第8話:ある準備
ムザは周囲の自然の様子を眺めていた。高い草の陰から跳ね回るバッタ、あちこちを行き来する森の猫、空で何度も円を描く鷲。
雲を割って果てしなく広がる空を見上げ、ムザは飛行機のように両腕をはばたかせると、高い草むらへ走って飛び越えた。口元の端が、少しずつ上がり始めた。
養い子のそんな様子を見て、ジョルダは首を振るしかなかった。ムザはやはりムザだ。あの振る舞いの裏でも、まだ子どもなのだ。
「さっきまで膨れっ面じゃなかったか?」
「誰が言ったんだよ」
「……それでムザ、ジンが何なのか、まだ気になるか?」
「うん、で、何なの?」
「おじさんが毎晩話していた話を、まだ覚えているか?」
ムザはうなずき、叔父の顔をじっと見つめた。
「昔、神々が空の上に住んでいたことは覚えているな?なら、海に住むのは誰だ?」
「そう、ジンだ。全部がそうとは限らんが、あいつらはそこから来たんだ」
「じゃあ、なんで昨夜、村の人たちが隣の村がジンに襲われたって言ってたの?ジンは海にいるんじゃないの」
「いい質問だ、坊主。畑のネズミとヘビみたいなものだと思え。そばにヘビがいたら、ネズミは出てくる勇気があるか?で、そのヘビが死んだらどうなる」
「それってどういう意味?わかんないよ、おっさん」
「神がヘビで、ジンがネズミだ。わかったか、この生意気なガキ」ジョルダはそう言って、足でムザの尻を蹴った。
ムザは眉をひそめた。困惑したからではなく、新しい疑問が頭に浮かんだからだ。好奇心を抑えきれず、また尋ねた。
「ヘビが神、ネズミがジン、畑が陸地なら、人間は庭師ってこと?」
頬をかきながら、ジョルダは喉を整えるように咳払いした。実のところ、でたらめな例えを持ち出して、子どもの前でかっこいい叔父を気取っているだけだった。
「えーっと……人間か?ああ、ああ、人間もそんなところだと思え。それにしても、お前、そんなに知りたかったのか」
ムザは首を右にかしげて考え込んだ。頭の中で線をつなぎ、食物連鎖の輪を描き始めた。
二人は木の幹でしばらく休み、折りたたんだ布から弁当を取り出して、鳴り始めた腹を満たした。
「じゃあおじさん、結局、陸にいるジンって何なの?神がもう境界になってくれないから?」ムザはパンとゆで卵を一口ずつ食べながら言った。
「そうだ。それが結局の真実だ」
「でも待って、おじさんはどうして全部知ってるの?」
「俺が神だから知ってるんだ、と言ったら信じるか?」
「はいはい、信じるよ。ほんと」
ジョルダは笑いながら何度か地面を叩き、ため息をついて空を見上げた。「そんなわけがあるか。俺が毒蛇になるなんて。あいつらみたいに」
荷物をまとめて、目的地まであと少しの道のりを再び歩き出した。丘のふもとが、もう肉眼ではっきり見えていたからだ。
山のふもとに着くと、ジョルダは荷物を地面に下ろし、振り返って、全身汗だくのムザを見た。
ムザがぐったりした足取りなのを見て、ジョルダは、これからの訓練の一部として立てていた計画を取りやめたくなった。
だが指を強く握りしめた。ムザをこんなふうに弱い子として扱い続ければ、ヒンディア大陸を一人で歩くとき、危険になるとジョルダは知っていた。
だから覚悟を決め、ムザに言った。
「坊主、俺は上で待ってるぞ。荷物を忘れずに持ってこいよ、へへ……じゃあな」ジョルダは少しためらいながら、手を振った。
ジョルダは周りの木々の上へ跳び上がり、素早い足取りで姿を消し、ムザを一人残した。
「おい、待て……待てよ、ひげおやじ――」息を切らしながら、それがムザの残した最後の言葉だった。
ムザは疲れ切った体を地面に横たえ、梢から落ち始めた葉をぼんやりと見つめた。
「まったく、あの年寄り、よくもぼくをこんなところに置いていけたもんだ」
「だいたいぼくは道もわからないのに、何かあったらどうするんだよ?……あ、でも待てよ」
「さっき、木に跳び乗った?あんなに高いのに?しかも消えた。うわ、まさか本当に神なんじゃ」
「いやいやいや、神がひげ面なわけないだろ、まして、あの振る舞いで」
「ああ、もういいや」
ムザは、自分の長い文句は誰にも聞かれていないと思っていたのかもしれない。だがはるか上で、枝にもたれていたジョルダには、それがはっきり聞こえていた。
不機嫌な顔をこらえようとしていた。
ムザはゆっくりと起き上がり、慌てることなく周囲を見回して、安全に通れそうな道筋をいくつか確かめた。
それから、叔父が落としていった荷物を手に取った。布できちんと巻かれたままだった。
軽い気持ちで手で持ち上げようとしたが、それはびくともしなかった。
そこで両手でもう一度、力いっぱい試すと、荷物はようやく少しだけ持ち上がった。「うわ、本当にぼくを今すぐ殺したいのかよ」
最初の試練が始まった。足を震わせながらも、ムザはゆっくり、だが確実に、丘のいくつかの道筋の一つを登っていった。
