第4話:南の海の女王
鋭い音を立てて壊れた柱がきしみ、続いて風が帆布をはためかせた。さっきまでの戦いが嘘のように、なぜか急に静まり返っていた。
何体かのジンは、仲間たちがたった一太刀で首を落とされるのを見て、恐怖に立ちすくんでいた。
バティンを開いた反動で霊力を使いすぎたジョルダは、激しく血を吐いた。
ジョルダはゆっくりと下りていき、まだ立ち上がろうとしているリオのもとへ歩み寄った。
「お前、誰だ?……本当に、僕の知ってるジョルダなのか、この野郎」
「少し黙ってろ、血を流しすぎだ」
ジョルダを手伝っていた二人の漁師が、ようやく布を持ってふたりのもとへやって来た。
ゆっくりと、切り落とされたリオの腕を布で縛って、止血の手当てが始まった。
リオは耐えきれず、苦痛の叫びを張り上げ、何度も左手でそばの木樽を殴りつけた。
外の騒ぎを聞きつけて、部屋の中に隠れていた者たちが、ついに使い物にならない武器を手に外へ出てきた。
椅子を持つ者、釣り竿を持つ者、木の箒を持つ者もいた。
そのうちの一人が、緊張した面持ちでジョルダに近づいた。
「あいつら、も、もう行ったのか、ジョルダ?」
「……お前、目が見えないのか?上を見ろ」
「手伝う気があるなら、せめてあいつらを一体でも殺せ」
「おい、聞いてるのか?」
返事がないので、ジョルダはようやく視線をその男へ向けた。だが、そこにあったものはもう人間とは呼べない、あるいは半分だけ人間と呼べるものだった。
巨大な蛇が先ほどの漁師の体を呑み込み、下半身と肋骨、内臓だけを、ジョルダの目の前にさらけ出していた。
ジョルダは反射的に顔を上げた。
蛇の頭の上に、一つの影が立っていた。杖を手にした緑のドレスの女で、髪にはジャスミンの花が連なり、その花々が気味の悪い長い舌を出していた。
「さっきの強い力はどこから来たのかと、本当に不思議に思っていたのよ。部下の体が散らばっているのを見ると、犯人はあなたのようね」
「だ、だ、誰だ!?」ジョルダは、まだ震える手で問いかけた。
「妾が誰か?ふふ」女は優雅にそう言いながら、一歩ずつゆっくりと宙から降りて、ジョルダに近づいてきた。
「南の地の支配者、海の女王キドゥラ――」
そのジンが言い終える前に、ジョルダは稲妻のような速さで鉈を振り上げ、ジンの背後に回って首を斬ろうとした。
だが、目の前にいるのが誰なのかを見極めなかったジョルダの軽率さだった。
ジンは難なくかわし、ジョルダの顔を力いっぱい平手打ちした。ジョルダは吹き飛び、船の柱の一本にぶつかって、それをへし折った。
「今の人間は礼儀も知らないのかしら?それに、あなたを殺したところで、妾の霊力を無駄に使うだけよ」
「だから、まず最初に訊くわ。この海域で、人間の赤ん坊が漂っているのを見なかった?」
ジョルダは頭を押さえた。頭蓋骨にひびが入ったようで、柱にぶつかった衝撃で肋骨も何本か折れていた。
「赤ん坊?何の話だ」ジョルダは痛みに顔をゆがめながら言った。
「あら、まだ言う気がないの?」
キドゥラが指を鳴らすと、激しく降っていた水がぴたりと止まり、ゆっくりと一つの大きな水の球に集まり、彼女の意のままに形を変えて三叉槍になった。
詠唱もなしに、水の三叉槍は凄まじい速さで飛び、ジョルダの頭のすぐ横でぴたりと止まった。
それを見たジョルダは、目の前にいるジンが何者なのかに気づいて愕然とした。
詠唱もなしに霊力を放つ存在がいるなど、ジョルダには信じられなかった。
「おい、本当に何の話かわからねえんだよ、この野郎!」
「赤ん坊を探してようが、何を探してようが、俺は知ったことじゃない。俺たちはただの……漁師だ」
「漁師?何体ものジンをこんなにたやすく殺せる漁師がいるなんて、初めて知ったわ。まあいいわ、あなたの頭の中を調べさせてもらうから」
キドゥラは風のような速さで、いつの間にかジョルダの首を締め上げ、宙へ持ち上げていた。ゆっくりと、ジョルダの意識と記憶が一つずつたどられていった。
その赤ん坊に関する情報を探したが、見つかったものはまったくなかった。
それでもキドゥラは強引に、ジョルダの魂を削りながらさらに深く掘り下げ、ついにバティンの核の中へ入り込んだ。
キドゥラは、そこにあった影を目にして驚いた。強大な霊気が彼女をジョルダの意識から弾き出した。
「だ、だ、誰なの!!!」
ジョルダの体の背後に、キドゥラと同じほど強い圧をまとった影が現れた。その謎の影は、杖の影でキドゥラを指し示すだけだった。
「去れ、南の女王よ。この者はお前とは何の関わりもない!」謎の影は、ひどく重い声でそう言った。
影はそう言うと、すぐに消えた。ジョルダは、自分自身の意識に戸惑ったままだった。
