開始
入隊試験まで、残り三日。
二月十日。
冬の空気は張り詰め、吐く息が白く細く伸びては、すぐに消えていく。
冷たい風が頬を刺すたびに、現実を突きつけられるようだった。
東雲慧は、人気のない路地に立っていた。
静まり返った空間の中で、ただひとり、ゆっくりと呼吸を整えている。
脳裏に浮かぶのは、あの日の光景。
そして――杉岡の言葉。
「エデン素は“意志”で動かせ。力じゃない、感覚でもない。“決める”んだ」
その言葉を何度も反芻しながら、慧は手のひらを見つめた。
微かに――空気が揺れる。
ほんの一瞬だけ、空間に歪みが生まれ、すぐに消える。
「……足りない」
小さく呟く。
これでは、戦えない。
これでは、生き残れない。
これでは――
「ヒーローになんて、なれない」
慧の瞳が、わずかに鋭くなる。
まだ足りない。圧倒的に。
三日後に控えた試験は、“遊び”ではない。
命を削る戦場だ。
そして、自分はまだ――その入り口にすら立てていない。
「……でも」
握りしめた拳に、力がこもる。
「やるしかねぇだろ」
その目に、迷いはなかった。
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二月十三日。
断罪執行機関本部。
巨大な建造物は、冬の曇天を背景に、無機質な威圧感を放っていた。
外壁は黒と銀で統一され、窓はほとんど存在しない。
まるで“感情”を排除したような、冷たい存在。
その正面入口に、慧は立っていた。
自動扉の前で一瞬だけ立ち止まる。
そして、迷いなく中へ足を踏み入れた。
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「……多いな……」
思わず漏れた声。
普段は静寂に包まれているはずのロビーは、まるで別世界のように騒がしかった。
人、人、人。
受験者たちが所狭しと集まり、それぞれの空気を纏っている。
ざわめき。
緊張。
殺気。
覚悟。
ただの雑踏ではない。
そこにいる全員が、「何か」を背負ってここに来ている。
年齢もバラバラだ。
十代の少年少女。
二十代、三十代の大人。
中には白髪交じりの老人もいる。
そして――
(子供……?)
明らかに小学生ほどの年齢の少年が、静かに壁にもたれていた。
その目には恐怖がない。
あるのは、冷たい決意。
(……普通じゃねぇな)
慧は目を細める。
ここに来る時点で、“普通”の人間などいない。
全員がどこか壊れているか、あるいは――
何かを守るために、壊れる覚悟をしている。
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受付カウンターへと歩み寄る。
無機質な女性職員が、淡々と書類を処理していた。
「受験します。名前は東雲慧です」
声は、驚くほど落ち着いていた。
「……確認しました」
端末を操作する音。
一瞬の間。
「受験番号30852に登録しました」
機械的な声で続ける。
「なお、この試験は遊びではありません。後戻りは不可能です。途中で後悔しても、当機関は一切の責任を負いません」
言葉に感情はない。
だが、その内容は重い。
“死”を前提とした宣告。
普通なら、ここで怯む。
だが――
「当たり前だろ……?」
慧は即座に返した。
食い気味に。
一切の迷いもなく。
受付の女性は一瞬だけ目を細めたが、何も言わずに次の作業へ移った。
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三十分後。
受付終了。
ロビーにいた全員が、自然と奥へと視線を向ける。
「こちらの扉からお進みください」
アナウンスが響いた瞬間。
ギィ……と、重い音を立てて扉が開いた。
暗闇。
その向こうに続く未知。
列がゆっくりと動き出す。
誰も言葉を発さない。
ただ、足音だけが静かに響く。
慧も列に加わり、扉をくぐった。
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すぐに現れたのは、地下へと続くエスカレーター。
照明は最低限。
薄暗い空間。
下へ、下へと沈んでいく。
その最中。
ふと、下の方から光が差し込んでいることに気づく。
(……?)
地下のはずなのに。
“光”がある。
それも――
自然光のような、柔らかい光。
エスカレーターが降り切る。
そして――
視界が、開けた。
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「……っ!!」
言葉を失う。
そこに広がっていたのは、常識を逸脱した空間だった。
巨大な空間。
果てが見えない。
床はすべて透明なガラス。
その下には――
“都市”。
ビル群。道路。信号。広場。
完全に一つの街が、足元に存在していた。
だが、人の気配はない。
動いているものもない。
ただ、静止した都市。
それなのに――
眩しいほどに明るい。
空はないはずなのに、まるで真昼のような光に満ちている。
(なんだよ……これ……)
現実感が薄れる。
ここが地下だという事実が、理解を拒む。
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「こちらをつけてください」
アナウンスが響く。
足元に、小型のデバイスが現れる。
腕時計型。
慧はそれを手に取り、装着する。
すると、画面が点灯。
『ジュンビチュウデス』
無機質な文字。
周囲でも次々と同じ表示が浮かぶ。
全員が装着を終え、広大な空間に集まる。
(こんな人数……!!)
