9 疲れを吹き飛ばすには
キーンコーンカーンコーン
正午のチャイムが鳴った。
俺は現在、中庭のど真ん中に大の字に倒れて空を見ている。背に感じるグラウンドは、とっくに整備された頃の様な平たさは消え去って至る所がボコボコに変化していた。
体はもう立ち上がる気力の一切を無くし、次の攻撃を抵抗なく受け入れようとしているところだった。
「お、正午か。」
「……へぁ、ひ、昼すか?」
拳を構えていた尖さんは、何てことないかのように髪を払いのける。爽やかに汗を払っているが、その手には血が所々ついている。全部返り血だ。俺の。
尖さんは様々な特訓を俺に課した。
体育倉庫の中に入っていたありとあらゆる道具を使って俺を鍛えた。
ある時は尖さんが凄い勢いで投げてくるボールを全て避ける特訓(もちろんだが、ロクに避けれなかった)。
ある時は尖さんが凄まじい勢いで行う反復横跳びの回数を正確に数える特訓(残像が一つの塊になって見えた。数える以前の問題だ。)。
そして最後に、小細工無しの殴り合いバトルだ。
正直、俺のこの腕で尖さんを殴ることに最初は躊躇していたが、尖さんの拳を一度受けてみるとその考えが確実に誤りだったことを体で理解させられた。
尖さんの拳はとにかく速く、重い。
尖さん自身の機動力の高さも相まって、その威力は正しく殺人級だ。肌を掠めるだけで血が出た時は、この人の拳は鉄で出来ているんじゃないかと錯覚するほどだった。
多分銃刀法で規制されるぞ、あの拳は。
一度モロに受けてしまった時は、本当に一瞬だが視界が真っ白になって気絶一歩手前の状態にまで陥ってしまった。
しかも衝撃だったのが気絶しかけた俺を起こした際の尖さんの一言だった。
『すまない、手加減はしているんだが…』
アレで!?手加減!?冗談じゃない。死ぬぞ俺は。
だが現在、俺は何とか正午までを生き抜いた。
感動なら何やらで涙が出てくる。上空の太陽が眩しかったが、だんだん滲んで見えにくくなる。
「お疲れ様広斗。今日はもう終わりだぞ。」
「………っす。」
「手当てしてやろう、立てるか?」
「……無理。」
「よし分かった。」
大の字に寝ていた俺の胴体を起こしてから、どこか手慣れた手つきで尖さんは俺を背負う。
「このまま保健室に行こうか。」
「…保健室?」
「あるんだよ、今から行くから道順は覚えておくといい。」
「……はい、わかりゃした…」
年上の女性に背負われているという、友人に見られたら腹を抱えて笑われそうな有様だが今の俺には何も出来ない。お腹も空いて力が出ない。
俺を背負いながら尖さんは石の階段に置いておいた俺の上着を回収して中庭を出る。
そういえば、グラウンドを走り回ったせいで靴が酷く汚れてしまった。
戮力荘内は土足だから汚れてしまわないか心配だったが、中庭に続く通路にはベンチとタオルが手すりにかけられてあり、尖さんは俺をベンチに降ろしてタオルで俺の靴を拭いてくれる。
本当に恥ずかしいとかそういう感情も湧かない。疲れた。休みたい。ご飯食べたい。
自分の靴も拭き終えた尖さんは、また俺を担いで歩き出した。
着いた先は扉に可愛らしいプレートが下げられた部屋だった。
プレートにはデフォルメされた女の子と一緒に
『♡ほけんしつ♡』
と丸みを帯びた可愛らしい字で書かれていた。
誰だ書いた人。
いや分かるけど、ふわりさんだろ、これ?なんでこんなふざけたんだ。
どうやら両手が塞がっていることを見越して作られたのか扉は自動ドアのようで、尖さんが前に立つとそのまま小さい音を立てて扉が開く。
中は本当に学校にあるような保健室だった。白い清潔そうなベッドがいくつか並んでいて、これまた白い棚には薬が詰まっているのがガラス越しに見える。
一番近いベッドに俺を降ろしてゆっくりと寝かせる。
「擦過傷に打撲痕…後は…痣…」
ぶつぶつと独り言を言いながら尖さんは戸棚を漁る。
暫くするとお目当てのものは見つかったようで、何個かの薬や包帯、コットンをドカドカと持ってきて、ベッドの横にある机に置く。
