出しがいいわけない。和葉の機嫌を窺うなんてもってのほかだ。和葉を見れば、不満がより一層増したのではないだろうか。今にも舌打ちをしそうなまでに眉間にしわが寄っている。和葉に猫の尻尾が生えていたら、間違いなく振っていることだろう。
今にも逃げ出したい気持ちが高まっていく中で、逃げるわけにもいかず、ただただげんなりとしたため息をつくことしかできなかった。
こうなれば、自分のできる限りの範囲で和葉を説得するしかない。説得できるかどうか悩むと前に進まないので、先のことは考えずに――と考えている時点で、すでに考えが空回りして前に進まない状態にある。その状態を分からないから余計に空回りを延々と繰り返す。
「柳崎さんが忙しいのでしたら、仕方がありませんね。それで、あなたはなぜそこに座っているのですか? 僕に構わず、仕事をしていてくれても構いませんよ。あなたも忙しいでしょうからね。僕はまだ資料に目を通していますので、放っておいてくれても構いません」
和葉は紙ペラ――細々とした文字で綴られた文書で、柳崎から渡された資料――を手にして、かざして見せた。
「私は……いいんです。ここで和葉くんを待っています」
「どうしてです? 僕を気にしなくていいんですよ。自分の仕事をしていればいいじゃないですか」
和葉が資料に視線を落としながら言うのだが、視線を合わせられていないにも拘らず美加は言葉を詰まらせながら和葉から視線を外す。さらには、顔の向きさえ逸らしてしまう。
仕事をしていろと言われても、今の自分に任された仕事と言えば和葉に協力を申し出て請け負ってもらうこと。そして、和葉が協力を受けてくれたら手伝うこと。他には何も任されていなかった。事務仕事ならいくつか溜まっているが、今やろうと後でやろうと変わらないし、急ぎでもない。一番しなければならないのは、後にも先にも“和葉”のこととなってしまう。
美加が何も答えなかったことを訝しく思ったのか、和葉が視線を向けてくる。
美加は横目で見やり、和葉が真っ直ぐにこちらを見据えていることにため息をついてしまう。どう説明すればいいのだろうか、と。
「暇、なんですか?」
「う、ううぅ……そうなんですぅ。私の仕事は和葉くんのお手伝いとなっていて、捜査会議にすら交ぜてもらえませんでしたぅ」
言い訳などすぐに思い浮かぶこともなく、素直に答えるしかない。自分の情けなさに、不甲斐なさに、涙声になってしまう。
「何とも、不憫ですね……」
同情してくれているのか、哀れみを向けられてしまった。いつも嫌味を向けてくる相手に哀れみを向けられるとは思いも寄らず、何とも物悲しい気持ちにさせられる。悲愴感、その“槍”の字に似た文字に貫かれた感じだ。
これを境に、二人の間に沈黙が舞い降りてくる。美加は俯いていることしかできず、和葉は資料に目を通すだけ。せめて説明の一つでもできればこの沈黙はいとも簡単に打開できるのだが、捜査会議にも参加できないのだから説明なんてできるわけがないし、そもそも、ここまで和葉に来てもらって隆文から説明を受けてもらうなんてこともなかった。
どれだけの間、二人はこうしていただろうか。ただ俯いているこの時間が異様に長く感じられた。淀んだ空気の流れが目に見えるほどに時間が流れているのではないかと錯覚さえしてしまう。
「――さて、出かけましょうか」
ふと、和葉が沈黙を破って立ち上がる。声色から、この沈黙に耐えられなくなったということはない。何かを思っての行動のようだ。
美加は和葉を見上げ、「どこへ出かけるの?」と訊くものの、和葉は何も答えてくれず、歩き出してしまう。
「ちょ、ちょっと、和葉くん?」
慌てるように立ち上がり、膝をテーブルの角にぶつけてしまう。でも、気にしている場合ではない。痛みを我慢して和葉の後ろを追いかける。
「さすがにこの資料だけでは、事の詳細が分かりません。ですので、この“資料の大本”へと向かおうと思っただけのことです」
美加が和葉の後ろに追いついたところで、和葉は口を開く。
「シリョウノオオモト?」
「自衛隊です。この資料、自衛隊から協力要請が出た際に下りてきたものですよね。ですので、この件の詳細はここよりも自衛隊の方が知っていると思っただけのことです。自衛隊ですので防衛省の方へ行ってもいいのかもしれませんが、いくら文民統制といってもお役人がどこまで事を把握できているのか分かりませんからね。実際にスクランブルに携わっている自衛隊の方へと出向いた方が早いと思っただけのことです」
「はあ……」
「気のない返事ですね。僕の手伝いをするのが仕事と言っていたわりに、そんな返事をするのでしたら、ここの残っていてくれても構いませんよ。むしろ、やる気のない人についてきてもらいたくありません」
「あ、あぁ、はい。ついていきますから。やる気はありますから。置いていかないでくださいぅ」
美加は泣き出しそうな声を出し、そそくさと行ってしまう和葉の後ろを追いかけるだけだった。
◇
美加と和葉の上空を民間の旅客機がジョットエンジンを唸らせて発進していった。
電車とタクシーを乗り継いで、二時間余りかけて自衛隊基地へと訪れたのである。民間の旅客機が飛んでいるのは、自衛隊と民間航空が共同で滑走路を使用しているためだ。
基地へと通ずるゲートの前、二人は守衛室の自衛官とやり取りを交わしていた。
自衛官とあってなのか、たまたまこの時間に守衛室へと詰めていただけなのか、百八十は優にあるだろう大柄の男。日頃の訓練で鍛え上げられているためか、肩幅の広い威圧感のある体格は“ゲートの守護者”と言わしめる風貌である。それこそ、僧兵の恰好をして長刀を持たせて橋の上に立たせれば、立派な“武蔵坊弁慶”の出来上がりだろう。
