第四話 根
種花を埋めた畝は、芽が出るまで誰かが見ていないといけない。
「夜は二人で分けよう」
「うん」
「前半はわたし。あんたは後ろ半分」
筵を敷いて、二人で並んで座った。
姉は膝を立てて、そこに顎を乗せている。
「姉さん。芽が出たら、どうするの」
「出ていく」
「どこに」
「どこでもいい。ここじゃないとこ」
姉は山のほうを見なかった。
見ないようにしているのが、横顔でわかる。
「姉さん」
「なに」
「母さんは、もう、なにも拭かなくていいんだね」
「……そうだね」
「……うん」
花の匂いが濃い。
水をやったあとでもないのに、濃い。
瞼が、下からも上からも重くなってくる。
「なずな。先に寝ていいよ」
「……うん」
*
どれくらい経ったのか、わからない。
隣で人が立ち上がる気配がした。
筵の端がめくれて、戻る音。
姉さん、と呼ぼうとしたのに、口が開かない。
目も開かない。
誰かが上から瞼を押さえているみたいに、開かない。
夜の風が冷たい。
体を丸めて、腕で膝を抱えた。
冷たいものが、足首に触れた。
根だった。
足首に巻きついた。
膝に巻きついた。
手首を取られて、筵に押しつけられた。
目が開いた。
トヨ婆さまが、立って見下ろしている。
指が伸びてきて、眉の骨をなぞる。
それから頬、顎、首。
土のついた指だった。
「婆さま」
「よう肥えとるのう。人のもんは、やっぱり違う」
「離して」
「お前の姉さんがな」
婆さまは腰を曲げて、顔を近づけた。
「とうに、お前をわしに差し出しとるのよ」
腕に力が入らない。
花の匂いが濃かったのは、そういうことだ。
声を上げても、村の女は誰も来ない。
来ないほうがおかしい。
みんな、知っている。
根は、もがくほど締まる。
皮に食い込んで、先が肉の中へ入ろうとする。
あたしは暴れるのをやめた。
手首を巻いている根の外側に、棘が並んでいる。
下向きに、一列。
手首を、そこへ押しつけた。
痛みは遅れて来た。
血が、根と皮のあいだに溜まる。
根が吸う。
畝の土があたしの血を吸って乾いたときと、同じ速さで吸う。
吸ったところから、巻きがゆるんだ。
右手が抜けた。
婆さまは、あたしの顔をもっとよく見ようとして、身を屈めていた。
近い。
右手の指を二本、婆さまの両目に入れた。
深く入った。
指の付け根まで押した。
婆さまが仰け反って、畝に倒れる。
声が、村の屋根を越えていった。
*
村中に火が点いていた。
松明だ。
村に竈はないのに、松明はある。
女たちは松明を持っている。
持っているのに、誰も柄の上を見ない。
腕をいっぱいに伸ばして、顔から遠ざけたまま歩いている。
着ているものは、ほとんどない。
寝床から出たまま走ってきたのだろう。
裸足の裏が、石を踏んで白く汚れている。
「葉山の小娘が、村長の目を潰した」
「どこへ行った」
「薬は飲ませたんやろ」
「飲ませた。飲ませたのに逃げよった」
「探せ。花畑には近づけさせるな」
あたしは納屋の陰にいた。
戸に、去年の注連縄が半分だけ残って垂れている。
前の道を松明が来る。
後ろは、壁と壁のあいだの隙間だ。
肩が入るかどうかの幅しかない。
入れば、途中で挟まる。
入らなければ、角を曲がってきた女たちに見つかる。
足元で、板が鳴った。
壁の下の、地面すれすれのところが内側へ開いた。
その奥は暗い。
手が出てきて、あたしの足首を掴んだ。
「声、出さないで」
姉の声だった。
*
引き込まれて、板が閉まる。
土の匂い。
上を人が走る音が、頭のすぐ上で鳴っている。
暗くて、姉の顔は輪郭しかわからない。
姉はあたしの手を取った。
両手で包んで、指を一本ずつ確かめるように握る。
冷たい。
姉の手は、いつも温かかった。
それから姉は、あたしの腕を持ち上げて、袖の内側に鼻を近づけた。
肩のところ。
首のうしろ。
胸のあたりまで下りて、また首へ戻る。
犬の嗅ぎ方だった。
「……傷、ない」
姉は息を吐いた。
吐いてからも、手を離さない。
「根に、やられたんじゃないの」
「手首だけ」
「見せて」
姉はあたしの手首を暗いほうへ持っていった。
見えるはずがないのに、しばらく見ている。
「痛い?」
「痛くない」
「嘘」
「……ちょっと」
姉はあたしの袖の端を裂いて、手首に巻いた。
結び目を二度、締め直した。
「わたしが離れたあとに、婆さまが来たんだね。
花粉を焚いたんだと思う。吸うと、体が利かなくなるやつ」
「姉さん」
「なに」
「姉さんは、どこに行ってたの」
姉は答えなかった。
代わりに、笑った。
「ねえ、なずな。わたしの顔を見て、逃げないの」
「え」
「これ全部、わたしが仕組んだとは思わないの」
「思わない」
「どうして」
「姉妹だもん」
姉の息が止まった。
止まったのが、握っている手から伝わってきた。
「床下を見てこい」
頭の上で声がした。
「走って」
姉があたしの手を引いた。
抜け道は狭くて、低い。
腰を曲げて走る。
足元が濡れていて、何度も滑った。
壁に手をつくと、土が爪のあいだへ入ってくる。
息の音が、耳の中で鳴っている。
「姉さん」
「まだ喋るの」
「手、冷たいよ」
「知ってる」
「前は、温かかった」
「……走って」
「姉さん。どこに行くの」
「村の外」
「外に出る道が、あるの」
「昔の人が掘ったんでしょ。逃げた人がいたってことだよ」
「逃げた人は、どうなったの」
「知らない」
姉は手を離さない。
離さないまま、あたしより速く走る。
壁の、胸くらいの高さに、爪で引っ掻いた線が並んでいた。
走りながら数えた。
十七本まで数えて、角を曲がった。