その後に何故かバケツに水を入れて、いつの間にか小脇に抱えていた真っ白なタオルと一緒に持ってくる。
「一旦、傷を水で綺麗にするぞ。」
「あ、あ…そっすね。」
バケツのなかにタオルを潜らせてから絞り上げる。
…この人の本気に耐えられるタオルは、この世に存在するのかな。
バカみたいな事を考えていると、尖さんは俺を起き上がらせて体中の傷を遠慮なく拭く。顔も容赦なくゴシゴシと拭かれていく。優しい手つきだが少し水が染みる。
「染みると思うが耐えてくれ。」
「…尖さんに殴られた時の方が痛いと思うんで、余裕で耐えれます。」
「はは、すまないね。」
俺の言葉に少し苦い顔をしながら尖さんは遠慮なく拭き続ける。
一通り拭き終えたらしく、バケツにタオルを入れると机の上の消毒液とコットンを手にとる。
「今度こそ本当に染みるぞ?」
「…余裕な気がします。」
「そう言われると殴った甲斐があるな?」
笑いながらコットンに消毒液を染み込ませて、俺の顔に出来た傷口にあてがう。
「〜っっつ。」
「無理することないぞ。左右は傷を水で洗った時点で泣き喚いて逃げ出そうとしていたからな。」
「……もしかして、左右にもこれしてたんですか?」
「これ…と言うか、今君にしたことは左右にもねおんにもしたぞ。」
「え"っ、ねおんさんにもしたんですか?」
朝見た彼女もこんな死地を潜り抜けてきたと思うと、年下とか関係なく尊敬の念が湧いてくる。
「なんなら、ねおんは一番筋が良かったな。小さい頃から新体操を習っていたらしいからか、体の使い方が分かっていたようでな。私も一番戦いがいがあったよ。」
「へぇ…凄いなあ…」
俺も、走ることだけなら体に染み付いてるんだけどな。
「まあそれでも、君が一番傷が少なかったな。」
「これでですか!?」
体中ボロボロでもう立てない位なのが一番マシ?
もう死んでんじゃないのかそれ以上って。
「ほーら、一番デカい切り傷に当てるぞ〜」
「なんでわざわざ言うんですか…あでででで!!」
他で使っていたよりも一段と大きなコットンが、腹にできた傷にぐっと押し当てられる。
なんとも言えない嫌な感じと純粋な痛みが一斉に襲ってくる。痛みが引ききらないうちに細長く大きな傷口に合わせた形の絆創膏を張り付けられる。
「……よし、終わったぞ。」
「ありがとーごさいましたあ……」
ヘロヘロで口がうまく回らない。今寝たら多分もう二度と起き上がれない気がするので、気合で起きることにする。
「うし、じゃあご飯にしようか。もう用意して貰ってるぞ。」
「えぇ〜やったあ……」
心底嬉しいが、喜ぶ気力もない。その様子を察してくれたのか、尖さんは俺に上着を着せてまたおんぶしてくれた。
「ご飯を食べるまで寝るなよ?」
「大丈夫です…お腹すきすぎて痛くなってきたんで…眠くないです。」
「それは……良くないな?」
俺の返事を聞いて、尖さんは少し早足に保健室を出る。
もうなんだか尖さんの背中に慣れてしまって、安心感すら湧いてくる。
ダイニングに着くとふわりさんと左右、それと見慣れない薄紫色の髪の青年がいた。
「おーおー!また派手にやったね〜尖ちゃん。」
「おっ疲れ様、広斗!ほら飯だぞ!」
「ふわりさんお手製のスタミナ丼ですって、出来立てですよ。」
こちらを見てにこやかに笑う青年の言う通り、ダイニングテーブルの上にはほかほか湯気を立てる大盛りのスタミナ丼が置いてあった。
中央に乗せられた卵黄が眩しく輝いているようだ。
「おっ、おおぉ…」
「ゆっくり下ろすぞ。」
左右が下げてくれた椅子に座ってスタミナ丼と向き合う。
めっちゃ美味しそうだ!
玉ねぎはよく炒められた飴色で、肉は均等に熱が通っているようでいい匂いを発している!散らされたネギもソースを十分に纏っていて目から旨味が伝わってくるかのようだ!
「はっ、箸…箸を…」
「はいどうぞ。」
青年が箸を渡してくれるや否や、俺は勢いよくいただきますをしてから卵黄を箸で潰して肉ごと米を掴み、口に入れる。
「〜〜!うまああ!!」
「噛まないように食べるんだよ〜」
「ふっ、は、はい!」
うまいこれ!