そんな相手を前にしているから威圧感に――というわけでもなく、美加は疲れ果てた顔をしている。
ここまで来るのに時間のかかったことが一番の要因である。さらに、守衛室の自衛官と話をしなければならないことも後押しするだろうか。
下っ端警察官が突然訪れて、話が通じるのだろうかという焦燥感からなる精神的疲労。自衛官と一応形だけとはいえ協力体制を取っている警察の一員として、美加が交渉することとなったのである。
もう一方、和葉は民間人だ。そんな身で突然訪れて、「情報をくれ」と言ったところで、自衛隊側が素直の応じてくれるわけがない。それどころか、要らぬ嫌疑をかけられて捕まってしまうこともあり得る。なので、美加の後方で交渉が終わるのを待っている。
そういう背景があり、美加が疲れる一方で、和葉は何ら疲れも見せずに至って冷静な顔をしている。
「――分かった。用件を伝えるから、そこで待っていてくれ」
美加の話を受け、“武蔵坊弁慶”もとい自衛官が守衛室へと戻っていく。その後ろ姿も一切の隙がなく勇ましい。
守衛室に備えてある電話を手にして、どこかへと話を始めた。上の人たちの確認を取るとのことで、直接もしくは直接でないにしろ上とやり取りをするような人が相手なのだろう。
二人のいるところからでは、電話のやり取りを見ることはできても、何を話しているかまでは聞き取れない。そのため、どんな話がなされて、自分たちの思うように話が進んでいるのか分からず、やきもきとしてしまう。
待っている間、特にすることも思い当たらず、和葉と会話でもしていようと思っていたのだが、和葉の方が話したがらない雰囲気を出していれば、何も話を切り出せないでいる。
だからというわけでもないが、空を仰いで待つことにした。ジェット音を唸らせて行き来する影を何度も眺めた。
大型旅客機。
大型輸送機。
時には軽飛行機がプロペラで風を叩きながら滑空する姿も眺めることができた。
じっと空を仰いでいるだけだからか、冷たい風に体を震わせる。
「はぁ……、コートを羽織ってくればよかった……」
陽射し自体は暖かいからとスーツのままで出てきたのが失敗だった。開けたところに立っていると冷たい風が身に沁みる。さらに風除けとなるものが周りにないので、ただただ寒さに耐え続けるしかない。
自分がこうも寒いのなら、和葉はどうなるのだろうか。ひっそりと横目で和葉の様子を窺う。
和葉はしれっとした様子で守衛室を眺めている。寒いことが分かっていても、口にすることがない。
なのに、自分だけが寒いと言っていると、まだ和葉の嫌味が飛んでくることだろう。言われないためにも、「我慢、我慢」と自分自身に言い聞かせるしかない。
「――待たせて済まなかったな。上に訊いてみたところ、アポイントメントを取っていないと会えないと返ってきた。悪いが、一度戻ってアポイントメントを取ってから再び出向いてくれないか」
電話でのやり取りを終えた自衛官が戻ってくるなり、そう告げた。確かに自衛官の言う通りで、防衛省どころか自衛隊へと何の連絡もなくここへとやって来たのであれば、当然のことだろう。
和葉は眉をひそめている。さぞかし不機嫌なことだろう。
美加はそんな和葉を横目に、このまま引き下がるわけにもいかないと自衛官の前へと一歩出た。
ここで引き下がれば、和葉からさぞかし延々と続くだろう嫌味が飛んできそうだからだ。それは精神的に宜しくないので、何とかしてでも避けなければならない。和葉の嫌味に比べれば、自衛官へと立ち向かう方が何倍も精神的に楽な筈だという何とも他愛のない考え。
「あ、あの、確かにアポは取っていませんが、どうにかならないでしょうか? 少しの間だけでいいんです。上の方に会えないのでしたら、せめて事件に関する詳細な情報をいただければ」
「そう言われてもな。アポイントメントも取れない者に会わせられるわけがないだろ。常識を考えてくれ。危機管理の問題だ。
それと、あんたたちの言う事件についての情報なら、防衛省からすでに警察側へと渡してあるとの返答があった。それ以上の情報はないそうだ。だから、早々に引き取ってくれないか?」
自衛官は美加が前に出てこようとも、何ら動じることなく断ってくる。これ以上二人に構っていられないと言わんばかりに手のひらを払ってさえする。
美加はこれ以上言っても自衛官が受け入れてくれる様子がないことを悟り、肩を竦めた。美加と自衛官の背の高さは数センチなので、然程の変わりはない。だが、肩を竦めていると美加がどことなく小さく見えてしまう。武蔵坊弁慶に対峙する牛若丸というようにはいかなかった。
「済まないな。そういうことなんだ。次からは、アポイントメントを取ってから来てくれ。そうすれば、こちらとしても断る必要はないんだから」
そんな言葉に見送られ、二人は基地を後にすることとなった。
しばし歩き続け、和葉が言葉を投げかけてくる。
「やれやれですね。二時間もかけてやって来て、一切の情報も手に入らないなんて」
「面目ありません……」
「いえ、別にあなたが謝ることではありませんよ。アポの一つも取らずに来てしまったことが何よりの原因ですからね」
謝るなと言うわりには、和葉の“言葉の槍”がぐっさりと美加の胸に突き立てられる。
美加は自分が自衛隊基地まで行きたいと言ったわけでないのに、と言い返したいところであるが、気力が湧いてこない。ただただ、“言葉の槍”に、痛み苦悶して言葉にできず、ため息をつくことしかできなかった。