やや感情を揺さぶられたキドゥラは、首を締める手の力をゆるめ、ゆっくりと立ち去りながら、部下たちにも退くよう命じた。
だが、姿を消す前に、彼女は一言だけ言い残した。
「遅かれ早かれ、次に会うときは、どちらかが死ぬわ、人間、ジョルダ」
その瞬間、嵐も雷も消え去り、キドゥラの影はゆっくりと海の底へと沈んでいった。
霊力を使いすぎ、体ももう限界だったジョルダは、その場で気を失って倒れた。温かい太陽の光が顔をやさしく迎えるのを見たのを最後に、目を閉じた。
日々が過ぎても、ビラ村の様子は、行き交う漁師たちでにぎわったままだった。そのとき桟橋にいたキラナは、そこから見慣れた船の影を目にした。
キラナの目に、船体が一部壊れ、柱が倒れ、帆布が何枚も裂けている様子が見えた。
しばらく待ったあと、船はようやくそこに停泊し、何人かの漁師が家族の姿を見て、感極まって泣いていた。
先の戦いに加わった二人の漁師が、意識を失ったリオとジョルダを担ぎ出した。見知った二人が意識を失っているのを見て、キラナは口を手で覆うしかなかった。
気になった村人たちは、ゆっくりと慎重に船へ上がったが、肉片と血があちこちに散らばっているのを見て、ひどく驚いた。
何人かの漁師の家族は、船の上に家族の亡骸を見つけ、ただ泣き叫ぶしかなかった。
ビラ村の村長を含む何人かの長老たちが現場に到着し、負傷者たちを奥地の近くにある小さな祠へ運ぶよう人々に命じ、水を持ってきて船の端から端まで振りまいた。
週が過ぎていき、ついにジョルダは、周りで鳥がさえずる声を耳にして目を開けた。
全身に包帯が巻かれているのを見て、ジョルダは横を向いた。もう海の上にはいなかった。
周囲には巨大な木々がそびえ、太い幹が、自然の石でできた建物の群れに影を落としていた。
その建物は、見慣れない配置で建ち並び、石の塊で築かれた古い家々のようで、長いあいだ森の真ん中に隠されていたかのようだった。
「目が覚めたのね?」
ジョルダは、その優しい少女の声にびくりとして後ろを振り返った。だが体は正直で、ジョルダはまだ痛む頭を押さえた。
「休んでいて、無理しないで。今、あなたは祠にいるのよ」
「……ほかの連中はどこだ?」
「リオは1週間前に意識を取り戻したわ。でも、助かった人たちは、みんな死んでしまって――」
「何だと!何があったんだ?」
キラナはゆっくりと、温かいハーブティーとパンをジョルダの前に置き、沈んだ眼差しで隣に座った。
「まずお腹に何か入れて。あなたは3週間も意識がなかったのよ」
ジョルダはすぐにパンにがっついて平らげ、お茶を飲んだ。口の周りにこぼれるほどだった。
3週間が過ぎたせいで、空腹が一気に爆発した。
「最初は、船を操っていた二人が、あなたたち二人と、生き残った漁師3人を連れてきたの」
「でも、なぜかその5人は、日がたつごとに具合が悪くなっていって」
「村の長老たちの薬や薬草も与えたけれど、結局3人は、体がどんどん痩せ細って亡くなったわ」
「残りの二人は、4日前に、目から血を流して亡くなったの」
ジョルダがすすっていたお茶は、口から噴き出した。それを聞いて、ジョルダはただ胸を強くわしづかみにするしかなかった。
結局のところ、ジョルダが受け入れた事実は、自分の力だけでは全員を救うことはできなかった、ということだった。
「……」
キラナは、ますます虚ろになっていくジョルダの眼差しを見て、ゆっくりとジョルダの手にそっと触れた。
「そんな態度をとらないで。人が生きるか死ぬかは、いつもあなたの肩にかかっているわけじゃないのよ」
それを聞いたジョルダは、ただそばにある自分の鉈を見つめるしかなかった。数年前、武人として失敗したことを思い出しながら。ジョルダは心の中でつぶやくしかなかった。「俺は、失敗してしまった」。
ジョルダが出されたものを食べ終えると、キラナはジョルダとの距離を縮め、口を開いた。
「それと、もう一つ伝えたいことがあるの」
「……何だ」
「あなたが目覚める前に、今朝、村人たちが浜辺の近くで流れ着いた赤ん坊を見つけたの」
ジョルダはキラナのほうへ目を見開いた。同時に、あのとき船の上で聞いたキドゥラの言葉の記憶が頭を駆け抜けた。
ジンたちの顔や、漁師の体の半分を呑み込んだ蛇が、記憶の現れとなって目の前に浮かび、ジョルダの心は一瞬揺さぶられた。
ジョルダは不安に満ちた顔で、慌てて尋ねた。
「その赤ん坊はどこだ!!」
「どうしたの?」
「早く言え!!」
「村長の家よ。リオもそこにいるわ――」
ジョルダは前置きもなく鉈を手に取ると、そのまま一気に駆け出し、包帯だらけの体のまま、その建物の小さな階段を駆け下りていった。
そのときジョルダの頭にあったのは、ただ一つ。
あの存在が、この村に向かってきませんように、ということだった。