柔らかい肉!玉ねぎの甘み!ほのかなニンニクのアクセント!ネギの旨味!米!そしてそれらを包み込む卵黄の美味しさといったら!
完璧だ…世界にはこんなうまいものがあるのか…!
「ぐずっ……うまい……」
「広斗、しょっぱくなるぞ。ほら、拭け。」
「ありがとうございます…ありがとうございます…」
尖さんがティッシュを何枚か渡してきた。
ちょうど鼻水のせいで鼻呼吸ができなくなってきた頃合いだったから、ありがたい。涙を拭いてから鼻を全力でかむ。かんだティッシュは左右が持ってきてくれたごみ箱に入れた。
至れり尽くせりとはこの事だろう…ありがてえ…
あっという間に俺はスタミナ丼を食べきってしまった。
「っ、ごちそうさまでした!!」
「ははは、そんな勢いよく言われると照れちゃうなあ〜」
ふわりさんがいつも以上に嬉しそうに笑う。そうは言ってもこのスタミナ丼は世界一うまかった。
「ふわりさん。あなたは最高です。」
「えぇ~やった〜」
ふわりさんの両手を包み込むように握ると、顔を赤らめて笑う。
「作りがいがあるってもんだよ〜」
「分かるぜ広斗…これ世界一うまいよな……」
「分かるよ左右…世界一だ……」
「共鳴してるね…」
どこか呆れたように青年が笑う。
「……えっとその、一ついいですかね…」
「どしたの〜?」
先程から当たり前のように会話に馴染んでいた青年に手を向ける。
「彼……誰ですか?」
手を向けられた青年は特に驚くことなく説明をする。
「この姿で会うのは初めてですもんね。改めまして、法霊崎心です。これがぼくの人間の体です。」
ぺこりと頭を下げた彼はぼんやりした顔で続ける。
「あっ、心君かあ!へー生身だとそんな感じなんだ…」
「基本この身体には帰ってこないんですけどね。」
「たまには動かないと筋肉がなまっちまうだろ?」
がしりと心君の肩を左右が掴む。確かに左右に比べると体格も一回り小さいような、病弱な印象だ。
「せっかくなのでちょっとびっくりさせたいと思って…」
ふふんといたずらっぽく笑う心君は、やっぱりロボット掃除機の時よりも感情がわかりやすかった。
「あの…それで、ふわりさんなら分かるんですけど、なんで左右達もいるんです?」
「そ・れ・は・だ・な!」
「君の心を癒す素晴らしい提案をしに来たんだよ…」
もったいぶった口調で左右はややオーバーな身ぶりで語り出す。心君もノリノリで左右の激しい身ぶりを真似る。
動きがウザい。
「「広斗!/君!」」
心君も左右の声に合わせるように声を上げる。
「一緒に!ゲームで遊ぼうぜ!」
「遊んじゃいましょう!」
「…………は?」
◇◇◇
戮力荘2階、左右の自室。
初めて入ったその空間は、絵に描いたようなゲーム好きの自室といった具合だった。
部屋の真ん中にはちょうどテレビの前にちゃぶ台があって、隅には自分用のゲーミングPCを乗せた高さが調節できるテーブルにゲーミングチェア。
壁には色んなゲームのポスターが貼ってあって、棚の上にはゲームのキャラのグッズが所々に置かれていた。
……テーブルの上には空だったりそうでなかったりするエナジードリンクの缶が何個か連なっていたり、床には食べ物の包装紙がくしゃりと丸められていくつも転がっていた。
服だって脱ぎっぱなしの放りっぱなしで凄まじい散らかりようだ。立派な汚部屋だ。
「左右君、このエナジードリンク空だよ!捨てていいよね?こっちのゴミも!」
「エッ、あ。いいよぉ…」
どうやらこうなっていたことは想定内だったようで、心君はどこからか取り出した3枚のゴミ袋に缶やら包装紙やらをきちんと分別しながら遠慮なくぶち込んでいく。
一際派手なピンク色の包装紙を掴んだ途端、左右が焦って心君に声をかける。
「あ、ま、待て心。」
「なに!?」
「そっ…その包装紙のパン、美味しかったけど…名前忘れちゃったから…見せて…ください…」
よくそんな事言えるなこいつ。
呆れたように大袈裟なため息をつきながら心君はぽいと包装紙を投げ渡す。
「『新感覚!メロンじゃなくてイチゴが入ったメロンパン!』か…覚えた!ありがとう!」