改めて実感する。
数万人規模。
この中から――
三百人しか生き残れない。
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「ジュンビガカンリョウシマシタ。クロミツケンサヲシマス」
機械音声。
次の瞬間。
腕時計から微かな振動。
ツーーーーー……
一定の電子音。
一瞬、緊張が走る。
(来るか……?)
だが――
『クロミツ 0』
表示。
周囲からも同様の表示。
当然だ。
ここに来る時点で、そんな初歩的なミスをする者はいない。
(黒蜜が来るわけねぇよな)
もし侵入していれば――
この場で即座に殺される。
それを理解して来るほど、奴らは愚かではない。
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「シケンニツイテ、ルールヲウツシダシマス」
空中にホログラムが展開される。
全員の視線が集まる。
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『入隊試験ルール』
果てのない地下都市で生き残れた300名を合格とする。
地下都市には心喰を模した戦闘型AIを搭載した兵器が配置されている。
受験者同士の戦闘も許可する。
時計のボタンでリタイア可能。
ただし、リタイアしない場合の生死は保証されない。
1時間ごとに兵器を3体討伐しなければ強制脱落とする。
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沈黙。
誰も声を出さない。
だが、その内容は――
明確に“殺し合い”だった。
慧はゆっくりと息を吸う。
そして、吐く。
(やっぱりな……)
杉岡から聞いていた通り。
だが、実際に目にすると重みが違う。
(中には……いるんだよな)
頭に浮かぶ。
理由が“それ”だけの人間。
人を殺せるから来る。
快楽のために来る。
狂った連中。
(そんな奴らが……同じフィールドにいる)
拳が自然と握られる。
(もし――)
視線を巡らせる。
子供。女性。弱そうな人間。
(狙われたら……)
想像するだけで、胸の奥がざわつく。
そして――
決める。
(迷うな)
(守るために)
(ヒーローになるために……)
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「ソレデハスタートデス!」
(殺す……!!!)
機械音声が響いた瞬間。
世界が歪む。
視界が白く弾ける。
---
次の瞬間。
慧は――
ビルの屋上に立っていた。
強烈な光。
上から照らす巨大なライト。
影が濃く伸びる。
(始まった……!)
その瞬間。
ジ、ジ、ジ……
異音。
嫌な予感。
「――下!!」
反射的に身を引く。
直後――
ドォォォォン!!!
地面を突き破って現れる巨大なドリル。
コンクリートが砕け、破片が宙を舞う。
その中心から現れたのは――
モグラのような形状のAI兵器。
金属の体。
赤く光る単眼。
唸るドリル。
「いきなりかよ……!」
慧は後ろへ跳ぶ。
心臓が激しく鼓動する。
だが、恐怖はない。
あるのは――高揚。
「来いよ」
低く呟く。
視線をぶつける。
AI兵器が唸り声のような機械音を発する。
次の瞬間、突進。
地面を抉りながら迫る。
(速ぇ……!)
慧は横へ回避。
すれ違いざまに、手をかざす。
空気が歪む。
エデン素。
だが――
「ちっ……!」
発動が遅い。
まだ不完全。
(でも――)
口元がわずかに歪む。
「やるしかねぇだろ!!」
ーーー
場面は変わる。
暗いトンネル。
水滴が天井から落ち、一定のリズムで響く。
その静寂を――
無数のミサイルが破る。
轟音。
煙。
破壊。
その中心に立つ、一人の男。
刀を構えた青年。
その背後で――
巨大なサイコロが回転していた。
カラカラカラ……
そして――
「2」
止まる。
消える。
次の瞬間。
男が動いた。
一直線に、ミサイルの嵐へ。
「……はっ」
軽く息を吐く。
そして――
斬る。
一刀。
ミサイルが真っ二つに裂ける。
爆発。
だが、その爆風すら踏み台にして加速。
二刀。
三刀。
四刀。
斬るたびに速度が上がる。
人間の領域を逸脱した動き。
「――遅い」
呟く。
次の瞬間。
視界から消える。
AI兵器のセンサーが追いつかない。
処理が間に合わない。
そして――
背後。
一閃。
首が宙を舞う。
金属音。
崩れ落ちる巨体。
静寂。
男は刀を振り、血の代わりに付着した油を払う。
「1体目……」
淡々と。
「運が良かったかな……」
そう言いながら、刀を納める。
その手の甲には――
サイコロの刻印。
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『受験番号 00012
橘 蒼生』
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彼は振り返ることなく、暗闇の奥へと歩き出した。
まるで――
この試験が、ただの通過点であるかのように。
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試験は、始まった。
命を削る、地獄の選別が。