何度か試したあと、ムザは一度の休憩ごとに、木20本分しか登れないとわかった。そこで休んだ。
これではあまりにも無駄で、不可能だと思い、しばらくして彼は、ただやみくもに体力を使い果たすよりも、効率のいい方法を考え始めた。
周囲を観察していると、ようやく一つの考えを思いついた。ムザは丈夫な枝を何本か拾い、荷物を包んでいた布をその枝に巻きつけた。
それをゆっくりと肩に担ぎ、荷物の重さを釣り合わせる支えにして、たった今のやり方で再び登り始めた。
その結果、一回の休憩で進める距離は、100本分以上のびた。だが、これと同じことを何も変えずに続けるだけでは足りない。山頂に着くまでに5日かかってしまう。
太陽は少しずつ傾いていった。ムザはまだ解決策を探して考え続けていた。食料は、この先5日も持つはずがないからだ。
力を蓄えているとき、ある考えが頭をよぎった。村にいたころ、叔父が畑で土を耕していた光景を思い出したのだ。鍬を一振りするごとに、息を一つ。
呼吸。誰も重要だとは思わないかもしれないもの。だが今のムザの状況では、それは、息の供給をうまくやりくりする方法の一つだった。
これまでムザは、いつも適当なタイミングで一回ずつ息を吸っていたせいで、空気を無駄にしていた。
彼は、右足を地面に踏み出すときに息を吸うという調子を試し始めた。ムザは肺にかかる重い負担が軽くなっていくのを感じ、一回の登りで進める距離は、木500本分を越えるまでになった。
ムザは喜んで叫んだ。「誰ができないって言ったんだよ、ひげおやじ!見たか?」
上にいるジョルダは、その子が成長していくのを見て微笑んだ。日はまもなく暗くなろうとしていた。
「試練は、これからが本番だ。生きるか死ぬかは、お前の選択にかかっている……ムザ」ジョルダは、強い酒を飲みながら、自分に向けてつぶやいた。
ムザは今、かなり大きな岩にもたれながら、弁当を食べていた。丘の空気は、時間がたつごとにますます冷たくなっていった。
コオロギの鳴き声が互いに呼び交わし始め、続いて種類のわからない獣の遠吠えがいくつか響いた。
だが休憩のさなか、ムザは目の前の茂みを何かが通り抜ける音を耳にした。
すぐに立ち上がり、鋭い目つきでそちらを見据えた。
「おっさん……そこにいるのか?」ムザはそう言いながら、そちらへ歩み寄った。
返事はなかった。ムザは、地面に散らばった枝を一本も踏まないよう、慎重に足を運んだ。
一歩、また一歩と、茂みの前まで来ると、ムザはゆっくりと隙間の一つからのぞき込んだ。
目の前のものを見た瞬間、ムザの目は大きく見開かれた。それは、これまでの人生で一度も出会ったことのない生き物だった。
それはテナガザルだった。奥深い山々にしか生息しない猿の仲間だ。
その動物は傷を負っていた。腕と肩からは血がにじみ始めている。ムザはすぐに、地面にぐったりと横たわるテナガザルのもとへ駆け寄った。
ムザは動物の腕を自分の首に回し、抱きかかえるようにして背負い、さっき休んでいた場所へ戻った。
叔父にもらった小さな袋を開けたが、包帯も薬草も見つからず、あったのは、削って鋭くした虎の爪が一つだけだった。
ほかに道具がないので、ムザはその爪を取り、草や葉、周りの木々から垂れ下がる根のつるを、ゆっくりと切り集めた。
テナガザルの傷をよく見ると、腕のあたりに大きな爪痕がいくつもはっきり残っていた。ムザは葉と草を傷に当てて血止めにし、はがれないように根のつるで縛った。
日はすっかり沈み、周囲は真っ暗になった。そこでムザは枝をいくつか集め、休む場所の真ん中に置いた。
そして爪を木くずに擦りつけると、火花が枝に燃え移り、ムザは簡素な焚き火を作り上げた。
意識を失っていたテナガザルは、ゆっくりと目を開け、虚ろな眼差しでムザを見つめた。
「何だよ?なに人の顔見てんだ」
「ウア、ウア、ウア」猿はそう言った。
「は?何言ってんだお前」
ムザはゆっくり近づき、動物の隣に座って、岩に背をもたせた。テナガザルは、ほかの動物と同じようにひどく警戒していたが、なぜかムザの存在が危険なものには感じられなかった。
猿は張りつめていた筋肉をゆるめ、ムザが隣に静かに座るのを許した。いきなり襲いかかってくるのではないかと怯える必要もなかった。
「ウア、ウア、ウア?」
「ウア、ウア、ウア、ウア、ウアーッ!!!」
「……お前、黙れないのか?だいたい、お前が何を言ってるのかぼくにはわからないんだよ、いいな?」
「だいたい、お前は休んでなきゃだめだろ。怪我してるんだから」
「ああ、何でわざわざ教えてるんだか。どうせこいつにはわからないだろうに」ムザはつぶやき、疲れた体のせいで、ゆっくりとまぶたを閉じていった。
ムザはその場で眠りに落ち、隣の猿は、なおも警戒を解かず周囲を見張っていた。
夜の闇と冷たい空気の向こうから、燃えるような赤い目が二人を見つめていた。グルル。
二人は、迫りくる危険に気づいていなかった。