「……それ、ただのイチゴパンじゃないんですかね?」
思った。
「えっ、メロンパンって言ってるしメロンパンなんじゃないの?」
「……もういいですよね。」
薄茶色の目が軽蔑を纏う。
心君は我慢ならないといった様子で左右の手から包装紙をむしり取ってゴミに入れる。
「くっ……絶対買いに行くからな…メロンパン…」
「…俺もイチゴパンだと思うぞ左右…」
「広斗までそんな事言う…!」
「と言うかそもそも、メロンパンにメロンって入ってないんじゃありませんでしたか?」
「えっまじで!?」
「それ本当!?」
「なんで知らないんですか2人とも…」
さらに呆れ果てた心君の目線の先には、今は俺も含まれている。どうして……
「と言うかなんでコイツの部屋を掃除しなきゃならないんだよ!」
「左右君はゴミを捨てれない人間なんです。定期的にゲームしたいなんて誘って部屋に押し入って無理やり掃除しないと、そのうち戮力荘全体をゴミ屋敷にしかねないんです。」
「それほど酷くはねぇし……」
口を尖らせた左右はすねた様子だが、図星でもあるようで目線を右上にそらす。
「…うーん…まあ、生活空間はできましたかね。」
「あ、ああ、落ち着かねぇ…落ち着かねぇよ…!物が無い…」
「これが正常だバカモン。」
とん、と左右の頭をチョップするとちぇっと軽く文句を垂れるが、すぐにゲーム機の準備を始める。
「コントローラーは4人分あるし…心、暁呼んできてくんね?」
「やっとCPUなしで対戦できるんだね…わかりました、呼んできます。」
「ゲームに乗り気なやつあんまいないからな、これまでは1人は必ず空きがあったんだよなあ…やっとだぜ。」
心君は軽くスキップをしながら部屋を出て行く。
「いたっ!」
……凄い音がした。
多分玄関あたりでコケたな。
「…心君て、結構表情豊かな子だよな。」
「ん?まあな。あいつ、いつもはロボットについてるライトの色でシンプルに感情表現するけど本当はあんな感じで結構顔色コロコロ変えるんだよ。」
さっき片付けたばかりなのに左右はキッチンからエナジードリンクを取り出して飲む。
「……俺はロボットに入ってる時みたいにライトで簡潔に感情を見せるより、ああして普通の人間みたいな複雑な顔で笑ってた方が見てて気分が良い。目線も合わせやすいし。」
「そうだな。」
落ち着きすぎてると思った心君だが、ああして普通に対峙してみるとごくごく普通の男の子だ。
「てか、なんでゲームする流れになったん…?」
「はあ?疲れたんならそれを吹っ飛ばすくらい楽しむのが一番だろお?」
ワケの分からない理論だが、ワクワクしてしまっている自分もいるため何も言い返せなかった。
そんな俺を見て左右はにやりと笑うと、一気にエナジードリンクを煽る。
「……それ、めっちゃ飲んでるみたいだけどうまいの?」
「食後すぐには飲まないほうが良いぜ?」
「…じゃ、また今度飲ませてくれよ。」
「おん。」
コン、と小気味よい音を立ててエナドリ缶を置く。
ちょうどそのタイミングで玄関が騒がしくなる。
「いいぃやっほーい!!」
「あぁ暁君!あんま走らないで……」
ぴょいと部屋に飛び込んできたのは暁君だった。
いつも被っているオーバーサイズのパーカーの黄色いフードが揺れてずり落ちる。真っ白な髪がさらけ出された。
「九塔暁!けん!ざん!」
「おー、かっこいいじゃん暁。なんのアニメの真似だ?」
「アニメじゃないよ!『最高戦隊!ベストファイター!』!」
「あー、実写のアレ?」
「そうだよ!」
びしっと腕を上げて変なポーズをとる暁君。
なるほど戦隊モノの決めポーズか。
「んじゃあ揃ったな!」
ぱたぱたとテレビの方を見てちゃぶ台の前に全員が並ぶ。
左右がテレビとゲーム機を繋げる線をはめ込むとテレビに明るくゲーム画面が映る。
「…!これって…」
「そう…対戦ゲームの金字塔、お年寄りからおこちゃままで安心して遊べる名作…」
「『大激闘ストライクシスターズ』だ!」
「疲れたんなら、今度は目一杯遊ぼうぜ!」




